キリギリスはなぜ死んだ?

社会に、いらね。と言われた奴の最後のあがき

人生に救いがないと気づいた一年

2018年。平成最後の寒波(であってくれ)と共に

 

もういくつ寝れば30という大事な年が、社会の底辺のままで終わる。

 

気づいてしまった。この先、生き続けても、救いのない人生だと気づいてしまった

 

今更wwww

 

笑ってくれ。ここから先は苦笑いも起こらない。

 

 気づいちゃった。気づいちゃった。わーいわい。(絶望)

 

気づいたというより、そらす目線すらなくなったというべきか

 

落ちたら這い上がればいい。 ゴミ人生にそんなロマンはない。

 

一度踏み外せば、底のない谷を落ちていく。

 

君のいう通りだ。一言で言えば自業自得。

 

落ち始めた瞬間に、爪が割れても、指が折れても

 

谷の壁に這いつくばって、それ以上落ちないようにするべきだった。

 

ここより下はない? 甘いな素人。

 

目が慣れればいずれ見えてくる。終わらない虚無が。

 

どこまで落ちるかわからない不安を覚えたら、そこから一目散に駆け上がれ

 

いずれ良くなる。いつか報われる。そんな甘言を信じるな。

 

今を変えられないなら、未来など変わるはずがない。

 

君が思っているよりも社会はずっとシビアだ。

 

一瞬でもレールから外れたら、その後は地獄。

 

 

確かに、某ゼンカモン、くたびれた堂本剛

 

法の網目をくぐった人間の悪意を垂れ流す掲示板の創造主

 

京都大学出身のニートなど、常識からそれて生きている人はいる。

 

しかし彼らは本筋から離れた脇道を記した地図がある環境と

 

本人の地頭の良さが揃っているから輝いているのであり

 

「やだ!やだ!会社行きたくないンゴ!朝起きるの辛いンゴ!」

 

と駄々をこねるだけのゴミが真似しても・・・・

 

せやかて工藤。彼らはお前には想像もできない努力の人たち。

 

お前の言い分は醜い成功者への嫉妬やで。

 

exactly。

 

 

しかし、これだけは言わなくちゃならない。

 

彼らは底辺で精一杯生きる人達の「苦しい」というか細い悲鳴を

 

 「今は働かなくても生きていける。底辺にいるのは本人の意志」

 

「苦しまないで生きるために努力しない本人が悪い。」という

 

 

自己責任論者の言い分を言い換えたに過ぎない。

 

なんだかんだいって、みんな自己責任大好きじゃないか

 

 

江戸時代の村は、今と大して変わらない自己責任社会だったらしい。

 

それから数百年。まるで進歩していない。

 

人間。特にこの国の人々には、細胞レベルで弱者を切り捨てる非情がインプットされている。

 

「思いやり」 「助け合い」などという言葉は、世間体を気にした偽善でしかないのだ

 

君は、今は生活保護を申請して生きている人もおるで。と返すだろう。

 

しかし、費用は年々引き下げられてるし、不正受給問題の余波で

 

受給条件もべらぼうに厳しくなっている。

 

かくいう僕も、以前の会社でパワハラに心を壊して働けなくなり、貯金も底をつき

 

わずかな希望にすがって市役所を訪ねたけど

 

「自称鬱じゃだめだよ。診断書がなきゃ」

 

「親が生きてるじゃんwww甘えるなゆとりwww」(超訳)で終りだった。

 

君にわかるか?「お前は救う価値のないクズだよ」と認定された時の絶望が。

 

痛む傷口をナイフでえぐられるような日々に耐えながら、こずかいを稼ぎ

 

それすらも税金で徴収される。

 

その金で、生活保護を貰ってる奴が人がいる。

 

中には海外旅行にいき、受給額もギャンブルで使い切ってる奴まで

 

甘えるな。僕だって必死で生きている。

 

実によくできた社会構造だ。救う人間を選別することで

 

弱い奴がより弱い奴を妬むようになる。

 

ただ、誰もそのシステムに文句をつけない。

 

なんだかんだ叫んだって、みんな自己責任が大好きなんだ。

 

どうしよもないから生きている

 もうすぐ日が暮れる。いつもと同じ夕暮れ。昔はクリスマスや正月に独りだと

 

後悔が残ったけど、今じゃ何も感じない。いつもと変わらない生きづらい一日だ。

 

平成最後の〜と言われてもどうでもいい。年が変わるからなんだ?

 

ただ年号が変わるだけ。生きづらさは変わらない。

 

 

もう何もかも嫌だ。死にたい。歯磨きをしている間にすら思う。

 

逆になんで生きてるの?と聞かれたら、死ねないから。と答える。

 

くそみたいな繰り返しの日々を終わらせよう。

 

電車が通過するというアナウンス。特快が迫ってくる。

 

黄色い線の内側と外側、あっちが天国。こっちが地獄。

 

残っている理由なんてどこにある。

 

利き足を出そうとしたき、遺書を書いてからにしよう。

 

なんとなく、そう思った。だからブログを書く。

 

死にたいメーターが振り切れないと、書こうとも思わない。

 

チラシの裏にでも描いてろよ。と言われても、

 

他人に訴えるものがないと、張り合いがない。

 

江戸時代と違って、今はネットで自分の意志を示すことができる。

 

努力の方向音痴のゴミに、希望や救いは与えられない。わかってる

 

でも、黙って消えたくない。

 

どこまで落ちるかわからない不安の中でようやく踏みとどまれた。

 

 命のつきる最後の一秒まで、喉から血が出ても言い続ける

 

 この社会の冷たさが、最後と言えるその日まで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生きる資格が欲しかった。

簿記、ファイナンシャルプランナー、登録販売師、toeic

世の中は資格で溢れている。職につけるかも怪しい時代を勝ち抜くために

必要な資格。

 

でも、本当に必要なのは、生きる資格の一つだけだ。

 

 人生の答え合わせ=生きる価値なし

今年もあと2週間あまり。この一年の間に何をした?

労働で生きるために最低限必要な金を得るために必死になって終わった。

労働。といっても、フルタイムではなく、バイトであり、

週8時間+サービス残業をこなす常識的な社会人からすれば

「甘えるな」とか、「もっときつい人がいるのに、その程度で弱音を吐くな」とか

言われるだろう。

 

顔を合わせた全ての人に言われるから

月の労働時間、100数時間程度でストレスを感じる人間にこの国で生き資格はない。

 

しかし、外国は比べものにならない競争社会と聞く。

 

ここが漂流中に見つけた板切だというなら、爪が割れても、しがみついくしかない。

 

「働きたくねぇ」

 

生きていくにはお話にならない気持ちを扉の中に突っ込んで

固く鍵を閉めたのに、そのドアをぶち破って飲み込んでこようとする

激流葬みたいな社会の中で、なんとか沈まない程度に息継ぎしている。

 

心の底から聞こえる、「このままでいいのか?」という問いに

「溺れ死ぬよりはマシだろ」と答えた。雇ってもらう以外ないだろ。

好きな生き方で死ぬ勇気もないクセに。

 

バイトの内容の段取りをほんのすこしだけ理解し、

理想とは程遠くても、ようやく妥協できる現実に慣れたはずだったのに・・・・

 

 

将来を考える余裕なんてない。

 

今人間がやっている仕事は、将来AIで代行できる。とネットで騒いでいる

ネット社会の情報の多さは素晴らしいけど、その内容は毎日

ロクでもない暗い話題の洪水だ。

 

将来のために投資しなければ生き残れない。

しかし、投資というのは金と時間に余裕のなる金持ちがやる贅沢で

 

この瞬間、生きるだけで必死な貧乏人にそんな余裕はない。

 

一日を乗り切った。それを生きていてもいい小さな自信にしていく。

不満、不安は消せない。選択肢を間違えた後悔もあるけど分かれ道には戻れない。

自分に諦めをつけよう。これでよかったんだ。

 

そんな事を考えていると、終業まで残り15分。やっと帰れると思った矢先

「若いんだから、そんな仕事しててもしょうがないよ。」

 

始まったよ。年長者の苦言が。

 

そんな仕事、そのうちなくなるし、もっと希少価値のある資格をとらなくちゃ

 

 結論からいくと「職業訓練校に行くべき」という話をされた

 

そりゃ、くるもの拒まずなら行ってもいいけどテストに受からなきゃだめ。

 

安定が手に入る保証はない

 

「簡単で落ちるはずのないテスト」というけど

 

その簡単に落ちこぼれまくったから、「そんな仕事」をしているのよ。

 

さらに、申し込みはすでに終了。入校できるのは、来年の4月。

 

しかも、働いていると通えない。なるほど。

 

これを読んでいる無職は、安にバイトなど探そうとせず、職業訓練に行った方がいい。

 

時間を無駄にするだけだ。

 

この一年の答え合わせ。結果、選択肢は不正解。

 

あのままニートでいればよかった。たとえ気が狂っていたとしても

 

もうわかったよ。この社会はとことん雑魚に生きていて欲しくないみたいだね。

 

 

今わかった。濁流に飲まれそうな時、目の前に浮かんでいる

人一人が掴まれるサイズの板切にしがみつき

その板に寄ってきた他人を蹴落とす行為を認めてもらうための

価値。それを資格と言うのだ。

 

知らなかった。ただ生きるにも、社会の許可がいるなんて。

 

 

 

なんでも自動化すればいいわけじゃない。

終業の時間、タイムカードを押して帰り道を急ぐ。

 

 

真夜中に吹いてくる北風が体に染み込む。

 

さっきの事が頭の中でぐるぐると回って、惨めで歩くのも面倒なくらい疲れた

もうどうしようもない。それ以外言葉が出てこない。

 

立ち止まって、止まってもどうしようもないとまた歩く

誰への抵抗かもわからない牛歩を繰り返して駅につくと

 

乗るはずだった電車が通り過ぎていくのが見えた。

 

避けられない現実を思い知らされたとき、不幸がなし崩しに襲ってくる。

しみったれたやつにはそれが、この世から退場する理由になり得る。

 

それがどんなに小さな不幸でも。

 

新幹線アタックをとめるテリーマンの真似してみようとした

その時、スーパーの看板が目に入った。

 

最後にあったかいコーヒーを飲もう。レジに行列ができている。

一日もあと数時間で終わりというところでなぜこんなに?

目の前を埋め尽くす頭の先に、必死でレジをうつ人たちが見えた。

 

頑張ってるのはわかる。しかし、ぶっちゃけ、セルフレジの方が簡単ではないかと

思ってしまう。いずれ、彼らの仕事も無くなるだろう。他人事なのに悲しくなった。

 

順番待ちにイラつき、缶ビールをカゴ一杯にいれた 背広のおっさんにしょうもな。

とイラつく。

 

缶コーヒー一本しか買わないやつが何を言う。

 

レジは50代くらいのおばさんで、よく見る人だった。こういう時間は

忙しくて、釣り銭をまちがえたり、ごましたり、煽ってきたり、

 

缶コーヒー一個かってお客様気取りのやつが来る。大変な仕事だ。

 

僕の番が回ってきた。事務的な会話を済ませる。

人生の最後に口にしたものが、缶コーヒー。

クソみたいな人生の最後にふさわしい。

 

会計が終わった。そのとき、オバハンが「お疲れ様」と言ってくれた。

いや、別に前のサラリーマンにも変わらずに同じことを言ってたけれど

 

その瞬間に、小さな明かりがついた気がした。

 

このまま帰ろう。という気持ちになった。踏んだり蹴ったりの

世の中で生きるのに絶望している人間は、形式的な労いでも、生きていこうと

思うものだ。

 

それが、どんなに小さな希望でも。

 

止めるはずだった

在来線を待つホームはいつもより待ち人が多い。僕の隣にいる作業着のおっさんの

イヤホンから、銃声のような音が漏れる。最近のスマホはすごい。

 

FPSが手のひらに収まる。関心していると、画面の向こうで血が飛び散り

ゲームオーバーの文字が浮かんだ。

舌打ちをするおっさん。そのとき、ホームに響いたアナウンスが、

人身事故で電車が2分遅れていることを知らせる。

 

おっさんは再び舌打ちした。この人にとって、他人の命は、ゲームのキャラ

程度でしかないのだ。

 

ただ、このおっさんはわかっていない。もし、スーパーのレジが完全自動化されていたら、遅れが2分どころではすまなかったことを。

 

謝罪のアナウンスのあとに、電車がやってきた。すしずめの車内で、おっさんのズボンが随分汚れていることに気づいた。

よく考えたらこのおっさんだって、この時間まで働いて、クタクタなんだと思うと

少し、悲しみが和らいだ気がした。

 

ただ、生きるということ

 

前髪がうるさい。髪の毛を切らなければならないことを

思い出す。しかし、美容室に行くのは面倒だ。

有名な所に行った事はあるけど、雰囲気がお呼びじゃない気がするし

料金が高い。

 

数ヶ月に一度通うと考えると、まゆをしかめるものがあった。

 

どうにかできないか。とうんうん唸っても解決はしない。外に出よう。

最近自転車にのっていないな。と気づいて、あてもなく走っていると

 

小さな看板が目に入った、赤と青の縞がぐるぐると回るガラスの管。

懐かしい感じがする床屋さんだった。ここに行くべきだ。という直感があった。

店員の第一印象は悪くない。オシャレなおっさんといった感じだ。

 

美容院の場合、店員との会話が取り調べのように感じるけど、不思議とそんな感じは

なかった。店にはおっさん一人で、よそから移ってきたことを知った。

 

こんなさびれた町ですいません。と答えると、でも、僕ここ好きですよ。と返ってきた

 

形式的な回答でもいい。自分の生まれ育った町が褒められるのが嬉しかった。

 

床屋というと、スポーツ刈りにされるとう先入観があったけど、そんなことはなかった

 看板にあった料金は、都会の半額だけど、もっと金を出してもいい気がした。

僕の賃金がもう少し高ければいいのに。

 

 

顔剃りしてもらう間に、子供の頃によく通っていた床屋を思い出して

そういえば、あの頃は途中で寝ちゃって、おじさんに起こされていたこと

頭にヘアトニックをぶっかけられ、頭皮を襲う衝撃の清涼感に泣き出してしまったことを思い出した。

 

そんなことを思い出しすとなぜか楽しくなった。小さな店だったけど、またきたいと

素直に思った。

 

生きる資格が欲しかった。

 

あの頃、なぜ楽しかったのか。ただそこにいるだけで、生きていてもいい。と思えたからだ。

それは過去を美化しているだけと言われたらおしまいだけど、そんなことはない。

根拠もないけど、世の中は確実に生きづらくなっている。

 

少なくとも、10年前は、こんなに資格習得の学校や通信教育の広告が溢れては

いなかった。

 

いつの間にそこにいるには資格がいりますよという世の中になったんだろう

 

僕はただ、生きる資格が欲しかっただけなのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大人のための勉強法。効率的な勉強法とは。

前回の記事で、勉強がうまくいかない理由と、勉強を好きになる方法を書いた。

 

senbeibj59634hu.hatenablog.com

 

興味を持って見てくれた人は、内容うっす!とがっかりさせてしまったかもしれない

最初はサクッと読める要点だけを詰め込んだスマートな記事を予定していたけど

ノートに書いたまとめがまとまらず、一記事に納められなくなってしまったのだ。

 

そこで、「無駄にならない勉強法」からコピペした気づきを前回、「革命編」と

今回、「野望編」の壮大なスケールの2部作に分けてお送りする。

 

前回の勉強嫌い克服に対して

 

今回は、時間のない大人のための、効率的な勉強法について紹介するぜ。

 

大人のための効率的な勉強法、守破離勉強法

 

前回で、大人の勉強法は、「気づき」をへて、それを行動化していくことが大切

 

と書いた。なら、どう行動するべきか。そのヒントになるのが、守破離だ。

 

守破離(しゅはり)ってなんだ?

日本を代表する茶人、千利休のうたを元にした、学びの姿勢を示す言葉。

物事を極めるための重要な方法のまとめで

主に、「守」 「破」 「離」の三つのステージで構成される。

 

ざっくりとした解説

「守」 基本をそっくりそのまま徹底的に真似る     (初級)

 

「破」他の人や他の流派のやり方を研究し、さらに成長する(中級)

 

 「離」自分流のスタイルを探求し、前進する。      (上級) 

勉強の流れ

つまり、基本の習得→他のパターンを試す→自分流の確率という感じ。

 

たまに、教科書や入門書をみるな。というアドバイスがあるけど、あれはダメ。

 

 

 基本を知らない=「己を知らない」状態で勉強を始めても、守破離不適合となり

成長に繋がらない。

 

 ポイントは、「自分が学びたいこと」と「自分に必要なこと」を分けて考えること。

 

「学びたい」ではなく、「学ぶべき」必要な知識や方法を選ぶのが大事になる。

 

そのためには、自分への問いかけが必要になる。

 

自分がその分野の「基本」を抑えているか「守」

 

様々なパターンを身につけ、応用できるか「破」

 

基本も応用もすでに身につけていて、「自分流」を突き詰めているか「離」

 

そして、本を読んだり、セミナーに参加したら、学んだことを一つだけ実行してみる。

 

この記事を書いているのも、この本に書いてあった、アウトプットの一つだ。

 

それについては、後で説明するよ。

 

 入出力勉強法、ステップ1、概観

勉強に必要なのは、インプット、アウトプットであるのは前回話したとおり

ちなみにその割合は、インプット3:アウトプット7がちょうどいい。

 

さて

アプトプットするには、インプットが必要。そのために、ネットの情報や本を読む

わけだけど、君はどう読む?

 

僕は最初の端書きの段階から、一行一句漏らさず読んでた。でもこれは時間の無駄だ。

 本を読むときは

 

目次を見て、本のおおよその内容を把握し、本をパラパラとめくりながら

 

「その本で自分が最も知りたいことを先に読む」

 

知りたいことが書いてなかったら、次の本へ移り、知りたいことがあったら、

最初の一ページに戻りそこから読み始める。

 

 

人間の脳は情報をネットワークで記憶する。つまり、関連性のあるものを記憶するのは

簡単でも、関連性のないものを記憶するのは至難。

 

情報を記憶するときは、前後の脈絡や、全体の中での位置づけをはっきりさせる

 

 

 ここからわかることは、勉強は、全体から細部へ移っていくのが正しいということ。

 

過去問勉強法。

これから試験勉強する人で、過去問があるなら、まず過去問で出題された部分を

全て調べて、教科書や赤ペンで塗っていく。

 

ポイントは、選択問題であれば、正当以外の引っ掛け選択肢も、「出題された」

として、蛍光ペンで塗っていく。

 

そして、出題された部分をノートにまとめて、暗記していく。

 

それを優先して完璧に暗記する。過去問のある試験なら、間違いなく役に立つはずだ。

 

ボールペンは一週間で使い切る

ここで重要なのは、「手書き」ってところ。パソコンのタイピングでいいじゃん。

という人もいるだろうけど、手書きとタイピングを比べたところ

 

手書きで書いた方が記憶に残り、勉強の効果が高い。という研究結果があるそうだ。

勉強とは、体を動かすこと。ボールペンを一週間で使いきるぐらいが目安だそうだ。

 

同じように、単語帳だけを使う勉強法は、非常に効率が悪い。

 

頭の中で思い出す、想起は、思い出すだけなので、結局記憶に残らない。

 

単語帳を使うなら、カードを見たら、綴りを指で空中に書く。

あたかもシャドーボクシングをするボクサーのように。

生成学習のすすめ

そして、書けなかった部分を、重点的に記憶する。

 

間違えた部分はすぐに答えをみずに、間違えた理由を考える。これを、「生成学習」

という。

脳は、正解した問題よりも、間違えた問題を、強烈に記憶する。

なので、模試は積極的に受けた方がいい。

 

ただし、フィードバックは忘れないように。

 

ポイントは、「悩んだ問題ほど、記憶に残りやすい」ってこと。

 

フィードバックとスーパーアウトプット

究極のアウトプットとは、教える。

 

アウトプットのやり方で、一番効率の良いやり方は、人に教えることだ。

手っ取り早いのは、講師になって、セミナーを開くことだけど、人嫌いには敷居が高い。

 

そこで登場するのがこの学んだ内容をブログに投稿すること。ここでの投稿からの

あなたの反応が、最高のフィードバックなるというわけだ。

 

この記事が勉強嫌いあなたのなにかヒントになることを願う。

 

勉強の目的

一番大事なのは

「なぜ勉強するのか」「知りたいこと」「知らなければならないこと」を明らかにする

こと。

 

このブログは、メンヘラブログとして出発し、社会の常識に馴染めない叫びを

投稿してきた。今、この瞬間もそれは変わっていない。

 

僕が知りたいことは、「この社会がなぜこんなに生きづらいのか」

 

「社会を変える方法はないのか」

 

知らなければならないことは、「生きづらい社会でどうやって生きるのか」

 

それをどう知ればいいのか、どう考えればいいのかすらわからなかったけど

 

まずは、知り方、考え方を調べていく。

 

そして、今まで感じた、「なぜ生きてしまったのか」という

 

疑問の答えを見つようと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無駄な勉強から抜け出すためには。

この一ヶ月はなんだったんだ。片道一時間の帰り道、電車の中で感じる疲れ。

 

会社から資格の試験を受けろ。という命令をうけ、200問近い問題集を毎日解いて

この日のために備えていたというのに、20分でそれは無意味になった。

一ヶ月、遊んでいたわけじゃない。サボっていたわけじゃない。ならばなぜ?

勉強のやり方が間違っていたから。でも、何が間違っていたのかはわからない。

 

無駄な勉強法から抜け出すためにはどうしたらいいのだろう。

 

 無駄にならない勉強法とは?勉強がうまく行かない4つの理由。

 いつものパターンなら、ここから自虐が始まるけれど今回は一味違う。

ブログを書くのもめんどくさいくらい落ち込んでいたとき、

 

さっちゃんさんの記事が目に止まった。

 

ワイが勉強法を読み漁った結果「これはマジで天才になる」と思ったやつランキング! - 働いたら負け

無駄にならない勉強法の本を読みました。とても参考になりました。

2018/12/01 09:57

 

制作期間4ヶ月

ブログをかじった人間なら、彼の苦労がわかるはずだ。

論理的でとてもわかりやすい。ぜひ見てほしい。

そんな超大作を無断でパクるのも忍びなく、引用元として貼り付けている。

さっちゃんさんがもし不愉快でないなら、知のギャグマシーン

 

トータルテンボス風に、「かまわんよ」と返してほしい。

 

この記事の中で、

 

ムダにならない勉強法

ムダにならない勉強法

 

 という本が紹介されていた。今回のテーマである。

 

 

サンマーク出版かぁ・・・・という第一印象と、この手の本を読んでも

実になった経験がないため、気は進まなかったが、読んでみたら

自己啓発と上から目線は鼻に付くものの、この虚無感から抜け出すヒントにはなった。

 

 

 

 

著者の樺沢氏によると、大人の勉強がうまくいかないのは

 

  • 勉強が辛いと感じるから
  • 教科書、テキストがないから
  • モチベーションがなく、続かないから
  • ポイントがわからないから

 の4つの理由があり、これを乗り越えるには、勉強法を知ること。

 

この本の中で、いいな。と思ったセリフがある。

 

この世に頭の悪い人間はいない。勉強法を知らない人がいるだけだ。

樺沢紫苑 

 

 

 

「勉強法とは、勉強するための方法」ではなく

 

「勉強を開始するための戦略」であり、これを間違えると、いくら時間を消費しても

意味がない。

 

なるほど、つまり僕は一ヶ月、勉強のやり方間違えていたわけだ。

ならば、正しい勉強のやり方とは?

 

勉強が辛い=楽しくすればいい。

 

人間は楽しいことをすると、脳からドーパミンが分泌される。これは集中力と記憶力を高め、学習効率を大幅にアップさせる。

 

逆に、嫌いなことをすると、ストレスホルモン、コルチゾールが分泌され

記憶力を司る海馬の働きが低下する。

 

 つまり、「勉強しよう」という強制ではなく、勉強が楽しく、「やってしまう」

「やりたくてしょうがない」状態になれば、勉強は効率化するというわけだ。

 

理屈はわかった。しかし、夏休みの算数ドリルすら投げ出すレベルの勉強嫌いが

どうやって、勉強を楽しめば良いのだろう。

 

勉強を楽しくする=魅力を聞く

一番いいのは、勉強好きの友達に聞いて見ること。興味のないジャンルでも

その分野の面白さを教えて貰えば、新しい発見がある。

 

せやかて工藤。周りが勉強なんかしなくても生きていける。って人たちばっかだから

こんな生活してるんやろ。と返したくなる。

 

そんな僕らのために、「本」がある。勉強の好きな有名人の本を読んでみることで

勉強の魅力に触れられる。というわけだ。

 

試しに、著者の紹介している勉強法の古典「知のソフトウェア」に目を通した

触りだけでも感動する内容で、それについては別の機会に話したい。

 

池上彰氏も紹介されており、目を通したけど、やっぱりわかりやすい。

さすがCのこと、スィーっていう知識人である。

 

ほかにも、知りたい目的に分けて著者が紹介されているので、詳しいことは本を

見てみてもいいんじゃない。

 

勉強を楽しくする=脳を喜ばせる

 

もっとも学びが大きのは、知りたいことが3割り、知らないことが7割り書かれた本

 

情報はネットワークとして記録する、そのためには、「知っていること」が

ある程度ないといけない。

 

つまり、3対7の割合、「ちょい難」を選ぶのが脳に一番いい。

 

なるほど。ゲームでもダークソウルより、デモンズソウルの方が評価が高い。

難しい前作が好評だったからと難しすぎる次回作が好評とは限らない、

そこがまた難しい

 

 勉強が楽しくなる方法=脳に褒美を与える

 

脳は報酬を欲しがっている。そのためには、小さな成果を記録して、脳にご褒美を

与えるといい。例えば、英語のヒアリング時間や、問題種を何ページ解いたか

勉強時間そのものなど・・・

 

数値の変化や、微細な変化、ちょっとした成果でも、脳はドーパミンを分泌する。

 

毎日続ける。まとめて一気にやる「集中学習」よりも、毎日コツコツやる「分散学習」

の方が復讐の回数が増え、記憶に残りやすい。

 

たとえ短い時間でも、毎日コツコツやった方が、少しづつでも、結果がでる。

というわけだ。

 

勉強を目的化する。

 

勉強を無駄にしないために重要なのは二つ。

 

目標を決めること

 

気づきを得ること

 

目的地=勉強の目標を決め、どうなりたいか、獲得した知識をどう生かすか

を決めることで、最適な勉強法がわかるのだそうだ。

 

そのためには、「無知の知

自分が何を知っていて、何を知らないかを

明白にする。そうすれば、知らない部分を勉強すればいい。

 

それを、この本では、気づきと読んでいる。

 

そこから、自分は基本を学んで抑えているのか

様々ななパターンを身につけ応用できているのか

基本も応用もすでに身につけて、自分流を突き詰めているのかを

自問していく

 

そのために必要なのが、インプット、そして、アウトプットだ。

インプット、アウトプットの重要性。

 

大事なのは、アウトプット前提のインプットをすること。

 

あとで、アウトプットする。と分かれば、インプットも重要な部分のみとなり

無駄な学習をしないで済むはずだ。

 

「アウトプットとは」脳の中に入った情報を脳のなかで処理して外界に出力すること

具体的には、「話す」「書く」 「行動する」にあたり

 

話すより、書いた方が、記憶に残りやすい。

 

つまり、勉強の結果をだしたいなら、書いた内容を音読するとよい。

 

その後で、問題集を解いたりして、自分の知らないこと、を突き詰めていく。

ちなみに復習するタイミングは一回目が一日後

 

二回目が3日後

 

三回目が7日後といった風に

 

最初は早めに、その後、徐々に時を開けて復習するといい。

 

 

 フィードバックする。

 

インプット、アウトプットの間に必要なのが、フィードバックだ。

 

フィードバックとは、得られた結果を評価、考慮して、次のインプットに

修正を加える作業のこと。

 

問題集の間違えた部分を読み返したり、興味をもった本から、同じ分野の別の本を

読んでみるなどがそれに当たる。

 

フィードバックがないと、どれだけインプット、アウトプットを繰り返しても

空回りになってしまう。

 

大事なのは、「なぜ間違えたか」を自分で考えること。なのだそうだ。

 

 なぜこんな記事を書いたか。

 いつもと違う内容で、戸惑った人もいるかもしれない。なぜこんな記事を書いたか

というと、勉強を無駄にしない最大の方法は、知った情報を発信すること。

だと気づいたからだ。

 

ブログを書いても無駄なのか。という不安をなんども書いてきたけど

不安を考えても、考えるだけで何も変わらない。そしたら、これまでやってきたことが

本当に無駄になってしまう。それだけは嫌だ。

だったら、

何か一つでも、変える可能性があるのことをしてみたいと思ったんだ。

 

なにより、この一ヶ月、知らないことを知れたのは、嬉しかった。

もしかしたら、

勉強が面白いかもしれない、それがこの一ヶ月で得た「気づき」だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

空は誰のものでもない。

雨が降るのか、晴れるかわからない中途半端な天気、曇りは嫌いだ。

 

傘を持って出れば安心だけど、安心の重さを背負える余裕はない。

 白くもなく、黒にもなれない灰色で満たされた天気予報

どちらに転ぶかわからない不安を抱えながらも、テレビが言ったなら

大丈夫。3秒ルール並みの謎ルールと共に外に出て数十分

上を向いて歩いている僕とは違い道行く人たちは手元のスマホに夢中。

 

空の色なんて誰も気にしていない。

 

自分の頭で考えるのをめんどくさがった奴をこずくように雨粒が降ってくる。

行くにも戻るにも微妙なコンビニの、雨宿りするには少なすぎる屋根の下から

 

自動ドアの向こう、レジ横のビニール傘が目に入る。

いっそ買ってしまおうか。そんなことで、金を使うぐらいないなら最初から・・・

 それ以上はやめようぜ。ここで反省会を開いても、雨が上がるわけじゃない。

このまま突っ立ってる方が、よっぽど無駄足だ。

 

雨脚が強くなってきた。さぁどうすると煽るように。

 じっとしてるか。進んでいくか。正しいのはどっちだ。間違えたらどうする。

間違えるのは悪いこと?そうでもないさ。

 

予報士だって全国ネットで間違えんだから。愛嬌があっていいじゃない。 ねぇ良純。

 

 

歩こう。

 

歩く意味とか、辿りつく場所とか、わかってるに越したことはないけど

わかなくてもわかってても最後死ぬのは変わらないし、それでも気に入らないなら

わかるまで歩けよ。土砂降りの中を突っ切って

 人からどう見られるかだって?

冗談だろ。君は存在しているだけで、十分変だ。

ずぶぬれで歌っている姿を笑われてもいい。

 

歌おう。

 

悲しいときほど歌おう。苦しいときほど歌おう。

誰とも分かり合えないようなだれもかれもに置いてきぼりにされているような

みじめな気持ちの時は、歌おう。

 

 

 何をと?と聞かれたら、別にアニソンでもアイドルソングでもいいんですけど

でも僕はやっぱりブルーハーツ

 

あのもやもやした雲の向こうには青空があるんだ。雲で見えないだけ。

信じろよ。疑ってどうなる。気持ちが暗くなる。暗くなってどうなる。

始末をつけるか。つけられない。進めない。戻れない。脱落もできない半端者。

やめろ。それ以上続けてどうなる。

 

自分を嫌いな理由をこれ以上増やしてどうなる。

 

天気が悪い。

 

今日も曇り。

やるからにはふり切れろよ。それとも、これはお前だっていうメッセージ?

そうとも。世捨て人にも、金持ちにも、社畜にもなりきれない半端ものさ。

 

半端者は腰掛けのバイトに行きますよ。今日も昨日と同じこと。

6時半の駅前、おっさんがブツブツと喋ってる

階段の端に立てかけれた、横田へのオスプレイ配備反対!の看板が目に入る。

ぶっちゃけ、オスプレイはどうでもいい。うちに墜落してくれれば、くそったれな

日常を終わらせると同時に、悲劇のヒーローにもなれる。

こっちは地べたを這うだけで精一杯なんだよ。

空の上を何が飛んでるかなんて、誰も気にしてない。

そんな悪態が出る朝、一言で表すなら最悪。だからなんだ。

 

ある意味最高より幸せじゃん。それ以上落ちない。けどね。

お前だけじゃない。と言われても、俺以外幸せにしか見えないから落ち込む。

 雨雲の居座った日の夜に裏路地を歩くと、とても惨めな気分になる。

昼間は意識せず通り抜けられる距離なのに、ジメジメした空気と先の見えない暗闇のせいで、道自体が長くなったような気がする。

 

 

いつものようにはいかない。どうしようもない。

いや、ちがう。

間に雲があるだけだ。星は消えない。光はそこにないわけじゃない。

なんてことはない。気がつけば家の前に立っていた。

 

今日はたまたま見えなかっただけさ。

誰でも初心者

おでかけ日和と煽られると引きこもっていたくなる。

晴れているからといって、こちらの気分に変化はない。

特に目新しい情報があるわけでもないけど

部屋の静けさを埋めるためにつけたテレビがこの国の空は誰のものかと話していた。

僕の見上げた空を、この国の飛行機は許可なく飛べないそうだ。

「誰のものなんだ!」コメンテーターが怒っている。

わかりやすく線が引いてあればいいのか。

あんな広いものを持ちきれる人などいない。

 第一、誰かのものだとして、なんの問題があるのか。空なんて誰も気にしてない。

そんなつぶやきを考えたとき、ビデオの期限が今日だったことを思い出した。

ビデオ屋までチャリを転がす道すがら、

 

子供の頃からよく見るレトロなプロペラ、尾翼にはアメリカの国旗がついてる

 飛行機が飛んでいく。

 

容姿を観察できるほど低く飛んで大丈夫か。とも思う。だからなんだ。

空なんて誰も気にしてない。

 

ミリオタではないから、あれがどんな飛行機で何をするのかはわからない。

ただ、ビデオ屋の行きと帰りで、見える範囲をグルグル回っているから

練習なのだと思う。

 

切り返しのおぼつかなさに、初心者なのだろうという妄想をする。

車の免許を取る時、路上に初めて出た時は緊張したものだ。

 

軍用機に路上教習があるかは知らないし、初心者マークが貼ってあるわけでもない。

ただ、最初は誰でも戸惑う。乗っているのは人間。飛行機にのってるだけで、

彼のなにがわかるというのだろう。ただ見えないだけさ。

仮免講習の前の日に、緊張で眠れなかった日を思い出して、頭の上を飛んでいく

鉄の塊に乗っている奴も、同じではないかと思うと

借りたアメリカ映画の中で、雨に歌っている主人公の気分がわかった気がした。

 空は誰のものでもない

曇りの日は飛行機が飛んでいく。どんな種類かはわからないけど、飛んでいるのは

音でわかる。

 

雨か晴かわからない日の夕暮れ、珍しく夕焼けになったほうへ、見慣れない飛行機が

飛んでいく。目で見たことはない。でもニュースでは知っている。

オスプレイじゃん!一人でテンション上がってたけど、

通行人の誰も空なんて気にしていない。

さもあたり前のように、夕焼けの方へ消えていった。

 

この目で見れば何てことはない。ニュースは見えないから不安なだけ。

それだけさ。

 

曇りの日は嫌いだった。先の見えない不安に潰されそうになるから。

それでいい。不安なままでも、進んで行くべきだ。それが最悪だったとしても

持ちきれないものをねだるよりはずっと。

 

 

天気は思い通りにならない。空は誰のものでもないんだから。

 

備考

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一人で死ぬと覚悟を決めろ。

一人っ子って言うと、うらやましい。とか甘やかされてそだったんだろ。とか

もっと苦労しろよ。とか言われる。

 

そんな事はない。僕なりに苦労して生きてたし、一人っ子って事はそれなりの事情を

抱えているものだと思うんだけど、やっぱり本当に苦労している人は、親元で暮らしたりなんてしないで、自立して生きているし、真の苦しみと戦っている人は、ニートになったりしないだろう。

 

井の中のなんたらとよく言ったもので、自分の狭い部屋から空を見上げているカエルが

弱々しく鳴いたところで、誰に興味を持たれるわけもない。そもそも、誰が暗い井戸の

底を覗こうとするのか。

 

誰もいない。誰にも気づかれない。逆に言えば、他人の顔色をみたり、歩調を合わせたりする事がなく、自分の管理できる世界で、自分の思う通りに生きていけるそういうところは、ぼっちは優れている。

 

ここまで書いて気づいたけど、僕は他人と分かりあう日は、永遠にこない。だって他人に合わせるられないのに、どうして、他人に合わせてもらえると思うのか。

それでわかってくれる人を求めるとか・・・・・ちょっとわがまますぎやしないか。

 

「わかってくれる人」って書いたけど、一体なにをわかってほしいの。

低学歴職歴なしフリーターの身分なのは、なまけてたからじゃなくて、その先々に

あった、そこにとどまっていたら死んでいた。っていう状況から逃げ出して、後ろめたさを抱えながら生きてきたのを、正当化してほしいのかい。

 

それとも、これまで、何もかも中途半端だった自分を褒めてほしいのかい。

それは虫が良すぎない?

 

例えばさ。石につまづいただけで死にたいってわめいて、始めの数時間でうまくいかないって諦めて、それで世の中が悪い。俺は悪くないって毒づいてる奴を、君は好きになれる?

 

それとも、よく聞くように、「痛みを分かち合いたい」のかな?

他人の痛みなんて背負えるわけないだろ。痛みの意味すらわかってないのに。

認めるのが怖いんだよ。これまで生きてきた時に、耐えられない。逃げ出したい。

なんで自分だけが。と眠れない夜を過ごしてきた時間は、大したものじゃないって事に

 

その、自称耐え難きを耐えてきたっていう自信だけで自分を支えてきたのに、それは

結局、底辺の暗がりで広い世界を知らないで育ったからこその自己満足だって現実を

認めさせられるのが恐ろしんだ。

 

「させられる」ってのは、他人からもち込まれた価値観ってことだ。外の広い世界。

広いといっても、どこへ行ってもどこまでいっても、生きづらい常識に縛られた

社会、何時間もかけて書いた履歴書に数分で目を通され、鼻水で枕を濡らした夜や

心臓がひっくり返るような暴言を受けても、拳を握りしめて、ヘラヘラ笑った日や

外へ出ようとしても、足が玄関にへばりついて言う事を聞いてくれない情けなさに

 

なぜそんな事もできないのかと己を呪った朝の長い長い数十年を、数十分しかあった事のない赤の他人に採点され、したり顔で社会の常識を説教される拷問に対して

不公平だ。とこぼす事に、それは全部、お前が努力してないのが悪いんだ。と

全人類に口をそろえられているような、あの、なんと表現したらいいのかわからない

もう、本当に独りだ。という気持ち。

 

そう。結局、他人は敵なのだ。周りを硬い堀で囲ったのは、外敵から身を守るためだ。

社会標準に合わせられない人間は、社会から身を守るために、孤独を選んだのだ。

大衆からみると、ヤバいやつかもしれないけど、独りってのは、結構勇気が要るもので

誰でもできる事じゃない。聞くところによると、うちうちにこもるのが世の中の流行りなんだって、あれ、そう考えたら、ある意味、大衆派なのかな。

 

まぁいいや。あれ・・・なにを書こうとしたんだっけ。忘れちゃった。昔はノートに

しっかり考えをまとめて書いてたんだけど、そんな力んでも、更新できないから

ノープランでパソコンの前に向かってる。

 

そもそも、小説家とかプロブロガーとかじゃないんだから、もっと軽い気持ちで書くべきだったんだ。君だって、緩いノリの方が好きでしょ?

 

これこそ、チラシの裏に書いとけよってね。読むのはだるいだろう。でもさ。

誰も読まないだろう。くらいに力抜いて書いたほうが、気が楽だよ。

少なくとも、皮算用してがっかりするよりはいい。

 

大海を知ったとして、知ったところでどうなる。この世にはどこもかしこも、

クズ。の一言であしらう奴らばかりじゃないか。否定する人間は山ほどいるのに

肯定してくれる人は一人もいない。

 

昔はね。他人は無理でも、血の繋がった人ならわかってくれるんじゃないかぐらいに

希望を持っていた時もあってね。

 

なにもかもうまくいかなくて、この世はなんでこんなに苦しんだ。何もかももうだめだ

ママンに相談して、帰ってきた答えは

 

「彼女でも作れば」だったからね。

 

ふざけるなよ。目の前の問題は何一つ解決してないじゃないか。

第一、ストレスのはけ口にされる女性にも失礼だ。

 

いや、女子にもてたいのはもてたいさ。もてたいよ。もてたい。四回も書くほどだ。

相当もてたいんだろう。そして、もてないんだろう。その通りだ。

 

街を歩いていると、キャワイイギャルが通りすぎるたびにガン見する自分が情けなくて

しょうがない。しかし君だって、美人をみると心ときめくだろ?

少なくとも、死にたい。とか言うよりは、ポジティブだ。

 

こんな子が彼女だったら。とか、思う。でもさ。かわいいって事は、それだけその子も

努力してるって事だよね。

 

スタイルいい。って事は、ダイエットしてる。って事だし、髪綺麗だなって事は

高い美容院行ってるって事だし、かわいい服だな。って事はそれなりに高い服着てる

って事で、なんでそんな努力してるかって言うと、それに見合うイケメンか金持ちをゲットするため。なんだよね。

 

見た目ジャバ・ザ・ハットの底辺にキモい目でガン見されるためじゃない。

彼女の目に僕は映らない・・・・僕はステルスか?

 

これ、通報とかされないよね。ネットで公開するって事は、女性も見るわけでしょ。

別にいいか。いや、通報は勘弁だけど、生まれてこのかた、キモい、臭い、しね以外の

言葉をかけられたことがないから。

 

そう。見た目美人といっても、内面まではわからんぜ。いいのは外側だけで、心は醜いなんてざら。かわいい子は性格いいなんて嘘ですよ。奥さん

 

それはクラスのいけてる組から目の敵にされてきたから自信を持って断言できる。

 

野山に咲く花は、野に咲いているから映える。

素晴らしい名画は、額ぶちの中にあるからこそ、素晴らしい。

 

美人も同じ。遠くから見ているからこそ、美しい。

 

ひきこ持っているカエルも同じ。外の世界を知らずに、あれこれ想像をめぐらして

頭の中に天国を作れれば、それで幸せじゃないか。それにこの暗闇だかこそ、

空の高さが身にしみる。

 

井の中の蛙大海を知らず。されど空の青さを知る。

 

 

僕は一人だ。だからこそ、この景色を、自由を独り占めしている。

どうだい?うらやましいだろ。

 

 これを手放すくらいなら、一人で死ぬと覚悟を決めるさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人生に疑問しかない。

何のために生きているのだろう。わからない。これだからこうだ。という答えを

ここで言えればいいんだけど、選んできた道のどこにも、それはなかった。

 

「何のために」

 

目的は大事だよ。漫画のヒーローだってそうでしょ。

ルフィもナルトも「俺はなる」て言えるからかっこいい。

まぁ、元からヒーローってタイプじゃないし、そんなもの必要なかったのかも

べっ別に、うらやましくなんか・・・・ないんだから・・・

 

事件、事故で急な不幸がないなら、時間は瞬間のように過ぎていく。

目的って書くと身構えてしまうけど、考える内容を別に分けるって事かもしれない。

放っておくと頭の中は、慣れた毎日を疑い始める。

 

毎日、毎晩、毎週、頼んだわけじゃない。好きでやってるわけじゃない。

でも、テレビ、ネット、新聞、他人・・・いろんんな価値観が流れ込んでくるうちに

 

足元の安定性を疑い始める。見た目は硬いアスファルトでも、しっかりしてるのは

ガワだけで、中身はテキトーに舗装されているんじゃないか。この道は本当に

アスファルトなのか。とか、そもそも、しっかりと舗装する必要があったのかとか

ただ歩いているだけの奴にはどうにもならない事ばかり考える。考えるな。って考えれば、考えるほど、考える。まったく。困ったもんだ。

 

何のために生きてるんだろう。何のために・・・・生きるために?こんなに苦しいのに?生きていたいの?それとも死にたいの?ならなぜ死なないの?言葉にできない。

わからない?もうわからなくて良くない?

 

どうしたらいい。誰に聞いてる。誰かが答えてくれると本気で信じているのか。

ただの痛い奴と思われて終わりだって事は、今まで痛いほどわかっているだろ。

わかってるよ。誰かに聞いても、誰も答えられないような疑問だからだ。

 

なぜそんな事ばかり考えるの、今している事を疑うの?自分の居場所はここじゃないって思ってる。別に俺じゃなくてもできる事。俺がいなくても成り立つ仕事。

俺はただの部品と考える。とどのつまり、なぜ働いているのかわからないんだ。

 

生きていくため。正確には、生きるために必要なものを得るための金を得るため。

逆に言えば、金さえあれば、働かなくていいんだ。俺にもハンターライセンスがあれば

ヤフオクで売れば七代先まで遊んで暮らせるってマジ?

 

金。金ってなんだろう。最近分かってきたのは、生きるために必要最低限の金はそこまで多くはなくて、残りはそれを得るために費やした時間やストレスをとり返すために

消費するためのもの。金っていうのは欲しいものを買うためのものなわけだけど

 

欲しいものがない・・・・そもそも、そこまで生きていたくないわけだから。

例えばトニースタークと体と心が入れ替わってる!ってなっても、嬉しくないし

鉄とチタンの合金できたスーツで悪と戦おうとは、しないだろう。

強いて言うなら、ゴミみたいな自分でも、心からわかってくれる人が欲しかったね。

それはお金で買えないでしょう。僕の欲しい物はお金じゃ買えない。

 

そして、お金で買えない物を手に入れられるほど、自分に価値があるかと聞かれたら

ない。と即答できる自分が悲しい。絶望的な答えはすぐに出てくるのになぁ。

なぜ、前向きな、希望に満ちた答えがどこにもないのだろう。もうたくさんだ。

こんな物を書きなぐるのは。かといって、これをやめれば、ガスが溜まった部屋みたいになる。火花が散れば、その瞬間に大爆発。いままでそうやって、取り返しのつかない

物を失ってきた。それを思えば、今はよくやってる。

 

希望が見えない。明日を迎えるのに張り合いがない。どうしたいい。

どうすれば、未来を信じられるのか。どうすれば、今、生きている「だけ」の人生を

認めることができるんだ。

 

もしかしたら、これまでと別の道を進めば、何か見えてくるのじゃないか。

わかってる。けど、凡人から普通の道を選ぶなってのは、

綱渡りの経験がないのに、ギネス級の高さに貼られたロープを渡れっていってるような

もので、踏み出した瞬間に強風にあおられ谷底に真っ逆さま。それでどうなる。

 

誰の心にも残らない。みんな馬鹿な奴もいたな。ぐらいで終わりでしょう。

でも、どこにも行けないクズには、彼の勇気の価値がわかってる。

誰に評価されなくても、己の道を行ける人は素晴らしい。

 

 

そろそろ付き合うのがめんどくさくなってきたんじゃないかい?そもそも、こんな

ところまで読んでくれてるの。そんな事まで心配してどうするよって話なんだけどね。

ここまで来たなら、なにか気の利いた事を言えるのが、一流なんだろうけど、全く

思いつかないよ。すまんね。

 

つまんねぇのは百も承知だけど、書いてる時は、しがらみもない世界にいられる気がするんだ。特別な人間になりたいとか、人気者になりたいとか、

このブログで金を稼ぎたいとか、ここまでの内容のひどさを見ればそんな事

思ってないのわかるでしょ。

 

これまでの経験でわかったのは、これはこうだ。ってわからないなら、そのままで

いい。って事、無理に結論を出すよりも、うじうじ悩んでいる奴のほうが僕は好きだな。