キリギリスはなぜ死んだ?

社会に、いらね。と言われた奴の最後のあがき

怒りが抑えられない。癇癪持ちで悩む人へお勧めの対処法。

過去の自分では考えられないくらい怒りっぽくなった。

異常と言えるほど怒鳴り散らすようになった。それ、

「不定期型うつ病じゃない?

 

www.depression-w.com

 

癇癪(かんしゃく)持ち、と言えばわかりやすいかもしれない。

 

我慢だ。我慢だ。我慢だ。ひたすら自分に

言い聞かせてたら、頭の奥で何かが切れた。

それから怒りが抑えられない。

別の職場に行っても、治らない。

だんだん社会に出るのが怖くなっていく。

いっそ電車にダイレクトアタックして

獣はいても、のけ者はいない職場に転職したい。

 

 

対処法。

arinopapa.arinomamachurch.com

この記事によると、

もう一人の自分。AIBOを作ろう。

  • 心の中に、もう一人の自分、相棒をつくる。

怒りそうになったら、二人で相談する。ここで怒ったらその後どうなる?
ここで怒っていいのか?

  • 相棒に自分を客観視してもらう。

例えば相棒に怒り狂っている自分を「観察」してもらうことで、
バカなことしてんな〜と笑ってもらう。そうしているうちに自分で笑えてきたら

成功だ。

  • 精神科に行く。

僕は絶対行かないけど、医者にかかったほうがいいのかもしれない。

 

嫌なことから逃げる。

僕が働いていた頃は、「嫌なことは我慢しろ」しかなかった。

でも最近は、

心が壊れる前に逃げる」

という選択肢が市民権を得ようとしている。

 

踏みとどまろうが、逃げ出そうが、どうせ罵倒されだけなら、逃げだしたほうがいい。

僕はそう思う。

 

心が壊れてたとしても、社会があなたを救ってくれることはないのだから。

文章が書けない人必見!文章力アップの4つのポイント。

書けない!書けない!書けない!言葉がちっともでてこない!

やっぱりブログなんて向いてなかったんだ。・・・・

作文すらまともに書けないのに

文字数を埋めるため、19xx年〜地球が〜とか書きだしていた

北斗のザコをぶっ飛ばしてやりたい

やっとこさ出来上がったとしても、

そこにはクソがそびえ立っているだけ

でも、まだやめたくない。

 

なので今回は、「なぜ文章が書けないのか」を考えてみる。

 

  • 書けない原因。

↓の記事によると

第1回 なぜか文章が書けない5つのパターン|gihyo.jp … 技術評論社

 

 

 

「執筆前の段階で,書くべき内容が適切に絞り込めていない」から。

 

もう一つは

 

私は実を言うと小学生や中学生の時まったく文章を書くことができなかった。 理由は、ただ書けなかっただけだ。

文章が書けない人に教える3つのこと!無理してアドバイスするのは逆効果!! - 幽閉図書館

 文章を書いた事がないから。

 

 

 

  •  なぜバカっぽいのか?

 

教養がない人の文章には6つの特徴がある

 

2017/04/26 17:36

    つまり

  • 本を読まないから。
  • 書き上げた文章を見直していない。

  なのだと。

 

  • どうすれば書けるようになるのか?

 これらをまとめると、文章力を上げるためには、

 

「テーマと全体の構成を考える」

 書く前に「書きたいテーマ」が何か。その文章の構成も考えて見る。

 

「本をたくさん読む」

どんな構成になっているか?書き始めにどんな文が使われているか?をみる。

 

文章を推敲(すいこう)する

書き上げた文から一旦離れて、しばらくたってから見直す。

そこで、テーマから外れた文はないか?なくてもいい文節はないか?

重複した表現はないか?誤字はないか?を確認する。

 

「文章をたくさん書く。」

しかないらしい。

 

いや結局書くしかないんか〜い。

と思ったが、やっぱり一筋縄ではいかないね。

 

  • 終わりに

書く内容に困り果て、検索した結果をただ貼っただけのコピペ記事になってしまった。

 

正直書いた本人ができていない気もする。これじゃわかんねーよって人は、

自分で調べるのが一番いいと思う。

 

それでも、書けない悩みを抱えてる人に少しでも参考になれば

 

ないな。うん。

 

動物園は廃止すべきか?

小さな檻を取り囲み、バズーカみたいな筒がついたカメラ

狙撃するゴルゴのような鋭い目線で構える男たち、彼らがねらうのは、

今話題のアイドルサーバルだ。

 

f:id:senbeibj59634hu:20170425002326p:plain

明らかに他の展示より人が集まっていた。向かいにあるチーター小屋は

まるで人気がない。

流行りモノと一生関わることはない。と思っていたけど

人生はわからない。もしDVDがでたなら、見てみよう。

 

 

  • 動物園は廃止にするべきか

子供たちが手製のしおりに夢中で動物の生態を書き込んでいた。

それを見ていると、自分にもこういう時期があったな。と思い返す。

動物園は経営難と聞くが、

個人的にはこれからも続いて欲しいと思う。

www.arcj.org

しかし、廃止にしろ。という声もあるのは確かだ。

 彼らによれば、動物園は動物を監禁していて、

子供たちに間違った倫理観を植え付ける、らしい。

 

だが、これは人間の見方しだいな気がする。

ある角度から見れば「飼育」だし、

またある角度から見れば、「監禁」に見えなくもない。

 

一番いいのは、

f:id:senbeibj59634hu:20170425004311p:plain

を連れてきて、直接聞いてみること。

しかし、彼女の能力自体ヤラセ疑惑があり、微妙なところである。

 

 

そもそも人間自体、幸せの定義はわからない。

なのに動物の幸せがわかるはずもない。

ぶっちゃけ何もしていなくても、餌がもらえる彼らは

ニートより良い生活をしているのでは?と思ってしまう。

 

休日のおっさんのように寝そべって毛づくろいを

受けている猿に

 

 何が君の幸せ? と聞いてみたかった。

 

 

 

人がいないところに住みたい。

 

幸せに見える人ほど、実は不満が多い。そのはけ口は

 

ひとりぼっちの奴に向かう。

 

 

 

集団の中で劣っている。他人に合わせられない。

 

それに、ここまで心をすり潰されるとは。

 

怒られないようと道の端っこを歩いていたけど

 

世間はどこ見て歩いてんだ?と噛み付いてくる。

 

一体何が気に入らないのか?

 

劣っている人間は生きる権利すらないのか?

 

 

僕らは他人がいる世界では生きてはいけない。

 

一人で生活できる力はない。

 

それでも、人がいない世界に住みたい。

 

 

 

 

 

 

夢を見て初めてわかる。その恐ろしさ。

 

僕は生まれてこの方「夢とか目標」を持ったことがありませんでした。

 

それはきっと、自分が夢を叶えれる器の人間ではない。っていう事を

本能的にわかっていたからかもしれないし、

一番の理由は、夢を追いかけて挫折するのが怖かったから。だと思います。

 

 クズに居場所などない

僕は昔から、プラモデルを作ったり、ブロックでロボットを作ったり

 読書したりといった

 

  一人でする単純な作業が好きでした。

絵を描くのはそれと似ています。

 

 

絵を立体的に見せたくて陰影を描いていく僕。

 

明暗の調整ができなくて、はたから見れば、丸の中を

ただ真っ黒に塗っただけに見えるだろうけど

 

でも、完成した絵を見たとき、

 

それが他人から見れば、ゴミ同然でも

 

なんとなく充実感や言葉にできない感動を覚えました。

 

これはいける。コミュ症で忍耐力のない僕でも、これなら続けられる。

 

ここが、この芸術が、私の魂の場所よ!

 

なぜかマギーさん*1になるほどハイテンションでした。

 

ようやく自分の居場所を見つけた。希望の光を見た。

 とその時の僕は思っていました。

 

それがバカ者の勘違いだとも知らずに。

 

 

 コミュ症に成功は無理。

ある日何の気なしに検索したブログ。

そこに書いてあったのは、僕と同じコミュ症の人が

芸術家になろうして、コミュ症だったがために挫折した記事でした。

 

 その人によれば、

 芸術は絵だけ描いていればいいような甘い世界じゃない。

毎日コネを作りに人の機嫌をうかがいに行かなければいけなかった。

 

 絵を描いていなかった時の僕なら、「そんなもんですよね〜」となって、

終わりだった記事。

 

でもすでに「芸術家」という夢へ向かうため、

努力という高速道路を走り始めていた僕には、

 他人事ではありませんでした。

 

急ブレーキを踏み、勢い余ってその場で横転するような

感覚だったのです。

 

実力が足りないならまだしも、「コネがないから」成功できない・・・

それでは僕が今やっていることはなに?

 

 耳元で「誰か」が囁きます。

いまならまだ引き返せる。と

 

でも、この時の僕は、

  芸術がダメなら、漫画を描けばいいじゃん!

絵が上手くなれば、漫画もかける・・・はず。

 

ようやく掴みかけた希望を捨てるわけにはいかない。

 

誰かからのせっかくの警告を無視し、がむしゃらに突っ走り始めたのです。

 

ぶっちゃけ芸術よりも漫画描く方が地獄。

そんな僕はある日、漫画家を目指し、努力したものの挫折してしまった

人のブログを見つけました。

 

 そこでは、コメントしている人たちまでも、

僕では絶対にできないような血の滲む努力をしていました。

それでも夢を掴めない人が大多数。

 

そこで、ようやく僕は気づいたのです。

 

僕は「絵を描く」ということをなめていたこと。

 

「夢や目標を持つ」事がどれだけ恐ろしいことなのかを

 

デッサン本のお手本の絵を見ればわかります。

 

光が当たっているのは、ほんの少しの面積だけ。

 

むしろ、そこから広がっていく陰の面積の方がはるかに大きい。

 

成功しいる人は本当に一握り

 

その陰にはどんなに 考えて、努力しても、夢を叶えることができず

 挫折してしまった人が大勢いる。

 

だからこそ、

 

光の部分が輝くのだ。と

 

 

クズニートにありがちなことwww

「自分には何か特別な才能がある。何かはわからないけど。」

僕はいつの間にか根拠のない自信を持っていました。

 

今や死語になってしまいましたが、こういう奴のことを、厨二病と言います。

 

ニートというのは自意識過剰になり家に引きこもっていることが多くなります。

部屋の中に一人でいると、変な妄想ばかりするようになり、次第に

 

「俺はまだ本気出してないだけ」という

ひどく自己中心的な思考を持つようになるのです。

 

 

本当に才能がある人がニートになるわけがない。

 

そもそも才能がある人というのは、

 

なりたいものになるための人生設計がちゃんとできていて、しかるべき教育を受け

しっかりと努力して、認められ、デビューしています。

 

少なくとも、僕のようなクズとは違う

 

本当に才能がある人はニートになどなるわけがないのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:PS3ゲーム「アーマード・コア ヴァーディクト・デイ」の登場人物

自分をクズだと思う人たちへの応援歌 aqua timz 決意の朝に。

お題「初めて買ったCD」

 

僕は高校生、17歳のときにその曲と出会いました。

 

読者の皆さんの高校生活はどんなものでしたか?あの頃は良かった〜って方も

もしかしたら、思い出したくもない!って方もいるかもしれませんね。

 

ちなみに三年間ボッチだった僕の高校生活は地獄そのものでした。

 

そんな僕を救ってくれたのが、

 


Aqua Timez 『決意の朝に PVフル』

 でした。

 


 小さい頃から極度の人見知りだった僕は昔から友達を作るのが苦手で

なんとか作った友達とも、進級後のクラス替えで離れてしまい

 新しいクラスの雰囲気にどうしても馴染なかった僕は

誰とも会話のできない日々に、ただでさえ低い言語能力が、

 

どんどん低くなっていき、余計に孤立していってしまいました。

 

当時の僕は「大したことはない。友達がいなくても、死ぬわけじゃない。」

と頭では言い聞かせて強がっていました

 

しかしその後「もうクラス替えがない」ということに絶望し

いっそ死んでしまおうか?と考えることになります。

 

これを読んでいる方はそんなことで大げさな・・・と思われるでしょう。

 

でも

16才の子供の心ににとって、「友達がいない」

というのは、それぐらい辛いことなのだと思うんです。

 

 

 そんなある日

当時公開されたアニメ映画「ブレイブストーリー」のCMのタイアップで

 この曲が流れたのです。

 

「辛い時、辛いと言えたらいいのにな。僕たちは、強がって、笑う弱虫だ。」

 

映画は興味がなかった僕ですが、サビのフレーズがどうしても頭から離れず、

近くのツタヤで買ったのがこのCDでした。

 

「どうせならもう、下手くそな夢を描いていこうよ」というフレーズで始まり、

 

子供が書いたような、でも力づよく、自分を奮い立たせているようなその歌詞は

 

まさに「少年の勇気の物語」にふさわしい曲でした。

 

 

聞いていると一人の少年が、些細なことで折れてしまいそうな

情けない心を必死で支えようとしているような、自分を鼓舞している

ような映像が浮かんできて、

それをどうしても、自分と重ねてしまう僕。

 

この曲と出会わなければ、その後の一人ぼっちの2年間を

 

やり過ごすことは決してできなかったと思います。

 

文頭に貼ったPVで「これは最高の自己肯定の曲だ。」

というコメントをされた方がいました。

 

 僕はそこにもう一言付け加えてこの曲は

 

「最高のボッチ応援歌」だとも思うのです。

 

 

決意の朝に

決意の朝に

 

 

 

 

 

 

 

 

コミュ症は「特別な人間」じゃない。ただのクズだ

目の前のことをしっかりと見ずに調子のっていたおかげで足元をすくわれる。

 

僕はバカだ。何回同じことを繰り返せば、現実と向き合おうとするのだろう?

 

自分の預金を下ろす。これで残額は5000円。

 

暗唱番号は0,7,2,1、閲覧者の皆さん。今がチャンスです。

 

こんなしょうもないギャグを飛ばせるほどに、その時の僕には余裕があった。

 

そう、「その時」までは。

 

帰宅後、人物クロッキーに最適な場所はどこか?とネットで検索していたら、

 

いつのまにか「30秒ドローイング」なるサイトに辿り着いた。

 

これは様々なポーズをした人間が30秒感覚で表示され、

 

それを時間内に書く。という作業を繰り返すことで、

 

絵を描く際に必要な右脳の直感力その他諸々を鍛えるトレーニングである。らしい。

 

試してみたが、とても僕では描ききれない。しかし、これも続けていれば、

 

必ず力になる。これはいいサイトを見つけだぞ。僕はウキウキしていた。

 

翌日、うっかりブックマークするのを忘れた僕は、検索からそのサイトに飛ぼうとした。

 

すると

30秒ドローイング。効果」との検索予測。僕は何の躊躇もなく

 

それを検索してしまった。なぜそこで止めておかなかったんだろう?

 

その選択が、自分を奈落の底へ突き落とすとも知らずに。

 

イラストや絵画の講師たちがその効果を論じているのだが、

 

どの人も口をそろえて言うのは、

 

30秒ドローイングは上級者のウォーミングアップ程度でしかない」

 

「これで描写力は上がらない。むしろ変な癖がついた生徒を矯正するのが大変だった。」

 

「おなぬーに制限時間を設けても、それはおなぬーでしかない」

 

辛辣な言葉が並ぶ。検索しているうちに僕はある疑問を持った。それは

 

「今僕がでやっていることに本当に価値があるのか?」ということ。

 

30秒ドローイングもそうだが、人物クロッキー、写真や漫画を模写ことは

絵を上達させるのだろうか?

 

時刻は夜の1時。答えを知るのは明日のにして、寝てしまえばよかった。しかし気になって眠れなかった。

 

答えを知りたい。今、自分がしていることは無駄じゃない。

 

誰かにそう言って欲しい。そんな欲求があった。

 

そして、出会った。

 

それは昔漫画家になりたかった人のブログだった。

 

それはまるで未来の僕が書いたようだった。

 

その人は20代後半から漫画家になろうと

 

絵を独学で始め、いろんなイラスト教本を見て、

 

漫画を模写し続けた。その期間8年。

 

そこから導き出した結論はこうだ。

 

「模写をしても絵はうまくならない。模写で上がるのは、あくまでも模写力」

 

「模写というのは問題を解かずに回答をカンニングしているだけ。」

 

「漫画が描ける人は、とてつもないセンスの持ち主。一般人とは違う。」

 

「漫画を書いてみるまでは、自分を特別な人間だと思ってた。でもそれは違った。」

 

 

 

今僕がやっていることなんて、くそ以下の自己満足だったのだ。

 

 

ただ自分のカンニングした紙くずを自画自賛して、「天才だ」と思い込もうとした。

 

そもそも暇つぶしをするくらいなら働けよ。って話だ。

 

それができなかったのは、

 

僕がただ、再び社会に出て、自分に何の価値もない人間だという現実を

 

思いださせられるのが怖かっただけ

 

よくテレビやネットで才能がある人はコミュ症だったなんて

 

文句を都合のいいように歪曲して、自分を慰めていただけ

 

 

よくコミュ症の奴が、周りと馴染めない自分を特別な人間だと思っているが、

あれは勘違い。

 

コミュ症は特別な人間じゃなくて、一般人以下のクズだ

 

そんなの一般常識だろって君は思うだろう?

 

でも僕はバカだから、それがわかるまで26年もかかってしまった。

 

この記事ももっと短くして、見てくれる人に読みやすいようにしたかったが、

 

いつもの内容もオチもない駄文をだらだらと続ける物にってしまった。

 

せっかく読んでくれた人には大変申し訳なく思う。

 

なんで、僕はこんなにバカなんだろう。