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好きでニートなわけじゃないよ。

立ち上がらなきゃいけないのはわかってる。けど・・・

夢を見て初めてわかる。その恐ろしさ。

 

僕は生まれてこの方「夢とか目標」を持ったことがありませんでした。

 

それはきっと、自分が夢を叶えれる器の人間ではない。っていう事を

本能的にわかっていたからかもしれないし、

一番の理由は、夢を追いかけて挫折するのが怖かったから。だと思います。

 

 クズに居場所などない

僕は昔から、プラモデルを作ったり、ブロックでロボットを作ったり

 読書したりといった

 

  一人でする単純な作業が好きでした。

絵を描くのはそれと似ています。

 

 

絵を立体的に見せたくて陰影を描いていく僕。

 

明暗の調整ができなくて、はたから見れば、丸の中を

ただ真っ黒に塗っただけに見えるだろうけど

 

でも、完成した絵を見たとき、

 

それが他人から見れば、ゴミ同然でも

 

なんとなく充実感や言葉にできない感動を覚えました。

 

これはいける。コミュ症で忍耐力のない僕でも、これなら続けられる。

 

ここが、この芸術が、私の魂の場所よ!

 

なぜかマギーさん*1になるほどハイテンションでした。

 

ようやく自分の居場所を見つけた。希望の光を見た。

 とその時の僕は思っていました。

 

それがバカ者の勘違いだとも知らずに。

 

 

 コミュ症に成功は無理。

ある日何の気なしに検索したブログ。

そこに書いてあったのは、僕と同じコミュ症の人が

芸術家になろうして、コミュ症だったがために挫折した記事でした。

 

 その人によれば、

 芸術は絵だけ描いていればいいような甘い世界じゃない。

毎日コネを作りに人の機嫌をうかがいに行かなければいけなかった。

 

 絵を描いていなかった時の僕なら、「そんなもんですよね〜」となって、

終わりだった記事。

 

でもすでに「芸術家」という夢へ向かうため、

努力という高速道路を走り始めていた僕には、

 他人事ではありませんでした。

 

急ブレーキを踏み、勢い余ってその場で横転するような

感覚だったのです。

 

実力が足りないならまだしも、「コネがないから」成功できない・・・

それでは僕が今やっていることはなに?

 

 耳元で「誰か」が囁きます。

いまならまだ引き返せる。と

 

でも、この時の僕は、

  芸術がダメなら、漫画を描けばいいじゃん!

絵が上手くなれば、漫画もかける・・・はず。

 

ようやく掴みかけた希望を捨てるわけにはいかない。

 

誰かからのせっかくの警告を無視し、がむしゃらに突っ走り始めたのです。

 

ぶっちゃけ芸術よりも漫画描く方が地獄。

そんな僕はある日、漫画家を目指し、努力したものの挫折してしまった

人のブログを見つけました。

 

 そこでは、コメントしている人たちまでも、

僕では絶対にできないような血の滲む努力をしていました。

それでも夢を掴めない人が大多数。

 

そこで、ようやく僕は気づいたのです。

 

僕は「絵を描く」ということをなめていたこと。

 

「夢や目標を持つ」事がどれだけ恐ろしいことなのかを

 

デッサン本のお手本の絵を見ればわかります。

 

光が当たっているのは、ほんの少しの面積だけ。

 

むしろ、そこから広がっていく陰の面積の方がはるかに大きい。

 

成功しいる人は本当に一握り

 

その陰にはどんなに 考えて、努力しても、夢を叶えることができず

 挫折してしまった人が大勢いる。

 

だからこそ、

 

光の部分が輝くのだ。と

 

 

クズニートにありがちなことwww

「自分には何か特別な才能がある。何かはわからないけど。」

僕はいつの間にか根拠のない自信を持っていました。

 

今や死語になってしまいましたが、こういう奴のことを、厨二病と言います。

 

ニートというのは自意識過剰になり家に引きこもっていることが多くなります。

部屋の中に一人でいると、変な妄想ばかりするようになり、次第に

 

「俺はまだ本気出してないだけ」という

ひどく自己中心的な思考を持つようになるのです。

 

 

本当に才能がある人がニートになるわけがない。

 

そもそも才能がある人というのは、

 

なりたいものになるための人生設計がちゃんとできていて、しかるべき教育を受け

しっかりと努力して、認められ、デビューしています。

 

少なくとも、僕のようなクズとは違う

 

本当に才能がある人はニートになどなるわけがないのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:PS3ゲーム「アーマード・コア ヴァーディクト・デイ」の登場人物

自分をクズだと思う人たちへの応援歌 aqua timz 決意の朝に。

お題「初めて買ったCD」

 

僕は高校生、17歳のときにその曲と出会いました。

 

読者の皆さんの高校生活はどんなものでしたか?あの頃は良かった〜って方も

もしかしたら、思い出したくもない!って方もいるかもしれませんね。

 

ちなみに三年間ボッチだった僕の高校生活は地獄そのものでした。

 

そんな僕を救ってくれたのが、

 


Aqua Timez 『決意の朝に PVフル』

 でした。

 


 小さい頃から極度の人見知りだった僕は昔から友達を作るのが苦手で

なんとか作った友達とも、進級後のクラス替えで離れてしまい

 新しいクラスの雰囲気にどうしても馴染なかった僕は

誰とも会話のできない日々に、ただでさえ低い言語能力が、

 

どんどん低くなっていき、余計に孤立していってしまいました。

 

当時の僕は「大したことはない。友達がいなくても、死ぬわけじゃない。」

と頭では言い聞かせて強がっていました

 

しかしその後「もうクラス替えがない」ということに絶望し

いっそ死んでしまおうか?と考えることになります。

 

これを読んでいる方はそんなことで大げさな・・・と思われるでしょう。

 

でも

16才の子供の心ににとって、「友達がいない」

というのは、それぐらい辛いことなのだと思うんです。

 

 

 そんなある日

当時公開されたアニメ映画「ブレイブストーリー」のCMのタイアップで

 この曲が流れたのです。

 

「辛い時、辛いと言えたらいいのにな。僕たちは、強がって、笑う弱虫だ。」

 

映画は興味がなかった僕ですが、サビのフレーズがどうしても頭から離れず、

近くのツタヤで買ったのがこのCDでした。

 

「どうせならもう、下手くそな夢を描いていこうよ」というフレーズで始まり、

 

子供が書いたような、でも力づよく、自分を奮い立たせているようなその歌詞は

 

まさに「少年の勇気の物語」にふさわしい曲でした。

 

 

聞いていると一人の少年が、些細なことで折れてしまいそうな

情けない心を必死で支えようとしているような、自分を鼓舞している

ような映像が浮かんできて、

それをどうしても、自分と重ねてしまう僕。

 

この曲と出会わなければ、その後の一人ぼっちの2年間を

 

やり過ごすことは決してできなかったと思います。

 

文頭に貼ったPVで「これは最高の自己肯定の曲だ。」

というコメントをされた方がいました。

 

 僕はそこにもう一言付け加えてこの曲は

 

「最高のボッチ応援歌」だとも思うのです。

 

 

決意の朝に

決意の朝に

 

 

 

 

 

 

 

 

生けるしかばねをやめたい。

 

どうも。あなたがどんな目的でこの記事を開いてくれたかはわかりませんが

目を通していただけたことに感謝します。

 

毎日ただ生きているだけ。

生きていたくなんかない。でも死にたくもない。無駄に一日を消費するだけ。

 

そんな「生ける屍」、せんべいです。

 

文章を書くのは難しい。

以前から気になってしまって、我慢できなくなってここで質問してしまいますが

このブログを見てくれている人に、僕の書く文章はどう見えるんでしょう?

 

「こいつブログ書いてるの楽しくないんだろうな〜」って思われてしまうのでしょうか?

 

僕としてはそんなことないんです。ただ

 

 

書き上げた記事をを公開して、

後から見返してみるとなんだこのゴミは?とは思うんです。

 

書いている最中はよく書けたな〜と思うんですが・・・

 

例えるなら、

 

痛いポエムをしたためて、後日改めて見てみたら、恥ずかしくて仕方ないみたな。

 

厨二病あるある。みたいな感じなんですよね。

 

僕は文章の専門知識なんてないんですけど、

それでもなんとな〜く、「なんか・・・こう・・・ダメ!」ってのは、わかるんです。

 

見るに耐えないっていうか・・・

 

でも僕だって、このままじゃダメだ!

とは思ってるんです。

 

ネットで文章の書き方を色々検索しているんですけど、ちんぷんかんぷん

 

修飾語がなんなのかさえわからない始末でしたから。

 

 

自分の学の無さが本当に情けなくなります。

 

ただ、ここから少しでも、アハ体験レベルの変化でもしていくんで、

見捨てないでいてくれると有難いです。

 

僕の人となり

 

ついでなんですけど、この文章を読み終わった後、あなたは

僕にどのような印象を持たれるのでしょうか?

 

僕は正直ためになるような知識なんてないし、過去記事みても、

支離滅裂な文句ばっかだし・・・

 

あっ!過去記事なんて検索しないで大丈夫です。あなたの時間が無駄になるだけです。

 

ただ、暗い人間だな。と思われるのは確かだと思うんです。おもしろおかしい

ことなんて一行も書いてない。

 

これじゃダメだ!って奮い立って、なんとか楽しい内容の記事を書いたんですけど、

自分の現状とかけ離れすぎていて、長くは続かなかった。

 

そもそも今の自分の足元を見れば、とてもじゃないけど、

 

明ることなんて他人にいえる状況じゃない。

 

 

現在在進行形で人生のどん底にいる僕には「いつか良くなる」なんてとても言えない。

 

でも、「このままじゃダメだ!」って気持ちだけはあるんです。人生もブログも、

 

だからこそ、どうすればいいのかと悩んで、それを記事にしていれば、

 

「何か」を変えることができるんじゃないか?と淡い期待をしているんです。

 

とにかく今後とも宜しくお願いします。

 

また長くなってしまった。大した内容もないのに、

 

とにかく今後ともよろしくお願いします。ということを言いたかったんです。

 

ここまで読んでくれた方。本当にありがとうございました。

 

では、また。せんべいでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コミュ症は「特別な人間」じゃない。ただのクズだ

目の前のことをしっかりと見ずに調子のっていたおかげで足元をすくわれる。

 

僕はバカだ。何回同じことを繰り返せば、現実と向き合おうとするのだろう?

 

自分の預金を下ろす。これで残額は5000円。

 

暗唱番号は0,7,2,1、閲覧者の皆さん。今がチャンスです。

 

こんなしょうもないギャグを飛ばせるほどに、その時の僕には余裕があった。

 

そう、「その時」までは。

 

帰宅後、人物クロッキーに最適な場所はどこか?とネットで検索していたら、

 

いつのまにか「30秒ドローイング」なるサイトに辿り着いた。

 

これは様々なポーズをした人間が30秒感覚で表示され、

 

それを時間内に書く。という作業を繰り返すことで、

 

絵を描く際に必要な右脳の直感力その他諸々を鍛えるトレーニングである。らしい。

 

試してみたが、とても僕では描ききれない。しかし、これも続けていれば、

 

必ず力になる。これはいいサイトを見つけだぞ。僕はウキウキしていた。

 

翌日、うっかりブックマークするのを忘れた僕は、検索からそのサイトに飛ぼうとした。

 

すると

30秒ドローイング。効果」との検索予測。僕は何の躊躇もなく

 

それを検索してしまった。なぜそこで止めておかなかったんだろう?

 

その選択が、自分を奈落の底へ突き落とすとも知らずに。

 

イラストや絵画の講師たちがその効果を論じているのだが、

 

どの人も口をそろえて言うのは、

 

30秒ドローイングは上級者のウォーミングアップ程度でしかない」

 

「これで描写力は上がらない。むしろ変な癖がついた生徒を矯正するのが大変だった。」

 

「おなぬーに制限時間を設けても、それはおなぬーでしかない」

 

辛辣な言葉が並ぶ。検索しているうちに僕はある疑問を持った。それは

 

「今僕がでやっていることに本当に価値があるのか?」ということ。

 

30秒ドローイングもそうだが、人物クロッキー、写真や漫画を模写ことは

絵を上達させるのだろうか?

 

時刻は夜の1時。答えを知るのは明日のにして、寝てしまえばよかった。しかし気になって眠れなかった。

 

答えを知りたい。今、自分がしていることは無駄じゃない。

 

誰かにそう言って欲しい。そんな欲求があった。

 

そして、出会った。

 

それは昔漫画家になりたかった人のブログだった。

 

それはまるで未来の僕が書いたようだった。

 

その人は20代後半から漫画家になろうと

 

絵を独学で始め、いろんなイラスト教本を見て、

 

漫画を模写し続けた。その期間8年。

 

そこから導き出した結論はこうだ。

 

「模写をしても絵はうまくならない。模写で上がるのは、あくまでも模写力」

 

「模写というのは問題を解かずに回答をカンニングしているだけ。」

 

「漫画が描ける人は、とてつもないセンスの持ち主。一般人とは違う。」

 

「漫画を書いてみるまでは、自分を特別な人間だと思ってた。でもそれは違った。」

 

 

 

今僕がやっていることなんて、くそ以下の自己満足だったのだ。

 

 

ただ自分のカンニングした紙くずを自画自賛して、「天才だ」と思い込もうとした。

 

そもそも暇つぶしをするくらいなら働けよ。って話だ。

 

それができなかったのは、

 

僕がただ、再び社会に出て、自分に何の価値もない人間だという現実を

 

思いださせられるのが怖かっただけ

 

よくテレビやネットで才能がある人はコミュ症だったなんて

 

文句を都合のいいように歪曲して、自分を慰めていただけ

 

 

よくコミュ症の奴が、周りと馴染めない自分を特別な人間だと思っているが、

あれは勘違い。

 

コミュ症は特別な人間じゃなくて、一般人以下のクズだ

 

そんなの一般常識だろって君は思うだろう?

 

でも僕はバカだから、それがわかるまで26年もかかってしまった。

 

この記事ももっと短くして、見てくれる人に読みやすいようにしたかったが、

 

いつもの内容もオチもない駄文をだらだらと続ける物にってしまった。

 

せっかく読んでくれた人には大変申し訳なく思う。

 

なんで、僕はこんなにバカなんだろう。

 

 

自由。それは自分がいる目的を探すことができるということ。

クロッキーの練習をしに図書館へ出かけた。

 

初心者はじっとしている人をモデルにしたほうがいい。と聞いたからだ。

 

ここなら大体の人はじっとしている。

 

僕が怖いのは、赤の他人を書いて、その人に気付かれたら怒られないだろうか?

ということ。

 

なので、なるたけモデルに気付かれないようにする。

 

某かくれんぼ潜入ゲームで鍛えた僕のスニーキングスキルが役にたつ日が来る

とは・・・

 

 

少し離れたところから対象を切り取って描く。最初はいいが、なぜかモデルした

人が、急にその場を離れたり、動いたりする。

 

いや、動くなや、と思ったが、

僕が勝手にモデルにしているのに何様である。

 

体勢を変えるたびにいちいち書き直すのだが、

 

対象が結局スタートポジションにもどったりして、今までのはなんだったんだ・・・

となる。

 

しかもこれ、やってみると結構疲れるのである。僕は試しに約15分でやってみたが、

 

一人描くのがやっとだった。

 

出来映えは聞かないでくれ。

 

少なくとも他人に見せられるものじゃない。

 

しかし、やっている最中とても楽しかった。理由はわからないけど。

 

クロッキーという目的があるだけで今まで何のあてもなくさまよっていた街に

いるのが楽しくなる。

マトリックスで目的がないプログラムは削除される。と言っていた。

なぜならプログラムは目的なしには存在しえないから。

 

僕はプログラムではない

 

けど、目的はあったほうがいいことはわかる。

 

それは自分で見つける。探すことができる。

 

それが「自由」だと思う。

 

どれだけ小さなものでも構わない。

 

「描く」という目的があれば、くだらないと思っていた街の風景も、

 

難易度の高いモチーフになるのだから。

 

 

 

絵を描いていて気付いたこと。線が持つ無限の可能性

ただ漫画をコピペしているだけだから。と舐めていたが、とても大変だ。

 

一日一コマ、ふたコマ、びっくりするほど進まない。

 

人間はもとより、背景を描くのも、ちょっとした汚れすら

思い通りに描けない。

 

まるで前に進まず、まだ戦闘シーンにすら入っていない

 

教室とかどうする?一人のキャラでもこれだけかかるのに・・・

 

いや先のことを考えるのはやめよう。とにかく書いてみればいい。

 

それに最近わかったことがあるんだ。何も書いていないノートでも、

 

そこに、線を引いて、それが組み合わさると、人の顔に見える。

 

同じ鉛筆で描いた線でも、手に見える。

 

それが木に見える。

 

影に見える。ただの線なのに。

 

何も書かなければ、真っ白な紙だけど。僕が描くとそこには絵が映る。

 

それが面白い。こんなの書けるわけないじゃん・・・てのが描けた!って

 

なった時の喜びはなんとも言えないものがある。

 

ただの線でも描く角度、組み合わせで、なんでも描ける。

 

そこには無限の可能性があるんだ。そのすばらしさだけは僕にも分かる。

 

 

 

 

思考の代わりに実感を持つこと。それが僕のイズム。

けっして口には出せませんが、清水富美加のファンでした。

 

どうも、教祖が正直うらやましい。センベイです。

 

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