キリギリスはなぜ死んだ?

ニートに生きる資格を

踏み出す勇気を持てない人に能見寛を知ってほしい。 

書き残す意味。存在の証

 世間から見れば、どうでもいい、馬鹿げた話を

わざわざネットという社会に見える形にして

書き残す価値がわからなかった。

 

しかし

 

 現在価値がない文章も、遥か遠い未来

誰かの心に、何かを残すことができるかもしれない。

それを能見寛(のうみ ゆたか)が教えてくれた。

 

書き残すことで

どんなにちっぽけな奴でも

ここにいたんだ。と示すことができる。

 

 

 

求法の旅人との出会い。

生きずらさを解決するヒントとの出会いがないものか。

かすかな期待を抱いて、図書館のそれっぽい本を数冊、棚から引き出してみる。

必殺技みたいな名前の外人が書いた本も

精神科医が記した本も

果ては宗教の本を読んでも

 

  「人生」それは究極のオープンワールドゲーム。そこに攻略法はない。

という結論が出ただけだった。

 

 その場を去ろうとしたそのとき、あるタイトルが目に止まった。

 

 

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本になる程の人なのだから、歴史に名を残すような事をしたはず

なのにまるで聞いた事がない。

そんな人が、なぜ海外、それもチベットに行ったのか?

何より「消えた」というどこかはかなげな響きに惹きつけられた。

 

YOUはなにしにチベットへ?

明治の始まり新政府は、それまで一緒にされていた神道仏教を区別した。

すなわち、外国から入ってきた仏教をなくして、

神道のみを残そうとしていたのだ。

 

どうにかしてその状況を打開できないかと

仏教が生まれ、外国との交流をしない

国際引きこもり、チベットを目指した人たちがいた。

 

河口慧海

一番早く、チベットにたどりついた人。

本もたくさん出している有名人

 

成田安輝

 外交官。

チベットへ向かった目的はスパイをするためだった

という説がある。

 

寺本婉雅

 僧侶。能見と親交があり、途中まで行動を共にしていた。

 

そして

能見寛

 

3人はたどりつき、目的を果たして、無事帰国する事が出来た。

ただ一人、能見を除いて。

 

彼は、チベットの土を踏む事はなかった。

その途中の雲南省で強盗に襲われ、帰らぬ人となった。

 

 なぜ失敗したのか

d.hatena.ne.jp

 によると

 

癇癪持ちだった。

父に「堪忍大事なり」と言い聞かせられるほどの短気で、支那(中国)を通って

チベットに向かう途中

付き添いのつもりで現地で雇った兵士の自分勝手な振る舞いに腹を立て、

石で殴っている。

 

以前僕はこんな記事を書いた

senbeibj59634hu.hatenablog.com

ほどで、その行動は自分のことのように感じてしまう。

だからこそ断言するが、彼は探検に向いている人間でない。

 外見が浮きすぎていた。

彼に出会った人々は自身の日記で能見の第一印象を

「目と頬骨が異常に大きく、常人でない印象を受ける」

とつづっている。これでは

まだ外国人が異端であり

出向く事が潜入と呼ばれるほど難しかった

支那の土地ではかなり不利だっただろう。

思いつきで行動し、待つという事が出来なかった。

性急に突入をくりかえした。ひとつのルートがだめならその次、

またその次と。

しりぞいて時期を待つことをしなかった。

成功した3人はこれが出来た。

短気な能見は時期を見る。という事が出来なかった。

まぁ、出発するまでに5年以上待たされた

彼に、これ以上「待て」と言うのも無理な気もするが

叶わなかった夢。 届けたかった声。

彼は、というか、この時代の人々はとにかく

「書き残す」という行為を大事にしていた。

1日も欠かさずに日記をつけ

旅が好きな能見はその風景をスケッチし、

食べた外食の勘定をメモして、どれだけ遠くに離れても

帰りを待っている人々へ欠かさず手紙を送っていた。

ある日、それがぷっつりと途絶えた。

音信不通になってから数年後、能見が最後に書いた手紙が見つかり、

戻らなかった旅人の声は伝えられた。

 

 なぜ、チベットを目指そうと思ったのか?

それは寺の住職という肩書きや、

仏教を残さねば、という使命感だけではないように感じた。

彼は「ただ行ってみたかった。」のだと思う。

 

ただ遠くへ、チベットという土地へ

そこになにがあるのか。

そんな好奇心や冒険心を抑えられなかった一人の若者だったのだ。

 

能見は確かに失敗した。けれどその生き方は決して間違いではない。

 

金剛般若経』や『金光明経』などの蔵本(チベット語経典)や

仏像類などの資料を日本に送っている。それらの資料は、

大谷大学金城町歴史民俗資料館に所蔵されている。

 

能海寛 - Wikipedia

のように、数々の貴重な書物を日本に送っている。

彼は自分の人生を生ききったのだ。

しくじり先生が今こそ必要。

僕らは、いつも成功者の体験談を聞きたがる。

その中から自分の生活を豊かにできるヒントを探そうとする。

 

冷静に考えればそんな事は不可能だ。

多くの人が出来なかった事をできるから成功者なのであり、

彼らの体験をいくら聞いても

モブキャラが真似できるはずもない。

 

必要なのは、

選ばれた人々のきらびやかなお話ではなく

血反吐を吐くほど努力し、どんなに真面目に生きても

夢叶う事なく風の中にに消えていく

か細い声に耳を傾けてみる。

 

それが、これから何かに挑戦しようとしても、

失敗することを恐れている人に勇気を与えることができる

と信じている。