キリギリスはなぜ死んだ?

社会に、いらね。と言われた奴の最後のあがき

無気力からの脱出と無駄な努力の終わらせ方

(無限ループって怖くね?)

雨の日も風の日も歯を食いしばって

向かい風に立ち向かっていれば

いつか報われる日が来る。と信じていた。

その結果、僕が得た物は

閉め切られた部屋の中で限られた酸素だけを使って

ただ息苦しくなっていくだけの日々と

存在するだけで後ろ指を指される社会不適合者の烙印だけ。

 

今までしてきた事はなんだったの?

そんな疑問を振り切って

何度か立ち上がってみたけれど

いつも散々な目に会うばかり

まるで滑車にいれられたハムスターのように

同じところを必死に回っている。

 

そのうち全てが嫌になって、

部屋の中でうずくまって・・・・

このままじゃダメだ。とわかっているから苦しいんだ。

また同じ事になるとわかっているから不安なんだ。

 でも、それじゃ、何も生まれやしない。

その間を行ったり来たりするのはもう飽きた。

 

ここから出たい。

 

失敗しない人生はないけれど、それでも一歩踏み出したい

どうせこれかも生きていくのだから。

良い努力、悪い努力

 

なぜ失敗したか?を知ろうとしないと

同じ事を繰り返す。

今回は無駄な努力と無気力から脱出する方法を考えてみよう

 

 まずは、無駄な努力の定義を調べてみる。

matome.naver.jp

によると、努力には努力した分だけ結果に繋がる「良い」努力と

いくらやっても結果につながらない「悪い」努力があるのだそうだ。

 

そんなの結果論じゃん。とも思うが、

大体3ヶ月やって効果が出ない努力は、無駄な努力だと見ていい。

この期間中に効果が出ない場合

その努力が本当に効果があるのか?を見直してみる。

少なくとも、「これだけ頑張っているから、報われるはずだ」という考えは

無駄な努力である事が多い。

これまでしてきた失敗はこれだと思う。

つまり、頑張る事が目的であってはダメだ。

その努力が本当に目標につながるが?を常に疑う事が大事なのだ。

 良い努力をするにはどうしたらいいか?

良い努力は言いかえれば効率的な努力とも言える。

そのために重要な事は3つ

  • 時間をかける。

時間をかけて何かに取り組んでいれば

そこにどんな感情があろうとそれらは

すべて「努力」なのである。

 

 一見、先に書いた事と矛盾しているように見えるが、

時間をかけて、楽しんでやる事が大切で、

それがあれば,毎日何時間もぶっ通しでゲームしていても、それは努力になる。

 

 

  •   負荷を与える

どんなに強い負荷も、続けていけば次第に慣れていき

ラクに感じてくる。ここで、ラクのまま通すのか

さらに強い負荷を与えるのかで努力の効果は異なってくる。

 

例えば、最初は難しいと感じるゲームの操作も慣れてくると楽にこなせるようになる。

一週目は倒すのが難しかったボスも攻略方がわかれば楽に倒せるようになる。

そこで終わらせずに、強力な武器を禁止してプレイしたり、

ダメージを負ったら即リセット、みたいな縛りプレイをしてみる。


3. 基礎を築く

基礎をおろそかにして技を磨いても、

ある程度まで技術は上達する。

だが、いつか必ず行き詰る。

そのとき、基礎に立ち戻れるかどうかが

上達の分かれ道となるだろう。

 

 何事も土台が大事。しっかりとした足場ができていないのに

豪華な家を建てても、結局は傾いて倒れてしまう。

昔、姉歯物件っていうのがあったな。・・・

あれは倒れてないけど。

 努力は見せなきゃ意味がない。

 日本人の美徳として、努力は水面下でするものという

考えがあるが

努力が報われる人は

努力をしているところをきちんと周囲に見せている。

逆に、努力を見せないように頑張ると

結果を出しても「まぐれ」と思われてしまうかもしれない。

僕も努力は見せないものだ。と思い込んでいたけど

それじゃダメだ。

頑張ってますアピールはできるだけやっておいた方がいい。

 

ともすれば、書いた絵をここで発表してみよう。

 

所詮無職の落書きだけど、書いてる最中は、とにかく目の前にある不安を

考えなくていい。現実逃避と言われたらそれまでだけど。

無気力でいないためには趣味を作る。

僕は今怠惰な日々を過ごしているけれど、思い返せば、

働いていたときもたいして変わらなかった。

このままでいいのか?と、心のどこかで疑っていたけど

働いてさえいれば大丈夫だ。という根拠のない安心感があった。

 

でもそれじゃ、心の中に出来上がったもやもやが大きくなっていくだけ。

それを取り除くには、とにかく、やっていて楽しい事が必要だ。

もちろん、僕らは働かないと生きていけないけど

働くために生きているわけではないから。

 

やれば1やらなければ0

裸の王様が、バカの目には見えない布で服を作ったように

僕は常人には見えない足枷をされて、日々を過ごしている。

それは鉛や鉄よりもずっと重くて

引きずって歩かざるおえないのが

どれだけ大変なのか?

僕を煽る人々に説明しても

そもそも見えないのだから、理解できないのは当然だ。

他人の許可はいらない。結局歩くのは僕自身。

自分が取れる限りの歩幅で進んでいく。

それがどれだけ小さな一歩でも構わない。