キリギリスはなぜ死んだ?

社会に、いらね。と言われた奴の最後のあがき

さらばSMAPあとWAT

お題「SMAP」

「いつまでも、あると思うな親と金」

いつまでも親が面倒をみてくれるわけではなく、親はいつか死ぬものであり、あると思っていても金は使えばなくなってしまうという意味から。
人は誰かに頼る心を捨て、節約して生きていけということ

 

という、ニート達を戒める昔の人たちからのありがたい名言である。

そう、いつまでもいると思っていた、生きていて当たり前だと思っていた人も

人間である。生き物なのである。生きているということは死んでいくのである。

いつかぼくが大人になったら車に乗せてもらうんだ。とにこやかに語っていたあの人も

もう夢の中でしか会えない。車に乗せるどころか仕事すらしていない。

ぼくはなんでこうなのだろう?ぼくが誰かと別れる時はいつも最悪の分かれ方しかしていない。

なにが言いたいかというと、

この世には永遠に続いていくものなどないということ。

ぼくが子供の時からあって、ずっと続いていくとおもっていた物

こち亀ですら今年で終わりだし、国民の象徴をライフワークにしている方さへ

退職届をだし。

中でもぼくが驚いたのはあの国民的アイドル

SMAPが解散してしまう。

というニュース

 

そもそもぼくがsmapと出会ったのは幼稚園生の頃、運動会で年長生が

smap青いイナズマをbgmに踊っていたのが始まりだ。

当時のぼくも幼稚園児なりに「青いイナズマって・・・なんだ・・・?」

と思っていたが、当時はそういうちょっと意味ないけど、語呂のいいワード

個性のある言葉が流行ったのだ。

PUFFYアジアの純真とかね「白のパンダをどれでも全部ならべて〜」

とにかくsmapは数々のヒット曲、ぼくは特にライオンハート」が好きだ。テレビ、映画に出演し

ぼくも月曜のSMAPSMAPを毎週見ていた。

5人の中で、思い入れの深いのが香取慎吾である。

毎週土曜日の「サタ☆スマ」は必ず見ていたし、彼が扮するキャラクター

慎吾ママ怒られ侍が大好きだった。

思えば90年代のフジテレビは面白かった。今は見る影もないが

まぁ子供の頃の思い出補正ってヤツだろう

バラエティーだけじゃなく、ドラマ、映画でも、思い出に残るものは多い。

例えば2000年に放送された

合言葉は勇気

2000年に上映された映画、

ジュブナイル

は子供の頃のぼくの心にクリーンヒットした作品だ。

2002年に放送された

人に優しく

では突然見知らぬ子供を預けられた元不良の青年前田前を好演し

2004年に放送された、

新撰組!

はぼくが唯一全話見た大河ドラマだった。

たくさんの出演作があるけれど、やはり一番は99年に放送された

古畑任三郎 VS SMAP

だろう。

ぼくはビデオにダビングして

当時は小学校も土曜日まで授業があり、早く帰れた日にはカップヌードルカレー味

を食べながら、お昼に見るのが好きだった。

思い出をいいだせばきりがないが、それくらい彼らは、昔からいて、ずっと続く、

終わるなんて在り得ないと思っていた、

しかし、彼らも「人形」ではなく「人間」である、表舞台で見せる笑顔の裏に決して語られない苦悩があったのだということをぼくは考えていなかった。

解散騒動の初期の頃にネットで

「アイドルなんて会社の売り方がいいだけだろ」という意見がある。

「国会ではもっと大事なことが決まっているッていうのに、たかが、アイドルごときのことを騒いでいる国。あほくさ」

という勘違いエセインテリくん 冷静な意見をいう人もいる

確かにそういう側面はある。

しかし、ただ売り出し方がうまいだけのグループが20年近くもファンに愛されるだろうか?

ぼくはそれだけではなく、彼らは、スターとして、天性のものと、努力を怠らなかった。

「唯一無二のそして、彼らだからこそのSMAP」だったと思う。

解散本当に残念です。

 

P,S今年解散したグループにWATもいるんですが、ウエンツと小池鉄平くんのことも

思い出してあげてください。