キリギリスはなぜ死んだ?

誰の目にも止まらない人々の、言葉に出来ない魂の叫びを綴るブログ。

空は誰のものでもない。

雨が降るのか、晴れるかわからない中途半端な天気、曇りは嫌いだ。

 

傘を持って出れば安心だけど、安心の重さを背負える余裕はない。

 白くもなく、黒にもなれない灰色で満たされた天気予報

どちらに転ぶかわからない不安を抱えながらも、テレビが言ったなら

大丈夫。3秒ルール並みの謎ルールと共に外に出て数十分

上を向いて歩いている僕とは違い道行く人たちは手元のスマホに夢中。

 

空の色なんて誰も気にしていない。

 

自分の頭で考えるのをめんどくさがった奴をこずくように雨粒が降ってくる。

行くにも戻るにも微妙なコンビニの、雨宿りするには少なすぎる屋根の下から

 

自動ドアの向こう、レジ横のビニール傘が目に入る。

いっそ買ってしまおうか。そんなことで、金を使うぐらいないなら最初から・・・

 それ以上はやめようぜ。ここで反省会を開いても、雨が上がるわけじゃない。

このまま突っ立ってる方が、よっぽど無駄足だ。

 

雨脚が強くなってきた。さぁどうすると煽るように。

 じっとしてるか。進んでいくか。正しいのはどっちだ。間違えたらどうする。

間違えるのは悪いこと?そうでもないさ。

 

予報士だって全国ネットで間違えんだから。愛嬌があっていいじゃない。 ねぇ良純。

 

 

歩こう。

 

歩く意味とか、辿りつく場所とか、わかってるに越したことはないけど

わかなくてもわかってても最後死ぬのは変わらないし、それでも気に入らないなら

わかるまで歩けよ。土砂降りの中を突っ切って

 人からどう見られるかだって?

冗談だろ。君は存在しているだけで、十分変だ。

ずぶぬれで歌っている姿を笑われてもいい。

 

歌おう。

 

悲しいときほど歌おう。苦しいときほど歌おう。

誰とも分かり合えないようなだれもかれもに置いてきぼりにされているような

みじめな気持ちの時は、歌おう。

 

 

 何をと?と聞かれたら、別にアニソンでもアイドルソングでもいいんですけど

でも僕はやっぱりブルーハーツ

 

あのもやもやした雲の向こうには青空があるんだ。雲で見えないだけ。

信じろよ。疑ってどうなる。気持ちが暗くなる。暗くなってどうなる。

始末をつけるか。つけられない。進めない。戻れない。脱落もできない半端者。

やめろ。それ以上続けてどうなる。

 

自分を嫌いな理由をこれ以上増やしてどうなる。

 

天気が悪い。

 

今日も曇り。

やるからにはふり切れろよ。それとも、これはお前だっていうメッセージ?

そうとも。世捨て人にも、金持ちにも、社畜にもなりきれない半端ものさ。

 

半端者は腰掛けのバイトに行きますよ。今日も昨日と同じこと。

6時半の駅前、おっさんがブツブツと喋ってる

階段の端に立てかけれた、横田へのオスプレイ配備反対!の看板が目に入る。

ぶっちゃけ、オスプレイはどうでもいい。うちに墜落してくれれば、くそったれな

日常を終わらせると同時に、悲劇のヒーローにもなれる。

こっちは地べたを這うだけで精一杯なんだよ。

空の上を何が飛んでるかなんて、誰も気にしてない。

そんな悪態が出る朝、一言で表すなら最悪。だからなんだ。

 

ある意味最高より幸せじゃん。それ以上落ちない。けどね。

お前だけじゃない。と言われても、俺以外幸せにしか見えないから落ち込む。

 雨雲の居座った日の夜に裏路地を歩くと、とても惨めな気分になる。

昼間は意識せず通り抜けられる距離なのに、ジメジメした空気と先の見えない暗闇のせいで、道自体が長くなったような気がする。

 

 

いつものようにはいかない。どうしようもない。

いや、ちがう。

間に雲があるだけだ。星は消えない。光はそこにないわけじゃない。

なんてことはない。気がつけば家の前に立っていた。

 

今日はたまたま見えなかっただけさ。

誰でも初心者

おでかけ日和と煽られると引きこもっていたくなる。

晴れているからといって、こちらの気分に変化はない。

特に目新しい情報があるわけでもないけど

部屋の静けさを埋めるためにつけたテレビがこの国の空は誰のものかと話していた。

僕の見上げた空を、この国の飛行機は許可なく飛べないそうだ。

「誰のものなんだ!」コメンテーターが怒っている。

わかりやすく線が引いてあればいいのか。

あんな広いものを持ちきれる人などいない。

 第一、誰かのものだとして、なんの問題があるのか。空なんて誰も気にしてない。

そんなつぶやきを考えたとき、ビデオの期限が今日だったことを思い出した。

ビデオ屋までチャリを転がす道すがら、

 

子供の頃からよく見るレトロなプロペラ、尾翼にはアメリカの国旗がついてる

 飛行機が飛んでいく。

 

容姿を観察できるほど低く飛んで大丈夫か。とも思う。だからなんだ。

空なんて誰も気にしてない。

 

ミリオタではないから、あれがどんな飛行機で何をするのかはわからない。

ただ、ビデオ屋の行きと帰りで、見える範囲をグルグル回っているから

練習なのだと思う。

 

切り返しのおぼつかなさに、初心者なのだろうという妄想をする。

車の免許を取る時、路上に初めて出た時は緊張したものだ。

 

軍用機に路上教習があるかは知らないし、初心者マークが貼ってあるわけでもない。

ただ、最初は誰でも戸惑う。乗っているのは人間。飛行機にのってるだけで、

彼のなにがわかるというのだろう。ただ見えないだけさ。

仮免講習の前の日に、緊張で眠れなかった日を思い出して、頭の上を飛んでいく

鉄の塊に乗っている奴も、同じではないかと思うと

借りたアメリカ映画の中で、雨に歌っている主人公の気分がわかった気がした。

 空は誰のものでもない

曇りの日は飛行機が飛んでいく。どんな種類かはわからないけど、飛んでいるのは

音でわかる。

 

雨か晴かわからない日の夕暮れ、珍しく夕焼けになったほうへ、見慣れない飛行機が

飛んでいく。目で見たことはない。でもニュースでは知っている。

オスプレイじゃん!一人でテンション上がってたけど、

通行人の誰も空なんて気にしていない。

さもあたり前のように、夕焼けの方へ消えていった。

 

この目で見れば何てことはない。ニュースは見えないから不安なだけ。

それだけさ。

 

曇りの日は嫌いだった。先の見えない不安に潰されそうになるから。

それでいい。不安なままでも、進んで行くべきだ。それが最悪だったとしても

持ちきれないものをねだるよりはずっと。

 

 

天気は思い通りにならない。空は誰のものでもないんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一人で死ぬと覚悟を決めろ。

一人っ子って言うと、うらやましい。とか甘やかされてそだったんだろ。とか

もっと苦労しろよ。とか言われる。

 

そんな事はない。僕なりに苦労して生きてたし、一人っ子って事はそれなりの事情を

抱えているものだと思うんだけど、やっぱり本当に苦労している人は、親元で暮らしたりなんてしないで、自立して生きているし、真の苦しみと戦っている人は、ニートになったりしないだろう。

 

井の中のなんたらとよく言ったもので、自分の狭い部屋から空を見上げているカエルが

弱々しく鳴いたところで、誰に興味を持たれるわけもない。そもそも、誰が暗い井戸の

底を覗こうとするのか。

 

誰もいない。誰にも気づかれない。逆に言えば、他人の顔色をみたり、歩調を合わせたりする事がなく、自分の管理できる世界で、自分の思う通りに生きていけるそういうところは、ぼっちは優れている。

 

ここまで書いて気づいたけど、僕は他人と分かりあう日は、永遠にこない。だって他人に合わせるられないのに、どうして、他人に合わせてもらえると思うのか。

それでわかってくれる人を求めるとか・・・・・ちょっとわがまますぎやしないか。

 

「わかってくれる人」って書いたけど、一体なにをわかってほしいの。

低学歴職歴なしフリーターの身分なのは、なまけてたからじゃなくて、その先々に

あった、そこにとどまっていたら死んでいた。っていう状況から逃げ出して、後ろめたさを抱えながら生きてきたのを、正当化してほしいのかい。

 

それとも、これまで、何もかも中途半端だった自分を褒めてほしいのかい。

それは虫が良すぎない?

 

例えばさ。石につまづいただけで死にたいってわめいて、始めの数時間でうまくいかないって諦めて、それで世の中が悪い。俺は悪くないって毒づいてる奴を、君は好きになれる?

 

それとも、よく聞くように、「痛みを分かち合いたい」のかな?

他人の痛みなんて背負えるわけないだろ。痛みの意味すらわかってないのに。

認めるのが怖いんだよ。これまで生きてきた時に、耐えられない。逃げ出したい。

なんで自分だけが。と眠れない夜を過ごしてきた時間は、大したものじゃないって事に

 

その、自称耐え難きを耐えてきたっていう自信だけで自分を支えてきたのに、それは

結局、底辺の暗がりで広い世界を知らないで育ったからこその自己満足だって現実を

認めさせられるのが恐ろしんだ。

 

「させられる」ってのは、他人からもち込まれた価値観ってことだ。外の広い世界。

広いといっても、どこへ行ってもどこまでいっても、生きづらい常識に縛られた

社会、何時間もかけて書いた履歴書に数分で目を通され、鼻水で枕を濡らした夜や

心臓がひっくり返るような暴言を受けても、拳を握りしめて、ヘラヘラ笑った日や

外へ出ようとしても、足が玄関にへばりついて言う事を聞いてくれない情けなさに

 

なぜそんな事もできないのかと己を呪った朝の長い長い数十年を、数十分しかあった事のない赤の他人に採点され、したり顔で社会の常識を説教される拷問に対して

不公平だ。とこぼす事に、それは全部、お前が努力してないのが悪いんだ。と

全人類に口をそろえられているような、あの、なんと表現したらいいのかわからない

もう、本当に独りだ。という気持ち。

 

そう。結局、他人は敵なのだ。周りを硬い堀で囲ったのは、外敵から身を守るためだ。

社会標準に合わせられない人間は、社会から身を守るために、孤独を選んだのだ。

大衆からみると、ヤバいやつかもしれないけど、独りってのは、結構勇気が要るもので

誰でもできる事じゃない。聞くところによると、うちうちにこもるのが世の中の流行りなんだって、あれ、そう考えたら、ある意味、大衆派なのかな。

 

まぁいいや。あれ・・・なにを書こうとしたんだっけ。忘れちゃった。昔はノートに

しっかり考えをまとめて書いてたんだけど、そんな力んでも、更新できないから

ノープランでパソコンの前に向かってる。

 

そもそも、小説家とかプロブロガーとかじゃないんだから、もっと軽い気持ちで書くべきだったんだ。君だって、緩いノリの方が好きでしょ?

 

これこそ、チラシの裏に書いとけよってね。読むのはだるいだろう。でもさ。

誰も読まないだろう。くらいに力抜いて書いたほうが、気が楽だよ。

少なくとも、皮算用してがっかりするよりはいい。

 

大海を知ったとして、知ったところでどうなる。この世にはどこもかしこも、

クズ。の一言であしらう奴らばかりじゃないか。否定する人間は山ほどいるのに

肯定してくれる人は一人もいない。

 

昔はね。他人は無理でも、血の繋がった人ならわかってくれるんじゃないかぐらいに

希望を持っていた時もあってね。

 

なにもかもうまくいかなくて、この世はなんでこんなに苦しんだ。何もかももうだめだ

ママンに相談して、帰ってきた答えは

 

「彼女でも作れば」だったからね。

 

ふざけるなよ。目の前の問題は何一つ解決してないじゃないか。

第一、ストレスのはけ口にされる女性にも失礼だ。

 

いや、女子にもてたいのはもてたいさ。もてたいよ。もてたい。四回も書くほどだ。

相当もてたいんだろう。そして、もてないんだろう。その通りだ。

 

街を歩いていると、キャワイイギャルが通りすぎるたびにガン見する自分が情けなくて

しょうがない。しかし君だって、美人をみると心ときめくだろ?

少なくとも、死にたい。とか言うよりは、ポジティブだ。

 

こんな子が彼女だったら。とか、思う。でもさ。かわいいって事は、それだけその子も

努力してるって事だよね。

 

スタイルいい。って事は、ダイエットしてる。って事だし、髪綺麗だなって事は

高い美容院行ってるって事だし、かわいい服だな。って事はそれなりに高い服着てる

って事で、なんでそんな努力してるかって言うと、それに見合うイケメンか金持ちをゲットするため。なんだよね。

 

見た目ジャバ・ザ・ハットの底辺にキモい目でガン見されるためじゃない。

彼女の目に僕は映らない・・・・僕はステルスか?

 

これ、通報とかされないよね。ネットで公開するって事は、女性も見るわけでしょ。

別にいいか。いや、通報は勘弁だけど、生まれてこのかた、キモい、臭い、しね以外の

言葉をかけられたことがないから。

 

そう。見た目美人といっても、内面まではわからんぜ。いいのは外側だけで、心は醜いなんてざら。かわいい子は性格いいなんて嘘ですよ。奥さん

 

それはクラスのいけてる組から目の敵にされてきたから自信を持って断言できる。

 

野山に咲く花は、野に咲いているから映える。

素晴らしい名画は、額ぶちの中にあるからこそ、素晴らしい。

 

美人も同じ。遠くから見ているからこそ、美しい。

 

ひきこ持っているカエルも同じ。外の世界を知らずに、あれこれ想像をめぐらして

頭の中に天国を作れれば、それで幸せじゃないか。それにこの暗闇だかこそ、

空の高さが身にしみる。

 

井の中の蛙大海を知らず。されど空の青さを知る。

 

 

僕は一人だ。だからこそ、この景色を、自由を独り占めしている。

どうだい?うらやましいだろ。

 

 これを手放すくらいなら、一人で死ぬと覚悟を決めるさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人生に疑問しかない。

何のために生きているのだろう。わからない。これだからこうだ。という答えを

ここで言えればいいんだけど、選んできた道のどこにも、それはなかった。

 

「何のために」

 

目的は大事だよ。漫画のヒーローだってそうでしょ。

ルフィもナルトも「俺はなる」て言えるからかっこいい。

まぁ、元からヒーローってタイプじゃないし、そんなもの必要なかったのかも

べっ別に、うらやましくなんか・・・・ないんだから・・・

 

事件、事故で急な不幸がないなら、時間は瞬間のように過ぎていく。

目的って書くと身構えてしまうけど、考える内容を別に分けるって事かもしれない。

放っておくと頭の中は、慣れた毎日を疑い始める。

 

毎日、毎晩、毎週、頼んだわけじゃない。好きでやってるわけじゃない。

でも、テレビ、ネット、新聞、他人・・・いろんんな価値観が流れ込んでくるうちに

 

足元の安定性を疑い始める。見た目は硬いアスファルトでも、しっかりしてるのは

ガワだけで、中身はテキトーに舗装されているんじゃないか。この道は本当に

アスファルトなのか。とか、そもそも、しっかりと舗装する必要があったのかとか

ただ歩いているだけの奴にはどうにもならない事ばかり考える。考えるな。って考えれば、考えるほど、考える。まったく。困ったもんだ。

 

何のために生きてるんだろう。何のために・・・・生きるために?こんなに苦しいのに?生きていたいの?それとも死にたいの?ならなぜ死なないの?言葉にできない。

わからない?もうわからなくて良くない?

 

どうしたらいい。誰に聞いてる。誰かが答えてくれると本気で信じているのか。

ただの痛い奴と思われて終わりだって事は、今まで痛いほどわかっているだろ。

わかってるよ。誰かに聞いても、誰も答えられないような疑問だからだ。

 

なぜそんな事ばかり考えるの、今している事を疑うの?自分の居場所はここじゃないって思ってる。別に俺じゃなくてもできる事。俺がいなくても成り立つ仕事。

俺はただの部品と考える。とどのつまり、なぜ働いているのかわからないんだ。

 

生きていくため。正確には、生きるために必要なものを得るための金を得るため。

逆に言えば、金さえあれば、働かなくていいんだ。俺にもハンターライセンスがあれば

ヤフオクで売れば七代先まで遊んで暮らせるってマジ?

 

金。金ってなんだろう。最近分かってきたのは、生きるために必要最低限の金はそこまで多くはなくて、残りはそれを得るために費やした時間やストレスをとり返すために

消費するためのもの。金っていうのは欲しいものを買うためのものなわけだけど

 

欲しいものがない・・・・そもそも、そこまで生きていたくないわけだから。

例えばトニースタークと体と心が入れ替わってる!ってなっても、嬉しくないし

鉄とチタンの合金できたスーツで悪と戦おうとは、しないだろう。

強いて言うなら、ゴミみたいな自分でも、心からわかってくれる人が欲しかったね。

それはお金で買えないでしょう。僕の欲しい物はお金じゃ買えない。

 

そして、お金で買えない物を手に入れられるほど、自分に価値があるかと聞かれたら

ない。と即答できる自分が悲しい。絶望的な答えはすぐに出てくるのになぁ。

なぜ、前向きな、希望に満ちた答えがどこにもないのだろう。もうたくさんだ。

こんな物を書きなぐるのは。かといって、これをやめれば、ガスが溜まった部屋みたいになる。火花が散れば、その瞬間に大爆発。いままでそうやって、取り返しのつかない

物を失ってきた。それを思えば、今はよくやってる。

 

希望が見えない。明日を迎えるのに張り合いがない。どうしたいい。

どうすれば、未来を信じられるのか。どうすれば、今、生きている「だけ」の人生を

認めることができるんだ。

 

もしかしたら、これまでと別の道を進めば、何か見えてくるのじゃないか。

わかってる。けど、凡人から普通の道を選ぶなってのは、

綱渡りの経験がないのに、ギネス級の高さに貼られたロープを渡れっていってるような

もので、踏み出した瞬間に強風にあおられ谷底に真っ逆さま。それでどうなる。

 

誰の心にも残らない。みんな馬鹿な奴もいたな。ぐらいで終わりでしょう。

でも、どこにも行けないクズには、彼の勇気の価値がわかってる。

誰に評価されなくても、己の道を行ける人は素晴らしい。

 

 

そろそろ付き合うのがめんどくさくなってきたんじゃないかい?そもそも、こんな

ところまで読んでくれてるの。そんな事まで心配してどうするよって話なんだけどね。

ここまで来たなら、なにか気の利いた事を言えるのが、一流なんだろうけど、全く

思いつかないよ。すまんね。

 

つまんねぇのは百も承知だけど、書いてる時は、しがらみもない世界にいられる気がするんだ。特別な人間になりたいとか、人気者になりたいとか、

このブログで金を稼ぎたいとか、ここまでの内容のひどさを見ればそんな事

思ってないのわかるでしょ。

 

これまでの経験でわかったのは、これはこうだ。ってわからないなら、そのままで

いい。って事、無理に結論を出すよりも、うじうじ悩んでいる奴のほうが僕は好きだな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブログがマンネリ化している。

文才がない。書けない。と愚痴りつつ、やめるにやめられず続けてきたブログも

今月で3年目になる。何事も二年でリセットするクズとしては新記録だ。

死にたい〜とか、死ぬ〜とかメンヘラかまってちゃん丸出しの記事ばかりでも

目を通してくれる人がいたからこそ、ここまで続けてこれたのだと思う。

 

そこは素直にありがとう。と伝えたい。

 

生きているだけで疎まれるゴキブリのような内容でもしぶとく生き残ってきたけれど

最近困っている。書き始めた時は新しいアイデアと思っていたのに、途中まで来ると

「あれ、これ、前も書いたんじゃね?」と気づく。

 

同じ文句の繰り返し、俗っぽい言い方をすれば、ブログがマンネリ化しているのだ。

それはつまり、世間体の悪さに耐えきれず小さな部屋の中で窓とドアを閉めきり

動けない弱さを社会のせいにして心を保っていた頃から変われていないって事。

1mmでいいから何か変われ。良い事がおこれ。頼むから誰か気づいてくれ。

 

俺はここにいるんだ。

 

時間と距離を置いた今だから、うわぁ・・・・・と感じるけど

前のめりでキーボードを打っていた時は、減る一方の貯金より大事だった。

自分の世界に引きこもれば、外敵に襲われる心配はない。

でも、四畳半が世界の全てになると、心が狭苦しくなり、我慢できなくなる。

 

誰にも会いたくないのに、誰かと繋がっていたい。

 

上司、同僚、親、友達、周りの誰かにおかしいよ。と言われた心の叫びを

おかしくないよ。と言ってくれる方はいませんか。

看守と化した知人から逃れ、常識の壁で囲われた世界から抜け出したい。

 

ネットを通じていろんな人の、多様な考えに触れて心が軽くなったのは確かだ。

 ここは広くて居心地がいい。だからこそ現実世界との差の激しさに苦しむ

社会で生きるのは厳しい。生きる理由を根こそぎ奪われていくような感じだ。

 

もちろん、社会から外れて生きていく方法があるのは知ってる。でもできない。

生まれてこの方バカ真面目だけが取り柄で生きてきた。

他人は関係ない。自分を常識で縛っていたのは、自分自身だった。

 

別に激務でもなんでもないのに苦しい。辛い。死にたい。わがままなのはわかってる。

そんな非生産的な考えをしても仕方ない。でも、考えるな。考えるなと念じるほど

頭は暗い想像をする。

ほら、眠ろうって思うほど、眠れなくなる時、あるでしょう?あれと同じ。

 

ほうっておくとぐるぐる回っていく言葉、そのガス抜きとしてブログを使う。

そこでまた、ブログを書く意味を見失う。これは他人に見せるべき内容なのかと。

 ただのガス抜きなら、ノートに書きなぐって終わりにした方がはるかに効率的だろ。

 て、これも前に書いたことあるな。引き出しが少ないというか、なんというか・・・

 

だからといって、悲しみや苦しみに蓋をして、ピエロになれるかと聞かれてもな。

「これは果たして世に出すべきなのか」そう考えたら、永遠にブログなんて書けない

 どうしても誰かに伝えたい。他人に屁を嗅がせてどうなる?心の中の常人のささやきを

無視して、ありのままの姿を見せてきたからこそ、ここまで続いたと信じる。

 

苦労が存在しない世界なら文句は言わない。

 

でも現状はみんなの見ているまばゆい光と真逆の世の中だと感じてしまう。

少なくとも、大衆の言う、美しい国の存在をまだ実感できていない。

人間は闇を恐る生き物だからしょうがない。

町はネオンに包まれたけれど、星明かりの美しさを消してしまった。

 

 

一つの苦しみも悲しみもない世界は、害獣の存在を許さない。

ドブネズミの素晴らしさは写真には映らないからだ。

 ちなみにリンダとは、スペイン語で美しいという意味がある。

 

同じように、死ぬとか、死ねないとかは世の中の人達には汚らしいゴミなのだろうけど

 

クソみたいな自分を変えるために、悲しみや苦しみと向き合う場所を必要としている人にとって、なくてはならないものだ。

 

できるなら、今まで書いてきた記事が、暗闇を進んでいるあなたと一緒に歩いている事を願う。

 

今後の方針

 

嘘はつきたくないと言ってみたけど、現状が気に入らないのも正直な気持ちだ。

これまでは、このままじゃダメだ。という葛藤だったけど

 

今はなんというか、うまく言葉にできない、「ああ、またこれか」的な感じ。

もちろん、目の前にある問題が解決した訳もなく、不安は据え置きなんだけど

膿を出し切ったというか、これまでの焦りとは違う何かだ。

 

変えなくちゃ。ではなく、変えてみようか。という感じ。

 

かといって、いきなり逆サイドに切り返しても、足をくじくのは目に見えている。

ならどうしよう。うーん。わからん。

 

最近だと詩を書いてみようかと思った時もあった。

amazarashiのPVに出てきた中原中也の詩集を読んで、意味はわからなかったけど

わかりたいと思える共感力と、無駄をそぎ落とした言葉のミニマリズムを感じた。

 

そして、数行で読み終えるからこそ、何回も読み返せる手軽さもある。

一記事2000行は多すぎじゃねと思っていたから、中也には求める全てが詰まっていた。

 

(もちろん、ブログを書くのは好きだけどね。)

 

本当は好きじゃないんだ。こういう、本題とかけ離れた独り言を書くのは

でもまぁ、今回はとにかく、数字を考えないでのびのび書くっていう目的があったから

それはそれでOK。

 

余計な事を考えないで、書きたいままに書くと気持ちがいい。もちろん自己満足と言わればそれまでだけど。

 

今後どうなっていくかはわからないけど、ブログをやめない。とは言っておこう。

誰も求めてないなんていいっこなしだよ。

だってここは、飽きっぽい僕らの変えた、たったひとつの世界なんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ニートは死ぬべき? 死にたい人は死ねば救われるの?

ニートはなぜ死ぬべきなのか?

 

ニートは健康だ。心以外は。体が健康なら自立して当たり前。

 

大人になっても親にたかっているニートは、社会的には、死ぬべきだろう。

 

「 親に迷惑をかけるな。」多数派の常識だ

 

また、迷惑か。

 

こっちだって好きで生きてるわけじゃないし、産んでくれと頼んだ覚えもない。

 

絶対的優位な正論の拳から逃れたくて、出たのは子供じみた屁理屈

 

言っても無駄。あの日腹の底に押し込めた言葉も、今は無駄じゃない

 

ネットユーザーの努力で少数派が声を上げられる社会になり

 

根拠のない俗説に基づいた多数派の常識は非常識になりつつある。

 

しかし、ニートが人間ではなく、寄生虫である事に変わりはない。

 

いくら毒親を恨んでも、宿主がいなくなれば、自立を迫られるのは事実。

 

養ってくれる人が居なくなった後、どうやって生活費を稼ぐ?

 

真っ白な履歴書を鼻で笑われ、怒りに燃えても失くした時間は戻ってこない。

 

 生きるためには必要な金を得るために働かねば。なのに

 

常識にそった生き方から1ミリでもそれれば、働きたくても働けなくなる。

 

先の事を気にしてもしょうがないんだけど

 

暇だけはあるニート。考えまいとすればするほど

 

思考の壁にせき止められた不安は溢れかえり

 

雨漏りのように暗い想像が頭の隅から染み込んでくる。

 

消費するだけの時間、動けない焦り、不安、現状、絶望・・・

 

殺虫剤をかけられたような息苦しさはどうしたら無くなるんだ。

 

「なら、息をしなければいいじゃん。」

 

なるほど、つまり、生きるなと。

 

そもそも、クズにとって、生きるのは苦痛だ。人生は地獄だ。

 

むしろ、死んだ方が楽だと思うほど。

 

それなのに、無責任に「生きてたほうがいいよ〜」と連呼する輩のなんと多い事か。

 

彼らは生きるのは素晴らしいという常識に目を眩ませられている!

 

 

価値観が多様化している現在、無条件で「生」=「善」にするのは意味がない。

 

 

 生きる上で避けられない不安や孤独、絶望、尽きない悩みは、死ねばなくなるよ。

 

自由のない人生は、苦痛でしかない。

 

神は魂の強い奴ほど、そばに置きたがる。

 

だから生きるべき人ほどあの世へ行く。

 

それを証明するために、おばあちゃんの話をしてもいいかな。

 

 彼女は僕にとって母親代わり、いや、母親そのものだった。

 

 

 笑っている顔しか思い出せないほど、明るい人だった。

 

家にいつもいて当たり前、まるで空気のような存在。

 

終わるのがもったいないくらいの日常、今とは大違いだ。

 

 もしかしたら、全て上げて落すための誰かの策略だったのかもしれない。

 

 とにかく、あんな日がくるなんて、想像すらしてなかった。

 

その日は天気が悪くて、足元が滑りやすく、おばあちゃんは転んでしまった。

 

その時はなんともなかったけど、じわじわと悪魔は迫っていた。

 

最初は腰が痛い。程度だったのに、翌月には、足が思う通りに動かないといい

 

 

三ヶ月後には、杖をつくようになり、半年後には散歩にすら行けなくなって

 

1年経つと毎朝体が痛くて仕方がないとこぼし布団から出る回数が減り

 

ニ年経ったとき、電動ベットの力なしじゃ起き上がれなくなっていた。

 

ベットに寝たきりでいると、動けないストレスで、精神を病んでいく。

 

他人に頼まなきゃ寝返りすらうてない情けなさ、終わりのない痛みに心は壊れていく

 

朝は眠っていて、夜中の2時、3時に、大声で叫びだす。

 

内容は支離滅裂で聞けたものじゃなく、黙っててくれ。と怒鳴ってしまった。

 

当時は眠れないなんて事はなかった。今なら何時間でも付き合うのに。

 

一番きつかったのは排泄物を壁に投げて遊んでいた事。

 

おばあちゃんはお手玉だといった。自分が何を持っているのかすらわかからなくなり

 

まるで別人に取り憑かれたように口汚くなっていく。

 

廊下に投げ捨てられたうんこをティシュで拾う毎日。

 

こんなことがいつまで続くのか。そう考えた時に

 

すまない。白状するよ。

 

あってはならない考えがよぎった。

 

 

早く死ねばいいのにと。

 

 

断っておくと、介護の全般を担当していたのは母さんで

 

僕はほとんど何もしていない。

 

ただ、客観的に見て、介護はきつい。

 

よく、職がない人に、介護にいけばいいじゃん。と安易な答えを出すやつがいるけど

 

平和ボケしすぎ。身内ですら無理なのにそれを最低賃金でやるなんて・・・・・

 

人生百年時代という割に、バックアップはおざなりだね

 

お前にありがたいお国の崇い思想がわかるものか!って?

 

正解だ。死ぬべきクズは僕でおばあちゃんではない。

 

もしかしたら、そんなクズの考えを見透かしていたのかもしれない。

 

おばあちゃんは次第に、死にたいと呟くようになった。

 

でももう、死ぬ元気すらなかった。

 

 終わらせる自由すらないなら、人生はもう、苦痛でしかないじゃないか。

 

 寝たきりになって3年目、おばあちゃんは隣町の病院に入院した。

 

翌週見舞いに行った時には、喋りもしなかった。

 

幼稚園の帰りに、昔の歌を押してくれた

 

小学校のとき、傘を遊んで壊したときに、物を大事にしろと怒ってくれた。

 

中学の同級生に制服を破られたとき、転んだと行ったら、そうか。で終わらせてくれた

 

高校の制服を着たとき、ベットの上で、飯代はあるのか?と聞いてくれた。

 

いつも笑っていてくれた、あの人はそこにいなかった。

 

 

それはもう生きているとは言えない。もし言い張るなら、生き地獄でしかないよ。

 

その年の冬、母さんが他人には任せておけない。ということで、再び自宅に戻った

 

そして4年目の春のある日、朝起きたら、母さんがおばあちゃんを呼んでいた。

 

幸せそうに眠っていた。もう、一切の苦痛に悩まされずにすむ。

 

まるであの日のおばあちゃんが戻ってきたような顔だった。

 

ニ度と笑ってくれることはない。でも、彼女を見ていると

 

楽しかった思い出が刃みたいになって、心を刺してくる。

 

残ったのは、やるべき事をやれなかった後悔。

 

 同情されたいアピールにように涙をこぼしても、それを取り返す事はできない。

 

泣くな。泣くな。泣くんじゃないよ。男じゃないか。

 

泣いて昨日がくるじゃなし。

 

あの日わかった。頑張っても意味はない。なら、なぜ生きなければならない?

 

あの日からずっと、なぜ死ねないのかを考えるようになった。

 

 これが俺のニート思考のオリジン。

 

人の死を言い訳にして、めんどくさいことから逃げようとしたのを、

 

神は見透かしていたのだろう。

 

それまでの楽しさを取り返すように死ぬべきクズの地獄が始まった。

 

この世はブラック企業と同じだ。まともな人からログアウトして

 

死ぬべきクズが残される。

 

 

クズにとって死は救いだ。

 

ここまでニートについて話したが、安心してほしい。

 

ニートでなくなっても、死にたい気持ちが消える事はないから。

 

生きたくても生きれない人がいるように

 

死にたくても死ねない人がいる。

 

死ぬべき人は健康だ。心以外は。健康なら、自分のケツを自分でふくことができる。

 

その気になれば、死を選択できる、これは本当に幸せなことだ。

 

生きているだけで素晴らしいという人もいる。それも間違いじゃない。

 

ただ、死ぬべきクズが自分を客観的に観れることは評価すべきだと思う。

 

少なくとも、事実から逃げて、深夜アニメとか見てる萌え豚よりマシじゃないか。

 

おっさんが考えた甘い言葉を小娘の拡声器越しに浴びて無駄な金を搾取されるより

 

丈夫で長いロープを買ってきて、自重を支えられる縁を探した方が

 

はるかにコスパがいい。

 

 

自分の惨めさを嘆き、世の非情に頭を打ち付けているやつの方が百倍価値がある。

 

 むしろ、この世は死ぬべきクズである自覚すらない奴ばかりのさばる

  

真の死ぬべきクズは、自覚すらせず、今日ものうのうと生きてるっていうのに!

 

ろくな社会経験をしてない奴が社会を語るな!と言われたらそれまで。

 

だとすれば、逃げ道をたどった先にある袋小路途方で途方に暮れてたんじゃ遅い。

 

どこにもない楽園から抜け出して、どうしようもない自分と向き合えよ。

 

男の本懐は自己破壊だ。

 

筋繊維の破壊、筋トレが最強のソリューションなのも頷ける。

 

苦しい生よりも、死が救いになることはある。

 

だからこそ、あなたが救われるのは、まだ早い。

 

 

 

自分が死ぬべきクズだとわかっているならなおさら

 

 

寿命の尽きる、最後の一秒まで

 

生の苦しみをじっくりことこと味わいたまえよ〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

特別な人間になれなかった絶望

私のおじいさんがくれなかった初めてのキャンデー。


それはヴェルタースオリジナルで私は四歳でした。その味は甘くてクリーミィなの?


あんな素晴らしいキャンデーをもらえない私は、特別な人間ではないと感じました。

 

そもそもうちにおじいさんなんていない。でも、それでよかったと思う。

 

男がみんな歳食えばヴェルタースおじさんになれるわけじゃない。

 

さくらももこ氏のおじいさんも、リアルでは彼女に冷たかったんだって。

 

ヴェルタースオリジナルのように甘くてクリーミィではない現実を

 

反面教師にしたからこそ、友蔵にとって、まるこは特別な存在だったのかもね。

 

 辛い現実と、シュールな笑いのバランスが絶妙で

 

日本人の象徴のようなダークナイト、永沢の真似を極めました。

 

さくらももこ氏のご冥福をお祈りします。

 

なぜ、特別な人間になりたかった?

 

大衆に死を惜しまれるのは、成功して名声を得た特別な人間だけ。

 

凡人、特に社会に有益でないクズの死は喜ばれても、嘆かれはしない。

 

ただ

 

特別な人=パイオニアと、社会不適合者=ニート、引きこもりは似ている。

 

今ある価値観に疑問を持って、そこから新しい生き方を選び、成功できるかで

 

オンリーワンとゴミクズは分かれるのだと思う。

 

 

いつか特別な人になれる。前に習えの最後尾から抜け出して

 

「なんか違う」常識から抜け出せる。若い頃はそんな理想で頭がいっぱい。

 

でも、歳を食えば違う。

 

志村けん似のミュージシャンに煽られなくても

 

天国はないと理解した今、そのイマジンはは完璧にぶち殺された。

 

死ぬまで不安に追いかけ回される孤独な人間の絶望を想像してごらん?

 

特別な人間になれないと何が問題なのか

 

 週5、8時間の労働+残業で働ける普通の人の生活にすら馴染めないクズ

 

同級生には結婚している奴もいるという現実を見たくなくて

 

 はぐれ者なのは、生き辛い常識に疑問を持ち、変える力があるからと思い込んでいた。

 

30すぎてフリーターって()わかってるよ。ひどい末路しかないって。

 

その不安を、いずれ特別な人間になれるという妄想でごまかしていた。

 

俺は特別な人間だ。普通になれないんじゃない、ならないんだ。

 

あなた方のアバター、永沢の声がする。

 

「センベイくん。君は、どこまで、卑怯なんだい?」

 

「えっ、そっそんな事言わないでくれよ、永沢くぅ〜ん」

 

永沢の声真似は「卑怯」のニュアンスにありったけの冷笑と皮肉をこめて

 

藤木の心をナイフで刺すように。

 

藤木の声真似のポイントは、さも痛いところを突かれた風に、弱々しく

 

しかしそれが、相手の同情を誘えると計算しているそぶりはみせないように

 

自己弁護を織り交ぜる卑怯の精神にコミットするべし。

 

ポイントを抑えておけば完コピも難しくない。

 

今から練習すれば、年末の忘年会で人気者になれるかもね。

 

苦し紛れのお役立ち情報を出したところで、話を戻そう。

 

世間知らずのガキだった頃は、いつか報われると信じていた苦労。

 

認めるよ。世の中の常人たちは、もっと、もっと苦しんでいる。

 

鼻くそ程度の努力で自己満足している奴が幸せになれるわけがない。

 

 自分の人生は、生涯クズのままで、可能性などなかった。

 

だとすると、この先何十年もこの苦しみを続けるって事?

 

残念だけど、そこまでこのクソ人生に未練はない。

 

希望も可能性も将来も、飴玉のようになめているうちに、溶けて消えてしまった。

 

特別な人間になって、今までバカにしてきた奴らを見返せる。

 

そんな卑怯な考えに対するしっぺ返しを、生涯受け続けるのか。

 

 特別になれないなら死ぬのかい。

 

何回目だよ。もう飽きた。って人も多いだろう。さっさと死ねよ。という声が聞こえる

 

そのつもりだ。死を選べたなら、どんなにいいだろう。

 

でも、まだ、特別になる事を諦めたくない。まだ終わらせたくない。

 

どこにでもいるけど、諦めだけは悪い奴が心の隅っこにしがみついている。

 

 

あなたの痛みは、無駄ですよ。と言われて、「はいそうですか」なんて言えるわけない

 

そんなチープな痛みなら、最初からメンヘラブログなど書くものか。

 

ヤるだけやってみて、全て終わった。

 

敗北を全身全霊で受け入れた時に、身の振り方を考えればよい。

 

 

それに、歳を食って自分の小ささを理解したからだろう。

 

たとえ、人並み以下の幸福度でも、生きていればいいとも思う。

 

さくらももこ作品、コジコジの影響だ。

 

彼女(メス・・・・なのか?) のセリフ

 

 

歌って遊んで寝て暮らせればそれでいい。

 

何が悪いの?、法に触れる事はしてないのに。

 

 

ニート丸出しのゆるいセリフだ。しかし、ニート経験のある人ならわかるだろう

 

ニートは誰でもなれる。しかし誰でも続けられるわけじゃない。

 

ある種の才能が必要だ。

 

 続ける事に意味があるのなら、このブログにも意味がある。

 

コジコジは別にしても

 

誰かの言葉じゃなく、自分の経験から学んだ考えを書いている時は、

 

特別な存在になれたと感じる。

 

おじいさんがいないなら、自分でなればいいのだ。

 

そう。私がおじいさん。

 

読者に見せるのはもちろん、ヴェル・・・

 

特別なスープ

 

キリギリスはなぜ死んだ?

 

なぜならあなたもまた、特別な存在だからです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

他人に迷惑をかけないという呪い。

「他人に迷惑をかけないように」小さい頃から刷り込まれてきた常識。

 

あらゆる面で他人に劣っていたから、どこにいても人を不快にさせてきた。

 

なにが迷惑かなんて人それぞれだから。 常に他人の目を気にしてビクビク、オドオド

 

そのうち、「お前いたの?」なんて言われたり。

 

最近じゃ「迷惑」ってのは他人を頼るな。甘えるな。って意味だとわかったよ。

 

助けを求めるのは迷惑とでも言うような世の風潮、忙しすぎて寛容の余裕のない

 

あなた方は、誰だって苦しいんだ!他人のせいするのは甘え!と怒鳴るけど

 

自己責任を押し付けられるほど、個性を大事にしている社会じゃないだろ。

 

 それに、権力、組織、企業、力のある集団の迷惑は、割りとみんな受け入れがち。

 

納得できないなぁ。レールから外れた人は災いに会えと念じているみたいじゃないか

 

 他人に迷惑をかけないという呪いのような空気が

 

高気圧のように上空を覆い、吸っただけで肺が爛れるほどの息苦しさを作っている

 

集団の和を乱すように、他人に助けを求めるのは悪なのだろうか。

 

 

 なぜ社会的な苦しみはなかったことにされるのか。

 

この酷暑ならば、さぞや美しい汗を流せたであろう某チャリティー()番組にしても

 

体に障害のある人は、お前より不幸な人は〜の槍玉のように取り上げるのに

 

目に見えない心に傷を負った人々の痛みはなかったことにするのはなぜだろう。

 

地震や豪雨、自然の災害にあって、家を無くした人々には支援を呼びかけるのに

 

逃げたくても逃げられない日本社会の闇に追い詰めれ、始発に乗るのを魂で拒否した人

 

彼らの最後の悲鳴とも言える電車の遅延に、舌打ちして終わりなのはなぜだろう。

 

そんなことはない。という人はネットでニート生活保護で調べてみればいい。

 

どうだい?君の住処は、ペラッペラのハリボテの上だとわかっただろう。

 

2chまとめサイト、etc・・・・社会不適合者は死ねというコメントでわんさか

 

しかもそんな目に触れただけで吐気を催す暴言にいいね。がつく。

 

この三つを支持する人々は一見関係ないよう見えて実は共通点がある。

 

同じ身の上にならないという自信だ。

 

あっちとこっちで世界が分かれているからこそ、自分が気持ちよくなれるのだ。

 

あいつらが苦労している社会で生きている私、俺、偉いという優越感。

 

 

そんな物がないと生きていけない社会は異常だとわかってるだろ。

 

でも、強い者に立ち向かっても、勝てるはずないから

 

やりきれない社会へのイライラを弱者への攻撃で紛らわすんだ。

 

立場のない人々を足蹴にしても、踏んでいる底板が抜けるだけなのに。

 

 

強気に媚びて、弱気をくじく。生き残るために

よく言われたよ。「仕事だからしょうがないだろ」って、それ、本心じゃないでしょ。

 

しょうがないと割り切れるくらいなら、〜ハラなんてトレンド入りする訳ないじゃん。

 

知ってるよ。あなた方は「指導」という屁理屈を使いたいだけ。やりたい事は

 

「俺も辛い目にあったんだから、お前も同じ目にあえ」っていう

 

爆弾を積んだ車でビルに突っ込むみたいな苦しみのシェアの強要だ。

 

 だって、権力に逆らってもなにも変わらないし、下手したら生活できなくなる

 

強気に媚びて、弱気をくじくほうが、楽に生きていける。

 

誰もが苦しみながらしがみついているレールから外れた人なんて誰も気にしない。

 

 初夏の話。

 

駅の線路に座って、殺せと叫ぶおじさんがツイッターで話題になった。

 

ツイート主は水を差し入れし、崖の上の船越よろしく、彼の話を聞いたところ

 

おじさんは心を壊し、恥を忍んで市役所に生活保護を申請したところ

 

受付の人を人とも思わない水際作戦に尊厳をマッシュポテトにされた。

 

お上公式で「生きるな」と宣言され、絶望したおじさんは

 

線路に座り込み、ひかれようとしたのだった。

 

彼の行動はこの冷淡な社会にとって、いい迷惑以外の何者でもない。

 

しかし、もし今回の事件が起きなければ、彼は他人の厄介になり変死体として処理され

 

他人に迷惑をかけない呪いをかけている人々に不都合な真実は闇に葬られていただろう

 

声を上げなければ。弱い個人はいなかったことにされてしまう。

 

たとえどれだけ冷笑されようとも。

 

 他人に迷惑をかけてでも、生き残れ。

 

 正直、なんでこんな事書いてるだろう。と思う日もあるよ。

 

意図的に見る人を選ぶ内容にしてるし、わかる人以外は寄り付かないとは思うけど

 

あなたが傷つくなら、それは謝る。

 

けどね。万人が見て当たり障りのない言葉なんて、なにも変えられない。

 

誰の顔色も気にせず、これが自分の考えだと喚ける言葉に、本当に価値がある。

 

周りから他人が離れていこうと、これだけはどうしても言わなくちゃならない。

 

苦しい。悲しい。何かがおかしい。それを素直に声にださなきゃ

 

強い者の理不尽を押し付けてくる馬鹿供の声がでかくなるばかり。

 

 結局、他人に迷惑をかけない。なんて、ただの言い訳だ。

 

存在を気づかれないのと、意図して避けられるのは違う。

 

他人の迷惑なんて気にするなよ。困った時はお互い様だろう。

 

 立場のない人々は、個人を攻撃してバランスを保つ社会に立ち向かう勇気をもって

 

かけがえのない自分を守らなければならない。