キリギリスはなぜ死んだ?

社会に、いらね。と言われた奴の最後のあがき

生きる価値のない人のセーフティーは安楽死。

 社会学者の古市と科学者の落合氏の終末医療に対する対談がネットで炎上している。

 

要するに、死が確定している人間の命を引き延ばすために金を使うのって、無駄だよね

 

ということらしい。この二人に興味がないので、適当に内容を要約したから

 

ちげーよ。というツッコミはなしにしてほしい。本題はそこじゃない。

 

気になったのは、彼らの対話に対する

 

セーフティネットを壊すな」とか

 

「お前も老人になったら困るだろう」というコメント。

 

おそらく、最近らくらくスマホを買った方々の意見なんだろう。

 

分かってねぇなぁ・・・・

 

セーフティーネットの網目

 

余命の長い短いに関わらず

 

生きる価値のない人は長生きなど望んでいない。今すぐ死にたいのである。

 

後ろ指差される僕らの人生が苦しいのはなぜか。頑張ってこなかったからだ。

 

ニート、引きこもり、非正規雇用、流されるままに逃げてきた奴に

 

安心など存在しない。じじいになれば野垂れ死に待ったなしである。

 

セーフティーネットに頼ればいい。という意見もある。しかし

 

メイドインジャパンの網は荒すぎて、網目に引っかかる方が難しい。

 

それ以上落ちないように貼られた「網」といっても

 

 この国のセーフティネットは、ガワだけのハリボテではないか。

 

本音では、 働けないクズは死んでくれと思っているのだろう。

 

ここにたどり着いたあなたなら気づいていると思う。

 

人間は誰も助けたくないし、頑張れない他人は邪魔者で自分はグータラ暮らしたい。

 

他人など気にしている場合ではない。

 

人間の本能は、悲しみと不幸に向かうようにできている。

 

生きづらさは日本の構造、日に照らされてできた影に過ぎない

 

 

 偽りの希望に期待すればバカをみる。自分の人生は、自分で切り開くべきだろう。

 

求められるのは、絶対安全、安楽死

 

かといって、大人になっても自立できない赤ちゃんだから

 

こんなゴミ人生を送っているのは事実。

 

やはり、外部からの手助けは必要。

 

 絶対に安全と言い切れるセーフティ

 

生きる価値のない人にとって、本当の安心とは何か?

 

「死」

 

以外思いつかない。

 

不都合しか起こらない現実で生きるかぎり、心安らぐ日などこない。

 

日常にはクズが生きるべきではないと知らしめる罠がそこかしこに張ってある。

 

今日をやりすごしても、明日に、明日を退けても、来週に・・・・

 

油断して自己を肯定すれば、地雷を踏み抜き、手足が無くなる。

 

その後は、調子に乗った自分を後悔する地獄が待っている。

 

いつつまずくんだ。次は何が起こるんだ。どうせダメなのに、なぜこんなことを?

 

油断しないように、この瞬間も心に言い聞かせる現実

 

「生まれてきてゴメンなさい」

 

誕生を呪いながら生きなければならない現実と向き合うのは、正直キツイ

 

しかし、現実から目を背けても、手痛いしっぺ返しがくるだけだ。

 

義務を果たすために乗る電車。立ったまま目を閉じる

 

数分でいい。現実を見ないですむ。

 

それでも、視覚がない分、他の感覚から現実が流れ込んでくる

 

辛い。きつい。悲しい。消えたい。耳の奥で声がする

 

胸の真ん中から、不愉快な振動が骨を伝ってくる。

 

毒ん 毒ん 毒ん・・・

 

一呼吸するたびに、針が肺に刺さるようだ。

 

痛い、苦しい、逃げたい。

 

もし、ここで、逃げ出せたらどんなにいいだろう。

 

行き先と逆方向の電車に乗って、

 

気の向くままに、心の向くままに、遠くに行けたらどんなにいいだろう。

 

どこまでも遠くの、窮屈さのない世界に・・・

 

そんな妄想の一番楽しいところで、目的地到着のアナウンス。

 

夢はさめるものだと理解する。

 

どんな場所に行っても、無価値な自分が変わらないかぎり、意味はない。

 

逃げちゃダメだ。

 

この社会では、逃げれば逃げるほど、選択肢は狭くなっていく。

 

逃げて、逃げて、たどり着いた地獄。

 

つまりこの世は地獄、人生は苦痛なのだ。

 

仕事が向いてない。と思っていたけど、

 

 

 

人生という仕事に向いていないとわかったのは、つい最近のことだ。

 

そこまで悟った人間には、やはり、安楽死を与えたほうがよいと思う。

 

この先、グローバル化の激しい国際社会で競争を余儀なくされる日本

 

少子化、人手不足を背景に、労働の強度は上がっていく。

 

そのペースについていけない人間はでてくるだろう。

 

 

そうでなくても、最近、世の中に対する逆恨みをした「無敵の人」が増え始めた

 

一時期流行った、「死刑になりたいから人を殺す」という輩も増えていくだろう。

 

 

そういう人間には、国が最後、きちんと安らかな眠りを保障することが大事だと思う。

 

生きる価値のないクズでも、どうぞ勝手に死んでください。では、国の威信が問われるだろう。

 

僕は、新自由主義や競争社会を否定する気はない。

 

これから日本という国が生き残っていくためには、多少の犠牲は仕方がない。

 

それはわかる。

 

しかし、自分たちで決めた方針にとりこぼされた人間の最後ぐらい

 

しっかり面倒をみるべきだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新年を祝う余裕がない。 目標を立てる希望もない。

新年。あけまして何がめでたいって言うんだ?

 

社会不適合者の身分も、生きづらさにも変化はない

 

むしろ、若いからなんとかなる。っていう言い訳からまた一歩遠ざかっただけ。

 

祝うべきことなど、何一つ起きていない。

 

 

 

元旦から毒を吐くのは、三が日の夢を見ている人の頭に

 

バケツ一杯の氷水をぶっかけるみたいで気がひける。

 

しかし、夢はいつか醒めるもの。

 

正月が終わって、皆が仕事を始めれば、嫌が応でも、死にたみは帰ってくる。

 

他のブログでは目標を立てている人が多いけど

 

ここで油断して、分不相応に前向きな目標を書いて

 

社会に戻った時、何度現実にコテンパンにされたことか。

 

さすがにアラサーだ。同じ轍は踏まない。

 

気を抜いてはいけない。

 

 

望もうが望むまいが、いずれ身をもって知ることになる。

 

 

組織に無益な人間は生きるに値しない。

 

価値もないのに、生を肯定する目標なんて立てられるはずもない。

 

 

 失望に備えよ

 

死にたみは筋トレに似ている。毎日行えば体が慣れて

 

多少の痛みに鈍感になるけど、少しでもサボれば心が鈍って

 

かすり傷程度の死にたみでも、どうしようもないという気持ちになる。

 

必要なのは、希望と失望の差をできるだけ小さくすること。

 

この世は地獄。一ミリの希望もないと心に刻めば、

 

地面に叩きつけられる衝撃は最小限になる

 

一生懸命生きてんすよ・・・・

 

全て個人は、生きるべき人間と死ぬべきクズに分かれる。

 

客観的にみれば間違いなく後者。かといって、ここで人生を終わらせる勇気はない。

 

死ぬのが怖い。ただそれだけだ。

 

 

死にたい。といいつつ、腰を上げない自分に苛立つ。

 

こんなことを本当は言いたいわけじゃない。

 

では何が言いたいのか。何が言いたいんだろう。

 

 

もちろん、読者の「見たい」にそわなければオナニーでしかない。

 

しかし、読み手のニーズを見極めた記事作成などできない。

 

だから思うまま素直に書くしかない。

 

このブログにしかできないことがあると信じて。

 

ならこの記事を通して表現したいこと。伝えたいことって?

 

この行を打つまで数時間考えたけど、出てきた答えは

 

「わからない」

 

いや、思いつく言葉はたくさんあった

 

絶望、苦痛、悲しみ、虚無・・・・

 

そのどれもが、的を得ているようで、言いたいことを

 

言い切れていないような気がする。

 

これまで積もってきた数え切れない苦々しい思い出

 

それを一言で表す言葉など、ありはしない。

 

一番近いのは、「死にたい」だけど、これもやはり

 

近いようでとても遠い言葉だ。

 

人生がそびえ立つクソに思える時、死にたい、消えたいのは確かだ。

 

ネット全盛の時代、苦痛なく消える方法はいくらでもあるのに

 

検索すらしない。

 

 やろうと思えばいつでもできる。なぜそれを実行しないのか。

 

ここでまた数時間考え込む。やるべき事は山ほどあるのに、それを

 

ほったらかして、一体何がしたいのか・・・・・

 

わかってほしいんだ。そう。ただ、「わかってほしい」んだ。

 

たとえ、成果が出なくても、社会や会社の役に立たなくても

 

あなたより努力していなくても、

 

ゴミはゴミなりに、一生懸命生きてきたと、わかってほしい。

 

誰に?

 

誰かに。

 

 

今の世の中はそんな掛け合いすら難しい。

 

ただ、「辛い」と言ったら、「そうだね」と言い合える人が周りに

いれば、どんなに楽だろう。安心できるだろう。

 

そんな人はいない。誰もいない。

 

ひとりだ

 

それがわかると出てくる言葉は

 

「どうしようもない」

 

なにを言ってるのかわからないと言われても

 

これ以外思いつかない。

 

わかりやすい言葉を選んだつもりが、抽象的になってしまう。

 

何が言いたいの?

 

一生懸命生きてるんすよ・・・・

 

 結局、なぜ生きてるの?

 

こんな質問がでてくるのは、「なぜ死なないの?」と同じだろう。

 

わからない。いや、わかりたくない。と言ったほうが近い。

 

強いて言うなら、「ヒーローになってから死にたい」

 

正確には、死んで惜しまれる人になりたいんだ。

 

今すぐ死にたい訳ではいないけど、どうしても生きていたい理由もない。

 

中途半端だとイライラするだろう。でも、これが一番しっくり来る。

 

結局、生きる希望を捨てられないのだ。

 

世の中が良くなってほしい。生きやすい世の中になってほしい。

 

生きとしいける全ての人が。

 

このブログの方向性が決まった。

 

 

死にたいけど、死ねない。

 

働きたくないけど、はみ出す勇気もない。

 

社会に復帰したいけど、できない。

 

フリーター、ニート、引きこもり・・・・

 

 

そう。何にもなれない中途半端な奴のために

 

書いていこう。と思うと、少し自信が持てる。

 

 ここは、中途半端な奴のためのブログなのだ。

 

かっこつけない。

 

なんだかんだで、今年の目標を思いついた。

 

かっこつけない。である。

 

人気のブログなら、ここで、突っ走る。とか、全速力で止まらずに

 

とか言う。うらやましい

 

でも

 

疲れたら立ち止まり、もう立てないとうずくまって

 

愚痴を吐きながら、立ち上がる。のが、自分に合ってる。

 

止まったっていいじゃないか。

 

嘆いたっていいじゃないか。

 

大事なのは、歩くのをやめないことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人生に救いがないと気づいた一年

2018年。平成最後の寒波(であってくれ)と共に

 

もういくつ寝れば30という大事な年が、社会の底辺のままで終わる。

 

気づいてしまった。この先、生き続けても、救いのない人生だと気づいてしまった

 

今更wwww

 

笑ってくれ。ここから先は苦笑いも起こらない。

 

 気づいちゃった。気づいちゃった。わーいわい。(絶望)

 

気づいたというより、そらす目線すらなくなったというべきか

 

落ちたら這い上がればいい。 ゴミ人生にそんなロマンはない。

 

一度踏み外せば、底のない谷を落ちていく。

 

君のいう通りだ。一言で言えば自業自得。

 

落ち始めた瞬間に、爪が割れても、指が折れても

 

谷の壁に這いつくばって、それ以上落ちないようにするべきだった。

 

ここより下はない? 甘いな素人。

 

目が慣れればいずれ見えてくる。終わらない虚無が。

 

どこまで落ちるかわからない不安を覚えたら、そこから一目散に駆け上がれ

 

いずれ良くなる。いつか報われる。そんな甘言を信じるな。

 

今を変えられないなら、未来など変わるはずがない。

 

君が思っているよりも社会はずっとシビアだ。

 

一瞬でもレールから外れたら、その後は地獄。

 

 

確かに、某ゼンカモン、くたびれた堂本剛

 

法の網目をくぐった人間の悪意を垂れ流す掲示板の創造主

 

京都大学出身のニートなど、常識からそれて生きている人はいる。

 

しかし彼らは本筋から離れた脇道を記した地図がある環境と

 

本人の地頭の良さが揃っているから輝いているのであり

 

「やだ!やだ!会社行きたくないンゴ!朝起きるの辛いンゴ!」

 

と駄々をこねるだけのゴミが真似しても・・・・

 

せやかて工藤。彼らはお前には想像もできない努力の人たち。

 

お前の言い分は醜い成功者への嫉妬やで。

 

exactly。

 

 

しかし、これだけは言わなくちゃならない。

 

彼らは底辺で精一杯生きる人達の「苦しい」というか細い悲鳴を

 

 「今は働かなくても生きていける。底辺にいるのは本人の意志」

 

「苦しまないで生きるために努力しない本人が悪い。」という

 

 

自己責任論者の言い分を言い換えたに過ぎない。

 

なんだかんだいって、みんな自己責任大好きじゃないか

 

 

江戸時代の村は、今と大して変わらない自己責任社会だったらしい。

 

それから数百年。まるで進歩していない。

 

人間。特にこの国の人々には、細胞レベルで弱者を切り捨てる非情がインプットされている。

 

「思いやり」 「助け合い」などという言葉は、世間体を気にした偽善でしかないのだ

 

君は、今は生活保護を申請して生きている人もおるで。と返すだろう。

 

しかし、費用は年々引き下げられてるし、不正受給問題の余波で

 

受給条件もべらぼうに厳しくなっている。

 

かくいう僕も、以前の会社でパワハラに心を壊して働けなくなり、貯金も底をつき

 

わずかな希望にすがって市役所を訪ねたけど

 

「自称鬱じゃだめだよ。診断書がなきゃ」

 

「親が生きてるじゃんwww甘えるなゆとりwww」(超訳)で終りだった。

 

君にわかるか?「お前は救う価値のないクズだよ」と認定された時の絶望が。

 

痛む傷口をナイフでえぐられるような日々に耐えながら、こずかいを稼ぎ

 

それすらも税金で徴収される。

 

その金で、生活保護を貰ってる奴が人がいる。

 

中には海外旅行にいき、受給額もギャンブルで使い切ってる奴まで

 

甘えるな。僕だって必死で生きている。

 

実によくできた社会構造だ。救う人間を選別することで

 

弱い奴がより弱い奴を妬むようになる。

 

ただ、誰もそのシステムに文句をつけない。

 

なんだかんだ叫んだって、みんな自己責任が大好きなんだ。

 

どうしよもないから生きている

 もうすぐ日が暮れる。いつもと同じ夕暮れ。昔はクリスマスや正月に独りだと

 

後悔が残ったけど、今じゃ何も感じない。いつもと変わらない生きづらい一日だ。

 

平成最後の〜と言われてもどうでもいい。年が変わるからなんだ?

 

ただ年号が変わるだけ。生きづらさは変わらない。

 

 

もう何もかも嫌だ。死にたい。歯磨きをしている間にすら思う。

 

逆になんで生きてるの?と聞かれたら、死ねないから。と答える。

 

くそみたいな繰り返しの日々を終わらせよう。

 

電車が通過するというアナウンス。特快が迫ってくる。

 

黄色い線の内側と外側、あっちが天国。こっちが地獄。

 

残っている理由なんてどこにある。

 

利き足を出そうとしたき、遺書を書いてからにしよう。

 

なんとなく、そう思った。だからブログを書く。

 

死にたいメーターが振り切れないと、書こうとも思わない。

 

チラシの裏にでも描いてろよ。と言われても、

 

他人に訴えるものがないと、張り合いがない。

 

江戸時代と違って、今はネットで自分の意志を示すことができる。

 

努力の方向音痴のゴミに、希望や救いは与えられない。わかってる

 

でも、黙って消えたくない。

 

どこまで落ちるかわからない不安の中でようやく踏みとどまれた。

 

 命のつきる最後の一秒まで、喉から血が出ても言い続ける

 

 この社会の冷たさが、最後と言えるその日まで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生きる資格が欲しかった。

簿記、ファイナンシャルプランナー、登録販売師、toeic

世の中は資格で溢れている。職につけるかも怪しい時代を勝ち抜くために

必要な資格。

 

でも、本当に必要なのは、生きる資格の一つだけだ。

 

 人生の答え合わせ=生きる価値なし

今年もあと2週間あまり。この一年の間に何をした?

労働で生きるために最低限必要な金を得るために必死になって終わった。

労働。といっても、フルタイムではなく、バイトであり、

週8時間+サービス残業をこなす常識的な社会人からすれば

「甘えるな」とか、「もっときつい人がいるのに、その程度で弱音を吐くな」とか

言われるだろう。

 

顔を合わせた全ての人に言われるから

月の労働時間、100数時間程度でストレスを感じる人間にこの国で生き資格はない。

 

しかし、外国は比べものにならない競争社会と聞く。

 

ここが漂流中に見つけた板切だというなら、爪が割れても、しがみついくしかない。

 

「働きたくねぇ」

 

生きていくにはお話にならない気持ちを扉の中に突っ込んで

固く鍵を閉めたのに、そのドアをぶち破って飲み込んでこようとする

激流葬みたいな社会の中で、なんとか沈まない程度に息継ぎしている。

 

心の底から聞こえる、「このままでいいのか?」という問いに

「溺れ死ぬよりはマシだろ」と答えた。雇ってもらう以外ないだろ。

好きな生き方で死ぬ勇気もないクセに。

 

バイトの内容の段取りをほんのすこしだけ理解し、

理想とは程遠くても、ようやく妥協できる現実に慣れたはずだったのに・・・・

 

 

将来を考える余裕なんてない。

 

今人間がやっている仕事は、将来AIで代行できる。とネットで騒いでいる

ネット社会の情報の多さは素晴らしいけど、その内容は毎日

ロクでもない暗い話題の洪水だ。

 

将来のために投資しなければ生き残れない。

しかし、投資というのは金と時間に余裕のなる金持ちがやる贅沢で

 

この瞬間、生きるだけで必死な貧乏人にそんな余裕はない。

 

一日を乗り切った。それを生きていてもいい小さな自信にしていく。

不満、不安は消せない。選択肢を間違えた後悔もあるけど分かれ道には戻れない。

自分に諦めをつけよう。これでよかったんだ。

 

そんな事を考えていると、終業まで残り15分。やっと帰れると思った矢先

「若いんだから、そんな仕事しててもしょうがないよ。」

 

始まったよ。年長者の苦言が。

 

そんな仕事、そのうちなくなるし、もっと希少価値のある資格をとらなくちゃ

 

 結論からいくと「職業訓練校に行くべき」という話をされた

 

そりゃ、くるもの拒まずなら行ってもいいけどテストに受からなきゃだめ。

 

安定が手に入る保証はない

 

「簡単で落ちるはずのないテスト」というけど

 

その簡単に落ちこぼれまくったから、「そんな仕事」をしているのよ。

 

さらに、申し込みはすでに終了。入校できるのは、来年の4月。

 

しかも、働いていると通えない。なるほど。

 

これを読んでいる無職は、安にバイトなど探そうとせず、職業訓練に行った方がいい。

 

時間を無駄にするだけだ。

 

この一年の答え合わせ。結果、選択肢は不正解。

 

あのままニートでいればよかった。たとえ気が狂っていたとしても

 

もうわかったよ。この社会はとことん雑魚に生きていて欲しくないみたいだね。

 

 

今わかった。濁流に飲まれそうな時、目の前に浮かんでいる

人一人が掴まれるサイズの板切にしがみつき

その板に寄ってきた他人を蹴落とす行為を認めてもらうための

価値。それを資格と言うのだ。

 

知らなかった。ただ生きるにも、社会の許可がいるなんて。

 

 

 

なんでも自動化すればいいわけじゃない。

終業の時間、タイムカードを押して帰り道を急ぐ。

 

 

真夜中に吹いてくる北風が体に染み込む。

 

さっきの事が頭の中でぐるぐると回って、惨めで歩くのも面倒なくらい疲れた

もうどうしようもない。それ以外言葉が出てこない。

 

立ち止まって、止まってもどうしようもないとまた歩く

誰への抵抗かもわからない牛歩を繰り返して駅につくと

 

乗るはずだった電車が通り過ぎていくのが見えた。

 

避けられない現実を思い知らされたとき、不幸がなし崩しに襲ってくる。

しみったれたやつにはそれが、この世から退場する理由になり得る。

 

それがどんなに小さな不幸でも。

 

新幹線アタックをとめるテリーマンの真似してみようとした

その時、スーパーの看板が目に入った。

 

最後にあったかいコーヒーを飲もう。レジに行列ができている。

一日もあと数時間で終わりというところでなぜこんなに?

目の前を埋め尽くす頭の先に、必死でレジをうつ人たちが見えた。

 

頑張ってるのはわかる。しかし、ぶっちゃけ、セルフレジの方が簡単ではないかと

思ってしまう。いずれ、彼らの仕事も無くなるだろう。他人事なのに悲しくなった。

 

順番待ちにイラつき、缶ビールをカゴ一杯にいれた 背広のおっさんにしょうもな。

とイラつく。

 

缶コーヒー一本しか買わないやつが何を言う。

 

レジは50代くらいのおばさんで、よく見る人だった。こういう時間は

忙しくて、釣り銭をまちがえたり、ごましたり、煽ってきたり、

 

缶コーヒー一個かってお客様気取りのやつが来る。大変な仕事だ。

 

僕の番が回ってきた。事務的な会話を済ませる。

人生の最後に口にしたものが、缶コーヒー。

クソみたいな人生の最後にふさわしい。

 

会計が終わった。そのとき、オバハンが「お疲れ様」と言ってくれた。

いや、別に前のサラリーマンにも変わらずに同じことを言ってたけれど

 

その瞬間に、小さな明かりがついた気がした。

 

このまま帰ろう。という気持ちになった。踏んだり蹴ったりの

世の中で生きるのに絶望している人間は、形式的な労いでも、生きていこうと

思うものだ。

 

それが、どんなに小さな希望でも。

 

止めるはずだった

在来線を待つホームはいつもより待ち人が多い。僕の隣にいる作業着のおっさんの

イヤホンから、銃声のような音が漏れる。最近のスマホはすごい。

 

FPSが手のひらに収まる。関心していると、画面の向こうで血が飛び散り

ゲームオーバーの文字が浮かんだ。

舌打ちをするおっさん。そのとき、ホームに響いたアナウンスが、

人身事故で電車が2分遅れていることを知らせる。

 

おっさんは再び舌打ちした。この人にとって、他人の命は、ゲームのキャラ

程度でしかないのだ。

 

ただ、このおっさんはわかっていない。もし、スーパーのレジが完全自動化されていたら、遅れが2分どころではすまなかったことを。

 

謝罪のアナウンスのあとに、電車がやってきた。すしずめの車内で、おっさんのズボンが随分汚れていることに気づいた。

よく考えたらこのおっさんだって、この時間まで働いて、クタクタなんだと思うと

少し、悲しみが和らいだ気がした。

 

ただ、生きるということ

 

前髪がうるさい。髪の毛を切らなければならないことを

思い出す。しかし、美容室に行くのは面倒だ。

有名な所に行った事はあるけど、雰囲気がお呼びじゃない気がするし

料金が高い。

 

数ヶ月に一度通うと考えると、まゆをしかめるものがあった。

 

どうにかできないか。とうんうん唸っても解決はしない。外に出よう。

最近自転車にのっていないな。と気づいて、あてもなく走っていると

 

小さな看板が目に入った、赤と青の縞がぐるぐると回るガラスの管。

懐かしい感じがする床屋さんだった。ここに行くべきだ。という直感があった。

店員の第一印象は悪くない。オシャレなおっさんといった感じだ。

 

美容院の場合、店員との会話が取り調べのように感じるけど、不思議とそんな感じは

なかった。店にはおっさん一人で、よそから移ってきたことを知った。

 

こんなさびれた町ですいません。と答えると、でも、僕ここ好きですよ。と返ってきた

 

形式的な回答でもいい。自分の生まれ育った町が褒められるのが嬉しかった。

 

床屋というと、スポーツ刈りにされるとう先入観があったけど、そんなことはなかった

 看板にあった料金は、都会の半額だけど、もっと金を出してもいい気がした。

僕の賃金がもう少し高ければいいのに。

 

 

顔剃りしてもらう間に、子供の頃によく通っていた床屋を思い出して

そういえば、あの頃は途中で寝ちゃって、おじさんに起こされていたこと

頭にヘアトニックをぶっかけられ、頭皮を襲う衝撃の清涼感に泣き出してしまったことを思い出した。

 

そんなことを思い出しすとなぜか楽しくなった。小さな店だったけど、またきたいと

素直に思った。

 

生きる資格が欲しかった。

 

あの頃、なぜ楽しかったのか。ただそこにいるだけで、生きていてもいい。と思えたからだ。

それは過去を美化しているだけと言われたらおしまいだけど、そんなことはない。

根拠もないけど、世の中は確実に生きづらくなっている。

 

少なくとも、10年前は、こんなに資格習得の学校や通信教育の広告が溢れては

いなかった。

 

いつの間にそこにいるには資格がいりますよという世の中になったんだろう

 

僕はただ、生きる資格が欲しかっただけなのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大人のための勉強法。効率的な勉強法とは。

前回の記事で、勉強がうまくいかない理由と、勉強を好きになる方法を書いた。

 

senbeibj59634hu.hatenablog.com

 

興味を持って見てくれた人は、内容うっす!とがっかりさせてしまったかもしれない

最初はサクッと読める要点だけを詰め込んだスマートな記事を予定していたけど

ノートに書いたまとめがまとまらず、一記事に納められなくなってしまったのだ。

 

そこで、「無駄にならない勉強法」からコピペした気づきを前回、「革命編」と

今回、「野望編」の壮大なスケールの2部作に分けてお送りする。

 

前回の勉強嫌い克服に対して

 

今回は、時間のない大人のための、効率的な勉強法について紹介するぜ。

 

大人のための効率的な勉強法、守破離勉強法

 

前回で、大人の勉強法は、「気づき」をへて、それを行動化していくことが大切

 

と書いた。なら、どう行動するべきか。そのヒントになるのが、守破離だ。

 

守破離(しゅはり)ってなんだ?

日本を代表する茶人、千利休のうたを元にした、学びの姿勢を示す言葉。

物事を極めるための重要な方法のまとめで

主に、「守」 「破」 「離」の三つのステージで構成される。

 

ざっくりとした解説

「守」 基本をそっくりそのまま徹底的に真似る     (初級)

 

「破」他の人や他の流派のやり方を研究し、さらに成長する(中級)

 

 「離」自分流のスタイルを探求し、前進する。      (上級) 

勉強の流れ

つまり、基本の習得→他のパターンを試す→自分流の確率という感じ。

 

たまに、教科書や入門書をみるな。というアドバイスがあるけど、あれはダメ。

 

 

 基本を知らない=「己を知らない」状態で勉強を始めても、守破離不適合となり

成長に繋がらない。

 

 ポイントは、「自分が学びたいこと」と「自分に必要なこと」を分けて考えること。

 

「学びたい」ではなく、「学ぶべき」必要な知識や方法を選ぶのが大事になる。

 

そのためには、自分への問いかけが必要になる。

 

自分がその分野の「基本」を抑えているか「守」

 

様々なパターンを身につけ、応用できるか「破」

 

基本も応用もすでに身につけていて、「自分流」を突き詰めているか「離」

 

そして、本を読んだり、セミナーに参加したら、学んだことを一つだけ実行してみる。

 

この記事を書いているのも、この本に書いてあった、アウトプットの一つだ。

 

それについては、後で説明するよ。

 

 入出力勉強法、ステップ1、概観

勉強に必要なのは、インプット、アウトプットであるのは前回話したとおり

ちなみにその割合は、インプット3:アウトプット7がちょうどいい。

 

さて

アプトプットするには、インプットが必要。そのために、ネットの情報や本を読む

わけだけど、君はどう読む?

 

僕は最初の端書きの段階から、一行一句漏らさず読んでた。でもこれは時間の無駄だ。

 本を読むときは

 

目次を見て、本のおおよその内容を把握し、本をパラパラとめくりながら

 

「その本で自分が最も知りたいことを先に読む」

 

知りたいことが書いてなかったら、次の本へ移り、知りたいことがあったら、

最初の一ページに戻りそこから読み始める。

 

 

人間の脳は情報をネットワークで記憶する。つまり、関連性のあるものを記憶するのは

簡単でも、関連性のないものを記憶するのは至難。

 

情報を記憶するときは、前後の脈絡や、全体の中での位置づけをはっきりさせる

 

 

 ここからわかることは、勉強は、全体から細部へ移っていくのが正しいということ。

 

過去問勉強法。

これから試験勉強する人で、過去問があるなら、まず過去問で出題された部分を

全て調べて、教科書や赤ペンで塗っていく。

 

ポイントは、選択問題であれば、正当以外の引っ掛け選択肢も、「出題された」

として、蛍光ペンで塗っていく。

 

そして、出題された部分をノートにまとめて、暗記していく。

 

それを優先して完璧に暗記する。過去問のある試験なら、間違いなく役に立つはずだ。

 

ボールペンは一週間で使い切る

ここで重要なのは、「手書き」ってところ。パソコンのタイピングでいいじゃん。

という人もいるだろうけど、手書きとタイピングを比べたところ

 

手書きで書いた方が記憶に残り、勉強の効果が高い。という研究結果があるそうだ。

勉強とは、体を動かすこと。ボールペンを一週間で使いきるぐらいが目安だそうだ。

 

同じように、単語帳だけを使う勉強法は、非常に効率が悪い。

 

頭の中で思い出す、想起は、思い出すだけなので、結局記憶に残らない。

 

単語帳を使うなら、カードを見たら、綴りを指で空中に書く。

あたかもシャドーボクシングをするボクサーのように。

生成学習のすすめ

そして、書けなかった部分を、重点的に記憶する。

 

間違えた部分はすぐに答えをみずに、間違えた理由を考える。これを、「生成学習」

という。

脳は、正解した問題よりも、間違えた問題を、強烈に記憶する。

なので、模試は積極的に受けた方がいい。

 

ただし、フィードバックは忘れないように。

 

ポイントは、「悩んだ問題ほど、記憶に残りやすい」ってこと。

 

フィードバックとスーパーアウトプット

究極のアウトプットとは、教える。

 

アウトプットのやり方で、一番効率の良いやり方は、人に教えることだ。

手っ取り早いのは、講師になって、セミナーを開くことだけど、人嫌いには敷居が高い。

 

そこで登場するのがこの学んだ内容をブログに投稿すること。ここでの投稿からの

あなたの反応が、最高のフィードバックなるというわけだ。

 

この記事が勉強嫌いあなたのなにかヒントになることを願う。

 

勉強の目的

一番大事なのは

「なぜ勉強するのか」「知りたいこと」「知らなければならないこと」を明らかにする

こと。

 

このブログは、メンヘラブログとして出発し、社会の常識に馴染めない叫びを

投稿してきた。今、この瞬間もそれは変わっていない。

 

僕が知りたいことは、「この社会がなぜこんなに生きづらいのか」

 

「社会を変える方法はないのか」

 

知らなければならないことは、「生きづらい社会でどうやって生きるのか」

 

それをどう知ればいいのか、どう考えればいいのかすらわからなかったけど

 

まずは、知り方、考え方を調べていく。

 

そして、今まで感じた、「なぜ生きてしまったのか」という

 

疑問の答えを見つようと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無駄な勉強から抜け出すためには。

この一ヶ月はなんだったんだ。片道一時間の帰り道、電車の中で感じる疲れ。

 

会社から資格の試験を受けろ。という命令をうけ、200問近い問題集を毎日解いて

この日のために備えていたというのに、20分でそれは無意味になった。

一ヶ月、遊んでいたわけじゃない。サボっていたわけじゃない。ならばなぜ?

勉強のやり方が間違っていたから。でも、何が間違っていたのかはわからない。

 

無駄な勉強法から抜け出すためにはどうしたらいいのだろう。

 

 無駄にならない勉強法とは?勉強がうまく行かない4つの理由。

 いつものパターンなら、ここから自虐が始まるけれど今回は一味違う。

ブログを書くのもめんどくさいくらい落ち込んでいたとき、

 

さっちゃんさんの記事が目に止まった。

 

ワイが勉強法を読み漁った結果「これはマジで天才になる」と思ったやつランキング! - 働いたら負け

無駄にならない勉強法の本を読みました。とても参考になりました。

2018/12/01 09:57

 

制作期間4ヶ月

ブログをかじった人間なら、彼の苦労がわかるはずだ。

論理的でとてもわかりやすい。ぜひ見てほしい。

そんな超大作を無断でパクるのも忍びなく、引用元として貼り付けている。

さっちゃんさんがもし不愉快でないなら、知のギャグマシーン

 

トータルテンボス風に、「かまわんよ」と返してほしい。

 

この記事の中で、

 

ムダにならない勉強法

ムダにならない勉強法

 

 という本が紹介されていた。今回のテーマである。

 

 

サンマーク出版かぁ・・・・という第一印象と、この手の本を読んでも

実になった経験がないため、気は進まなかったが、読んでみたら

自己啓発と上から目線は鼻に付くものの、この虚無感から抜け出すヒントにはなった。

 

 

 

 

著者の樺沢氏によると、大人の勉強がうまくいかないのは

 

  • 勉強が辛いと感じるから
  • 教科書、テキストがないから
  • モチベーションがなく、続かないから
  • ポイントがわからないから

 の4つの理由があり、これを乗り越えるには、勉強法を知ること。

 

この本の中で、いいな。と思ったセリフがある。

 

この世に頭の悪い人間はいない。勉強法を知らない人がいるだけだ。

樺沢紫苑 

 

 

 

「勉強法とは、勉強するための方法」ではなく

 

「勉強を開始するための戦略」であり、これを間違えると、いくら時間を消費しても

意味がない。

 

なるほど、つまり僕は一ヶ月、勉強のやり方間違えていたわけだ。

ならば、正しい勉強のやり方とは?

 

勉強が辛い=楽しくすればいい。

 

人間は楽しいことをすると、脳からドーパミンが分泌される。これは集中力と記憶力を高め、学習効率を大幅にアップさせる。

 

逆に、嫌いなことをすると、ストレスホルモン、コルチゾールが分泌され

記憶力を司る海馬の働きが低下する。

 

 つまり、「勉強しよう」という強制ではなく、勉強が楽しく、「やってしまう」

「やりたくてしょうがない」状態になれば、勉強は効率化するというわけだ。

 

理屈はわかった。しかし、夏休みの算数ドリルすら投げ出すレベルの勉強嫌いが

どうやって、勉強を楽しめば良いのだろう。

 

勉強を楽しくする=魅力を聞く

一番いいのは、勉強好きの友達に聞いて見ること。興味のないジャンルでも

その分野の面白さを教えて貰えば、新しい発見がある。

 

せやかて工藤。周りが勉強なんかしなくても生きていける。って人たちばっかだから

こんな生活してるんやろ。と返したくなる。

 

そんな僕らのために、「本」がある。勉強の好きな有名人の本を読んでみることで

勉強の魅力に触れられる。というわけだ。

 

試しに、著者の紹介している勉強法の古典「知のソフトウェア」に目を通した

触りだけでも感動する内容で、それについては別の機会に話したい。

 

池上彰氏も紹介されており、目を通したけど、やっぱりわかりやすい。

さすがCのこと、スィーっていう知識人である。

 

ほかにも、知りたい目的に分けて著者が紹介されているので、詳しいことは本を

見てみてもいいんじゃない。

 

勉強を楽しくする=脳を喜ばせる

 

もっとも学びが大きのは、知りたいことが3割り、知らないことが7割り書かれた本

 

情報はネットワークとして記録する、そのためには、「知っていること」が

ある程度ないといけない。

 

つまり、3対7の割合、「ちょい難」を選ぶのが脳に一番いい。

 

なるほど。ゲームでもダークソウルより、デモンズソウルの方が評価が高い。

難しい前作が好評だったからと難しすぎる次回作が好評とは限らない、

そこがまた難しい

 

 勉強が楽しくなる方法=脳に褒美を与える

 

脳は報酬を欲しがっている。そのためには、小さな成果を記録して、脳にご褒美を

与えるといい。例えば、英語のヒアリング時間や、問題種を何ページ解いたか

勉強時間そのものなど・・・

 

数値の変化や、微細な変化、ちょっとした成果でも、脳はドーパミンを分泌する。

 

毎日続ける。まとめて一気にやる「集中学習」よりも、毎日コツコツやる「分散学習」

の方が復讐の回数が増え、記憶に残りやすい。

 

たとえ短い時間でも、毎日コツコツやった方が、少しづつでも、結果がでる。

というわけだ。

 

勉強を目的化する。

 

勉強を無駄にしないために重要なのは二つ。

 

目標を決めること

 

気づきを得ること

 

目的地=勉強の目標を決め、どうなりたいか、獲得した知識をどう生かすか

を決めることで、最適な勉強法がわかるのだそうだ。

 

そのためには、「無知の知

自分が何を知っていて、何を知らないかを

明白にする。そうすれば、知らない部分を勉強すればいい。

 

それを、この本では、気づきと読んでいる。

 

そこから、自分は基本を学んで抑えているのか

様々ななパターンを身につけ応用できているのか

基本も応用もすでに身につけて、自分流を突き詰めているのかを

自問していく

 

そのために必要なのが、インプット、そして、アウトプットだ。

インプット、アウトプットの重要性。

 

大事なのは、アウトプット前提のインプットをすること。

 

あとで、アウトプットする。と分かれば、インプットも重要な部分のみとなり

無駄な学習をしないで済むはずだ。

 

「アウトプットとは」脳の中に入った情報を脳のなかで処理して外界に出力すること

具体的には、「話す」「書く」 「行動する」にあたり

 

話すより、書いた方が、記憶に残りやすい。

 

つまり、勉強の結果をだしたいなら、書いた内容を音読するとよい。

 

その後で、問題集を解いたりして、自分の知らないこと、を突き詰めていく。

ちなみに復習するタイミングは一回目が一日後

 

二回目が3日後

 

三回目が7日後といった風に

 

最初は早めに、その後、徐々に時を開けて復習するといい。

 

 

 フィードバックする。

 

インプット、アウトプットの間に必要なのが、フィードバックだ。

 

フィードバックとは、得られた結果を評価、考慮して、次のインプットに

修正を加える作業のこと。

 

問題集の間違えた部分を読み返したり、興味をもった本から、同じ分野の別の本を

読んでみるなどがそれに当たる。

 

フィードバックがないと、どれだけインプット、アウトプットを繰り返しても

空回りになってしまう。

 

大事なのは、「なぜ間違えたか」を自分で考えること。なのだそうだ。

 

 なぜこんな記事を書いたか。

 いつもと違う内容で、戸惑った人もいるかもしれない。なぜこんな記事を書いたか

というと、勉強を無駄にしない最大の方法は、知った情報を発信すること。

だと気づいたからだ。

 

ブログを書いても無駄なのか。という不安をなんども書いてきたけど

不安を考えても、考えるだけで何も変わらない。そしたら、これまでやってきたことが

本当に無駄になってしまう。それだけは嫌だ。

だったら、

何か一つでも、変える可能性があるのことをしてみたいと思ったんだ。

 

なにより、この一ヶ月、知らないことを知れたのは、嬉しかった。

もしかしたら、

勉強が面白いかもしれない、それがこの一ヶ月で得た「気づき」だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

空は誰のものでもない。

雨が降るのか、晴れるかわからない中途半端な天気、曇りは嫌いだ。

 

傘を持って出れば安心だけど、安心の重さを背負える余裕はない。

 白くもなく、黒にもなれない灰色で満たされた天気予報

どちらに転ぶかわからない不安を抱えながらも、テレビが言ったなら

大丈夫。3秒ルール並みの謎ルールと共に外に出て数十分

上を向いて歩いている僕とは違い道行く人たちは手元のスマホに夢中。

 

空の色なんて誰も気にしていない。

 

自分の頭で考えるのをめんどくさがった奴をこずくように雨粒が降ってくる。

行くにも戻るにも微妙なコンビニの、雨宿りするには少なすぎる屋根の下から

 

自動ドアの向こう、レジ横のビニール傘が目に入る。

いっそ買ってしまおうか。そんなことで、金を使うぐらいないなら最初から・・・

 それ以上はやめようぜ。ここで反省会を開いても、雨が上がるわけじゃない。

このまま突っ立ってる方が、よっぽど無駄足だ。

 

雨脚が強くなってきた。さぁどうすると煽るように。

 じっとしてるか。進んでいくか。正しいのはどっちだ。間違えたらどうする。

間違えるのは悪いこと?そうでもないさ。

 

予報士だって全国ネットで間違えんだから。愛嬌があっていいじゃない。 ねぇ良純。

 

 

歩こう。

 

歩く意味とか、辿りつく場所とか、わかってるに越したことはないけど

わかなくてもわかってても最後死ぬのは変わらないし、それでも気に入らないなら

わかるまで歩けよ。土砂降りの中を突っ切って

 人からどう見られるかだって?

冗談だろ。君は存在しているだけで、十分変だ。

ずぶぬれで歌っている姿を笑われてもいい。

 

歌おう。

 

悲しいときほど歌おう。苦しいときほど歌おう。

誰とも分かり合えないようなだれもかれもに置いてきぼりにされているような

みじめな気持ちの時は、歌おう。

 

 

 何をと?と聞かれたら、別にアニソンでもアイドルソングでもいいんですけど

でも僕はやっぱりブルーハーツ

 

あのもやもやした雲の向こうには青空があるんだ。雲で見えないだけ。

信じろよ。疑ってどうなる。気持ちが暗くなる。暗くなってどうなる。

始末をつけるか。つけられない。進めない。戻れない。脱落もできない半端者。

やめろ。それ以上続けてどうなる。

 

自分を嫌いな理由をこれ以上増やしてどうなる。

 

天気が悪い。

 

今日も曇り。

やるからにはふり切れろよ。それとも、これはお前だっていうメッセージ?

そうとも。世捨て人にも、金持ちにも、社畜にもなりきれない半端ものさ。

 

半端者は腰掛けのバイトに行きますよ。今日も昨日と同じこと。

6時半の駅前、おっさんがブツブツと喋ってる

階段の端に立てかけれた、横田へのオスプレイ配備反対!の看板が目に入る。

ぶっちゃけ、オスプレイはどうでもいい。うちに墜落してくれれば、くそったれな

日常を終わらせると同時に、悲劇のヒーローにもなれる。

こっちは地べたを這うだけで精一杯なんだよ。

空の上を何が飛んでるかなんて、誰も気にしてない。

そんな悪態が出る朝、一言で表すなら最悪。だからなんだ。

 

ある意味最高より幸せじゃん。それ以上落ちない。けどね。

お前だけじゃない。と言われても、俺以外幸せにしか見えないから落ち込む。

 雨雲の居座った日の夜に裏路地を歩くと、とても惨めな気分になる。

昼間は意識せず通り抜けられる距離なのに、ジメジメした空気と先の見えない暗闇のせいで、道自体が長くなったような気がする。

 

 

いつものようにはいかない。どうしようもない。

いや、ちがう。

間に雲があるだけだ。星は消えない。光はそこにないわけじゃない。

なんてことはない。気がつけば家の前に立っていた。

 

今日はたまたま見えなかっただけさ。

誰でも初心者

おでかけ日和と煽られると引きこもっていたくなる。

晴れているからといって、こちらの気分に変化はない。

特に目新しい情報があるわけでもないけど

部屋の静けさを埋めるためにつけたテレビがこの国の空は誰のものかと話していた。

僕の見上げた空を、この国の飛行機は許可なく飛べないそうだ。

「誰のものなんだ!」コメンテーターが怒っている。

わかりやすく線が引いてあればいいのか。

あんな広いものを持ちきれる人などいない。

 第一、誰かのものだとして、なんの問題があるのか。空なんて誰も気にしてない。

そんなつぶやきを考えたとき、ビデオの期限が今日だったことを思い出した。

ビデオ屋までチャリを転がす道すがら、

 

子供の頃からよく見るレトロなプロペラ、尾翼にはアメリカの国旗がついてる

 飛行機が飛んでいく。

 

容姿を観察できるほど低く飛んで大丈夫か。とも思う。だからなんだ。

空なんて誰も気にしてない。

 

ミリオタではないから、あれがどんな飛行機で何をするのかはわからない。

ただ、ビデオ屋の行きと帰りで、見える範囲をグルグル回っているから

練習なのだと思う。

 

切り返しのおぼつかなさに、初心者なのだろうという妄想をする。

車の免許を取る時、路上に初めて出た時は緊張したものだ。

 

軍用機に路上教習があるかは知らないし、初心者マークが貼ってあるわけでもない。

ただ、最初は誰でも戸惑う。乗っているのは人間。飛行機にのってるだけで、

彼のなにがわかるというのだろう。ただ見えないだけさ。

仮免講習の前の日に、緊張で眠れなかった日を思い出して、頭の上を飛んでいく

鉄の塊に乗っている奴も、同じではないかと思うと

借りたアメリカ映画の中で、雨に歌っている主人公の気分がわかった気がした。

 空は誰のものでもない

曇りの日は飛行機が飛んでいく。どんな種類かはわからないけど、飛んでいるのは

音でわかる。

 

雨か晴かわからない日の夕暮れ、珍しく夕焼けになったほうへ、見慣れない飛行機が

飛んでいく。目で見たことはない。でもニュースでは知っている。

オスプレイじゃん!一人でテンション上がってたけど、

通行人の誰も空なんて気にしていない。

さもあたり前のように、夕焼けの方へ消えていった。

 

この目で見れば何てことはない。ニュースは見えないから不安なだけ。

それだけさ。

 

曇りの日は嫌いだった。先の見えない不安に潰されそうになるから。

それでいい。不安なままでも、進んで行くべきだ。それが最悪だったとしても

持ちきれないものをねだるよりはずっと。

 

 

天気は思い通りにならない。空は誰のものでもないんだから。

 

備考

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