キリギリスはなぜ死んだ?

社会に、いらね。と言われた奴の最後のあがき

人生というクソすぎるクソゲーを生きる意味。

この世につまらないゲームは山ほどある。しかし、人生ほどクソすぎるクソゲーはない

 

クソみたいなイベントシーンを垂れ流すくせにスキップも回避もできない

 

キャラメイクも能力も決めるのは自分じゃなくて親であり、彼らがよほどの高スペック

 

でない限り、持たざる者として生を受ける事になる。

 

そう言うと、あなた方は「親の悪口を言うな」と目を三角にするけど

 

人間が親になる理由なんて、たまたま避妊具がなかったか

 

「早く結婚しろ」という世間のプレッシャーから逃れようとしただけ

 

世間体を整えたい人々の勝手な都合で、望みもしないのに地獄に産み落とされ、

 

辛いと嘆きながら生きていかなければならない奴の苦悩、どれだけ言葉を尽くせば

わかってくれますか。

 

おまけにこのクソゲー、一個でも間違えばバットエンドまっしぐらなくらい選択肢が

 

重要であるにもかかわらず、セーブ機能は実装されていない。

 

瞬間の判断ミスで、粗悪品とみなされレールから弾かれるシビアなベルトスクロールアクションであり

 

最悪のクソゲーポイントはプレイヤー=主役とは言い切れないこと

 

どんなクソゲーでも主人公次第でクソったれな世界の運命を変えてしまえたり

 

自分の行きたい時に好きなだけ、思い通りに行動できる。

 

だが、人生は違う。

 

 

生まれた境遇、育った環境に左右され、それを変えるには主人公補正でもないと無理

 

RPGのどうでもいいモブキャラのように「人生、辛い」以外のセリフはない。

 

「そんなの自分次第でどうにかなる!不満を言うだけで努力しない奴は甘え!」

 

とあなた方は切り捨てようとするけど、努力で逆転できるほど人生は甘くないって

 

そんなクソゲーならやめちまえ。あなた方は安い感情論を振り回す。

 

やめたくても、終了ボタンを探すだけで1日終わってるんです。

 

明日こそ終わりにしよう。

 

そんな作業ゲーを続ける日々の意味すらわからないんです。

 

後悔するほど上等な人生じゃない。

 

一体何を間違えたんだ?頭のなかで人生を逆走して悟る、むしろ正解なんてないから

 

人生なんてクソゲーを惰性で続けるハメになったんだろ。

 

あの時こうしていたらと悔やんでも、そうしたら成功できたって保証はあるのかい?

 

認めろよ。どんな選択をしても、ひどい結末しかなかった。

 

後悔するほど上等な人生じゃないさ。何度自己診断しても、結論は一つ

 

生まれてこなければよかった。死にたい。昔は

 

死ぬ気になればなんでもできると思ってたけど、死に物狂いで生きてこのザマ。

 

やっぱパンツ一枚で走り出さなきゃだめか。それとも、虹色のおしゃぶり持ってる

 

赤ん坊に射殺されなきゃいけないのか。そんな妄想しても、どうにもならない。

 

死にたい。死ねない。まるで、レアアイテムを求めて、同じモンスターを何回も

 

狩るようなサイクルにはまる。このままではダメだ、無理やり明るく楽しく美しい

 

セリフを吐いたら、サイズに合わない言葉が喉に引っかかって息苦しいだけだった。

 

出たい。出られない。もうたくさんだ。

 

一体いつまでガキみたいにぐずっているつもりだ。そろそろ卒業しろ。

 

心を奮い立たせようとしたけど

 

風に吹き飛ばされそうになったマントを掴んで離さない旅人のように

 

しゃがみこんで動けなかった。

 

思うに、ネガティブな文章が頭の中を埋め尽くしている時は、暗い自分を否定せずに

 

とことん、その底なし沼に沈んでいくべきだ。

 

前を向かなければ、ポジティブにならなければという元気の押し売りは

 

弱気な自分はダメで、価値のない存在なのだ。という自己否定になる。

 

世間どころか自分にまで否定された悲しみは、形のないモヤになりでかくなっていく

 

だって、前を向こうにも、現実の苦痛は増していくばかりなのだから。

 

あなたの否定したい弱気な自分を受け入れてこそ、価値があると僕は思う。

 

ただ、ネガティブな言葉を心に貯めておくのもきつい。

 

あまり勧められないけど、その日の苦しみを日記に書いてみるのもいい。

 

文字に起こすと、そのまま切り離されたような気がする。

 

さらに声を大にしてやめておけと言いたいけど、ブログを書いてみるという手もある。

 

流行のブログ記事と違って、読者の役にたつ訳もないし、他人が遠ざかっていく内容

 

だけど、だからどうした。他人が何をしてくれる訳でもない。他人は他人だ。

 

困った時にすがれない繋がりなど、元から必要ない。

 

自分に必要だから。ブログを書くのに、それ以上の理由はいらない。

 

 この世はクソだし人生はクソゲーだけど、自分の物なのよね〜ん

 

ロックバンドの名言っぽい物を書いて、強がってみたものの、PVや人気は正直厳しい。

 

ただ、お前の話なんて誰も聞いてねーよ。という現実を突きつけられると

 

逆にブログを書きたくて仕方なくなる。

 

バフ◯リンの半分が優しさでできているのなら

 

このブログは、上っ面だけ美しく取り繕う社会への不満でできている。

 

このクソゲーのゲームシステムをぶっ壊すチートは、怒りと憎しみ以外ない。

 

現実の壁を殴り続けて、命尽きても構わない。

 

今までの人生、常に道半ばで投げ出してばかりだった。たったひとつでいい。

 

諦めないでよかった。続けてきてよかった。と言える物を手に入れたい

 

誰の目も気にする必要はない。死ぬのも生きるのも好きにするがいいよ。

 

生まれた瞬間から、君の命は君の物なのよね〜ん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無敵の人に共感する味方のいない孤独な弱者へ

「無敵の人」に共感する味方のいない孤独な弱者へ。

 

君は今、通り魔にマウントを取られ 降参も聞き入れてもらえず、

 

タオルを投げるセコンドもいない、審判すら見て見ぬふりで

 

そこにいる事すら否定される世界、君の悲鳴は「言い訳」と切り捨すてられ

 

その待遇が永遠に変わらない絶望を嘆いてるんだろう。

 

 

そして、そんな社会にしがみつかなきゃいけない現実に

 

「何もかもぶっ壊れてしまえ」という憎しみを抱いてるんだろう。

 

そんな中で、キモい上に金も地位もない、失う物はないから、

 

自爆テロに走るおっさん達。

 

「無敵の人」の登場に、喜びを感じてるんじゃないか?

 

なるほど。皆に名前と身分のある現実では、批判や不安の声ばかりだけど

 

名無しさんとして本音を語れるネットじゃ「いいぞ。もっとやれ」っていう

 

対岸の火事を見ているようなコメントも少なくない。

 

ニートや引きこもり、非正規や生活保護受給者に、「消えろ」「死ね」「正論」と

 

吐き捨てる大衆の「自分が社会不適合者にならない自信」も反吐がでるけど

 

通り魔をお祭り感覚で喜んでいる野次馬の「自分が被害者にならない自信」も大概だ。

 

多数派、少数派問わず広まる、「我々対彼ら」の分断。

 

このままでじゃ国際社会の移民へのヘイトと同じく、多数派を占める努力教の人々は

 

努力ではどうにもならない耐え難きを耐えている君を

 

「とりあえず叩いておけばいいいや」というノリで、これまで以上に攻撃するだろう

 

そんな事が続けば、君の生きづらさは「生きれない」レベルになってしまう。

 

 キモいだけのおっさんだけど、同じ痛みを知る者として、それだけは認めれらない。

 

無敵の人に共感する孤独な弱者を救う術はないのか?

 

無敵の人はなぜ孤独なのか?綺麗で清潔な無菌室とかした社会で。

 

弱者には味方がいない。なぜなら、君の周りには

 

挫折や失敗、嘆きや諦めといった、弱さをわかってくれる人がいないから。

 

彼らに悪意はない、痛みを感じないのか、そんなものより世間体が大事か。

 

いずれにしろ、耐えて、耐えて、悩みを振り払って走り続けても

 

奈落の底に落ちるレールから飛び退いた奴は腰抜けでしかない。

 

 

  

家族が敵になった日を思い出す。あれは学校を中退した直後。

 

「成人しても俺の金にたかって生きてくつもりか」

 

「なまけるとか、楽したいとか、思った瞬間に死ね」

 

「そんな育て方した覚えはないのに・・・・」

 

言いたい事はわかるよ。お金の事も、これからの事も。頭ではわかってる。

 

でも、職場にも、学校にも、家庭にも居場所がないクズは、大人の事情を飲み込めない

 

もしあのとき、わかってくれる誰かがいたなら・・・

 

やめよう。もしもを語っても、惨めになるばかりだ。

 

学校は中退。就活は失敗。残された道はフリーターの、「ニートよりはマシ」な地位。

 

石の上に三年座ってわかった。働くのに向いてないって

 

バイトすら必死なんだから。本気出して常人の半分以下の成果しかでない。

 

何もできない。何者にもなれない。

 

人は幸せになるために生まれてきたなら、死んでしまいたいのはなぜだろう。

 

正論は理解してるつもりだ。だから辛いんだ。

 

このままじゃダメだ。やり直さなきゃ。がんばらなきゃ。

 

前向きなセリフは心と体はを追い越して、それに追いつけない自分が惨めで

 

頭を回る暗い言葉から逃げ出すように外に出る。何も変わらないのに。

 

部屋に戻った時、机に置かれたバイト求人誌が何より辛かった。

 

「働きたくねぇ」とか言うけど、

 

学生時代は、まさか無職になるなんて考えもしなかった。

 

みんなそうでしょ?

 

自分がニートにになるなんてありえないって。違うよ。

 

 

苦しみを苦しめず、悲しみを悲しむ事すら許されない、綺麗ごと以外存在を許さない

 

無菌室の空気は、清浄どころか息苦しくなる一方。

 

第一、本音じゃみんな痛みしか叫んでないじゃないか。

 

そんな綱渡りを踏み外さないとどうして言えるの?

 

なのに、この社会は一度でもつまづいた人間を許さない。

 

生産性のない奴は死ね。という言葉の暴力は、刃物よりも鋭く心に刺さる

 

 何で僕だけがこんな目に。なんでここまで否定されるんだ。

 

 無職でも引きこもりでも、生きているのに。

 

どうして誰も認めてくれないんだ。

 

口から酸っぱい物と一緒にこぼれた愚痴に

 

「お前は人間じゃなくて、ゴミだもの」と返された

 

その時はそいつを道連れにして死のうと思ったね。どうせこのまま生きていても

 

変わらないどころか、悪くなる一方なんだから、人生の最後、くそったれな社会に復讐してやろう。って・・・・

 

 

できなかった。「違う」と思ったから。

 

 味方のいない人の味方は、孤独な弱者自身だった。

 

今、君がナイフを手に誰かを傷つけようとしているのなら

 

それは、君がこれまで経験してきたすべてを無意味にしてしまう愚行だ。

 

君を否定し、鬱憤を晴らしてきた奴らを肯定する愚行だ。

 

奴らはテレビを見ながら、安い缶チューハイ片手に「それ見たことか」と呟く。

 

君の怒りは2,3日ワイドショーで取り上げられて、それでおしまい。

 

それでいいのかい?

 

いいわけねぇだろ?

 

 

何者にもなれない。そんなことはない。

 

君はヒーローに最も必要な物、「痛み」を知ってる。

 

何も持ってない。むしろ必要ない。

 

あの日の、「もしも」になれるなら

 

 無敵の人に共感する味方のいない孤独な弱者よ。

 

明日に怯える誰かの居場所になれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

死ねないから生きてるだけの人生を続けるのは嫌だ。

 

死ぬのが怖いから生きてるだけ

 30目前で実家暮らしの無職、親のメンチビームを受ける背中の暑さに耐えきれず、

 

週何回かのバイトをして十数万の小銭を稼ぎ、お茶を濁す

 

自己紹介を書いただけで死にたくなる。逆になぜ生きてるのかわからない。

 

こんな生活を続けても、時間だけ消費されて気が付いたらゲームオーバー。

 

アスファルトに寝転んで呟いた「生きるんじゃなかった」が辞世の句。

 

そんな未来像ばかりはっきり見える。

20過ぎの頃は、わかってくれる人が現われると見くびっていたけど

 

世間で噂の幸運の女神は、目標を立てて必死に走っている人に微笑む。

 

 バイトしただけで一仕事終えた気分のクズなど視界に入らないんだ。

 

 

 苦しい、悲しい、老人の昔話みたいに繰り返して、明日を変えようとしない奴に

 

ハッピーエンドなど来ない。

 

生きてるだけでいいじゃないか。と言う人もいるけど、人間らしく生きていけないなら

それもう人生じゃないよ。

 

なら、これ以上頑張って(るつもり)の生活を続けてもしょうがない。

 

この世にさよならをしよう。硬い決意はその場限り、肝心な時に踏み出す勇気が

なくて、昨日と同じ、くそったれな今日を過ごしてる。

 

いっそ誰か楽にしてくれ・・・

 

夢も希望も元気もない。ただ死ねないから生きてるだけの、なにもない人生を続けるのは嫌だ。

死にたいけど死ねない。まるで映画の悪役みたい。

  

無能クズでも選択肢はあった。せめてあの時こうしていれば・・・・

なんて妄想しないと、世間の厳しい目に耐えられない。

 

 

みんな無職の事、エイリアンみたいに扱うけど、そうじゃない。

 

ニートや引きこもりの血液は酸で出来てないし、サソリの化物から生まれてきたわけでもない

 

クズと罵る世間と同じように普通分娩で生まれた人間なんだ。

 

子供の時もちゃんとあった。楽しかった。あの頃は身の程なんて頭になかったから。

 

でも、自分の器の底が見えるようになった今、記憶を客観視していくと

 

その年表は美しい思い出じゃなくてポジティブに言い換えたトラウマだとわかった。

 

 

一クラス30人中29人にとっての普通が難解なパズルに思える。勉強も運動も常にビリ。

もちろんコミュ力なんてお話にならない。

 

個人ならそれでいいけど、クラス対抗の競争じゃそうはいかない。

 

勝つという普通以上の結果を求められる中では、普通以下の個人は集団の足かせでしかない

 

みんなから浴びせられる「お前さえいなければ」の声。

 

いつから好きでお前らの輪に入っていると錯角していた?

 

場所も時代も関係ない不変の価値観、クズはどこに行っても邪魔者だ。

 

人以下の奴に人並の幸せなどあるはずもなく、深爪のような痛みばかり増えていく。

 

でも、死ぬのは怖い。死にたいけど、死ねないから、

 

自分を倒してくれる奴を探してるなんて、映画の悪役でもねーのに。

 

 

 

 

死ねないから生きているだけの人生を続けるのは嫌だ。

 

 

いつだってこの社会の常識人たちは遠回しに、「他人の迷惑にならないところで勝手に死ね」と囁いてくる。

 

望んでいない場所でサンドバックとして吊るされたあの日から何が変わったのかわからない。

 

頭のいい奴なら気づいてる。クズの命は始まった瞬間にもう終わってるんだと。

 

これ以上歩いてもどうにもならない、ここで人生を終わらせるのが賢明。

 

んなこたぁわかってるさ。昇る朝日を恨むほど。

 

でも、さぁ行けという極に、形のない手が地獄への特快に乗ろうとする背中を引っ張る。

 

 しようと思えば無視できる。か細い腕が別れ際に彼氏のシャツを引っ張る彼女のように

追いすがる。彼女など居たこともないけど。リア充爆発しろ。

 

 

そしていつもの1日が始まる。もうたくさんだ。しかし、社会には逆らえない。

 

ならば、あなたたちの望み通り、誰もいない。たどり着いたことのないところまで走ってやる。

 

噂によると、普通の人はブログを始めても、数ヶ月、数年でやめてしまうらしい。

 

常人に馴染めない奴にぴったりの居場所じゃないか。

 

かっこ悪いし、臭いし、見るに耐えなくても、ここで喚き続ければ

 

女神の冷笑くらいはもらえるでしょう。

 

死ぬ気になったことはないから、どういう状態かわからないけど、

 

ブログを書いたら、2週間くらはアホになって何もする気になれない。

 

さぁん!・・・じゃねーよ。

 

文章を書くのって大変なんだ。あなた方から見れば、ただの駄文だろう。

 

でも、書いてる時は楽しいんだ。まるで思想家になった気分。

 

  このまま、死ねないから生きてるだけの人生を続けるのは嫌だ。

 

 

だから、生き絶える最後、生きたくないのに生きた自分を褒めてやれるように

 

言葉だけでも前へ進もう、1cmでも、1mmでもいいから。

 

絶望の中を周り続ける日々から抜け出し、自分を少しでも肯定するために。

 

 

 これだけは譲れないっていう物を心で握りしめて続けていけば

 

クズでもなにかを変えられるってとこ、見せてやんよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

みんなが辛いのに我慢しろっておかしくない?みんな〜だからこの社会は息苦しい。

 

「みんな辛いから我慢しろ」 言った側としては励ましや慰めのつもりだろうけど

 

言われた側には崖の淵にしがみついた手を踏みつけられているのと同じだ。

 

 

「みんな〜だから」大衆は文句言わないし、問題ないって人は勘違いしてる。

 

この社会がおかしいのは「みんな」分かってる。でも、たとえ声を上げたところで、

 

ただ喉が痛くなって疲れるだけ。物事は悪くなる一方だけど、原因はわからないし

 

改善する案もないから、地獄の責め苦から逃れるのは不可能。

 

前へならえを刷り込まれた人々は閻魔に舌を抜かれたような顔で

 

 みんなしんどい満員電車に乗り込み、みんな我慢してる激務をこなし、みんなが辛い

 

社会の息苦しさに耐えて生きていくしかなかった。

 

駄々をこねる子供の鳴き声みたいな心臓の鼓動を心の押し入れに閉じ込めて

 

何かおかしいと叫ぶくそがきを忘れかけた頃、起こったのが

 

  日大タックル問題

 

最初は「肘でもええから目に入れろ」の再来?くらいのイメージしかなかった。

 

 でも、マスコミやネットの話題まで総なめにする日大アメフト部の闇の深さに

 

初見の冷笑は吹き飛んでいく。

 

干からびた梅干しに似ている監督、イノセントな筋肉チルドレンの体たらくはみなさん

ご承知の通りだろうから割愛。

 

 

美容師との世間話に困るほど人の噂に疎い僕でも、鉄砲玉を命じられた彼の会見は

 

優秀な大人のバックアップありきといえど、当人の置かれた状況に同情しかできない。

 

彼は大好きだったアメリカンフットボールを引退する。

 

それが悲しかった。

 

一歩間違えれば被害者に障害を残しかねない危険な行為。それでも

 

大好きな事を、例えば、怪我で体が動かない。とか、才能がないのがわかった

 

とか、それこそ自己責任の範囲なら言葉も飲み込めるだろうけど、

 

上司の理不尽な命令が理由というのは、あまりに・・・・・やめよう。

 

知人でもない、一視聴者が彼の選択に口を出す権利はない。

 

 

今回の問題は日大だけが悪いのか。違う。

 

 彼の、わらにもすがる思いで振り絞った声を「みんなやってるから我慢しろ」

 

と放置した社会が黒幕だ。

 みんな辛いからなんだって?

 

あれは社会人の義務から逃げ出したニート初心者だったころ

 

 

家に金を入れずに囲む食卓のケツの座りの悪さを受け流すメンタルをもてずに

 

「もう一度やり直そう」と受けたスーパーのバイト。

 

面接の時点でお察しだった。

 

「その年で働いてないとか、親に申し訳ないと思わないの?」とか

 

「携帯持ってるの?」という問いに「はい。」と答えると

 

「通話料誰が払ってんの?働いてもいないのに」とか

 

「タバコ吸うの?」

 

「すいません」

 

「ですよねーwwww働いてませんもんねーwwww」

 

 

これは「バイトの面接」じゃないのか、聞くべきはシフトや交通費だろ。

 

そもそも、働いてないから面接に来たんだろ?バカなのか。あんた。

 

腹わたがフォッサマグマしながらも、逃げ出して負け犬に逆戻りするのは嫌だという

 

不燃ゴミにもならないプライドを守るため、ヘラヘラ笑いながら

 

「すいまっせぇーんwww」と答えた。

 

数日後受け取った合格通知。今思えばここで逃げ出せば良かった。

 

今度こそ立ち直れる。くそみたいな希望を持った無職を待っていたのは、これまたくそ

 

みたいないじめの日々だった。

 

いじめられた学生に「逃げろ」とか、「学校行くな」というけど、社会って

 

学校と対して変わらないよね。しかも、成人したら無条件で存在を肯定される

 

学生フィルターも消滅して、残るのは生きづらさなのに。

 

 

フルーツポンチ村上のようなキャラのクソ野郎に、毎日クソみたいな小言を

 

聞かされ続ける地獄。「嫌いなやつとは距離を取れ」なんて言われても、閉鎖空間で

 

つきっきりの状態じゃ、逃げる場所なんてどこにもないのよ。

 

金を貯めて何かしようとか、ここを乗り切れば楽になるとか続ける理由を唱えても

 

その場しのぎにすらならないし、行きたくない。嫌だ。っていうガキみたいな

 

言葉しか頭に浮かばない。どうしようもなくて相談した人のアドバイス

 

「みんな辛いんだから我慢しなさい」

 

それで何が変わるんだよ。いや、言い訳するな。我慢、我慢、我慢、我慢・・・・・

 

気がつくと耐えろ。と握った拳が、奴の蚊の泣くような声で腐った女のような嫌味を

 

 

垂れる日光を浴びずに育ったカマキリみたいな血の気のない顔面に吸い込まれて

いった。

 

 二、三発食らわせたところで、致命傷にはならず、止めに入った他の社員に

 

「おまえは遊びにきてるんじゃなくて、働きにきてるんだぞ。」

 

「みんな辛くても(以下略)」うるせぇ。

 

言わないでいいよ。悪いのは僕だ。わかってる。

 

ただ、奴の頭をそのまま肉斬りスライサーに押し付なかっただけ良かったと思う。

 

俺、偉い。ニートよ。これが自己肯定感だ。その場は帰れ。と命じられた。

 

帰り道で思うのは、悔しいやら、悲しいやら、不安やら、これを言葉にするには

 

どうしたらいいのだろう?世界が自分と、他人で分断されてしまった感覚。

 

すれ違うあらゆる景色が、「お前は生きるべきじゃない」と囁いているような感じ。

 

コートかけられて出てきた犯人の気分。わからない。伝わるとも思わないし

 

伝わったところで、何が変わるわけでもない。ただ、わかってほしい。

 

あの時ほど、救いが欲しかったことはないこと。

 

そして、「みんなが辛い」社会に適応できないクズに差し伸べられる手などない現実を。

 

 

 

ネットの中は過剰に生暖かい寛容が溢れているけど、本当に困った時には、誰一人助けてくれないじゃないか。

 

イライラする。「逃げる」か「従うか」かの、消極的な二択しかない現実に。

 

怒りを飲み込むな。不満を口にしろ。自分に嘘をつくな。

 

 とっくの昔にご存知なんだろ?使い古されたテンプレのごまかしは、もう通用しない。

 

君が感じているモヤモヤや不満は飲み込んだり、忘れたりするものじゃない。

 

声に出して、訴える物だ。それは人間の正当な権利。

 

 

今日も死にたい。と呟く君、逆になぜ生きてるんだい?

 

死ぬのが怖い?国は安楽死施設早く作れだって?わかる。でもね。

 

やましい事を国ぐるみで隠すような奴らに

 

 

「この社会のシステムは金持以外は地獄を見るように作られています」

 

なんて、認めるような代物をわざわざ作るとでも?

 

死にたいなら、死にたいほど辛い現実を突きつける世間に怒れ、声をあげろ。

 

今を生きている君に必要なのは、永遠に来ない世界の終わりを望むことではなく

 

みんながおかしいと感じている理不尽に中指を立てる勇気だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「LEFT ALIVE 」 アーマード・コア鍋P新作はロボゲの救世主となるか

アーマードコア、新作マダー!?

 少数派は生きづらい。

 

メカ秘密結社、フロムソフトウェアが株式会社ダークソウルと化して早数年。

 

地底人や地球人のレイヴン、ps3で首輪を外された人類の天敵、アーマードコアの新作を待ちわびているミグラント達にとって

 

ニッチなロボットゲーム自体が絶滅の危機に瀕しているこのごろは

 

 まるで炎天下の砂漠で乾きにあえぎつつ、ありもしないオアシスを探し歩くような苦痛の毎日が続く。

 

しかし、「AC有る限りフロムやめない」宣言をした機械変態、

 

鍋島プロデューサーの存在に

 

「フロムはダクソ作りつつアーマードコア新作を作るための力(資金)を溜めている」という、か細い希望を抱いていた。

 

 

藁にもすがる思いの難民に、ネットは非常な現実を突きつける。

 

「鍋島Pがフロム・ソフトウェアを退社し、スクエア・エニックスに入社

フロントミッションの新作を製作中。」

 

根拠のない情報に最初は否定的だったイレギュラーもVDとダクソのアプデ格差

アーマードコア20執念をスルーする公式に信念が揺らぎ始める。

 

もしや・・・という疑いと共に迎えたTGSで、それは起こった。

 

ロボゲ界のレアルマドリード。LEFT  ALIVEの魅力とは。

 スクエア・エニックスに転職した鍋Pの最新作

 

「LEFT ALIVE」

 

 


LEFT ALIVE TGS2017 Trailer

 

 

 特に0:27~のモノアイの動きにフェチズムを感じる。男子の欲情を掻き立てるため

禁止されないか心配だが、メカに対するこだわりを感じて嬉しくなった。

 

ファミ通のインタビューに登場した鍋P。V系の生放送では「ナニカサレタ・・・」

 

ようだけど、転職の影響か若干健康的になり、オサレなジャケットを羽織っている。

 

オサレゲーム会社スクエニはファッションにも気をくばっている、さすが大手。

 

鍋Pの生存確認が終わった所で一区切りつけて、ゲーム本編について語ろう。

 

ここまであまりにもアーマード・コアを連呼してきたため

 

「こいつ、他のロボゲやったことないんじゃね?」と疑っているあなた、正解だ。

 

フロントミッションは5のPVで気になってはいた。しかし論理を重視しない脳筋には

シュミレーションというジャンルは敷居が高かった。

 

そう。ほこり臭い愛機を自分の手で操作し、その姿を眺めるからこそ、興奮するのであっ

て、ロボットが出て来ればなんでもいい。という訳でないのだよ。

 

 どちらかと言えば、RPGよりアクション系がいい。

 

ゲームは戦場に放り出された人々の一日を追体験するアクション。

 

ゲーム内で「ヴァンツァー」と呼ばれる歩行型機動兵器は敵として主人公を苦しめる。

 

プレイヤーは、戦ったり、罠を仕掛けたり、時にはヴァンツァーを奪ったりして悪意に満ちた街を脱出しなければならない。

 

動画を見る限り、ステルスアクションの要素もあり、どこかMGSを思い出す。

 

それもそのはず、キャラクターデザインの新川洋司氏は、長年MGSシリーズのヴィジュアルを担当してきた硬派ゲーム界のカリスマ。

 

 

メタルギアRAYのかっこよさに、タンカーで関係ない写真を撮りまくり、オタコンに

 

酷評されたポンコツ傭兵としては、この展開は新しくて惹かれる。

 

 

そして、プロデューサーは初代フロントミッションを 世に出した橋下真司氏。

 

プレイ経験皆無の奴が語れるエピソードはないけど、同作は考え抜かれた設定

 

人間味のあるキャラクターと、幅広いカスタマイズ性が評価されたからこそ、20年以上

 

続くシリーズになったのはわかる。

 

確かに、アーマードコアは、メカアクションとしては最高だった。

 

しかし、脳内妄想必須のストーリーと人間キャラがでない(出せない)というシリー

ズの伝統に縛られて、マンネリ化していたのも事実。

 

 

新規タイトルとして

 

ストーリーはフロントミッション。ロボに乗ればアーマードコア。ロボから降りたら

 

メタルギアソリッド・・・そんな神ゲーが出れば一生やりづつけるのだが・・・

 

 メカ物界のレアルマドリードが立ち上げた新規タイトル

 

 「LEFT ALIVE」どうか 終末寸前のロボゲ界の救世主とならん事を。

 

 

終わりに、 E3 2018に願いを込めて。

 

なんども人生を投げ出そうとした。それでも耐えた理由がここにある。

 

去年のソニーカンファでは、フロムソフトウェアの登場はなく

 

終わった後の脱力感は賢者タイム並み。今年のE3はどうなるのだろう。

 

 

2018年現在のフロムの発表はダクソリマスターと謎のPV・・・・だけ・・・

 

3日後は何か最新情報がある。と信じたいけど、同時にメカカスタマイズアクションが

 

ない恐怖も感じる。

 

もちろん、ロボゲー以外にも魅力的なゲームはたくさん有る。

 

しかし、フロムの実写ムービーと共にPSを買い換えてきた身としては

 

アーマードコアは青春であり、人生。このまま終わってしまうなんて耐えられない。

 

確かに、次世代機の高騰する製作費を考えると、利益の見込めない

 

ロボット物を作るのは、リスクが高すぎるのもわかる。

 

しかし、初代PSの、これは売れないだろっていうゲームがひしめき合う

 

カオスな状況こそが、目新しさを持った名作を生みだしてきたはず。

 

ゲームも現実も同じだ。少数派を受け入れる余裕があるほうが世界は楽しい。

 

あんな物呼ばわりされる変態が自由に表現できる場所。

 

 

 E3、2018が、そんなお祭りだったらいいな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんのために生きるのかわからない。死にたい。でもあなたにしか人生の価値はわからない。

自分の存在価値がわからない。生きている理由もわからない。

 

なぜこんなに不安なのかもわからない。何がこんなに苦痛なのかもわからない

 

この息苦しい義務感はどこからくるんだ。辛い。きつい。それが一日続くだけで

 

ありえない苦痛と、そんな馬鹿な。という出来事ばかりの繰り返し。

 

生きていてよかった!と笑うことができる理想は遠のいてくばかり。

近づいている気すらしない。なぜだ。

 

歩いているのは確か。でも、進んでいる向きは正しいのか?

 

前に進んでいるのか。足踏みしているのかすらわからない。

そんな人生の価値を、なんのために生きるのかを、誰か教えてくれ。

 人間らしく生きたい。

 

母親に手を引かれた子供が、楽しそうにアンパンマンのマーチを歌っている。

 

釣られて鼻歌を歌い出す、アラサー無職。

 

どうした?いつもなら留守電に入った自分の声を聞くだけでも、そのキモさにドン引き

しているのに。

 

嫌に上機嫌だな。

 

ここは、いつもなら閉店するんじゃないか。と疑わしくなる銀行のATM。

 

 

タッチパネルを押すたびに「はれぇ?」「ほえぇ?」と

 

不思議ちゃんのような声を出すババァと操作を教える行員のタイマンが

 

流れを悪くする列の最後尾でなぜ今日に限って?とイラつく。そこまで考えて

ニュータイプとして直感が答えを出した。

 

今日は辛い労働の対価が支払われる日、給料日だ。考える事はみんな同じだね。

 

金が入った。これで好きな事が出来る。心が上向いたのはほんの一瞬。

 

この社会は、「勘違いするなよ。お前は生きてるんじゃない」

 

「生きさせてもらってる」んだ。

 

と言わんばかりに、金をむしり取っていく。

 

やるべき事が山のようにあって、やりたい事なんて二の次、三の次。

 

やりたい事をやれ。とエールをくれる人の気持ちはありがたい。

 

でも、やりたい事をやる前に死んでしまったら元も子もない。

 

生きるためにやるべき事を片付けるのに精一杯。

 

「やりたい事」なんてできる余裕はない。それが続くうちにまた

 

「自分は何のために生きてるんだ。」という疑問が、頭をめぐり始める。

 

答えなんて求めてもしょうがない。

 

この心のもやもやをとる方法はひとつ。肉を食べる事だ。

 

月一の贅沢。立川マシマシのマシライス。これは素晴らしい。ふざけた名前だが

 

マシライスを全人類が食べれば、戦争はなくなる。そう確信できるぐらいうまい。

 

肉は素晴らしい。肉は正義だ。うすら笑が口から漏れた。

 

満ち足りた心のまま、駅ビルで漫画を買う。おいおい。

 

 

漫画なんて、レンタルやスマホでも見れるだろと突っ込まれてもしょうがない。

 

選択肢が増えると、手元に残しておきたい物は少ない事がわかる。

 

手提げの袋にいれてもらった、「リアル」三巻を大事に持ちながら

 

電車に乗り込む帰り道。子供の頃のワクワクした気持ちを思い出す。

 

この作品には、3人の主人公がいる。その中の、野宮という男が、僕には他人には思えない。

 

彼の言葉は、まるで自分の心を代弁されているようで、ページをめくるたび、

 

「野宮ァ」と叫びたい。

 

いや、13話には、「野宮ァアアアアアアアアアアア」と叫ばずにいられなかった。

 

心が震えた。近所の人から苦情が来た。全俺が泣いた。

 

 

そんなしょうもないギャグを考えたとき、頭の中で声がした。

 

お前は、30手前の職歴なしフリーターだろ。

 

そんな無駄遣いをする金がどこにある?こんな事していられる身分じゃないだろ。

 

家に金を入れもしないで、何してる?

 

そこまでなじられて、いつかの貧困層を取り上げたニュース番組を思い出した。

 

どこかの生活保護を受けている家庭で、犬を飼っている。

 

ネット環境があるなら、望まずとも入ってくる世間の声。

 

「こんな貧乏な日本人はいない」とか「貧困なら、こんな贅沢するわけがない」とか

 

正直、やらせかどうかは、どっちでもいいけど

 

彼らのセリフに「欲しがりません勝つまでは」の時代を思い返す。

 

「働いたら負け」のニートといい、一体みんな何と戦ってるんだ・・・

 

この国では、この瞬間も「贅沢は敵だ」という言葉の弾丸が

 

機銃掃射のように飛び交っている。

 

人はただ生きているだけではダメだ。

 

人間らしく生きる事ができなければ、辛い現実を生きる理由を失ってしまう。

 

ただ、人間らしく生きたい。そんな願いすら、叶わないなんて。

 

 生きがいを見つけるのが、人生

 嫌な事は数あれど、良いことはない。

 

どうせどうにもならない。そんな現実が

 

心をしらけさせ、抑圧された感情はやがて弱者への暴言に形を変える。

 

 

逃げようとしても、逃げられない苦痛は日に日に増していき、辛い人生を耐える価値を見失う。

 

 愛と勇気にすら愛想をつかされた、救いのない現実に押しつぶされそうになる。

 

 そんな時は、 アンパンマンのマーチをつぶやいてごらん。

 

  今日も生きてしまったな。なぜ踏みとどまっているのか。自分を呪う日々。

 

それでも、生きる事に価値を見いだせないまま終わるのは嫌だ。

 

ありえない事ばかり起こる毎日。なら、辿り着けない。と絶望した望みに

 

追いつく日も夢じゃない。

 

生きた実感のない。いくら死にたくても、「生きる」という選択をした限り

 

  生きがいを探し続けなければならない

 

なぜなら、あなたの人生の価値はあなたしかわからないから。

 

頑張ってるよ。君は、今。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現実から逃げたい。仕事が辛い。それでも逃げたくない。

現実から逃げたい

胸の奥が痛いくて重い。心臓の音が骨を渡って、全身をきしませる。

 

仕事が辛い。「やだよ。行きたくないよ」。耳のそばで聴こえる叫びを振り切るように足を動かす。

 

望まない場所に近づくほど、心臓はこなきじじいのように重くなって

肺の奥に沈んでいき、鼓動の間隔はどんどん短くなる。

 

まるで警報のよう。最初は「嫌だ。嫌だ。嫌だ。」駄々っ子みたいな声が心筋を

跳ね回って、次第に「逃げろ。」という命令が連呼する。

 

 

どれほど心が疲れた。といっても、目指す場所もわからないまま飛び出したら

辿り着くのはどんづまりだけ。

 

逃げると言っても自分のいく末をしっかり見据えた逃げ道が必要だ。

 

そんな短期的な計画すら立てられない無能は、破裂しそうな風船にヒヤヒヤしながら

生きる不快感と付き合っていくしかない。

 

いっそ引き裂かれてしまえば 楽なのに。淡い願いむなしく、下手くそなドラムのようなリズムは治らない。

 

いつまでこんな窮屈な思いが続くんだろう。答えはわかってる。でも認めたくない

 

生きている限り息苦しさは切り離せない。それが現実だというのなら、

 

もう現実から逃げたい。

 

  逃げ出したいのに、逃げられない。

 

 やはり切り離せない「将来」

 

駅のホームでいつも考える。

一生懸命歩いた。でも足跡の歩幅の短さは、足踏みとの違いがわからないくらいの差。

 

 

何も変えられない。うんざりだ。こんな毎日。もう嫌だ。自分への苛立ちが大きくなる

電車がくる。というアナウンス。足元の黄色い線を見つめる。

 

八方塞がりの生活の唯一の逃げ道。あの世の存在。あるか、ないかは重要じゃない。

あと数歩踏み出せばこの苦しみは終わる。それだけは確か。

 

電車の警笛が近づく。

 

行けよ。

 

ほら 

 

早く 

 

何してる?

 

ファッション死にたいと言われればそれまで。でも、土壇場で足が離れない。

 

自分の人生は自分以外に変えられない。わかってる。だから逃げたい。でも、

人生から逃げ出す勇気すら備わってなかったのか・・・

 

救いのない世界。ちっぽけな命。

 

5,4,3,2,1・・・・勤労の義務から解放される時間になった。フルタイムの社員の嫌味を

スルーし、タイムカードを押して福男選びよろしく、職場から駆け出す。

 

朝は死ぬほど嫌だった電車に早く乗りたくてしょうがない。

遠足に向かう小学生のような気分だ。

 

帰れる。好きなだけ眠れる。心をぴょんぴょんさせながらくぐった改札。

その向こうではスマホとにらめっこしたり、駅員に詰め寄る人々で混雑していた。

 

いつもより多い。というより、人の流れが止まっている。見上げた掲示板には

電車遅延の文句が流れていく。

 

右から来た文章を左へ受け流そうとしても、背中にへばりつく疲れに邪魔されて

予定を狂わされた苛立ちは行き場のない怒りに変わっていく。

 

なんでよりによって今日なんだ。そんなに死にたいのなら

他人の迷惑にならない場所で死ねよ。常識知らずな奴め。

 

 イラついても、状況は変わらない。ホームに人はいない。ベンチに腰掛け

缶コーヒーをすする。

 

脳天に上りきった血がジェットコースターのように転がり落ちて、悟る。

 

おいおい。お前だって、その常識知らずに加わろうとしてただろ。ついさっきまで。

 

誰も自分を見ていない。と嘆くけど、他人の痛みに関心を持った事があったか。

 

責任感が強く、真面目。自殺する人は、いい人。だと思う。

 

でも、この現代社会では、「いい人」は「どうでもいい人」と同じだ。

 

あたりを見回す。駅員に怒鳴る人、遅延の掲示板を写メする人。何に使うのだろう。

遅延の証明?それとも、ツイッターに載せるのか。

 

不思議だな。SNSが普及して、みんな他人の優しさを求めているなら

隣にいるおっさんに調子はどうだ?と聞けばいい。

 

愛されたいなら、愛する事から始めなさい。

 

 

なんてポエムを思いついているうちに、事は片付いた。いつの間にか全てが元どおり。

 

まるで何もなかったみたい。そんなものだ。人の命なんて。

 

どうでもいいごみくずが、人生から逃げ出したところで、電車が5、6分遅れるだけ。

 

 配られたカードで勝負するしかない。とよく言うけど、手元にあるのはカスカード

ばかり。勝てない勝負になぜ挑まなければならないのか。

 

負けるとわかってるなら、戦おうが逃げようが同じじゃないか。

 

そんな憂鬱と共に、1日が始まる。なんの変化もない日常。

 

強いて言うのなら、ホームの警備員がやたら増えた。警備する前に介護が必要そうな

爺さんが働いている。

 

そう。人間は働かなければならないんだ。生きている限り。

 

誰かが、仕事の辛さから脱落し、誰かが別の仕事にありつく。

そうやって人間の命は循環していくのかもしれない。

 

それでも、まだ、逃げたくない。

 

 逃げちゃダメだ。というセリフがある。でも、ダメだ。と強制するのとは

ちょっと違う。

逃げ出したい。でも、まだ諦めてくない。

 

まだ、自分の可能性を否定したくない。まだ何者にもなれる。そんな気持ちを捨てたくない。

 

全てのはしごを外されて、どこにも行き場がない。自分は終わったと思ってた。

 

それは誰かに使われる道ではなく、自分の道を歩き出した証拠。

そこからが本当のスタートだ。

 

生活は苦しい。逃げ出したいと思うなら、君はいい奴だよ。

だからこそ、どうでもいいとは思わない。

 

配られたカード、たとえ勝ち目がなくてもいい。荒野のど真ん中で

干からびる事になっても。

 

終わりなんてどうなるかわからない。

 

現実から逃げたい。仕事が辛い。人生は厳しい。

 

でも今日も生きていこう。

 

心が叫ぶ。それでもまだ、逃げたくないんだ。と