キリギリスはなぜ死んだ?

誰の目にも止まらない人々の、言葉に出来ない魂の叫びを綴るブログ。

クソ面白くもない世の中で生きるも死ぬも面倒くさい

イライラする。ムカムカする。とにかく物にあたりたい。

 

 

心臓が不愉快な振動を始め、嫌な音を立てるのを感じる。

 

道にある物全てがムカつく。

 

消えるのか灯るのかわからないボロい電燈、これ見よがしに咲いている花壇

 

道を通るな。と言わんばかりにドヤ顔で路駐されたメルセデスベンツ

 

なにかを蹴っ飛ばしたい。ぶっ飛ばしたい

 

そんな衝動を抑えながら帰ってきた。

 

今回の記事は何ヶ月に一度の、ストレス解消の投げやりな思いつきだ。

 

不快な思いをさせたくないから、ぜひ見てくれ!とは言い難い。

 

 

 

うざい。面倒くさい。だるい

 

サブタイトルを即答してみて、自分の語学力のなさにビビる。こんな小学生でも

 

今更使わないような単語しかでてこないなんて、いつも本を読んでる割には

 

このザマ、いかに血肉になっていないかって事実を見せられている。

 

読書だけじゃない。僕がやってる事、やってきた事、一体なんの価値があったのだろう。

 

いつも思う。特に今日みたいな、何もかもにイラついている日は。

 

頭の中がこんがらがって、何を言いたいのかわからない。

 

カバンの中に入れたイヤホンが、いつの間にかむちゃくちゃに結ばれているような

 

感じだ。どこから解いていいのかわからない。

 

あっちを解こうと思ったら、こっちがこんがらがる。こっちを解こうと思ったら

 

結目がどこにあるかわからない・・・・

 

そのうちに面倒くさくなって、どうでもいいと投げ出す。

 

自分から切り離したい。このもやもや、イライラを。

 

頭の中で消えろ。消えろ。と念じるほどに濃くなっていく何か。

 

形はない。目には見えない。でも感じはある。暗い気持ちの悪い何か

 

吐き出したいけど、喉の奥につっかえて離れない。でも気持ちが悪い。

 

何としても。

 

とにかく口に出す。悪態をつく。この時現実の誰かに相談するのはオススメしない。

 

特に家族は役に立たない。常識では解決できない心の動きを説明しても

 

常識の中で生きている人には、理解できない。ただ正論をぶつけられ

 

絡んだ思考の線に、世間の常識という新しい線が加わって、余計にぐちゃぐちゃに

なる。

 

自分で結んだ糸は、自分で解くしかない。他人に頼ってはいけない。

 

血のつながりなんて、なんの役にも立たない。

 

こういう時、家族とは?と思う。

 

やめたい。消えたい。ただ口に出しているだけなのだから、口を挟まないでほしい。

 

辞めてどうなる?金はどうする?と聞かれても、知るかとしか答えられない。

 

結局、金の話しかしていない。

 

彼らがほしいのは、僕ではなく、金を運んでくる人なのでは?と疑いたくなる。

 

 多少はしょうがない。と言われても、世間の「多少」が生きるか死ぬかの一大事なのを

 

説明しても、まるで宇宙人とのファーストコンタクトみたいな感じがする。

 

言葉が通じないレベルではない。思考の概念そのものが違う気がする。

 

今までもそうだった。悲しい。苦しい。助けてくれ。

 

身近で暮している人に話しても、議論は明後日の方向へ行く。

 

違う。そうじゃない。どれだけ言っても、わかってはもらえない。

 

なぜわかってほしいのか。家族だから。

 

でも、説明すればするほど、めんどくさいと思われていく。

 

ちょうど今みたいに。

 

もはや、一緒に住んでいるだけの他人。だが、一緒にすまないと生きていけない。

 

多少の我慢はしょうがない。しかし、多少も、寄り集まれば、大きな塊になる

 

チリも積もれば山となる。多少はしょうがない事の土砂に潰されそうだ。

 

勘弁してくれ。まじで。

 

これじゃあ、あの時と同じだ。本当にどうしようもないとき、他人の助けがないと

 

この先がない。苦しいと声に出した時。

 

学校に行きたくない。と言った。行かなければ生きれないと言われた。

 

心に嘘をついて、無理して通って、なんのために?なぜ?という疑問を

 

封印して卒業したけど、今の自分を考えたら、あの我慢はなんの価値もなかったと思

う。

 

でも、ここで、言われるがままにした奴が一番バカなのはわかってる。

 

あの苦しみでなにを失った?無くしすぎて思いつかない。

 

なにが残ったのだろう。なにも。ただ一つ残ったのは、

 

己で生きる道を考えることのできないロボットのような頭脳。

 

本当に使えない。くそみテェな脳みそ。なんなんだこれは?

 

くだらない。ある価値のない。そのくせ、キリキリと痛む。

 

誰か散弾銃を。吹っ飛ばしてやりたい。

 

今のままでは、同じ目に会うのは確実。ここにいるわけにはいかない。

 

ここじゃないどこかで生きていく道。まるで思いつかない。わからない。

 

今まで散々、もう終わりだ。と嘆いてきたけど道がないわけじゃない。

 

 

道がない。というのは言い訳だ。

 

道の作り方がわからない。もはや終わってる。

 

 

ただ、このレールから外れられないごみくずには、その道を探せないだけ。

 

自由に行きたい。不安から逃げたい。でも、その道が見つけられない。

 

なんなんだこれは?僕はなんだんだ?

 

この存在という物は一体なんでここにいるんだ。

 

なんのために生きるんだ?

 

それは誰に聞いてるんだ?

 

何をすればいいんだ?

 

誰かが答えを持っているのか?

 

どこに行けばいいんだ?

 

地獄に行けと言われたどうするつもりだ?

 

 

 

他人に聞けば答えがでると思うから、こんなクソを浴びる事になったんだろう。

 

答えなんてない。見つからない。わからない。

 

他人を頼るな。人間の精神の構造の話じゃない。

 

非情とか無常とかとは違う。

 

自分の生き方だ。そこだけは絶対に人任せにしちゃいけない。

 

かといって、自分の道なんてわからない。「自分」なんてどこにもいない。

 

やりたい事?ない。知りたい事?ない。ない。なにもない。めんどくさい。

 

生きがいもない。生きていたくない。この先どうやって生きるのか?と聞かれる。

 

しいていうのなら、生きるのがめんどくさい。もうたくさんだ。

 

なにもかも嫌だ。本当はしらけているんだ。とっくの昔に燃え尽きているんだ。

 

真っ白を通り越して灰になりかけているんだ。試合は終わった、ただのロスタイム。

 

無駄な時間だ。僕その物だ。僕の存在自体が、無駄なのだと、この30余年を使って

 

わかってしまった。死にたいほど辛い毎日を

 

「ただ」

 

耐えていれば、いつか良くなる日が来るという思考停止。

 

行動しなければ幸せは訪れない。そんな当たり前に気づいたのは、何もかも

 

手遅れになった時だった。後悔してもしきれない。

 

なぜあんなことを、やればよかった事。やらなければよかった事を嘆く。

 

考えたくない。思い出したくない。なのに、目の前に、今起こっているように

 

映し出される。くっきりと、はっきりと。必要ないことが。価値のない物だけが。

 

望まない事実が。行きたくない地獄が迫ってくる。

 

なぜ地獄に行かなければならなないのか。

 

全く不可解。無実の罪でどうしてここまで苦しまなければならない。

 

法律に背いたわけでないないのに、この一秒を刻むだけで、生きた心地がしない。

 

なんでこんな目にあうんだ?なんでこんなに惨めなんだ。僕がなにをしたっていうん

だ。

 

罪を犯した本人がわからない。誰か罪状を教えてくれ。

 

また、誰かに頼ろうとしている。いい加減にしろよ・・・・

 

親切な誰かが現れて、なぜこんなに苦しいのか?と尋ねたら

 

「それはね。君が今まで頑張ってこなかったからだよ」と言われる。

 

今まで何度でもあった事だろう。いい加減わかれよ。

 

画面の向うの中高生!こんな底辺のおっさんになりたくなかったら

 

今すぐスマホを置いて勉強したまへ!

 

今が楽しければそれでいい。っていうけど、実は今も対して楽しくないだろ。

 

強がってごまかすな。周りの人間に合わせているだけでは、なにも生まれない。

 

君の友達は、君と一緒に地獄に行ってくれるわけじゃないだろう。

 

急にどうした。一応、社会になにか、役に立つような事を書かなくちゃと思いついて。

 

こんな記事書くような、大人?にはなってくれるなよ。頼むから。

 

今は楽しいっていう君、今は良くても、その先が長いぜ。本当に長いぜ。

 

嫌になるくらい長いぜ。辛く苦しい時間は。終わって欲しいほど。

 

 

ビビったなら、少しでも嫌だな。と思ったなら、抜け出してくれよ。

 

君なら間に合うから。大丈夫さ。

 

地獄に落ちる。っていうけど、もしかしたら、今いる場所が地獄なんじゃないか

 

と思う事もしばしばある。

 

 

そうだよ。ここが地獄なんだよ。生きる事自体が拷問なんだよ。

 

そうじゃなかったら、こんなばかみたいな出来事ばっかの、クソみたいな

 

いや、クソそのものの時間の流れはなんと呼べばいいんだ?

 

 

人生。ですか。そうですか。物心ついた頃教えてもらった人生はもっと素晴らしい物

 

だったはずなのにな。

 

君たちには人生を素晴らしい冒険に変える力がある。って誰かが言ってたけど

 

冒険できるのは、一部の、選ばれし者のみだったらしい。

 

よく言われているように、この世の中は、一部の主人公のためにあって

 

僕はその作品のエキストラでしかないと思う。

 

休憩時間に見てたテレビ。スポーツ選手の誰それが怪我から復活して、

 

優勝したニュース。それを見て、「すごいな。」と呟く。それが僕の役割。

 

なんだかバカバカしい。ばかみたいだけど、笑えない。涙が出てくるから救えない。

 

「僕なりに」

つけたくないけど、そうでも言わないと、苦し紛れの言い訳すら出来なくて

 

僕以外認める人もいないから、僕を守るために

 

一応つけるだけで、僕なりに、がんばってきたんです。文章にしてわかった。

 

なんだこの間抜けなセリフは。負け犬根性、ここにきわまり。

 

頑張ってどうなるんだ。頑張ったからそれでいいんか。がんばったなら認められるんか。

 

がんばっても結果が出なけりゃ自己満足だって、これまで何回書いたんだ。

 

でもさぁ、こちとら、スポーツ選手じゃあねーもの。

 

別にオリンピック出たいわけなじゃないもの。

 

草野球で全力ですよ。ばかみたいですね。笑ってくださいよ。えぇもう。

 

何やってんだ。的に怒鳴られるよりはマシですから。

 

何やってんでしょうね。わかんないです。何やってんでしょうね。

 

本当にもう、くだらないです。それしかないです。

 

残像が死んだ

 

帰り道も、まぁ、面白くなくて、悪態ついて帰りましたよ。

 

でも、これって、僕だけじゃないと思いたいんですよ。みんな同じだって。

 

ことあるごとに、こんな、お前の人生はクソしょうもないことばっかだ。

 

的な事しか起きないから、もう終わらせようとするんですけど、うまくいかない。

 

今日は、列車の先頭に乗ることに決めたんです。乗るっていうよりは、なんとかんく

 

ホームの端っこに居たくて、で、電車が来るじゃないですか。

 

もう行けよ。行けよ。行けよ。って、頭ではわかってるんですけど、

 

やっぱダメで。ただ、その、死にたい。って気持ちだけが、残像として

 

電車に潰されて行っちゃって。

 

ただ、冷静になって気づいたんだです。電車って、ホームに来ると

 

速度が落ちるんです。これ、当たっても本当に死ねるか?って。

 

下手したら下半身不随とかで、中途半端に生き残っちゃったりとかしないかって。

 

まぁ、そんなこと考えられる時点で、「余裕」がある。ってことなんでしょうけど

 

 

歩けなくなるのは、やだな。とか思うと、やっぱやめた。って。

 

 

ガキみたいな理屈でイライラするでしょうけど、まぁ、こんな奴ですし

 

 

でも、やっぱ、もやもやは消えないわけです。

 

なんなんだ。なんなんだ。そんな単語ばかぐるぐる回って

 

こんな人生はもう嫌だな。とか、生きた心地がしないな。とか

 

本当に気持ちが悪くて、生きる。死ぬ。っていうシンプルな選択の間を

 

行ったりきたりするわけです。天の神様の言う通り。みたいな

 

まぁ、死ぬってなっても、死にたいだけで、実際生きるんですけど

 

それもなんか、へなちょこで、そんな自分が嫌で、またイライラして

 

こういう時、なんかいい案が浮かべばいいんですけど、ちょっと前に

 

書いた通り、ゴミみたいな脳みそなもんで。

 

 

人によっては、酒飲んで寝る。って人も聞きますけど

 

なにか、逃げのような気がして。

 

こういう時って、早く寝たほうがいいんですけど、布団ひいて、寝よう!

 

寝よう!って思うほど、逆に眠れないじゃないですか。

 

なんか、今日寒いし、足冷たいし、眠ろうとすると、そのイライラの原因に

 

なった出来事が、ブツッ!ブツッ!って、まぶたの裏をちらつくんです。

 

そしたら、その瞬間に、心臓が送ってくる血液ごと沸騰したみたいになって

 

目が覚めちゃうんです。メンヘラ女子みたいですよね。

 

情けないんですけど、残念ながら僕は男です。

 

まぁ、今年の目標は、かっこつけない。なんで、ある意味、忠実なんですけど

 

なにが言いたいかっていうと、とにかく忘れたいんです。

 

切り離したいんです。仕切り直したいというか、リセットしたいんです。

 

いや、起こった出来事をなかった事にしたい。って訳じゃないんですよ。

 

そりゃ流石に、SFの見すぎだと思うし、まぁ、戻れるなら、戻りたいですけど

 

やっちまったもんは仕方ないし。

 

だから、明日に響かないように、眠りたいんですけど、今言ったように

 

眠れないと。壁掛け時計の音がばかにでかく聞こえて、うるさくてしょうがない。

 

こういうとき、どうすればいいか。ってんで、ブログの出番ってわけですよ。

 

とにかく、文章にすると、ここにのせると、不思議と、吹っ切れるんですよね。

 

まぁ、みなさんからしたら、はた迷惑この上ないんでしょうけど

 

ここまで付き合ってもらってごめんなさいね。なんの為にもならない事ばっかりで

 

まったく、なんなんでしょうね。人生って

 

なんでこんな、窮屈な、息苦しい、手狭な、つまらない

 

クソ面白くもない世の中で生きなきゃいけないんでしょうか。

 

じゃあ死ねよって言われても、死のうとしても死ねねぇし、死ぬ勇気がうんたら

 

とか聴き飽きたし、生きるにしてもまた道が〜とか方法があ〜

 

とか、考えてもしょうもない、クソみたいな、かっこつけてるようなことばっか

 

書いているんですよね。生きるとか死ぬとか、もうめんどくさい。

 

こんなしょうもないクソ面白くもない世の中で、価値とか、意味とか

 

考えるのもめんどくさい。

 

何もかもめんどくさくなってきました。勢いに乗せて頭かきむしったら

 

髪が抜けましたわ。このままだと禿げそうですね。禿げてるんですかね。

 

いや、心はげ上がってますけどね。

 

私の心は磯波平・・・・・なんとかギャグにしてみたんですけど、滑りましたね。

 

ハゲだけに。この後、眠ったら、そのまま心臓止まんねぇかな。

 

朝日を迎えたくない。日付をまたぎたくない。明日を迎えたくない。

 

すごい贅沢なんですけどね。そんな事考えるものもめんどくさくなってきましたわ。

 

そろそろ、ボキャブラリーの限界なので、今回はここら辺で終わります。

 

それではみなさん。おやすみ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうして死にたくなるのかな?

死にたい理由を考えろ

東京0円ハウスで有名な坂口恭平さんの著書、「現実脱出論」を読んだ。

 

内容は刺激的だけど、中でも

 

死にたい理由を考えろ。という文が目に焼きついた

 

「死にたみ」と聞くと、「命を粗末に〜」的内容になりがち。

 

でも、坂口さんは理由に着目するという新しい視点を与えてくれた。

  

駄目出しがくるほど 死にたい。死ぬべき。死を連呼してきたけど

 

そこまでは考えなかった。どうして死にたくなるのかな?

 

いる意味がないとわかったとき

 

死にたくなるのは、働いているときが多い。

 

 朝、目覚ましの音に起こされて、電車に揺られる。

 

1日が始まると思うと憂鬱になる。働くという行為が、苦痛にしか思えない。

 

労働は義務と言われても、

 

権利を享受している気になれないのに、義務ばかり押しつけられても。

 

 分かってるよ。甘えるな。怠けるな。なんて、あおるなよ。

 

働いている最中に、頭の中にいる世間と押し問答してるうちに

 

仕事がおそろかになって、どうでもいいミスをする。

 

流れがせき止められ、義務が見上げるほどの山を作る。

 

誰でもできることができない。

 

なにを間違ってるのかわからない。なにを直せばいいのもかわからない。

 

なにがわからないのかわからない。

 

頭の中で問題でぐるぐる回り、ショートして真っ白になる。

 

なぜこんな事もできないのかと指摘される。

 

本人が一番よくわかってる。きつい。クヨクヨしている間に日が暮れる

 

なんとか帰ってきた。眠りについたら、けたたましいサイレン

 

景気がいいのは、目覚ましの音だけ。

 

布団の暖かさに隔てられた外から入ってくる冷気。

 

昨日と同じ。苦痛しかない無能な日常が待っている。

 

しかし、生きるためには働かねば。

 

働かない人間は存在する意味がない。

 

この社会は歯車になれる奴しか生きれない。その現実に死にたくなる。

 

 

やりたいことで一円もとれなかったとき

コントローラーが壊れて、キャラクターが前にしか進まなくなってから

 

卒業したけど、テレビゲームって、楽しいよね。

 

そりゃ、楽しませるように作ってあるから。なんて、いいっこなし。

 

レベル上げの単調な作業でも、楽しい。文句も言わずにやる。

 

なんでか。やりたいことだから。これは望んだことで、やっていて楽しいことだから。

 

なんでもいい。例えばブログを書いている時

 

なぜ?なんて考えなくても楽しいと思える。

 

 でも、例えばトイレにいくとき、一瞬でも現実に戻れば

 

「これが何円の値打ちになる」という質問が降りてくる。

 

こんなことをするよりも、レジの前に立ってる方が金になる。

 

隣にある無人のセルフレジとやることは同じなのに。

 

この何もない、苦痛が金になり、やりたいことが金にならない。

 

 自分の時間を売る。人間をやめて機械にならないと生きていけない時

 

創造、楽しめることに、生きる価値がないなら

 

もう生きていたくない。と強く思う。

 

未来がない。と思う時

 フリーターは義務をほうりだせるから楽でいいけど

 

いつまでも自立できない。大人になれないという裏返しでもある。

 

未来がないなんて考えたくないけど、将来を考えろと言われたり

 

ネットのつぶやきを目にすると、行く末を見ているようで、死にたくなる。

 

わかってる。本当に。自業自得だって。

 

それでも、これまで、これ以上は無理ってところで踏みとどまってきた。

 

よくぞ生きた!と叫びたいけど

 

世の中はもっときつくなる。これまで生きたのを後悔する。

 

人生をなめんな!言い訳するな!努力不足!甘え!愚痴を吐くな!

 

それが社会全体の総意なら

 

 こんな人生はもう無理。これ以上続かなくてかまわない。

 

 死にたい。と言い続けると

 

「でもお前、今生きてんじゃん。嘘乙。」と切り捨てるのは本当に止めてほしい。

 

死にたい気持ちを持っている人は、地面がグラグラ揺れているような不快と

 

明日が来るのが怖くて仕方ない、極限の苦痛に耐えるために

 

死にたいという気持ちを言葉にして切り離すことで、

 

崖っぷちの落ちるか落ちないかのギリギリで踏ん張っているんだ。

 

 死ねよ。という人は、死にたいと思ったことがないのかもしれない。

 

死にたい人の気持ちを考えてほしいといっても無駄なのかもしれない。

 

だとしたら、死を実行した時、「どうして相談してくれなかったの〜」

 

とか言い出すのは非情すぎやしないか。

 

 

「もしかしたら、死にたくさせた世間に問題があるのでは」

 

ぐらい言ってみろよ。

 

 

 

 

 

 

死なない理由

 

死にたいのは確かだ。でも、死ぬわけじゃない。

 

 

この二つは似てるけど、全然違う。

 

口だけと言われたらなにも言えない。むしろなんとでも言ってくれ。

 

 これが最後いいのか。悔しくないか。

 

価値もなく、負けまくったまま、

 

 現実は厳しい。使えない社会のお荷物だ

 

わかってるよ。でも

 

 それでも、まだなにかできる気がする。

 

まだなにかになれると信じたい。

 

惨めなのも辛いのも嫌だけど

 

終われねぇ。

 

死にたいけど、死なねぇよ。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

政治に興味を持て!と言われても・・・・

政治に興味がない奴は馬鹿と言う人へ

マウントをとるのではなく、 なぜ興味を持たれないのか、を考えるべきだ。

 

しかし、興味深々な人が、興味がない人の気持ちを想像しても

 

的外れな結論ばかり目につく。

 

そこで、政治に絶望した民の視点で、政治に無関心な理由を解説する。

うんこ味のカレーとカレー味のうんこどっち食べる?

どっちも食べたくねーよ!wwww

 

とツッコミいれて、小学生の休み時間を楽しんだ人も多いだろう。

 

今は笑っていられない。

 

日本の政党はうんこ味のカレーこと与党と、カレー味のうんこ、その他野党

 

どちらかを食べなければ死ぬ。という究極の選択だからだ。

 

確かに、今の与党のやっている事は、物理的暴力を伴わない民族浄化

 

金持ち優遇のイノベーションを起こす優秀な人材以外は人ではなく、死んでよし

という、庶民には地獄の政策だ。

 

ならば野党はと聞かれても、TPPも消費税増税も、言い始めたのは民主党

 

野党時代は与党を追求できても、いざ自分が運営に回れば

 

自民と同じか、もっとひどくなる。

 

カレーを作れると美辞麗句を並べても、キッチンに立つとろくな材料がない

 

結局、できあがったのは、カレー味のうんこ。

 

ならば、たとえクソまずいうんこ味でも

 

栄養のあるカレーを作れる料理人を選ぶしかない。

 

そんな絶望的な状況なら、餓死したい人がいても不思議はない。

 

何故怒らないと煽る人々へ。

 

今の政治になぜ怒らない。という人がいる。

 

怒らないのではない、怒れないのである。

 

社会の荒波に心すりへり、辛くもやり過ごすだけで奇跡。

 

毎日、怒る気力もないくらいヘトヘトだ。

 

そんな中で、怒れ!怒れ!と煽られても、鞭で打たれるのと変わらない。

 

ほとんどの人にとってこの世は生きづらい地獄であり、

 

大同小異の政治などどうでもいい。

 

それで生活が苦しくなるなら、いっそ殺してくれ。

  

メディアを信じるなと言われても

 

政府やメディアに騙されずに自分の頭で考えろ。には無理がある。

 

確かに、今はインターネットの普及で、表にでない情報を得られるようになった

 

しかし、検索しても出てくるのは、個人ブログなどの、2次ソースばかり。

 

彼らが嘘を付いていないとどうして言える?

 

疑心暗鬼だ。と言われても、ネットde真実の結果生まれたのが

 

ヘイトスピーチネトウヨ問題ではないか。

 

 かろうじて出てきた一次情報、(政府の統計、その他機関の調査)も

 

ごちゃごちゃしていてわからないし、そのデータも嘘かもしれない

 

そもそも、一般市民に、権力の嘘を見抜くけと言う方が無理がある。

 

数字の中にある、都合の悪い情報を見抜くのはかなりの熟練を要する技術。

 

 

それをもっているのがマスコミのはずだ。

 

自分の頭で考えろと言われても

 

仮に自分で調べて、真実がわかったとしよう。

 

尖閣諸島に迫る中国の魔の手

 

隣の半島に住むヤクザ国家とのいざこざを考えると

 

軍備拡張はやむなし、その結果、税金の値上げは仕方ない。

 

 まぁ、老人福祉に回す金を絞れば、何とかなる気もするけれど

 

日本という国を生かすか。

 

生産性のない国民を生かして、全滅するか

 

その二択なら、全体が生き残るためには捨て駒になるしかない現実。

 

 

だとしたら、自分の頭で考えたところで何が変わるというのだろう。

 

みんな自分の意思で犠牲になりました。と後で言える証拠がほしいだけだろ。

 

 

選挙はただの茶番劇

 投票しろ。と言われても、多数派が勝利するようにできているシステムの中で

 

 

少数派が投票したところで、何も変わらない。

 

例えば、働いたら負けという声を拾う議員など存在しない。

 

拾ったところで、当選できないからである。

 

確かに、選挙のときは耳障りの良いことを言うけど

 

いざ当選したら、外国や、金持ちにゴマをするだけで庶民のための政策など行わない。

 

 

 

最初から、権力者が議員を決めればいいじゃないか。

 

そうはいかない。一応この国は、形だけ民主主義を名乗っている。

 

後々、開きなる必要がある。

 

俺に投票しただろ。なら文句を言うな。これが結果だ

 

つまり、選挙は強者の理論を押し付けるための出来レースなのだ。

 

 

 政治は弱者のためのものではない。

 

現実を考えると政治を行うためには、ある程度、庶民を切り捨て必要がある。

 

しかも、切り捨てていると庶民に思わせないテクニックが必要だ。

 

そのために、世代間、正規非正規、公務員、民間の対立がある。

 

政治に理想や愛をもちこんでは、勝つものも勝てない。

 

 

庶民のための政治など、行われるわけがないのだ。

 

オワコンとかした日本

日本すごい!テレビで悦に浸るみんな。現実を見よう。

 

日本はオワコンだ。

 

高度経済成長時、世界で唯一成功した社会主義国家と言われた日本。

 

父親は家庭を一切顧みずにシャカリキに働き

 

母親は家庭でワンオペ家事をこなし

 

子供は学校にいって、社畜になるための教育を施される。

 

とにかく、働いていれば、幸せになれる。

 

 

 はずだった。昔は。

  

 

 

働かなければ死ね。という国民性を変える事はできない。

 

 

 日本の衰退は必然だ。誰にも止めることはできない。

 

地獄で生きるくらいなら、いっそ安楽死させてやるよ。

 

そんな武士の情けを持った議員がいるなら、スキップして投票するっていうのに。

 

 

 

 

 

 

 

人と会うのが怖い 

数年会っていない友達から電話がかかってきた。

 

頭の中で再生する映像には子供のままの彼が写っている。

 

通話ボタンを押そうとしたとき

 

相手と何を話すか想像して、指が止まった。

 

実家暮らしフリーターには、世間話の近況報告もできない。

 

何回か経験すればわかる。大抵その場が凍りつく。

 

親戚や近所、興味のない他人なら構わない。

 

でも、親友と呼べた人に乾いた笑いを返されるのは耐えられない。

 

さっきまでジングルベルも、今ではドアを叩く借金取りのよう

 

早く出ろよ。と脅す携帯を放り投げて、呼び鈴が消えるのを待つ。

 

しばらくして、息絶えた画面を見ると

 

留守電のメッセージと、「本当にこれで良かったのか」という後悔が残る。

 

ツイッターで相談するほど悩み、掛け直した番号。

 

彼も同じ立場で、その悩みの相談なのでは。

 

 普通になれなかったのは自分だけではない。

 

特別に落ちこれぼれているわけではない安心感が欲しかった。

 

電話に出た彼の声はあの頃と変わらなかった。

 

人生が光で満ちていた頃に戻っていく感覚。

 

 

 それも一瞬だった。

 

 

「今仕事何してるの?」

 

 

 全身の力が抜け、ひざ関節が40年くらい劣化した感覚。

 

そこからは、何時もの、乾いた時間が戻ってきた。

 

あの頃のみんなはもうどこにもいない。

 

みな当たり前に就職、自立、結婚している。

 

「大人になりそびれたのはおまえだけ」と言われている気がした。

 

彼は、「今度会おうよ」というけれど、普通の社会人に対する劣等感を

これ以上広げるなんて冗談じゃない。

 

忙しいから今度ね。といって電話を切る。

 

顔を合わせても、普通の社会人に対する劣等感で、その場から逃げ出さない

自信はない。

 

昔なら喜んで約束していたのに、歳を食うと、つまらない見栄がつっかえて

腰が重くなる。

 

 人に会うのが怖い。時間の流れから置いてきぼりになっているきがするから。

 

他人の近況と比べると、卑屈になってしまうから。

 

ならそもそも、電話に出なければよかった。そうはいかない。

 

他人と会うことで、何か変わるんじゃないかと思っているのは事実だ。

 

人と会うのが怖い。しかし誰かと繋がっていたい。

 

 働きたくない。しかし、生きるためには仕方ない。起業する行動力も

 

労働から離れて世捨て人になる悟りも開けない半端者のはがゆさ

 

人に使われるのは嫌いなのに、人に使われなければ生きていけない

 

この生き方で一生、生きていくの?と聞かれたら、口がどもるモヤモヤを

抱えながら、なんだか納得できずに生きている。

 

それが人生だ。と言われたら、そんな人生終わってしまってかまわない。

 

かといって終わらせる勇気もない。中途半端な自分にイラつく。

 

働いていれば安心と言い聞かせるけど、苦痛と恐怖しか待っていない社会に

 

出たくない。

 

逃げたい。今すぐに、そんな境地はもう何度目か。

 

しかし頭の中の現実が諭す。

 

ここで逃げ出てどうなる?逃げたところでその後は?

 

何もない。またニートに戻るだけ。

 

そして、ただの糞袋とかした己を呪うだけ。

 

そこからまた道に戻ろうとしても、

 

この歳なら再就職先を見つけるのは、もっと困難になる。

 

ここにいるしかない。ここで生きるしか。じゃあもう生きていたくないよ。

 

でも死ねない・・・・おなじところをぐるぐると回る。たくさんだ。

 

ここからでる方法。最近本気で考えている。死ぬ以外で、どうにかして

 

働く以外の道がないか。「現実は甘くない」わかってる。

 

しかし、このままでは、本当にどうにもならない。

 

なぜ人と会いたいのか

 

ブログを初めてよかったのは、自分の歩ける範囲外の生き方をしている人と

出会えることだ。

 

もしかしたら、そういう生き方をしている人に、直に話を聞いてみれば

 

何か変わるかも。と思ったこともある。

 

しかし、ネットと違って、

 

現実の世界で会うとなると、人との距離感がつかめない奴にはハードルが高い。

 

結局、他人をあてにしても、何も良いことがないのは、わかりきっている。

 

しかし、自力で物事を変える力もないごみくずには

 

この行き詰まりから抜け出すことができない。

 

どうすればいい。わからない。一人では。

 

なぜ人と会いたいのか。逃げ道を作りたいのだ。

 

逃げ出したい場所以外にも、居場所がある。そういう安心感が欲しい。

 

できるなら、自分と近い感性を持った人に会いたい。

 

まったく同じでなくていいから。

 

人と合えば何か変わるかもしれない。

 

それを考えると、今回の友達からの電話に出たのは、良いことだったと思う

 

結果はどうあれ、行動した。ということは、少し自信になった。

 

やらなかった後悔より、やった後悔の方がポジティブというのは

 

まんざら嘘ではないらしい。

 

これまでの生き方を振り返ると、しなければよかったことと、すればよかった事しか

ない。

 

しかし、その経験から、こうすれば。と思えるやり方が見つかればいい。

 

もちろん、これからの事はわからないけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生きる価値のない人のセーフティーは安楽死。

 社会学者の古市と科学者の落合氏の終末医療に対する対談がネットで炎上している。

 

要するに、死が確定している人間の命を引き延ばすために金を使うのって、無駄だよね

 

ということらしい。この二人に興味がないので、適当に内容を要約したから

 

ちげーよ。というツッコミはなしにしてほしい。本題はそこじゃない。

 

気になったのは、彼らの対話に対する

 

セーフティネットを壊すな」とか

 

「お前も老人になったら困るだろう」というコメント。

 

おそらく、最近らくらくスマホを買った方々の意見なんだろう。

 

分かってねぇなぁ・・・・

 

セーフティーネットの網目

 

余命の長い短いに関わらず

 

生きる価値のない人は長生きなど望んでいない。今すぐ死にたいのである。

 

後ろ指差される僕らの人生が苦しいのはなぜか。頑張ってこなかったからだ。

 

ニート、引きこもり、非正規雇用、流されるままに逃げてきた奴に

 

安心など存在しない。じじいになれば野垂れ死に待ったなしである。

 

セーフティーネットに頼ればいい。という意見もある。しかし

 

メイドインジャパンの網は荒すぎて、網目に引っかかる方が難しい。

 

それ以上落ちないように貼られた「網」といっても

 

 この国のセーフティネットは、ガワだけのハリボテではないか。

 

本音では、 働けないクズは死んでくれと思っているのだろう。

 

ここにたどり着いたあなたなら気づいていると思う。

 

人間は誰も助けたくないし、頑張れない他人は邪魔者で自分はグータラ暮らしたい。

 

他人など気にしている場合ではない。

 

人間の本能は、悲しみと不幸に向かうようにできている。

 

生きづらさは日本の構造、日に照らされてできた影に過ぎない

 

 

 偽りの希望に期待すればバカをみる。自分の人生は、自分で切り開くべきだろう。

 

求められるのは、絶対安全、安楽死

 

かといって、大人になっても自立できない赤ちゃんだから

 

こんなゴミ人生を送っているのは事実。

 

やはり、外部からの手助けは必要。

 

 絶対に安全と言い切れるセーフティ

 

生きる価値のない人にとって、本当の安心とは何か?

 

「死」

 

以外思いつかない。

 

不都合しか起こらない現実で生きるかぎり、心安らぐ日などこない。

 

日常にはクズが生きるべきではないと知らしめる罠がそこかしこに張ってある。

 

今日をやりすごしても、明日に、明日を退けても、来週に・・・・

 

油断して自己を肯定すれば、地雷を踏み抜き、手足が無くなる。

 

その後は、調子に乗った自分を後悔する地獄が待っている。

 

いつつまずくんだ。次は何が起こるんだ。どうせダメなのに、なぜこんなことを?

 

油断しないように、この瞬間も心に言い聞かせる現実

 

「生まれてきてゴメンなさい」

 

誕生を呪いながら生きなければならない現実と向き合うのは、正直キツイ

 

しかし、現実から目を背けても、手痛いしっぺ返しがくるだけだ。

 

義務を果たすために乗る電車。立ったまま目を閉じる

 

数分でいい。現実を見ないですむ。

 

それでも、視覚がない分、他の感覚から現実が流れ込んでくる

 

辛い。きつい。悲しい。消えたい。耳の奥で声がする

 

胸の真ん中から、不愉快な振動が骨を伝ってくる。

 

毒ん 毒ん 毒ん・・・

 

一呼吸するたびに、針が肺に刺さるようだ。

 

痛い、苦しい、逃げたい。

 

もし、ここで、逃げ出せたらどんなにいいだろう。

 

行き先と逆方向の電車に乗って、

 

気の向くままに、心の向くままに、遠くに行けたらどんなにいいだろう。

 

どこまでも遠くの、窮屈さのない世界に・・・

 

そんな妄想の一番楽しいところで、目的地到着のアナウンス。

 

夢はさめるものだと理解する。

 

どんな場所に行っても、無価値な自分が変わらないかぎり、意味はない。

 

逃げちゃダメだ。

 

この社会では、逃げれば逃げるほど、選択肢は狭くなっていく。

 

逃げて、逃げて、たどり着いた地獄。

 

つまりこの世は地獄、人生は苦痛なのだ。

 

仕事が向いてない。と思っていたけど、

 

 

 

人生という仕事に向いていないとわかったのは、つい最近のことだ。

 

そこまで悟った人間には、やはり、安楽死を与えたほうがよいと思う。

 

この先、グローバル化の激しい国際社会で競争を余儀なくされる日本

 

少子化、人手不足を背景に、労働の強度は上がっていく。

 

そのペースについていけない人間はでてくるだろう。

 

 

そうでなくても、最近、世の中に対する逆恨みをした「無敵の人」が増え始めた

 

一時期流行った、「死刑になりたいから人を殺す」という輩も増えていくだろう。

 

 

そういう人間には、国が最後、きちんと安らかな眠りを保障することが大事だと思う。

 

生きる価値のないクズでも、どうぞ勝手に死んでください。では、国の威信が問われるだろう。

 

僕は、新自由主義や競争社会を否定する気はない。

 

これから日本という国が生き残っていくためには、多少の犠牲は仕方がない。

 

それはわかる。

 

しかし、自分たちで決めた方針にとりこぼされた人間の最後ぐらい

 

しっかり面倒をみるべきだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新年を祝う余裕がない。 目標を立てる希望もない。

新年。あけまして何がめでたいって言うんだ?

 

社会不適合者の身分も、生きづらさにも変化はない

 

むしろ、若いからなんとかなる。っていう言い訳からまた一歩遠ざかっただけ。

 

祝うべきことなど、何一つ起きていない。

 

 

 

元旦から毒を吐くのは、三が日の夢を見ている人の頭に

 

バケツ一杯の氷水をぶっかけるみたいで気がひける。

 

しかし、夢はいつか醒めるもの。

 

正月が終わって、皆が仕事を始めれば、嫌が応でも、死にたみは帰ってくる。

 

他のブログでは目標を立てている人が多いけど

 

ここで油断して、分不相応に前向きな目標を書いて

 

社会に戻った時、何度現実にコテンパンにされたことか。

 

さすがにアラサーだ。同じ轍は踏まない。

 

気を抜いてはいけない。

 

 

望もうが望むまいが、いずれ身をもって知ることになる。

 

 

組織に無益な人間は生きるに値しない。

 

価値もないのに、生を肯定する目標なんて立てられるはずもない。

 

 

 失望に備えよ

 

死にたみは筋トレに似ている。毎日行えば体が慣れて

 

多少の痛みに鈍感になるけど、少しでもサボれば心が鈍って

 

かすり傷程度の死にたみでも、どうしようもないという気持ちになる。

 

必要なのは、希望と失望の差をできるだけ小さくすること。

 

この世は地獄。一ミリの希望もないと心に刻めば、

 

地面に叩きつけられる衝撃は最小限になる

 

一生懸命生きてんすよ・・・・

 

全て個人は、生きるべき人間と死ぬべきクズに分かれる。

 

客観的にみれば間違いなく後者。かといって、ここで人生を終わらせる勇気はない。

 

死ぬのが怖い。ただそれだけだ。

 

 

死にたい。といいつつ、腰を上げない自分に苛立つ。

 

こんなことを本当は言いたいわけじゃない。

 

では何が言いたいのか。何が言いたいんだろう。

 

 

もちろん、読者の「見たい」にそわなければオナニーでしかない。

 

しかし、読み手のニーズを見極めた記事作成などできない。

 

だから思うまま素直に書くしかない。

 

このブログにしかできないことがあると信じて。

 

ならこの記事を通して表現したいこと。伝えたいことって?

 

この行を打つまで数時間考えたけど、出てきた答えは

 

「わからない」

 

いや、思いつく言葉はたくさんあった

 

絶望、苦痛、悲しみ、虚無・・・・

 

そのどれもが、的を得ているようで、言いたいことを

 

言い切れていないような気がする。

 

これまで積もってきた数え切れない苦々しい思い出

 

それを一言で表す言葉など、ありはしない。

 

一番近いのは、「死にたい」だけど、これもやはり

 

近いようでとても遠い言葉だ。

 

人生がそびえ立つクソに思える時、死にたい、消えたいのは確かだ。

 

ネット全盛の時代、苦痛なく消える方法はいくらでもあるのに

 

検索すらしない。

 

 やろうと思えばいつでもできる。なぜそれを実行しないのか。

 

ここでまた数時間考え込む。やるべき事は山ほどあるのに、それを

 

ほったらかして、一体何がしたいのか・・・・・

 

わかってほしいんだ。そう。ただ、「わかってほしい」んだ。

 

たとえ、成果が出なくても、社会や会社の役に立たなくても

 

あなたより努力していなくても、

 

ゴミはゴミなりに、一生懸命生きてきたと、わかってほしい。

 

誰に?

 

誰かに。

 

 

今の世の中はそんな掛け合いすら難しい。

 

ただ、「辛い」と言ったら、「そうだね」と言い合える人が周りに

いれば、どんなに楽だろう。安心できるだろう。

 

そんな人はいない。誰もいない。

 

ひとりだ

 

それがわかると出てくる言葉は

 

「どうしようもない」

 

なにを言ってるのかわからないと言われても

 

これ以外思いつかない。

 

わかりやすい言葉を選んだつもりが、抽象的になってしまう。

 

何が言いたいの?

 

一生懸命生きてるんすよ・・・・

 

 結局、なぜ生きてるの?

 

こんな質問がでてくるのは、「なぜ死なないの?」と同じだろう。

 

わからない。いや、わかりたくない。と言ったほうが近い。

 

強いて言うなら、「ヒーローになってから死にたい」

 

正確には、死んで惜しまれる人になりたいんだ。

 

今すぐ死にたい訳ではいないけど、どうしても生きていたい理由もない。

 

中途半端だとイライラするだろう。でも、これが一番しっくり来る。

 

結局、生きる希望を捨てられないのだ。

 

世の中が良くなってほしい。生きやすい世の中になってほしい。

 

生きとしいける全ての人が。

 

このブログの方向性が決まった。

 

 

死にたいけど、死ねない。

 

働きたくないけど、はみ出す勇気もない。

 

社会に復帰したいけど、できない。

 

フリーター、ニート、引きこもり・・・・

 

 

そう。何にもなれない中途半端な奴のために

 

書いていこう。と思うと、少し自信が持てる。

 

 ここは、中途半端な奴のためのブログなのだ。

 

かっこつけない。

 

なんだかんだで、今年の目標を思いついた。

 

かっこつけない。である。

 

人気のブログなら、ここで、突っ走る。とか、全速力で止まらずに

 

とか言う。うらやましい

 

でも

 

疲れたら立ち止まり、もう立てないとうずくまって

 

愚痴を吐きながら、立ち上がる。のが、自分に合ってる。

 

止まったっていいじゃないか。

 

嘆いたっていいじゃないか。

 

大事なのは、歩くのをやめないことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人生に救いがないと気づいた一年

2018年。平成最後の寒波(であってくれ)と共に

 

もういくつ寝れば30という大事な年が、社会の底辺のままで終わる。

 

気づいてしまった。この先、生き続けても、救いのない人生だと気づいてしまった

 

今更wwww

 

笑ってくれ。ここから先は苦笑いも起こらない。

 

 気づいちゃった。気づいちゃった。わーいわい。(絶望)

 

気づいたというより、そらす目線すらなくなったというべきか

 

落ちたら這い上がればいい。 ゴミ人生にそんなロマンはない。

 

一度踏み外せば、底のない谷を落ちていく。

 

君のいう通りだ。一言で言えば自業自得。

 

落ち始めた瞬間に、爪が割れても、指が折れても

 

谷の壁に這いつくばって、それ以上落ちないようにするべきだった。

 

ここより下はない? 甘いな素人。

 

目が慣れればいずれ見えてくる。終わらない虚無が。

 

どこまで落ちるかわからない不安を覚えたら、そこから一目散に駆け上がれ

 

いずれ良くなる。いつか報われる。そんな甘言を信じるな。

 

今を変えられないなら、未来など変わるはずがない。

 

君が思っているよりも社会はずっとシビアだ。

 

一瞬でもレールから外れたら、その後は地獄。

 

 

確かに、某ゼンカモン、くたびれた堂本剛

 

法の網目をくぐった人間の悪意を垂れ流す掲示板の創造主

 

京都大学出身のニートなど、常識からそれて生きている人はいる。

 

しかし彼らは本筋から離れた脇道を記した地図がある環境と

 

本人の地頭の良さが揃っているから輝いているのであり

 

「やだ!やだ!会社行きたくないンゴ!朝起きるの辛いンゴ!」

 

と駄々をこねるだけのゴミが真似しても・・・・

 

せやかて工藤。彼らはお前には想像もできない努力の人たち。

 

お前の言い分は醜い成功者への嫉妬やで。

 

exactly。

 

 

しかし、これだけは言わなくちゃならない。

 

彼らは底辺で精一杯生きる人達の「苦しい」というか細い悲鳴を

 

 「今は働かなくても生きていける。底辺にいるのは本人の意志」

 

「苦しまないで生きるために努力しない本人が悪い。」という

 

 

自己責任論者の言い分を言い換えたに過ぎない。

 

なんだかんだいって、みんな自己責任大好きじゃないか

 

 

江戸時代の村は、今と大して変わらない自己責任社会だったらしい。

 

それから数百年。まるで進歩していない。

 

人間。特にこの国の人々には、細胞レベルで弱者を切り捨てる非情がインプットされている。

 

「思いやり」 「助け合い」などという言葉は、世間体を気にした偽善でしかないのだ

 

君は、今は生活保護を申請して生きている人もおるで。と返すだろう。

 

しかし、費用は年々引き下げられてるし、不正受給問題の余波で

 

受給条件もべらぼうに厳しくなっている。

 

かくいう僕も、以前の会社でパワハラに心を壊して働けなくなり、貯金も底をつき

 

わずかな希望にすがって市役所を訪ねたけど

 

「自称鬱じゃだめだよ。診断書がなきゃ」

 

「親が生きてるじゃんwww甘えるなゆとりwww」(超訳)で終りだった。

 

君にわかるか?「お前は救う価値のないクズだよ」と認定された時の絶望が。

 

痛む傷口をナイフでえぐられるような日々に耐えながら、こずかいを稼ぎ

 

それすらも税金で徴収される。

 

その金で、生活保護を貰ってる奴が人がいる。

 

中には海外旅行にいき、受給額もギャンブルで使い切ってる奴まで

 

甘えるな。僕だって必死で生きている。

 

実によくできた社会構造だ。救う人間を選別することで

 

弱い奴がより弱い奴を妬むようになる。

 

ただ、誰もそのシステムに文句をつけない。

 

なんだかんだ叫んだって、みんな自己責任が大好きなんだ。

 

どうしよもないから生きている

 もうすぐ日が暮れる。いつもと同じ夕暮れ。昔はクリスマスや正月に独りだと

 

後悔が残ったけど、今じゃ何も感じない。いつもと変わらない生きづらい一日だ。

 

平成最後の〜と言われてもどうでもいい。年が変わるからなんだ?

 

ただ年号が変わるだけ。生きづらさは変わらない。

 

 

もう何もかも嫌だ。死にたい。歯磨きをしている間にすら思う。

 

逆になんで生きてるの?と聞かれたら、死ねないから。と答える。

 

くそみたいな繰り返しの日々を終わらせよう。

 

電車が通過するというアナウンス。特快が迫ってくる。

 

黄色い線の内側と外側、あっちが天国。こっちが地獄。

 

残っている理由なんてどこにある。

 

利き足を出そうとしたき、遺書を書いてからにしよう。

 

なんとなく、そう思った。だからブログを書く。

 

死にたいメーターが振り切れないと、書こうとも思わない。

 

チラシの裏にでも描いてろよ。と言われても、

 

他人に訴えるものがないと、張り合いがない。

 

江戸時代と違って、今はネットで自分の意志を示すことができる。

 

努力の方向音痴のゴミに、希望や救いは与えられない。わかってる

 

でも、黙って消えたくない。

 

どこまで落ちるかわからない不安の中でようやく踏みとどまれた。

 

 命のつきる最後の一秒まで、喉から血が出ても言い続ける

 

 この社会の冷たさが、最後と言えるその日まで。