キリギリスはなぜ死んだ?

ニートに生きる資格を

ブログを続けるのが辛い人に

 

だったらやめちまえ。って思うだろ?

ところが事はそう簡単じゃない。

 

「心の叫び系ブログ」なんて需要がない。

言われなくてもわかってるつもりだった。

僕はまだまだ甘い。

この世界は僕のことなんて、これっぽっちも気にしてなかった。

 

ブログは、人に見てもらうもの

ぼくは、ただ言いたい事を書いてただけ

読んでくれる人のことなんか考えた事もない。

 

そんな記事で人にかまってもらえるはずないよね。

 

だけど「お役だち系」の記事を書ける自信はない。

 

未練を捨て切れずに

この一ヶ月やめるかどうか迷ってた。

でも、僕の心の奥にある何かが叫んでいる。

まだ、どこにも辿りつけてない。

まだ終わりたくない。

君にはくだらない便所の落書きに見えても

このブログは僕の

 

「どうしても伝えたい心の叫び」なんだ。

 

それを消すなんて、できない。

 

孤独な戦いを続ける君へ。

 

またあいつらが「なんだ。お前、まだ生きてたのか。」ってなじってくる。

 

目には見えないけど、襲いかかってくる怪物

 

「社会」

 

「現実」

 

「常識」

 

 

そいつらに一人で立ち向かうしかなかった君を、できるなら助けに行きたい。

 

そんな思いを持って、ブログを続けてみるよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夢を見て初めてわかる。その恐ろしさ。

 

僕は生まれてこの方「夢とか目標」を持ったことがありませんでした。

 

それはきっと、自分が夢を叶えれる器の人間ではない。っていう事を

本能的にわかっていたからかもしれないし、

一番の理由は、夢を追いかけて挫折するのが怖かったから。だと思います。

 

 クズに居場所などない

僕は昔から、プラモデルを作ったり、ブロックでロボットを作ったり

 読書したりといった

 

  一人でする単純な作業が好きでした。

絵を描くのはそれと似ています。

 

 

絵を立体的に見せたくて陰影を描いていく僕。

 

明暗の調整ができなくて、はたから見れば、丸の中を

ただ真っ黒に塗っただけに見えるだろうけど

 

でも、完成した絵を見たとき、

 

それが他人から見れば、ゴミ同然でも

 

なんとなく充実感や言葉にできない感動を覚えました。

 

これはいける。コミュ症で忍耐力のない僕でも、これなら続けられる。

 

ここが、この芸術が、私の魂の場所よ!

 

なぜかマギーさん*1になるほどハイテンションでした。

 

ようやく自分の居場所を見つけた。希望の光を見た。

 とその時の僕は思っていました。

 

それがバカ者の勘違いだとも知らずに。

 

 

 コミュ症に成功は無理。

ある日何の気なしに検索したブログ。

そこに書いてあったのは、僕と同じコミュ症の人が

芸術家になろうして、コミュ症だったがために挫折した記事でした。

 

 その人によれば、

 芸術は絵だけ描いていればいいような甘い世界じゃない。

毎日コネを作りに人の機嫌をうかがいに行かなければいけなかった。

 

 絵を描いていなかった時の僕なら、「そんなもんですよね〜」となって、

終わりだった記事。

 

でもすでに「芸術家」という夢へ向かうため、

努力という高速道路を走り始めていた僕には、

 他人事ではありませんでした。

 

急ブレーキを踏み、勢い余ってその場で横転するような

感覚だったのです。

 

実力が足りないならまだしも、「コネがないから」成功できない・・・

それでは僕が今やっていることはなに?

 

 耳元で「誰か」が囁きます。

いまならまだ引き返せる。と

 

でも、この時の僕は、

  芸術がダメなら、漫画を描けばいいじゃん!

絵が上手くなれば、漫画もかける・・・はず。

 

ようやく掴みかけた希望を捨てるわけにはいかない。

 

誰かからのせっかくの警告を無視し、がむしゃらに突っ走り始めたのです。

 

ぶっちゃけ芸術よりも漫画描く方が地獄。

そんな僕はある日、漫画家を目指し、努力したものの挫折してしまった

人のブログを見つけました。

 

 そこでは、コメントしている人たちまでも、

僕では絶対にできないような血の滲む努力をしていました。

それでも夢を掴めない人が大多数。

 

そこで、ようやく僕は気づいたのです。

 

僕は「絵を描く」ということをなめていたこと。

 

「夢や目標を持つ」事がどれだけ恐ろしいことなのかを

 

デッサン本のお手本の絵を見ればわかります。

 

光が当たっているのは、ほんの少しの面積だけ。

 

むしろ、そこから広がっていく陰の面積の方がはるかに大きい。

 

成功しいる人は本当に一握り

 

その陰にはどんなに 考えて、努力しても、夢を叶えることができず

 挫折してしまった人が大勢いる。

 

だからこそ、

 

光の部分が輝くのだ。と

 

 

クズニートにありがちなことwww

「自分には何か特別な才能がある。何かはわからないけど。」

僕はいつの間にか根拠のない自信を持っていました。

 

今や死語になってしまいましたが、こういう奴のことを、厨二病と言います。

 

ニートというのは自意識過剰になり家に引きこもっていることが多くなります。

部屋の中に一人でいると、変な妄想ばかりするようになり、次第に

 

「俺はまだ本気出してないだけ」という

ひどく自己中心的な思考を持つようになるのです。

 

 

本当に才能がある人がニートになるわけがない。

 

そもそも才能がある人というのは、

 

なりたいものになるための人生設計がちゃんとできていて、しかるべき教育を受け

しっかりと努力して、認められ、デビューしています。

 

少なくとも、僕のようなクズとは違う

 

本当に才能がある人はニートになどなるわけがないのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:PS3ゲーム「アーマード・コア ヴァーディクト・デイ」の登場人物

自分をクズだと思う人たちへの応援歌 aqua timz 決意の朝に。

お題「初めて買ったCD」

 

僕は高校生、17歳のときにその曲と出会いました。

 

読者の皆さんの高校生活はどんなものでしたか?あの頃は良かった〜って方も

もしかしたら、思い出したくもない!って方もいるかもしれませんね。

 

ちなみに三年間ボッチだった僕の高校生活は地獄そのものでした。

 

そんな僕を救ってくれたのが、

 


Aqua Timez 『決意の朝に PVフル』

 でした。

 


 小さい頃から極度の人見知りだった僕は昔から友達を作るのが苦手で

なんとか作った友達とも、進級後のクラス替えで離れてしまい

 新しいクラスの雰囲気にどうしても馴染なかった僕は

誰とも会話のできない日々に、ただでさえ低い言語能力が、

 

どんどん低くなっていき、余計に孤立していってしまいました。

 

当時の僕は「大したことはない。友達がいなくても、死ぬわけじゃない。」

と頭では言い聞かせて強がっていました

 

しかしその後「もうクラス替えがない」ということに絶望し

いっそ死んでしまおうか?と考えることになります。

 

これを読んでいる方はそんなことで大げさな・・・と思われるでしょう。

 

でも

16才の子供の心ににとって、「友達がいない」

というのは、それぐらい辛いことなのだと思うんです。

 

 

 そんなある日

当時公開されたアニメ映画「ブレイブストーリー」のCMのタイアップで

 この曲が流れたのです。

 

「辛い時、辛いと言えたらいいのにな。僕たちは、強がって、笑う弱虫だ。」

 

映画は興味がなかった僕ですが、サビのフレーズがどうしても頭から離れず、

近くのツタヤで買ったのがこのCDでした。

 

「どうせならもう、下手くそな夢を描いていこうよ」というフレーズで始まり、

 

子供が書いたような、でも力づよく、自分を奮い立たせているようなその歌詞は

 

まさに「少年の勇気の物語」にふさわしい曲でした。

 

 

聞いていると一人の少年が、些細なことで折れてしまいそうな

情けない心を必死で支えようとしているような、自分を鼓舞している

ような映像が浮かんできて、

それをどうしても、自分と重ねてしまう僕。

 

この曲と出会わなければ、その後の一人ぼっちの2年間を

 

やり過ごすことは決してできなかったと思います。

 

文頭に貼ったPVで「これは最高の自己肯定の曲だ。」

というコメントをされた方がいました。

 

 僕はそこにもう一言付け加えてこの曲は

 

「最高のボッチ応援歌」だとも思うのです。

 

 

決意の朝に

決意の朝に

 

 

 

 

 

 

 

 

コミュ症は「特別な人間」じゃない。ただのクズだ

目の前のことをしっかりと見ずに調子のっていたおかげで足元をすくわれる。

 

僕はバカだ。何回同じことを繰り返せば、現実と向き合おうとするのだろう?

 

自分の預金を下ろす。これで残額は5000円。

 

暗唱番号は0,7,2,1、閲覧者の皆さん。今がチャンスです。

 

こんなしょうもないギャグを飛ばせるほどに、その時の僕には余裕があった。

 

そう、「その時」までは。

 

帰宅後、人物クロッキーに最適な場所はどこか?とネットで検索していたら、

 

いつのまにか「30秒ドローイング」なるサイトに辿り着いた。

 

これは様々なポーズをした人間が30秒感覚で表示され、

 

それを時間内に書く。という作業を繰り返すことで、

 

絵を描く際に必要な右脳の直感力その他諸々を鍛えるトレーニングである。らしい。

 

試してみたが、とても僕では描ききれない。しかし、これも続けていれば、

 

必ず力になる。これはいいサイトを見つけだぞ。僕はウキウキしていた。

 

翌日、うっかりブックマークするのを忘れた僕は、検索からそのサイトに飛ぼうとした。

 

すると

30秒ドローイング。効果」との検索予測。僕は何の躊躇もなく

 

それを検索してしまった。なぜそこで止めておかなかったんだろう?

 

その選択が、自分を奈落の底へ突き落とすとも知らずに。

 

イラストや絵画の講師たちがその効果を論じているのだが、

 

どの人も口をそろえて言うのは、

 

30秒ドローイングは上級者のウォーミングアップ程度でしかない」

 

「これで描写力は上がらない。むしろ変な癖がついた生徒を矯正するのが大変だった。」

 

「おなぬーに制限時間を設けても、それはおなぬーでしかない」

 

辛辣な言葉が並ぶ。検索しているうちに僕はある疑問を持った。それは

 

「今僕がでやっていることに本当に価値があるのか?」ということ。

 

30秒ドローイングもそうだが、人物クロッキー、写真や漫画を模写ことは

絵を上達させるのだろうか?

 

時刻は夜の1時。答えを知るのは明日のにして、寝てしまえばよかった。しかし気になって眠れなかった。

 

答えを知りたい。今、自分がしていることは無駄じゃない。

 

誰かにそう言って欲しい。そんな欲求があった。

 

そして、出会った。

 

それは昔漫画家になりたかった人のブログだった。

 

それはまるで未来の僕が書いたようだった。

 

その人は20代後半から漫画家になろうと

 

絵を独学で始め、いろんなイラスト教本を見て、

 

漫画を模写し続けた。その期間8年。

 

そこから導き出した結論はこうだ。

 

「模写をしても絵はうまくならない。模写で上がるのは、あくまでも模写力」

 

「模写というのは問題を解かずに回答をカンニングしているだけ。」

 

「漫画が描ける人は、とてつもないセンスの持ち主。一般人とは違う。」

 

「漫画を書いてみるまでは、自分を特別な人間だと思ってた。でもそれは違った。」

 

 

 

今僕がやっていることなんて、くそ以下の自己満足だったのだ。

 

 

ただ自分のカンニングした紙くずを自画自賛して、「天才だ」と思い込もうとした。

 

そもそも暇つぶしをするくらいなら働けよ。って話だ。

 

それができなかったのは、

 

僕がただ、再び社会に出て、自分に何の価値もない人間だという現実を

 

思いださせられるのが怖かっただけ

 

よくテレビやネットで才能がある人はコミュ症だったなんて

 

文句を都合のいいように歪曲して、自分を慰めていただけ

 

 

よくコミュ症の奴が、周りと馴染めない自分を特別な人間だと思っているが、

あれは勘違い。

 

コミュ症は特別な人間じゃなくて、一般人以下のクズだ

 

そんなの一般常識だろって君は思うだろう?

 

でも僕はバカだから、それがわかるまで26年もかかってしまった。

 

この記事ももっと短くして、見てくれる人に読みやすいようにしたかったが、

 

いつもの内容もオチもない駄文をだらだらと続ける物にってしまった。

 

せっかく読んでくれた人には大変申し訳なく思う。

 

なんで、僕はこんなにバカなんだろう。

 

 

僕が仕事ができなかったのはおなぬーのせいだったのね。

1日、なぜ僕はオナ禁失敗したのかを

考えていた。

フランス, レユニオン島, 庭, 石の階段, ロダンの考える人, 裸の男

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さらばSMAPあとWAT

お題「SMAP」

「いつまでも、あると思うな親と金」

いつまでも親が面倒をみてくれるわけではなく、親はいつか死ぬものであり、あると思っていても金は使えばなくなってしまうという意味から。
人は誰かに頼る心を捨て、節約して生きていけということ

 

という、ニート達を戒める昔の人たちからのありがたい名言である。

そう、いつまでもいると思っていた、生きていて当たり前だと思っていた人も

人間である。生き物なのである。生きているということは死んでいくのである。

いつかぼくが大人になったら車に乗せてもらうんだ。とにこやかに語っていたあの人も

もう夢の中でしか会えない。車に乗せるどころか仕事すらしていない。

ぼくはなんでこうなのだろう?ぼくが誰かと別れる時はいつも最悪の分かれ方しかしていない。

なにが言いたいかというと、

この世には永遠に続いていくものなどないということ。

ぼくが子供の時からあって、ずっと続いていくとおもっていた物

こち亀ですら今年で終わりだし、国民の象徴をライフワークにしている方さへ

退職届をだし。

中でもぼくが驚いたのはあの国民的アイドル

SMAPが解散してしまう。

というニュース

 

そもそもぼくがsmapと出会ったのは幼稚園生の頃、運動会で年長生が

smap青いイナズマをbgmに踊っていたのが始まりだ。

当時のぼくも幼稚園児なりに「青いイナズマって・・・なんだ・・・?」

と思っていたが、当時はそういうちょっと意味ないけど、語呂のいいワード

個性のある言葉が流行ったのだ。

PUFFYアジアの純真とかね「白のパンダをどれでも全部ならべて〜」

とにかくsmapは数々のヒット曲、ぼくは特にライオンハート」が好きだ。テレビ、映画に出演し

ぼくも月曜のSMAPSMAPを毎週見ていた。

5人の中で、思い入れの深いのが香取慎吾である。

毎週土曜日の「サタ☆スマ」は必ず見ていたし、彼が扮するキャラクター

慎吾ママ怒られ侍が大好きだった。

思えば90年代のフジテレビは面白かった。今は見る影もないが

まぁ子供の頃の思い出補正ってヤツだろう

バラエティーだけじゃなく、ドラマ、映画でも、思い出に残るものは多い。

例えば2000年に放送された

合言葉は勇気

2000年に上映された映画、

ジュブナイル

は子供の頃のぼくの心にクリーンヒットした作品だ。

2002年に放送された

人に優しく

では突然見知らぬ子供を預けられた元不良の青年前田前を好演し

2004年に放送された、

新撰組!

はぼくが唯一全話見た大河ドラマだった。

たくさんの出演作があるけれど、やはり一番は99年に放送された

古畑任三郎 VS SMAP

だろう。

ぼくはビデオにダビングして

当時は小学校も土曜日まで授業があり、早く帰れた日にはカップヌードルカレー味

を食べながら、お昼に見るのが好きだった。

思い出をいいだせばきりがないが、それくらい彼らは、昔からいて、ずっと続く、

終わるなんて在り得ないと思っていた、

しかし、彼らも「人形」ではなく「人間」である、表舞台で見せる笑顔の裏に決して語られない苦悩があったのだということをぼくは考えていなかった。

解散騒動の初期の頃にネットで

「アイドルなんて会社の売り方がいいだけだろ」という意見がある。

「国会ではもっと大事なことが決まっているッていうのに、たかが、アイドルごときのことを騒いでいる国。あほくさ」

という勘違いエセインテリくん 冷静な意見をいう人もいる

確かにそういう側面はある。

しかし、ただ売り出し方がうまいだけのグループが20年近くもファンに愛されるだろうか?

ぼくはそれだけではなく、彼らは、スターとして、天性のものと、努力を怠らなかった。

「唯一無二のそして、彼らだからこそのSMAP」だったと思う。

解散本当に残念です。

 

P,S今年解散したグループにWATもいるんですが、ウエンツと小池鉄平くんのことも

思い出してあげてください。

 

自分は自分自身にしか救えない。

 

救いを他人に求めるのはやめろ。どこにいるかもわからないような人間に

君は救えない。よくある言い方だが、自分は自分にしか救えない。

己の苦悩を他人に語っても誰もそんなこと聞きたがらない。

誰もが救いを求めている。しかし誰かを救おうとは思わない。

そもそも他人を救うという考え自体が傲慢で自意識過剰だ。

もし喜んで聞くような輩がいればそいつは大概弱みを握るような輩だ。

それが人の世の常だ。

孤独を否定するな。むしろそれを受け入れ、

引き連れ、味方にするんだ。

苦痛や痛みなしに何も手に入れることはできない。

それを否定するやつらこそイカている。

人は独りでは生きられない。しかし人は独りで立ち上がるしかない。