キリギリスはなぜ死んだ?

社会に、いらね。と言われた奴の最後のあがき

シェフ 三ツ星フードトラック始めました。 キューバサンドイッチが食べたい!

 


映画『シェフ 三ツ星フードトラック始めました』 予告編 2015年2月28日(土)公開

 

アイアンマンの監督が、本当に撮りたかった映画。

普通、ハリウッドアクション超大作を撮った。となれば、それで満足してしまいそうな

ものだが、彼の場合は違ったようだ。

そう。予告編で主人公、カールを演じる中年が、

 自ら、監督、脚本、主演をしてしまったジョン・ファヴロー氏その人である。

凄まじい情熱だ。スタローンか。あなたは。

かのスタン・リー御大でさえ、出演するときは

いつもちょい役だというのに。

もし、ファヴロー氏と顔を合わせたなら

「お前、自重しろwww」と突っ込まれるだろう。

 

しかし

自分の出したいメニューを出せず、オーナーの指示に従う毎日に嫌気がさし、

一流レストランをやめて、オンボロフードトラックで再スタート。

 というストーリーは、ファヴロー氏の自分語りっぽいというか

大ヒット映画の監督だったにもかかわらず

一見地味(失礼)な作品を作る。というストーリーは

人任せにしたくなかったのかもしれない。

 

いわゆる、飯テロ系の作品にあまり興味がないが、この作品は面白かった。

それは、主人公、カールが消費者サイドの人間ではなく、シェフという

「何か」を作る側の人間だったからかもしれない。

ただ、食べるだけではなく、それを作る人、料理人の考え方、食べてくれる人の

事を思う事。それが、見ていてとても楽しい作品になっている。

 

この映画を見たあなたは、次に、キューバサンドイッチが食べたい。と言う。

絶対。

 

 

 

 

 

 

あらすじとネタバレしかないよ。

前半を見てくれた方は、ツタヤに走っただろう。まぁ今は、huluやら

便利な映像サービスがたくさんあるので、一概には言えないが。

ちなみにぼくは未だにツタヤレンタル派である。自分が育った文化に執着し

便利な物に乗り換えようとしない。懐古厨とはこの事か。としみじみ感じる。

 

一応ここまで見てくれた人に、ありがた迷惑にもあらすじを書いておこう。

こんな物を見るより、借りた方が早いのだが。

 

あらすじ

ロサンゼルスの一流料理店の厨房を仕切る料理長、カールは

近く来店する大物料理評論家を驚かせるために、それまで人気だったオーソドックスな

料理ではなく、自らの創作料理で勝負しようとする。

 

しかし、店の権利を持つオーナー*1に冒険せず、堅実な手で攻める事を強制され、

怒りながらも、しぶしぶ指示に従う。

その結果、評論家から、「天才、カール・キャスパーの才能は尽きた」

ツイッターで酷評され、SNSに不慣れなカールは、ダイレクトメールで

「ぶっ◯すぞ!」的文面を送ってしまう。当然、カールの発言は、炎上し

事態を収束するために、再来店した評論家に怒りをぶつけてしまう。

間の悪い事に、これがyoutubeに投稿され、拡散。

あちこちから、カールを非難する声が上がり、彼は店を解雇され

再就職しようにも、騒ぎが原因で誰も雇ってはくれない。

 

ふてくされていたカールの姿にいたたまれなくなった元妻、イネズの提案で

あまり距離が近くない息子、パーシーとのふれあいも兼ねて

故郷、マイアミを訪れる。

そこで、キューバ人移民が持ち込み、今やソウルフードとなった

キューバ・サンドイッチと出会ったカールは

「これをフードトラックで売れば、人気がでる!」

と確信する。

こうして、カール達の本当に美味しい物とはなにか?を知るための旅が始まった

のだった。

 あぁ腹が減った・・・

とにかく、出てくる料理が本当にうまそうに描かれている。

これを書いている間にも思い出したら腹が減ってきた。

しかし、キューバサンドイッチを販売している店は3件だけ。

これは困った。と思ったら、ネットにレシピが載っていた。

料理好きな方は、作ってみてもいいかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:一瞬しか出てこないがダスティン・ホフマンが演じている。彼は、HEATでも序盤で瞬殺される銀行の警備員だったりする。仕事を選ばない人なのかもしれない。

汎用瓶詰決戦生姜 桃屋 きざみしょうがを語ろう。

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「圧倒的じゃないか。桃屋は。」

 

たった一本の小瓶に詰められた無限の可能性に出会えた有り余る幸福感。

そして、今までこのMy most favoriteおかずを知らなかった悔しさがない交ぜになり、去年、大掃除をした際、掃除をサボったせいで、若干埃っぽい天井を

仰ぎみながら、ぼくは呟いた。

 

センベイ家の食卓は(といってもぼく個人だが)は、危機にあった。

ご飯にかけるおかずがマンネリから抜け出せずにいたのである。

 

ふりかけ類も大体試したし、卵かけご飯も素晴らしいが、だいぶ飽きてきた。

納豆はネバネバしてめんどくさい。一体どうすれば・・・・

まさか、ご飯をおかずにするわけにもいかないし。

 

そう悩みながら、スーパーの調味料コーナー

で、俺たちのおかずラー油 と出会った。

 

ラー油の味を覚えてしまったら、もう、他のおかずには戻れない。

ぼくとおかずラー油の官能的な愛の日々が始まった。

ときに優しく、ときに激しく、3食欠かさずに交わるぼくとおかずラー油。

若気のいたり。と言われたらそうかもしれない。

しかし、あの瞬間の僕らは、確かに愛し合っていた。

それがどれだけ、刹那的な快楽だったとしても。

しかし、幸せな日々は、もろく、拍子抜けするほどあっけなく崩れ去った。

その日、ぼくは、いつものように、ラー油とまぐわろうした。

まだ、蓋を開けただけだというのに、瓶からは、油があふれだし、

フライドガーリックの匂いが、オスの本能をかきたてる。

ぼくは冷静にスプーンをラー油のそそぎ口に突っ込み、

激しくかき混ぜた。慌てるのはまだ早い。恍惚に浸るためには、しっかりとした

前準備がいるのだ。

ラー油とフライドガーリックが完全に混ざり合い、もはや我慢できないと、

身震いするラー油。いよいよだ。

間髪いれず、ラー油をご飯に注ぎ込み、口に運ぼうとしたその時、

「あんた、またそれ食べんの?正直、臭いんだけど」

 

なぜ、そこに・・・お母さん

ぼくらの情事に割って入った母親。忘れていた。彼女は、吸血鬼か。ってぐらい

ニンニクが大の苦手だったのだ。

そうして、愛に理解のない大人の手で、ぼくとラー油はいとも簡単に引き裂かれ

ぼくの食卓には、また、ふりかけのバラエティーセットをローテーションする日々が

戻ってきた。確かに、他のおかずたちは、どれも魅力的であった。しかし、

俺たちのおかずには遠く及ばない。

「おおおかずラー油。あなたはどうしてガーリックなの。」

この時のぼくは、「平井堅の瞳を閉じて。」を聞きながら

ラー油を失った悲しみに打ち拉がれていた。

 

朝目覚めるたびに、君の空き瓶が、不燃ゴミに詰まってる。

辛みを感じたいつもの食卓が、冷たい。

 

苦笑いをやめて、臭い納豆を、食。べ。よ。う。

使いづらいパック。ぼくと、上についてるビニールとの追いかけっこだ。

 

全てが、虚無といっていい毎日。

何度も、スーパーの同じコーナを見つめる。そこには、ラー油が何食わぬ顔で

陳列されていた。しかし、ぼくはそれを手に取る事は出来ない。

ぼくらの間を分かつ溝は、もう修復する事は出来なかった。

 

 今を生きるんだ。

ラー油を失って、はや3週間。ぼくは、ぽっかりと空いた穴を埋めるかのごとく

違うおかずをとっかえひっかえにしていた。

しかし、どのおかずもぼくを満たす事は出来ない。やはり、ラー油には程遠い。

以前はあんなに足しげく通っていた、おかず海苔ランドも、商売っ気が見え隠れして

楽しくはなかった。

 

そんなある日、未練がましく、訪れたスーパーで彼女と出会った。

桃屋 きざみしょうが 110g

桃屋 きざみしょうが 110g

 

 

一見地味な、しかし近場では絶対出会えないような、初期の北乃きいのごとき

佇まいでそこにいた。

 

半信半疑で彼女を食卓に乗せるぼく。ふたを開けても、ガーリックの匂いはしない。

しかし、この感覚は・・・どこかで・・・

しょうがとご飯をまぜ、口に運ぶ。そして・・・・

どうしてだろう。泣いていた。

 それは、私の事は忘れて、現在の幸せを生きてください。

という、ラー油からのメッセージだった。

 

 圧倒的な汎用性。

 きざみしょうがを語る上でその汎用性を外す訳にはいかないだろう。

彼女は、味噌汁、冷奴、ご飯はもちろん、チャーハンや、サラダの具、

はてはしょうが焼きまでカバー出来てしまう。

その姿はまるで、圧倒的な劣勢を覆したジオンの名機である。

ぼくがこの時期おすすめなのが、そうめんのつゆに入れる方法で、そうめんの手軽さと

相まって、はしが止まらない。最高の組み合わせである。

 

もはや中毒。

ぼくは、一週間ほどで一瓶をあけてしまう。3日ほどしょうがを摂取しないと

体に悪寒がはしり、思考がまとまらず、震えが止まらなくなるが

けっして中毒ではない。

 

とりあえず、きざみしょうががあれば、どんなものでもうまくなる。

それは間違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 

好きな事だけやってる訳にはいかないよね。

絵を描くのは好きだよ。それがただの模写でも

まぁ、本気で絵を描いている人から比べたら、模写は絵を描くとは言えないな。

ぼくはどこまでいっても、この、カースト制度から逃れられないみたいだ。

他人と比べ出したら、きりがないし、本気で書いてる人、ましてプロから比べたら、

鼻くそいかの出来なのはわかっているけれど、

自分の好きな事してる時は、

時間が経つのが早いし、やっていて、楽しい。

でも、楽しいと思える事だけやっていれば生きていけるほど、人生は甘くない。

 

腹が減った。

体が警告する。現実に引き戻す。絵で腹は膨れない。食べるためには、金が必要だ。

クズが金を得るためには、働かなくてはならない。

もし、始めるのがあと5年早かったら、どうだろう。

今頃諦めがついて、社会に適応できていたかもしれない。

スタートが遅すぎた。あぁ、また後悔が増えた。

 

嫌いな事でも我慢しなくては、それが生きて行く。って事なんだ

苦しい事、悲しい事、それを背負って歩いてくのが生きて行くって事なんだ。

でも、そうまでして、生きていかなきゃいけない理由がわからない。

もし金があれば、うんと遠くまでいくのに。帰ってこれなくていい。

もう一度、海がみたいな。天国に近づくために。

最後にほんの少し彼らを遠巻きに見るだけでもいいんだ。

ぼくは天国にいけそうもないから。

もし今、死んでしまっても、ぼくがいく先に知り合いはいないのか。

なんて事だ。生きている間も、死んだ後も一人ぼっちか。

 

現実は灰になるだけ

だが、天国や地獄がある。という前提で話をするのは、危険ではないか?

デスノートのラスト。死んだら、何もない。死んだら、無だ。

でも、身近な人々が、もし明日いなくなってしまったら?

消えてしまうなんて考えたくない。どこかで存在していてほしい。

だから人間は救いを求めて、ありもしない王国を作った。

そして、それを商売にする連中が現れた。

奴らの、へばりつくような笑顔が忘れられない。笑ってるんだぜ。

人の死体のそばで。まるで、お面をかぶっているみたいに。

その光景はどんな怖い話を聞かされるよりも、不気味だった。

 

もはや、短期のバイトすらしたくない。年々、心が怠け者になっていくのを感じる。もう嫌だ。もう嫌だ。辛い。辛い。辛い。辛い。

死にたい。どうしようもなく、死にたい。そんな言葉しかない。どうしようもない。

 

辛い。明日が来るほど、なんの進展もなく、一日を消費し、明日だったものが、

昨日になるのが辛い。本当にどうしようもなく。そんなゴミが、降り積もって

一年になってしまうことが、辛い。どうすればいいのか考えても

答えがないことが、辛い。

 

辛い。苦しみや不安ばかり増えていく未来が、辛い。未来。何もない

明日が来ることが怖い。

こんなことならいっそ終わらせてしまいたい。

 

幸福だった過去の出来事ばかり思い出す。

辛いことばかりの未来なんていらない

希望がない。明日がない。

限界だ。それはぼく自身か。それとも、この国か。

わかってる。ぼくは自分がクソなのを、大きな枠組みにして

ごまかそうとしているだけ。

でも、そんな分かりきったこと、書いてどうする?

この世界は続く。ぼくがいなくても、なんの問題もなく

ぼくが存在しようが、しなかろうが、世界はなんら困らない。

ぼくにとって、一番の不幸。

 

 

 

 

 

人生の重さに耐えられない。現実には逆らえない。


Linkin Park & Kiiara 新曲「Heavy」日本語訳 歌詞 lyrics

まるで、ぼくの頭の中を回っている得体の知れないモヤモヤを的確な言葉にした

ような曲だ。

 

重い。とにかく全てが。自分に降りかかる全ての物が。重い。耐えられない。

世界の全てが僕を否定するために動いているように感じる。

重い。重力に逆らえない。重い。重い。重すぎる。自分を取り巻く全てが、僕に

重たくのしかかる。辛い。とても、辛い。

自分は何がしたかったんだろう?いつから?いつまでも。いつかきっと良くなる。いい方向に必ず行く。なんの根拠もなくそんな夢物語にすがっていた自分を殴り跳ばしてやりたい。なんで。そんな。何も行動すら起こさないのに。いったいなぜ?

なぜ良くなると思っていたのか?本当はわかっていた。良くなどならない。僕はここから出られない。一生。何も。なんでもないさ。どうでもいい。

どうすればいい?そんな事誰かに聞いてどうする?みんなわかりっこない。

他人に救いを求めるな。僕がこんな場所に流れ着いたのは、他力本願が原因だって、

自分で一番わかってるだろ?もういい加減にしろ。いい加減理解しろ。

でも、ここからどうすればいいのかすら、自分でもわからない。

 

僕は、イカれてる。イカれてる自覚がある。でも、それを治す方法もわからない。

重たい。全てが。

ここにいたくない。外に出れば金を使う。生活費として渡された3万円。年金を払えば

ほとんど残らない。もいいだろ。働けよ。もはや、バイトの面接すら受からない。

今年7回目の面接。たった7回しかうけてないの!と言われても、もう僕には、そうですね。としか言いようがない。たった7回でも、僕という人間が出せる精一杯の力を

振り絞ったのだ。それで、ダメだったのだから、なにか、とても、疲れた。

 

「疲れた」という言葉、昔はそう呟く事すら、他人にとがめられた。

「何も頑張っていないお前が、使っていい言葉ではない!」

 

「お前より大変な目にあっている人の気持ちを考えろ!」

 

「お前の頑張ってるなんてのは、言い訳なんだよ。本当に頑張ってる人は、

頑張ってるなんて思わない!」

 

ここでたったひとつだけ。言い訳をさせてください。

あなた達は、他人の気持ちを考えろ!とこめかみに青筋を立てて怒鳴るけれど

一体、いままで、たったの一人でも、僕の気持ちを考えた人がいたでしょうか。

それは公平ではないでしょう。

僕ばかり他人に気を使って。あなた達は言いたい放題で。

僕がこれまで、どれだけ傷ついたか?なんて、知ろうともしないのに。

もういい加減にしてください。僕はもう、ここにいたくないのに。

外にでれば金を使う。なら、部屋の中に引きこもっていればいい。

ずっと部屋の中にいると、考える事は、死ぬ事ばかり。

それが、現実。ぼくは、もう死ぬしかない。それ以外方法がない。

ここから解放される方法が。もう残されていない。

もうダメだ。もうダメだ。もうダメだ。もう・・・・・

 

 

 

 

 

月が綺麗ですね。

これは夏目漱石が、外国の文章を翻訳した際に、まだ日本に「愛してます。」

という言葉がなかったため、代わりにつけた言葉だと

ペルソナ3の国語の先生が言っていた。

しかし、この後、日本人の奥ゆかしさを感じますね。と言ったがあれはどうだろう。

個人的に、いきなり「月が綺麗ですね」と言われたら、そうですねっていう感想しか

出てこない。

正直、日本人はひねくれている。というか、物言いを

遠回しにしすぎだと思う。

言いたい事があるなら、

わかりやすく、ストレートに伝えるべきだろう。

俺はこう思ってるんです。人々の出会いは先手必勝だと。
 どんな魅力的な女性でも、出会いが遅ければほかの男と仲良くなっている可能性もある


なら出会った瞬間に自分が相手に興味があることを即座に伝えたほうが

いい

速さは力です
 興味をもった女性には近付く、好きな女性には好きと言う

相手に自分を知ってもらうことから人間関係は成立するのですから。

時にそれが寂しい結果を招くこともあるでしょう、
 しかし次の出会いがいつまた来るかもしれません!」

ストレイト・クーガー

 

月はでているか?

個人的には、月が出ていると聞くと、ガンダムXの超兵器

サテライトキャノンを思い出す。

悲劇を引き起こしたパイロットの名前がジャミルニートである事は

偶然ではない。

とにかく、月がでている。台風が来ているはずなのに、上空は雲ひとつない

まぁ夜だから、青空とはいかないが。

 

どちらかといえば、太陽より月の方が好きかもしれない。

太陽の光は強すぎて直視できないが、月明かりいつまでも見続ける事が出来る。

ただ、どちらも、上空から僕を監視している事に変わりない。

健康な人なら美しいと思えるかもしれないが、今の僕はそうはいかない。

 

歩きながら、アポロを思い出した。チョコレートの方ではない。もちろん僕も好きだが

ポルノグラフィティの名曲をである。

僕らの生まれてくるずっとずっと前にはもう、アポロ11号は月に行ったていうのに。

 

いまから、48年以上も前に、月に行ったアポロ11号、月面に立った

アームストロング飛行士の

「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍である」

はあまりに有名な名言である。

しかし、僕は、月面に降りたアームストロングでも、オルドリンでもなく

たった一人で月の周りを飛行してきたコリンズこそが、奥ゆかしい

日本人が最敬礼すべき存在だと思う。

 

手がかりになるのは、薄い月明かり

「月」というのは、色々な作品のタイトルに使われている。

ブルーハーツの名曲、「月の爆撃機

歌詞は意味不明様々な解釈ができるが、PVには、実際の爆撃機が登場するため

反戦の歌なのでは?というのが、一般論だが、

ヒロトマジキチ

最高にエモい歌い方から察するに、周りからどんなに否定されても

自分でいれば良いという曲である。と僕は判断した。

 

いつまでまっすぐ歩けるか。

湖にドボンかもしれないぜ。

誰かに相談してみても

僕らの行く道は変わらない。

 

手がかりになるのは、薄い月明かり。

 

なぜ僕が月明かりに安らぎを覚えるのかがわかった。

月明かりは優しい。僕のような煽り耐性のない人間でも

落ち着いていられる

 君も見ているかな?

絢香の「三日月」の一節である。

 

散々ディスってはみたものの歩道橋の上から眺めていたらこちらを照らす光源を

眺めていたら、なぜか、手を伸ばしていた。

絶対に届くはずがないのは、わかっているけど。

 

同じ月を見あげながら、美しい。と思える感覚を

共有できる人がいたら良かったのに。

ニートは社会のゴキブリである。

暑い。

 

毎年言ってる気がするが、なぜ季節というのは丁度いい所で止まらないのだろう

6月上旬あたりの気温で止まっておけば丁度いいのに。

とにかく、汗だくの体が気持ち悪い。とりあえずシャワーを浴びて、一通り汚れを

落とし、上がる前に風呂場全体の水しぶきを拭こう。とした時

 

奴がいた。

 

大体、消しゴム一個分くらいの大きさで、遠巻きでもわかる体のヌメッとした

質感。あの独特の、カサカサ、カサカサとした

動きで、壁をはっている。

その瞬間僕は完全に感情を失った。ただ、冷静に、迅速に、蛇口をめいいっぱい

ひねり、シャワーヘッドをGに向けていた。

 

かの豊臣秀吉は、備中高松城の戦いで、敵方の城を攻め落とすため、長さ4キロ、

 高さ5mほどの堤防を作り、水攻めにしたし

 イラク戦争で米軍は装甲ブルドーザーとドーザーブレードを装着した戦車で

イラク軍の塹壕を埋め立てる作戦をとり、数千人を生き埋めにした。

 

これまで、正義という建前の元で他人から見れば

目を覆いたくなる行いをしてきた

人たちに蔑みの眼差しを向けてきたけど

今、自分も傲慢な人間だったのだ。という事を思い知らされた。

真上から振り下ろされる慈悲のない洪水になすすべもなく、排水溝に流されていくG。

これでよし。ほっとしたのもつかの間、あろうことか

Gが排水溝から抜け出してきたではないか!

右に左にあのキモイ動きをしながら、死角を目指すG

僕は映画フルメタルジャケットのヘリに乗っていたあいつの

ように、シャワーヘッドを奴に向け続けた。

 

逃げる奴はGだ!

逃げない奴はよく訓練されたGだ!

 

自由への逃走むなしく、Gは再び絶望へと吸い込まれていく。

念入りに水をかけ、何も上がってこないのを確認した後

ダ◯ソーで買った風呂用の網で力一杯蓋をした。

これで一安心。

いや、油断した途端、今度は100万匹ぐらい大量に押し寄せてこないよな。

ホラー映画でよくあるパターンだ。

大丈夫。ここは現実の世界だ。映画のような展開はしない。

いい意味でも、もちろん悪い意味でも。

 

Gの軌跡に手をつける気にどうしてもなれず、

先ほど残虐の限りを尽くした武器の本来の使い方をした

人間が便利だ。というものには、相反する悪用方がある。

空島の神ガン・フォールのいう通りである。

 

風呂場を一通り洗った後

ひと段落しても、先ほどの事件が引っかかった。

 考えたら、奴が一体何をした。というのだろう。

例えば、ヒアリや、セアカゴケグモのように毒があるわけでもない。

その他外来生物のように、生態系を破壊した訳でもない。

 

ただ、そこにいただけ。という理由で、いわれなき迫害を受ける存在。

 似ている。ニートに。

僕らは、存在する事で困る人間はいるが、喜ぶ人間はいない。

人家の暗がりに潜み、食べカスを食って生きている。

そう。僕は、自分の兄弟を殺したのである。

何がそこまでキモイのか。

なぜ奴らはここまで嫌われているのか。

やはり、見た目が多くのウェイトを占めている。あの奇妙に動く触覚。

そしてあの足、あの動き。全てが人間の嫌悪感を煽っている。

見た目が10割だという意味では、人間もGも変わらない。

 

 

しかし、これが例えばカブトムシやクワガタムシのような見た目だったら

よかったのだろうか?

彼らは、Gと違い子供から大人まで大人気である。

中には、海外に生息している種類を自らの手で繁殖させ、売っている

ブリーダーもいる。

 

僕も子供の頃は、よく、虫取りに出かけたし

自由研究でカブトやクワガタの生態を発表したりした。

ただ、彼らをひっくりかえしたフォルムは、Gと大して変わらない。

何が違うのか。

ツノが生えていればいいのだろうか。子供というのは、恐竜もそうだが、

小学生の頃はツノや牙がある生物、戦闘機や戦車、銃などに憧れを抱く

そして中高生になると、不良に憧れ、クラスの可愛い子は大体奴らにお持ち帰り

される事になる。*1

 ただ、彼らがかっこいいと思うものは常に、戦うためにある物

または反社会的な物であり、他者を傷つけ、命を破壊する物である。

 

そこから考えたら、Gのなんと穏便な事か。彼らはただ、残飯を処理しているだけ。

Gこそが、真の平和主義者。とも言える。

 

だからといって、明日から、Gをカブトムシのように扱うか?と聞かれたら

全力でNOと答えるのだが。

 

 星にとって不快害虫=人類である可能性

 エージェント・スミスは、

宿主の体を破壊し、なお増殖するウィルスに例えた。

僕の場合、星にとって人類はGと同じと言ってもいい気がする。

例えば、日々起こる自然災害は地球が

人類をスリッパでぶっ叩いているのと同じ感覚だったら?

僕らは、この星に、不快害虫だと思われているのではないか

いまだ利き腕に残る妙な感覚を噛み締めながら思った。

*2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:

既出かもしれないが、僕が嫌いなあいつと、初恋のあの子が、仲睦まじく

登下校していた光景は未だにトラウマである。

 

*2:

この記事を書くためにGを調べたウィキペディア

そこではGをペットにしていたり、

あろう事か食べている人もいるらしい。

背中がとてもかゆい。今まで経験してきた

あせもや湿疹とは違った感覚だ。

 

 

 

天国じゃみんな、海の話をするんだぜ。

脳腫瘍で余命わずかのマーチンは病室でたまたま隣に寝ていた

これまた末期の骨髄症患者のルディに言った。

「なんで?」「知るか。流行ってるんだってさ」

一体どこで天国のトレンドを耳にしたのかはわからない。

キッチンから盗み出した酒を飲んで酔っていたからかもしれない。

とにかくここから二人にとって、人生最大、最高の冒険が始まった。

 

見たことがないという人は人生の10割を損している。

どんな映画?と聞かれたら、宮藤官九郎氏のドラマ見たいな映画。といったら

わかりやすいかもしれない。彼が脚本したドラマのファンなら

少なくとも、損はしないだろう。

それか、バック・トゥ・ザ・フューチャーや、レオンといったバディームービー?

が好きな人にもオススメだ。

 

遠くに行きたい。という願望がある。なぜかわからない。

どこかに行きたい。というより、ここに居たくない。自分の現実を認めたくない。

ここから逃げ出したい。といったほうがいいかもしれない。

それで、別の場所に行けたとして、何も変わらないことなど、とっくの昔にわかっていたはずなのに。

 

それとも、生まれてこのかた、地元を離れたことがない事がコンプレックスに

なっているのだろうか。

僕は別に、木更津キャッツアイのぶっさんのような地元愛に溢れているわけではない。

なんだったら、この場所に飽き飽きしているはずなのに。

なぜか離れられない。正確には、ここを離れて、知らない土地で生きていける

生活力がない。まぁそんなたくましい人間が、ニートになるはずがない。

 

それでも、ここから離れれば、何かが変わる。とでも?

いくら別の場所に行こうと、自分という人間が変わらないなら、意味がない。

自分の居場所はここじゃない。と自分を探す旅にでかけようとでも思っているのか?

本当の自分。それは、この瞬間、駄文を書いている僕自身ではないか?

パソコンの薄明かりに反射する脂ぎってヒゲも伸び放題のおっさんを

どうして認めてやる事が出来ないのか?

いい加減認めろよ。この後に及んで何をためらう。

これがお前だとどうして認められないのか。

僕は終わってる。ここからは出られない。

それがどれほど苦痛なのか、なんて書いてもしょうがないけど。

 

 海は広いな。大きいな。

昨日も書いたが、どうしても、海という場所に強く惹かれる。

昔、といっても、去年の事だけど、江ノ島の景色は忘れない。

 写真があれば良かったが、僕のオンボロガラケーでとっても

いまいち綺麗に写らなかったので、その場で削除してしまった。

写真なんかあっても、見せる相手がいるわけじゃないし、

その時は、まさか僕がブログを書いている。なんて想像すらしていなかった。

まぁ、初めてみて、何かかが変わった。とか、良い方向に行った。

なんて事はないけど。

 

アジカンの藤沢ルーザーやピンポンの舞台になっていたり

天気予報でよく映ったりする場所になぜか行きたい。

スマイルが海岸沿いを走っていくあれをやりたかったのだ。

まさかチャリで行こうとは思わない。さすがに学習する。

行きはいい。見える景色が新鮮だから、でも帰りは、見知った

光景がいつまでたっても続く地獄とかす。

うん。さすがにチャリはやめよう。羽田は良くても

鎌倉では、日帰りできなくなってしまう。

それに、江ノ電にも乗りたかったしね。

 

事前に電車の時刻を調べ、年のために、朝5時に家を出た。

道中、驚いたのは

町田の駅前がものすごく都会だった事。

ぱっと見、渋谷と大して変わらない。

降りる駅間違えた?と思ったほどだ。

 

しっかりと電車を乗り継いで行けば、拍子抜けするほど

簡単に湘南についてしまった。

そのままモノレールに乗れば、江ノ島に着くのだが

ここまで簡単だと、逆に不安になる。

そう、僕の目的は江ノ電に乗る事だ。

5,6分迷って藤沢駅に着いた。

ホームには僕が子供の頃、よく行った駄菓子屋の婆さんみたいな、

こじんまりとした、レトロな車両が止まっていた。

外観は小さいが、中は案外広くて、窮屈さを感じなかった。

僕が乗った向かいの席にカップルが座った。

おのれぇリア充め。こんなところでも俺を愚弄するのか。

しかし、来年は俺もちゃんと就職して、彼女を連れてだな・・・・

残念ながら、お前の夢はどちらも叶う事はない。

 

そうこうしている間に列車が走りだした。

ガッタン、ゴットン。ゆっくり走る江ノ電

「次は、江ノ島です。」

アナウンスが告げる。しかし、僕はここで降りようとはしなかった。

どうせなら、終点の鎌倉まで行ってみよう。と思ったのだ。

ガッタン、ゴットン。最初は楽しかったが、だんだん不安になってきた。

まるで海が見えないのである。やはり、選択を間違えたか?

素直に目的地で降りたほうが良かったか?

そんな疑問が浮かび始めた頃

 

「次は、鎌倉高校前」

 

僕の不安は見事に消えていった。

目の前には、見事。としか言いようがない、水平線が広がっていた。

 

海だ。それも、苦い思い出とはまるで違う、想像どうりの景色。

その時の僕の心には、ずっと昔に忘れてしまった感情が蘇っていた。

子供、それも本当に小さな頃の、未来に希望以外持たなかった時の

 そこから3駅ほどは海を横切り、江ノ電はトンネルに入ったそこからは

街中、時には、家の真後ろを通過していく、裏路地が好きな僕には

嬉しい光景だ。特に、民家の間から見えた紫陽花がとても綺麗だった。

そして、鎌倉に着いた。そこではぶっちゃけたいした感動はなかった。

もちろん僕の回りかたが悪い。当初は江ノ島以外に行く予定がなかったので

それ以外は大して調べていなかったのだ。

 

銭洗弁天?に行こうとしたが、道がわからなかったし、これ以上歩いて

体力を消耗したくなかったので、再び江ノ電に乗り込んだ。

えっ!まじ電車賃の無駄じゃね?と思う人のために断っておくと

江ノ電には、「のりおりくん」なる一日乗車券があり

大人600円、子供300円で、江ノ電が一日乗り放題になるのだ。

まぁ頭がいい人にとっては、コスパがどうのの話になりそうだから、

この話は、ここでやめにして。

 

来た道を 引き返す。でも、前のような焦りはない。

やはり、電車に乗っている。というのが大きい。

乗り物にのって良かった。6月とはいえ、この暑さでチャリなんか漕いで

いたら、干物になってしまう。

 

江ノ島はとにかく坂が多かった。階段が高くて、移動するのに

エスカレーターがあるのだが、料金が払えないので

階段を使った。頂上にある神社にお参りしたが、効果があったとは思えない。

そこかしこに猫がいて、日向ぼっこをしていた。

犬猫が嫌いな僕だが、思わず顔がほころぶ。

展望台からは、島全体を見渡す事ができた。素晴らしい景色だったが

高所恐怖症の僕は、10分もいれば限界だ。

いつか床が抜けるのでは?と考えると気が気ではない。

 

その後、いくつか「のりおりくん」を使い倒すためにいくつか寄り道をして

湘南海岸前でおりた。

駅前はビルやら見上げるほど高いマンションが多かった。

ここに住んでいる人は勝ち組にちがいない。

一見東京と変わりない風景、しかし、進んでいくたび確実に、塩の匂いが強くなり、

海が近づいている事を実感した。

しばらく歩くと、道が開けて、目的地に着いた。

目の前に広がる海。最初は、遠巻きに見ている予定だったが

だんだん我慢できなくなった。

ビーチサンダルを持って来れば良かった。と思うと、そこは観光地。

ちゃっかりと売店あり、ビーサンどころか、水着まで販売していた。

 

家から持ってきたお昼を食べるため、飲食ができるか店員にきいた所

 

「トンビがいるから気をつけろ」

と忠告された。

 

海岸にビニールシートをひいて、家から持ってきたおにぎりを食ながら、

どこまでも続く水平線を見ていた。

 

 

見上げていた空と、いつも僕らがいる地上がとても近い。

ここからなら、空の上にいるあの人に近づけるかも。

 なぜ天国で海の話をするのかわかった気がする。

きっと彼らも僕らに会いたくて、海に行くのかもしれない。