キリギリスはなぜ死んだ?

誰の目にも止まらない人々の、言葉に出来ない魂の叫びを綴るブログ。

ニートは死ぬべき? 死にたい人は死ねば救われるの?

ニートはなぜ死ぬべきなのか?

 

ニートは健康だ。心以外は。体が健康なら自立して当たり前。

 

大人になっても親にたかっているニートは、社会的には、死ぬべきだろう。

 

「 親に迷惑をかけるな。」多数派の常識だ

 

また、迷惑か。

 

こっちだって好きで生きてるわけじゃないし、産んでくれと頼んだ覚えもない。

 

絶対的優位な正論の拳から逃れたくて、出たのは子供じみた屁理屈

 

言っても無駄。あの日腹の底に押し込めた言葉も、今は無駄じゃない

 

ネットユーザーの努力で少数派が声を上げられる社会になり

 

根拠のない俗説に基づいた多数派の常識は非常識になりつつある。

 

しかし、ニートが人間ではなく、寄生虫である事に変わりはない。

 

いくら毒親を恨んでも、宿主がいなくなれば、自立を迫られるのは事実。

 

養ってくれる人が居なくなった後、どうやって生活費を稼ぐ?

 

真っ白な履歴書を鼻で笑われ、怒りに燃えても失くした時間は戻ってこない。

 

 生きるためには必要な金を得るために働かねば。なのに

 

常識にそった生き方から1ミリでもそれれば、働きたくても働けなくなる。

 

先の事を気にしてもしょうがないんだけど

 

暇だけはあるニート。考えまいとすればするほど

 

思考の壁にせき止められた不安は溢れかえり

 

雨漏りのように暗い想像が頭の隅から染み込んでくる。

 

消費するだけの時間、動けない焦り、不安、現状、絶望・・・

 

殺虫剤をかけられたような息苦しさはどうしたら無くなるんだ。

 

「なら、息をしなければいいじゃん。」

 

なるほど、つまり、生きるなと。

 

そもそも、クズにとって、生きるのは苦痛だ。人生は地獄だ。

 

むしろ、死んだ方が楽だと思うほど。

 

それなのに、無責任に「生きてたほうがいいよ〜」と連呼する輩のなんと多い事か。

 

彼らは生きるのは素晴らしいという常識に目を眩ませられている!

 

 

価値観が多様化している現在、無条件で「生」=「善」にするのは意味がない。

 

 

 生きる上で避けられない不安や孤独、絶望、尽きない悩みは、死ねばなくなるよ。

 

自由のない人生は、苦痛でしかない。

 

神は魂の強い奴ほど、そばに置きたがる。

 

だから生きるべき人ほどあの世へ行く。

 

それを証明するために、おばあちゃんの話をしてもいいかな。

 

 彼女は僕にとって母親代わり、いや、母親そのものだった。

 

 

 笑っている顔しか思い出せないほど、明るい人だった。

 

家にいつもいて当たり前、まるで空気のような存在。

 

終わるのがもったいないくらいの日常、今とは大違いだ。

 

 もしかしたら、全て上げて落すための誰かの策略だったのかもしれない。

 

 とにかく、あんな日がくるなんて、想像すらしてなかった。

 

その日は天気が悪くて、足元が滑りやすく、おばあちゃんは転んでしまった。

 

その時はなんともなかったけど、じわじわと悪魔は迫っていた。

 

最初は腰が痛い。程度だったのに、翌月には、足が思う通りに動かないといい

 

 

三ヶ月後には、杖をつくようになり、半年後には散歩にすら行けなくなって

 

1年経つと毎朝体が痛くて仕方がないとこぼし布団から出る回数が減り

 

ニ年経ったとき、電動ベットの力なしじゃ起き上がれなくなっていた。

 

ベットに寝たきりでいると、動けないストレスで、精神を病んでいく。

 

他人に頼まなきゃ寝返りすらうてない情けなさ、終わりのない痛みに心は壊れていく

 

朝は眠っていて、夜中の2時、3時に、大声で叫びだす。

 

内容は支離滅裂で聞けたものじゃなく、黙っててくれ。と怒鳴ってしまった。

 

当時は眠れないなんて事はなかった。今なら何時間でも付き合うのに。

 

一番きつかったのは排泄物を壁に投げて遊んでいた事。

 

おばあちゃんはお手玉だといった。自分が何を持っているのかすらわかからなくなり

 

まるで別人に取り憑かれたように口汚くなっていく。

 

廊下に投げ捨てられたうんこをティシュで拾う毎日。

 

こんなことがいつまで続くのか。そう考えた時に

 

すまない。白状するよ。

 

あってはならない考えがよぎった。

 

 

早く死ねばいいのにと。

 

 

断っておくと、介護の全般を担当していたのは母さんで

 

僕はほとんど何もしていない。

 

ただ、客観的に見て、介護はきつい。

 

よく、職がない人に、介護にいけばいいじゃん。と安易な答えを出すやつがいるけど

 

平和ボケしすぎ。身内ですら無理なのにそれを最低賃金でやるなんて・・・・・

 

人生百年時代という割に、バックアップはおざなりだね

 

お前にありがたいお国の崇い思想がわかるものか!って?

 

正解だ。死ぬべきクズは僕でおばあちゃんではない。

 

もしかしたら、そんなクズの考えを見透かしていたのかもしれない。

 

おばあちゃんは次第に、死にたいと呟くようになった。

 

でももう、死ぬ元気すらなかった。

 

 終わらせる自由すらないなら、人生はもう、苦痛でしかないじゃないか。

 

 寝たきりになって3年目、おばあちゃんは隣町の病院に入院した。

 

翌週見舞いに行った時には、喋りもしなかった。

 

幼稚園の帰りに、昔の歌を押してくれた

 

小学校のとき、傘を遊んで壊したときに、物を大事にしろと怒ってくれた。

 

中学の同級生に制服を破られたとき、転んだと行ったら、そうか。で終わらせてくれた

 

高校の制服を着たとき、ベットの上で、飯代はあるのか?と聞いてくれた。

 

いつも笑っていてくれた、あの人はそこにいなかった。

 

 

それはもう生きているとは言えない。もし言い張るなら、生き地獄でしかないよ。

 

その年の冬、母さんが他人には任せておけない。ということで、再び自宅に戻った

 

そして4年目の春のある日、朝起きたら、母さんがおばあちゃんを呼んでいた。

 

幸せそうに眠っていた。もう、一切の苦痛に悩まされずにすむ。

 

まるであの日のおばあちゃんが戻ってきたような顔だった。

 

ニ度と笑ってくれることはない。でも、彼女を見ていると

 

楽しかった思い出が刃みたいになって、心を刺してくる。

 

残ったのは、やるべき事をやれなかった後悔。

 

 同情されたいアピールにように涙をこぼしても、それを取り返す事はできない。

 

泣くな。泣くな。泣くんじゃないよ。男じゃないか。

 

泣いて昨日がくるじゃなし。

 

あの日わかった。頑張っても意味はない。なら、なぜ生きなければならない?

 

あの日からずっと、なぜ死ねないのかを考えるようになった。

 

 これが俺のニート思考のオリジン。

 

人の死を言い訳にして、めんどくさいことから逃げようとしたのを、

 

神は見透かしていたのだろう。

 

それまでの楽しさを取り返すように死ぬべきクズの地獄が始まった。

 

この世はブラック企業と同じだ。まともな人からログアウトして

 

死ぬべきクズが残される。

 

 

クズにとって死は救いだ。

 

ここまでニートについて話したが、安心してほしい。

 

ニートでなくなっても、死にたい気持ちが消える事はないから。

 

生きたくても生きれない人がいるように

 

死にたくても死ねない人がいる。

 

死ぬべき人は健康だ。心以外は。健康なら、自分のケツを自分でふくことができる。

 

その気になれば、死を選択できる、これは本当に幸せなことだ。

 

生きているだけで素晴らしいという人もいる。それも間違いじゃない。

 

ただ、死ぬべきクズが自分を客観的に観れることは評価すべきだと思う。

 

少なくとも、事実から逃げて、深夜アニメとか見てる萌え豚よりマシじゃないか。

 

おっさんが考えた甘い言葉を小娘の拡声器越しに浴びて無駄な金を搾取されるより

 

丈夫で長いロープを買ってきて、自重を支えられる縁を探した方が

 

はるかにコスパがいい。

 

 

自分の惨めさを嘆き、世の非情に頭を打ち付けているやつの方が百倍価値がある。

 

 むしろ、この世は死ぬべきクズである自覚すらない奴ばかりのさばる

  

真の死ぬべきクズは、自覚すらせず、今日ものうのうと生きてるっていうのに!

 

ろくな社会経験をしてない奴が社会を語るな!と言われたらそれまで。

 

だとすれば、逃げ道をたどった先にある袋小路途方で途方に暮れてたんじゃ遅い。

 

どこにもない楽園から抜け出して、どうしようもない自分と向き合えよ。

 

男の本懐は自己破壊だ。

 

筋繊維の破壊、筋トレが最強のソリューションなのも頷ける。

 

苦しい生よりも、死が救いになることはある。

 

だからこそ、あなたが救われるのは、まだ早い。

 

 

 

自分が死ぬべきクズだとわかっているならなおさら

 

 

寿命の尽きる、最後の一秒まで

 

生の苦しみをじっくりことこと味わいたまえよ〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

特別な人間になれなかった絶望

私のおじいさんがくれなかった初めてのキャンデー。


それはヴェルタースオリジナルで私は四歳でした。その味は甘くてクリーミィなの?


あんな素晴らしいキャンデーをもらえない私は、特別な人間ではないと感じました。

 

そもそもうちにおじいさんなんていない。でも、それでよかったと思う。

 

男がみんな歳食えばヴェルタースおじさんになれるわけじゃない。

 

さくらももこ氏のおじいさんも、リアルでは彼女に冷たかったんだって。

 

ヴェルタースオリジナルのように甘くてクリーミィではない現実を

 

反面教師にしたからこそ、友蔵にとって、まるこは特別な存在だったのかもね。

 

 辛い現実と、シュールな笑いのバランスが絶妙で

 

日本人の象徴のようなダークナイト、永沢の真似を極めました。

 

さくらももこ氏のご冥福をお祈りします。

 

なぜ、特別な人間になりたかった?

 

大衆に死を惜しまれるのは、成功して名声を得た特別な人間だけ。

 

凡人、特に社会に有益でないクズの死は喜ばれても、嘆かれはしない。

 

ただ

 

特別な人=パイオニアと、社会不適合者=ニート、引きこもりは似ている。

 

今ある価値観に疑問を持って、そこから新しい生き方を選び、成功できるかで

 

オンリーワンとゴミクズは分かれるのだと思う。

 

 

いつか特別な人になれる。前に習えの最後尾から抜け出して

 

「なんか違う」常識から抜け出せる。若い頃はそんな理想で頭がいっぱい。

 

でも、歳を食えば違う。

 

志村けん似のミュージシャンに煽られなくても

 

天国はないと理解した今、そのイマジンはは完璧にぶち殺された。

 

死ぬまで不安に追いかけ回される孤独な人間の絶望を想像してごらん?

 

特別な人間になれないと何が問題なのか

 

 週5、8時間の労働+残業で働ける普通の人の生活にすら馴染めないクズ

 

同級生には結婚している奴もいるという現実を見たくなくて

 

 はぐれ者なのは、生き辛い常識に疑問を持ち、変える力があるからと思い込んでいた。

 

30すぎてフリーターって()わかってるよ。ひどい末路しかないって。

 

その不安を、いずれ特別な人間になれるという妄想でごまかしていた。

 

俺は特別な人間だ。普通になれないんじゃない、ならないんだ。

 

あなた方のアバター、永沢の声がする。

 

「センベイくん。君は、どこまで、卑怯なんだい?」

 

「えっ、そっそんな事言わないでくれよ、永沢くぅ〜ん」

 

永沢の声真似は「卑怯」のニュアンスにありったけの冷笑と皮肉をこめて

 

藤木の心をナイフで刺すように。

 

藤木の声真似のポイントは、さも痛いところを突かれた風に、弱々しく

 

しかしそれが、相手の同情を誘えると計算しているそぶりはみせないように

 

自己弁護を織り交ぜる卑怯の精神にコミットするべし。

 

ポイントを抑えておけば完コピも難しくない。

 

今から練習すれば、年末の忘年会で人気者になれるかもね。

 

苦し紛れのお役立ち情報を出したところで、話を戻そう。

 

世間知らずのガキだった頃は、いつか報われると信じていた苦労。

 

認めるよ。世の中の常人たちは、もっと、もっと苦しんでいる。

 

鼻くそ程度の努力で自己満足している奴が幸せになれるわけがない。

 

 自分の人生は、生涯クズのままで、可能性などなかった。

 

だとすると、この先何十年もこの苦しみを続けるって事?

 

残念だけど、そこまでこのクソ人生に未練はない。

 

希望も可能性も将来も、飴玉のようになめているうちに、溶けて消えてしまった。

 

特別な人間になって、今までバカにしてきた奴らを見返せる。

 

そんな卑怯な考えに対するしっぺ返しを、生涯受け続けるのか。

 

 特別になれないなら死ぬのかい。

 

何回目だよ。もう飽きた。って人も多いだろう。さっさと死ねよ。という声が聞こえる

 

そのつもりだ。死を選べたなら、どんなにいいだろう。

 

でも、まだ、特別になる事を諦めたくない。まだ終わらせたくない。

 

どこにでもいるけど、諦めだけは悪い奴が心の隅っこにしがみついている。

 

 

あなたの痛みは、無駄ですよ。と言われて、「はいそうですか」なんて言えるわけない

 

そんなチープな痛みなら、最初からメンヘラブログなど書くものか。

 

ヤるだけやってみて、全て終わった。

 

敗北を全身全霊で受け入れた時に、身の振り方を考えればよい。

 

 

それに、歳を食って自分の小ささを理解したからだろう。

 

たとえ、人並み以下の幸福度でも、生きていればいいとも思う。

 

さくらももこ作品、コジコジの影響だ。

 

彼女(メス・・・・なのか?) のセリフ

 

 

歌って遊んで寝て暮らせればそれでいい。

 

何が悪いの?、法に触れる事はしてないのに。

 

 

ニート丸出しのゆるいセリフだ。しかし、ニート経験のある人ならわかるだろう

 

ニートは誰でもなれる。しかし誰でも続けられるわけじゃない。

 

ある種の才能が必要だ。

 

 続ける事に意味があるのなら、このブログにも意味がある。

 

コジコジは別にしても

 

誰かの言葉じゃなく、自分の経験から学んだ考えを書いている時は、

 

特別な存在になれたと感じる。

 

おじいさんがいないなら、自分でなればいいのだ。

 

そう。私がおじいさん。

 

読者に見せるのはもちろん、ヴェル・・・

 

特別なスープ

 

キリギリスはなぜ死んだ?

 

なぜならあなたもまた、特別な存在だからです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

他人に迷惑をかけないという呪い。

「他人に迷惑をかけないように」小さい頃から刷り込まれてきた常識。

 

あらゆる面で他人に劣っていたから、どこにいても人を不快にさせてきた。

 

なにが迷惑かなんて人それぞれだから。 常に他人の目を気にしてビクビク、オドオド

 

そのうち、「お前いたの?」なんて言われたり。

 

最近じゃ「迷惑」ってのは他人を頼るな。甘えるな。って意味だとわかったよ。

 

助けを求めるのは迷惑とでも言うような世の風潮、忙しすぎて寛容の余裕のない

 

あなた方は、誰だって苦しいんだ!他人のせいするのは甘え!と怒鳴るけど

 

自己責任を押し付けられるほど、個性を大事にしている社会じゃないだろ。

 

 それに、権力、組織、企業、力のある集団の迷惑は、割りとみんな受け入れがち。

 

納得できないなぁ。レールから外れた人は災いに会えと念じているみたいじゃないか

 

 他人に迷惑をかけないという呪いのような空気が

 

高気圧のように上空を覆い、吸っただけで肺が爛れるほどの息苦しさを作っている

 

集団の和を乱すように、他人に助けを求めるのは悪なのだろうか。

 

 

 なぜ社会的な苦しみはなかったことにされるのか。

 

この酷暑ならば、さぞや美しい汗を流せたであろう某チャリティー()番組にしても

 

体に障害のある人は、お前より不幸な人は〜の槍玉のように取り上げるのに

 

目に見えない心に傷を負った人々の痛みはなかったことにするのはなぜだろう。

 

地震や豪雨、自然の災害にあって、家を無くした人々には支援を呼びかけるのに

 

逃げたくても逃げられない日本社会の闇に追い詰めれ、始発に乗るのを魂で拒否した人

 

彼らの最後の悲鳴とも言える電車の遅延に、舌打ちして終わりなのはなぜだろう。

 

そんなことはない。という人はネットでニート生活保護で調べてみればいい。

 

どうだい?君の住処は、ペラッペラのハリボテの上だとわかっただろう。

 

2chまとめサイト、etc・・・・社会不適合者は死ねというコメントでわんさか

 

しかもそんな目に触れただけで吐気を催す暴言にいいね。がつく。

 

この三つを支持する人々は一見関係ないよう見えて実は共通点がある。

 

同じ身の上にならないという自信だ。

 

あっちとこっちで世界が分かれているからこそ、自分が気持ちよくなれるのだ。

 

あいつらが苦労している社会で生きている私、俺、偉いという優越感。

 

 

そんな物がないと生きていけない社会は異常だとわかってるだろ。

 

でも、強い者に立ち向かっても、勝てるはずないから

 

やりきれない社会へのイライラを弱者への攻撃で紛らわすんだ。

 

立場のない人々を足蹴にしても、踏んでいる底板が抜けるだけなのに。

 

 

強気に媚びて、弱気をくじく。生き残るために

よく言われたよ。「仕事だからしょうがないだろ」って、それ、本心じゃないでしょ。

 

しょうがないと割り切れるくらいなら、〜ハラなんてトレンド入りする訳ないじゃん。

 

知ってるよ。あなた方は「指導」という屁理屈を使いたいだけ。やりたい事は

 

「俺も辛い目にあったんだから、お前も同じ目にあえ」っていう

 

爆弾を積んだ車でビルに突っ込むみたいな苦しみのシェアの強要だ。

 

 だって、権力に逆らってもなにも変わらないし、下手したら生活できなくなる

 

強気に媚びて、弱気をくじくほうが、楽に生きていける。

 

誰もが苦しみながらしがみついているレールから外れた人なんて誰も気にしない。

 

 初夏の話。

 

駅の線路に座って、殺せと叫ぶおじさんがツイッターで話題になった。

 

ツイート主は水を差し入れし、崖の上の船越よろしく、彼の話を聞いたところ

 

おじさんは心を壊し、恥を忍んで市役所に生活保護を申請したところ

 

受付の人を人とも思わない水際作戦に尊厳をマッシュポテトにされた。

 

お上公式で「生きるな」と宣言され、絶望したおじさんは

 

線路に座り込み、ひかれようとしたのだった。

 

彼の行動はこの冷淡な社会にとって、いい迷惑以外の何者でもない。

 

しかし、もし今回の事件が起きなければ、彼は他人の厄介になり変死体として処理され

 

他人に迷惑をかけない呪いをかけている人々に不都合な真実は闇に葬られていただろう

 

声を上げなければ。弱い個人はいなかったことにされてしまう。

 

たとえどれだけ冷笑されようとも。

 

 他人に迷惑をかけてでも、生き残れ。

 

 正直、なんでこんな事書いてるだろう。と思う日もあるよ。

 

意図的に見る人を選ぶ内容にしてるし、わかる人以外は寄り付かないとは思うけど

 

あなたが傷つくなら、それは謝る。

 

けどね。万人が見て当たり障りのない言葉なんて、なにも変えられない。

 

誰の顔色も気にせず、これが自分の考えだと喚ける言葉に、本当に価値がある。

 

周りから他人が離れていこうと、これだけはどうしても言わなくちゃならない。

 

苦しい。悲しい。何かがおかしい。それを素直に声にださなきゃ

 

強い者の理不尽を押し付けてくる馬鹿供の声がでかくなるばかり。

 

 結局、他人に迷惑をかけない。なんて、ただの言い訳だ。

 

存在を気づかれないのと、意図して避けられるのは違う。

 

他人の迷惑なんて気にするなよ。困った時はお互い様だろう。

 

 立場のない人々は、個人を攻撃してバランスを保つ社会に立ち向かう勇気をもって

 

かけがえのない自分を守らなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分らしく生きろと言われても、自分らしさがわからない。

鏡の前の自分と目を合わせて「お前は誰だ」と言い続けると

 

自分がだれかわからない精神病にかかるって都市伝説を知ってるかい?

 

嘘か誠か実験してみようって度胸もないけど、

 

それに近いことなら毎日起きてる。

 

やりたい事はないけど、

 

やりたくない事は山ほどある心の声が

 

顔を真っ赤にして「やだ!」と泣きじゃくる。

 

「すぅんな事言ったって、しょうがないじゃないか。」

 

楽な道を歩いて生きていけるほど、人生は甘くない。幸楽ラーメンのホープ

 

えなりかずきをガチリスペクトして伝えてみた。わかってくれるよね。

 

「おまえの望まない事しかできないなら、それは誰の人生なんだよ。」

 

駄々っ子からの痛いところを突いたアンサー、確かに。

 

嫌な事をやって生きるのは好きな事をやりきって死ぬ覚悟のないクズの言い訳だ。

 

 

そして、やりたい事がないのは、空虚な生き方をしてきた証でもある。

 

どう生きればいいかわからないとき、「自分らしく生きればいい」と言われても

 

「自分らしさ」がわからない。そもそも自分なんてない。

 

思い出してごらん。

 

これまで君自身で何かを決めた事、一度でもあったのかい?

 

親や周囲の顔色を見て、はいと頷いているだけ。

 

大人の判断は正しかったし、たとえその道でうまくいかなくても

 

「決めた奴の間違いだ。」と言えたけど

 

決めてくれた大人はもういない。自分で判断しなきゃ

 

でも、歯磨きをする/しない程度の選択でも間違ってしまう。

 

やる事なす事全て大間違い。まるで不正解でできてるみたいな人生。

 

そうなると、他力本願の本性がでてくる。誰か助けてくれ。誰か・・・

 

返事はこうだ。誰かと言う前にお前は誰なんだ。教えてくれよ。

 

答えられなかった。他人任せの奴に自分などない。

 

お前は誰だと聞かれても、自分が何者かわからない。

 

今まで他人の言うがままだったくせに今更他人の目をはばからず

 

「自分はこうだ」と言える物はなんてあるんだろうか。

 

自分らしさってなんだ?

 

平成最後の夏、太陽は暑苦しいくらいハイテンションだ。

 

熱を吸収したアスファルトの上を歩くと、鉄板の上で焼かれた

 

たい焼きくんの気持ちがよくわかる。

 

日が落ちても気温は30度以上。蝉も昼夜を問わず、丑三つ時でもフェスの真っ最中。

 

その鳴き声を風物詩と受け取る奥ゆかしさはない。ただの騒音だ。

 

ただ、蝉からしてみれば、五分の魂の叫びなのかもしれない。

 

蝉にすら意思があるのに、人間ときたら・・・

 

 熱中症で運ばれる人が例年の倍以上!くどいCMかってくらいニュースが喚いてる。

 

できるだけ外出は避けてください。だって?

 

なら外出して働かせないような仕組みを作ってくれよ。

 

拭いても拭いても吹き出す汗、T-シャツを着ているはずなのに、背中の布は

 

汗を吸ってくれない。今はムレた雑巾に近い。

 

お腹にあんこは入ってないし、入ってる荷物はしょぼいのに

 

リュックの紐が肩に追いすがるように食い込んでくる。

 

重い。なぜだ?

 

 社会で生きていくためにやらなければならない義務に操られているだけの

 

自分なんてどこにもいない生き方を背負いきれないのに

 

道端に仰向けになった蝉みたいに、一つをやりきって死ぬことすらできない。

 

死体を解体して巣に持っていくために行列を作る蟻のごとく

 

きちんとしたレールに乗って生きている。

 

彼らは自分の生き方に悩んだりするのだろうか。蟻の気持ちはわからない。

 

だってキリギリスだもの。

 

怠け者に労働はキツイ。一生懸命になっても、必ず失敗する。何かを間違う。

 

それまでやってきた事が無に還る瞬間、胃の端っこから酸っぱい物が上がってきて

 

心臓に広がり、シェイクされているような感覚は何度きても慣れない。

 

 

上がったら下がる。最近は一瞬でも、生きてもいいかも・・・

 

と思い始めていた。それは罠だと、いつになったら学習するんだ。

 

信念などないクズは、生きるのは苦痛。ぐらいの気持ちでちょうどいいのに。

 

ここ数日は、まるでそれまでのしっぺ返しのようだ。

 

血の池地獄に垂らされた光る糸にすがったら、それは鋭利な釣り針だった

 

わかってたはずだ。

 

 

電車賃でも、商品でも、外食でも、金を消費して手に入る幸せは、まやかしだと。

 

自分らしさのない人間に居座れる場所などない。

 

意味とか価値とか肯定するとかどうでもいい。たくさんだ。

 

「生きる」っていう言葉自体が苦しい。痛い。重い。

 

油断して走る足を緩めて、死神の鎌に捕まってしまった。

 

もったいぶりながら迫った刃が、皮膚の繊維を一本づつ切るように、喉元に沈んでいく

 

「もういいだろ。十分だ。お前にしちゃよくやったさ」と囁く

 

紙粘土のような質感の骸骨。

 

頭上に死がちらついたときに、「自分は誰なんだ」という声が聞こえる。

 

誰かわからないと答えることで、脳が現実から逃げ出そうとする。

 

死ぬのは自分だという現実から。

 

 お前は誰だと聞かれても、自分が誰かわからない人はどうすべきか

 

この記事に君の望む答えはあっただろうか

 

寄り添う。といっても、泣き喚いているだけで

 

読者への影響など考えた事もない。他人がどう受け取るか

 

なんて検討もつかないから、こう言うしかない。「わからない」と

 

あなた方はそんなやり方じゃ成功できないよ。と言う。

 

残念。成功できるか。は問題じゃないんだ。

 

ここでやってる事は大間違いだろう。でもそれでいい。これだけは譲れない。

 

 あなた方にとって、読みあげる心の声すら不愉快な虫の音だとしても

 

悲しみ、苦しみを訴え続ける。それが僕らしさだ。

 

君が蝉だろうと、蟻だろうと、たいやきだろうと所詮生き物

 

立派な生き方、グータラな生き方、どちらにしても、いつか死ぬ。

 

無職でも、引きこもりでも、非正規雇用でも、君の生き方を生きるがいい

 

 

自分らしさとは、他人に咎められても、曲げられない物を言う。

 

 

 お前は誰だと聞かれても、自分が誰だかわからないときは

 

心の声に嘘をついちゃいけないよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人生というクソすぎるクソゲーを生きる意味。

この世につまらないゲームは山ほどある。しかし、人生ほどクソすぎるクソゲーはない

 

クソみたいなイベントシーンを垂れ流すくせにスキップも回避もできない

 

キャラメイクも能力も決めるのは自分じゃなくて親であり、彼らがよほどの高スペック

 

でない限り、持たざる者として生を受ける事になる。

 

そう言うと、あなた方は「親の悪口を言うな」と目を三角にするけど

 

人間が親になる理由なんて、たまたま避妊具がなかったか

 

「早く結婚しろ」という世間のプレッシャーから逃れようとしただけ

 

世間体を整えたい人々の勝手な都合で、望みもしないのに地獄に産み落とされ、

 

辛いと嘆きながら生きていかなければならない奴の苦悩、どれだけ言葉を尽くせば

わかってくれますか。

 

おまけにこのクソゲー、一個でも間違えばバットエンドまっしぐらなくらい選択肢が

 

重要であるにもかかわらず、セーブ機能は実装されていない。

 

瞬間の判断ミスで、粗悪品とみなされレールから弾かれるシビアなベルトスクロールアクションであり

 

最悪のクソゲーポイントはプレイヤー=主役とは言い切れないこと

 

どんなクソゲーでも主人公次第でクソったれな世界の運命を変えてしまえたり

 

自分の行きたい時に好きなだけ、思い通りに行動できる。

 

だが、人生は違う。

 

 

生まれた境遇、育った環境に左右され、それを変えるには主人公補正でもないと無理

 

RPGのどうでもいいモブキャラのように「人生、辛い」以外のセリフはない。

 

「そんなの自分次第でどうにかなる!不満を言うだけで努力しない奴は甘え!」

 

とあなた方は切り捨てようとするけど、努力で逆転できるほど人生は甘くないって

 

そんなクソゲーならやめちまえ。あなた方は安い感情論を振り回す。

 

やめたくても、終了ボタンを探すだけで1日終わってるんです。

 

明日こそ終わりにしよう。

 

そんな作業ゲーを続ける日々の意味すらわからないんです。

 

後悔するほど上等な人生じゃない。

 

一体何を間違えたんだ?頭のなかで人生を逆走して悟る、むしろ正解なんてないから

 

人生なんてクソゲーを惰性で続けるハメになったんだろ。

 

あの時こうしていたらと悔やんでも、そうしたら成功できたって保証はあるのかい?

 

認めろよ。どんな選択をしても、ひどい結末しかなかった。

 

後悔するほど上等な人生じゃないさ。何度自己診断しても、結論は一つ

 

生まれてこなければよかった。死にたい。昔は

 

死ぬ気になればなんでもできると思ってたけど、死に物狂いで生きてこのザマ。

 

やっぱパンツ一枚で走り出さなきゃだめか。それとも、虹色のおしゃぶり持ってる

 

赤ん坊に射殺されなきゃいけないのか。そんな妄想しても、どうにもならない。

 

死にたい。死ねない。まるで、レアアイテムを求めて、同じモンスターを何回も

 

狩るようなサイクルにはまる。このままではダメだ、無理やり明るく楽しく美しい

 

セリフを吐いたら、サイズに合わない言葉が喉に引っかかって息苦しいだけだった。

 

出たい。出られない。もうたくさんだ。

 

一体いつまでガキみたいにぐずっているつもりだ。そろそろ卒業しろ。

 

心を奮い立たせようとしたけど

 

風に吹き飛ばされそうになったマントを掴んで離さない旅人のように

 

しゃがみこんで動けなかった。

 

思うに、ネガティブな文章が頭の中を埋め尽くしている時は、暗い自分を否定せずに

 

とことん、その底なし沼に沈んでいくべきだ。

 

前を向かなければ、ポジティブにならなければという元気の押し売りは

 

弱気な自分はダメで、価値のない存在なのだ。という自己否定になる。

 

世間どころか自分にまで否定された悲しみは、形のないモヤになりでかくなっていく

 

だって、前を向こうにも、現実の苦痛は増していくばかりなのだから。

 

あなたの否定したい弱気な自分を受け入れてこそ、価値があると僕は思う。

 

ただ、ネガティブな言葉を心に貯めておくのもきつい。

 

あまり勧められないけど、その日の苦しみを日記に書いてみるのもいい。

 

文字に起こすと、そのまま切り離されたような気がする。

 

さらに声を大にしてやめておけと言いたいけど、ブログを書いてみるという手もある。

 

流行のブログ記事と違って、読者の役にたつ訳もないし、他人が遠ざかっていく内容

 

だけど、だからどうした。他人が何をしてくれる訳でもない。他人は他人だ。

 

困った時にすがれない繋がりなど、元から必要ない。

 

自分に必要だから。ブログを書くのに、それ以上の理由はいらない。

 

 この世はクソだし人生はクソゲーだけど、自分の物なのよね〜ん

 

ロックバンドの名言っぽい物を書いて、強がってみたものの、PVや人気は正直厳しい。

 

ただ、お前の話なんて誰も聞いてねーよ。という現実を突きつけられると

 

逆にブログを書きたくて仕方なくなる。

 

バフ◯リンの半分が優しさでできているのなら

 

このブログは、上っ面だけ美しく取り繕う社会への不満でできている。

 

このクソゲーのゲームシステムをぶっ壊すチートは、怒りと憎しみ以外ない。

 

現実の壁を殴り続けて、命尽きても構わない。

 

今までの人生、常に道半ばで投げ出してばかりだった。たったひとつでいい。

 

諦めないでよかった。続けてきてよかった。と言える物を手に入れたい

 

誰の目も気にする必要はない。死ぬのも生きるのも好きにするがいいよ。

 

生まれた瞬間から、君の命は君の物なのよね〜ん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無敵の人に共感する味方のいない孤独な弱者へ

「無敵の人」に共感する味方のいない孤独な弱者へ。

 

君は今、通り魔にマウントを取られ 降参も聞き入れてもらえず、

 

タオルを投げるセコンドもいない、審判すら見て見ぬふりで

 

そこにいる事すら否定される世界、君の悲鳴は「言い訳」と切り捨すてられ

 

その待遇が永遠に変わらない絶望を嘆いてるんだろう。

 

 

そして、そんな社会にしがみつかなきゃいけない現実に

 

「何もかもぶっ壊れてしまえ」という憎しみを抱いてるんだろう。

 

そんな中で、キモい上に金も地位もない、失う物はないから、

 

自爆テロに走るおっさん達。

 

「無敵の人」の登場に、喜びを感じてるんじゃないか?

 

なるほど。皆に名前と身分のある現実では、批判や不安の声ばかりだけど

 

名無しさんとして本音を語れるネットじゃ「いいぞ。もっとやれ」っていう

 

対岸の火事を見ているようなコメントも少なくない。

 

ニートや引きこもり、非正規や生活保護受給者に、「消えろ」「死ね」「正論」と

 

吐き捨てる大衆の「自分が社会不適合者にならない自信」も反吐がでるけど

 

通り魔をお祭り感覚で喜んでいる野次馬の「自分が被害者にならない自信」も大概だ。

 

多数派、少数派問わず広まる、「我々対彼ら」の分断。

 

このままでじゃ国際社会の移民へのヘイトと同じく、多数派を占める努力教の人々は

 

努力ではどうにもならない耐え難きを耐えている君を

 

「とりあえず叩いておけばいいいや」というノリで、これまで以上に攻撃するだろう

 

そんな事が続けば、君の生きづらさは「生きれない」レベルになってしまう。

 

 キモいだけのおっさんだけど、同じ痛みを知る者として、それだけは認めれらない。

 

無敵の人に共感する孤独な弱者を救う術はないのか?

 

無敵の人はなぜ孤独なのか?綺麗で清潔な無菌室とかした社会で。

 

弱者には味方がいない。なぜなら、君の周りには

 

挫折や失敗、嘆きや諦めといった、弱さをわかってくれる人がいないから。

 

彼らに悪意はない、痛みを感じないのか、そんなものより世間体が大事か。

 

いずれにしろ、耐えて、耐えて、悩みを振り払って走り続けても

 

奈落の底に落ちるレールから飛び退いた奴は腰抜けでしかない。

 

 

  

家族が敵になった日を思い出す。あれは学校を中退した直後。

 

「成人しても俺の金にたかって生きてくつもりか」

 

「なまけるとか、楽したいとか、思った瞬間に死ね」

 

「そんな育て方した覚えはないのに・・・・」

 

言いたい事はわかるよ。お金の事も、これからの事も。頭ではわかってる。

 

でも、職場にも、学校にも、家庭にも居場所がないクズは、大人の事情を飲み込めない

 

もしあのとき、わかってくれる誰かがいたなら・・・

 

やめよう。もしもを語っても、惨めになるばかりだ。

 

学校は中退。就活は失敗。残された道はフリーターの、「ニートよりはマシ」な地位。

 

石の上に三年座ってわかった。働くのに向いてないって

 

バイトすら必死なんだから。本気出して常人の半分以下の成果しかでない。

 

何もできない。何者にもなれない。

 

人は幸せになるために生まれてきたなら、死んでしまいたいのはなぜだろう。

 

正論は理解してるつもりだ。だから辛いんだ。

 

このままじゃダメだ。やり直さなきゃ。がんばらなきゃ。

 

前向きなセリフは心と体はを追い越して、それに追いつけない自分が惨めで

 

頭を回る暗い言葉から逃げ出すように外に出る。何も変わらないのに。

 

部屋に戻った時、机に置かれたバイト求人誌が何より辛かった。

 

「働きたくねぇ」とか言うけど、

 

学生時代は、まさか無職になるなんて考えもしなかった。

 

みんなそうでしょ?

 

自分がニートにになるなんてありえないって。違うよ。

 

 

苦しみを苦しめず、悲しみを悲しむ事すら許されない、綺麗ごと以外存在を許さない

 

無菌室の空気は、清浄どころか息苦しくなる一方。

 

第一、本音じゃみんな痛みしか叫んでないじゃないか。

 

そんな綱渡りを踏み外さないとどうして言えるの?

 

なのに、この社会は一度でもつまづいた人間を許さない。

 

生産性のない奴は死ね。という言葉の暴力は、刃物よりも鋭く心に刺さる

 

 何で僕だけがこんな目に。なんでここまで否定されるんだ。

 

 無職でも引きこもりでも、生きているのに。

 

どうして誰も認めてくれないんだ。

 

口から酸っぱい物と一緒にこぼれた愚痴に

 

「お前は人間じゃなくて、ゴミだもの」と返された

 

その時はそいつを道連れにして死のうと思ったね。どうせこのまま生きていても

 

変わらないどころか、悪くなる一方なんだから、人生の最後、くそったれな社会に復讐してやろう。って・・・・

 

 

できなかった。「違う」と思ったから。

 

 味方のいない人の味方は、孤独な弱者自身だった。

 

今、君がナイフを手に誰かを傷つけようとしているのなら

 

それは、君がこれまで経験してきたすべてを無意味にしてしまう愚行だ。

 

君を否定し、鬱憤を晴らしてきた奴らを肯定する愚行だ。

 

奴らはテレビを見ながら、安い缶チューハイ片手に「それ見たことか」と呟く。

 

君の怒りは2,3日ワイドショーで取り上げられて、それでおしまい。

 

それでいいのかい?

 

いいわけねぇだろ?

 

 

何者にもなれない。そんなことはない。

 

君はヒーローに最も必要な物、「痛み」を知ってる。

 

何も持ってない。むしろ必要ない。

 

あの日の、「もしも」になれるなら

 

 無敵の人に共感する味方のいない孤独な弱者よ。

 

明日に怯える誰かの居場所になれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

死ねないから生きてるだけの人生を続けるのは嫌だ。

 

死ぬのが怖いから生きてるだけ

 30目前で実家暮らしの無職、親のメンチビームを受ける背中の暑さに耐えきれず、

 

週何回かのバイトをして十数万の小銭を稼ぎ、お茶を濁す

 

自己紹介を書いただけで死にたくなる。逆になぜ生きてるのかわからない。

 

こんな生活を続けても、時間だけ消費されて気が付いたらゲームオーバー。

 

アスファルトに寝転んで呟いた「生きるんじゃなかった」が辞世の句。

 

そんな未来像ばかりはっきり見える。

20過ぎの頃は、わかってくれる人が現われると見くびっていたけど

 

世間で噂の幸運の女神は、目標を立てて必死に走っている人に微笑む。

 

 バイトしただけで一仕事終えた気分のクズなど視界に入らないんだ。

 

 

 苦しい、悲しい、老人の昔話みたいに繰り返して、明日を変えようとしない奴に

 

ハッピーエンドなど来ない。

 

生きてるだけでいいじゃないか。と言う人もいるけど、人間らしく生きていけないなら

それもう人生じゃないよ。

 

なら、これ以上頑張って(るつもり)の生活を続けてもしょうがない。

 

この世にさよならをしよう。硬い決意はその場限り、肝心な時に踏み出す勇気が

なくて、昨日と同じ、くそったれな今日を過ごしてる。

 

いっそ誰か楽にしてくれ・・・

 

夢も希望も元気もない。ただ死ねないから生きてるだけの、なにもない人生を続けるのは嫌だ。

死にたいけど死ねない。まるで映画の悪役みたい。

  

無能クズでも選択肢はあった。せめてあの時こうしていれば・・・・

なんて妄想しないと、世間の厳しい目に耐えられない。

 

 

みんな無職の事、エイリアンみたいに扱うけど、そうじゃない。

 

ニートや引きこもりの血液は酸で出来てないし、サソリの化物から生まれてきたわけでもない

 

クズと罵る世間と同じように普通分娩で生まれた人間なんだ。

 

子供の時もちゃんとあった。楽しかった。あの頃は身の程なんて頭になかったから。

 

でも、自分の器の底が見えるようになった今、記憶を客観視していくと

 

その年表は美しい思い出じゃなくてポジティブに言い換えたトラウマだとわかった。

 

 

一クラス30人中29人にとっての普通が難解なパズルに思える。勉強も運動も常にビリ。

もちろんコミュ力なんてお話にならない。

 

個人ならそれでいいけど、クラス対抗の競争じゃそうはいかない。

 

勝つという普通以上の結果を求められる中では、普通以下の個人は集団の足かせでしかない

 

みんなから浴びせられる「お前さえいなければ」の声。

 

いつから好きでお前らの輪に入っていると錯角していた?

 

場所も時代も関係ない不変の価値観、クズはどこに行っても邪魔者だ。

 

人以下の奴に人並の幸せなどあるはずもなく、深爪のような痛みばかり増えていく。

 

でも、死ぬのは怖い。死にたいけど、死ねないから、

 

自分を倒してくれる奴を探してるなんて、映画の悪役でもねーのに。

 

 

 

 

死ねないから生きているだけの人生を続けるのは嫌だ。

 

 

いつだってこの社会の常識人たちは遠回しに、「他人の迷惑にならないところで勝手に死ね」と囁いてくる。

 

望んでいない場所でサンドバックとして吊るされたあの日から何が変わったのかわからない。

 

頭のいい奴なら気づいてる。クズの命は始まった瞬間にもう終わってるんだと。

 

これ以上歩いてもどうにもならない、ここで人生を終わらせるのが賢明。

 

んなこたぁわかってるさ。昇る朝日を恨むほど。

 

でも、さぁ行けという極に、形のない手が地獄への特快に乗ろうとする背中を引っ張る。

 

 しようと思えば無視できる。か細い腕が別れ際に彼氏のシャツを引っ張る彼女のように

追いすがる。彼女など居たこともないけど。リア充爆発しろ。

 

 

そしていつもの1日が始まる。もうたくさんだ。しかし、社会には逆らえない。

 

ならば、あなたたちの望み通り、誰もいない。たどり着いたことのないところまで走ってやる。

 

噂によると、普通の人はブログを始めても、数ヶ月、数年でやめてしまうらしい。

 

常人に馴染めない奴にぴったりの居場所じゃないか。

 

かっこ悪いし、臭いし、見るに耐えなくても、ここで喚き続ければ

 

女神の冷笑くらいはもらえるでしょう。

 

死ぬ気になったことはないから、どういう状態かわからないけど、

 

ブログを書いたら、2週間くらはアホになって何もする気になれない。

 

さぁん!・・・じゃねーよ。

 

文章を書くのって大変なんだ。あなた方から見れば、ただの駄文だろう。

 

でも、書いてる時は楽しいんだ。まるで思想家になった気分。

 

  このまま、死ねないから生きてるだけの人生を続けるのは嫌だ。

 

 

だから、生き絶える最後、生きたくないのに生きた自分を褒めてやれるように

 

言葉だけでも前へ進もう、1cmでも、1mmでもいいから。

 

絶望の中を周り続ける日々から抜け出し、自分を少しでも肯定するために。

 

 

 これだけは譲れないっていう物を心で握りしめて続けていけば

 

クズでもなにかを変えられるってとこ、見せてやんよ。