キリギリスはなぜ死んだ?

ニートに生きる資格を

人は一人で生きていけない。なら僕は人間をやめたい。

走れ。奴を振り切るまで。

追いつかれるぞ、振り向くな、止まるな。引き戻されるぞ。

走れ。走れ。走れ。たとえ根性なしの心臓が悲鳴をあげても

どれだけこれ以上は無理だ。と警告されても

走り続けているうちにそのまま止まってしまえばいい。

走る。走る。はたから見たら不恰好なフォームで、

万年帰宅部だった僕にそんなもの期待しないでくれ。

 

言い訳をすると、運動が嫌いだったんじゃない。

集団行動が嫌いだったんだ。部活動も体育の授業も。

普通から限りなく劣った僕には耐えられなかった。

 

学校、というのは、社会の前身だと聞たことがある。

なるほど、学校でゴミだった僕は、そこからドロップアウトして

社会に居場所を求めても、やはり、ゴミのままだった。

どこへ行っても疎まれる。人間の社会で僕は邪魔者。

いなくなってほしい奴。

僕がいなくなることで平和になる社会。

まるでゲームの魔王の気分だ。

なるほど、ドラクエが楽しめない理由はこれだったのか。

 

例えば、この瞬間、不治の病に冒されて、余命いくばくもない人に

ぼくの寿命をやる事ができるのなら、ぼくはこの命を捧げるだろうか?

書いていて思ったが、無理だと思う。なぜかわからないが、命を粗末に

したいくせに、それを他人にとなると、なにか損をしたような気持ちになる。

もちろん、生きていたい。という彼らの切なる願いをないがしろにするつもりはない。

 

「あの子が死んで、なんであんたなんか生きてるの?」

そう言われてたら、「すいません」としかいいようがない。

生きていてすいません。

行き着く先は、「生まれて、すいません」だろうか。

子供の頃は良さが理解できなかったフレーズだが、一見しただけのうわべのイメージとはいえ、太宰治氏に共感する日が来ようとは。

 生きていたい人が死んで、死にたい奴らが、「死にたい」とつぶやきながら

なんのありがたみもない明日を迎え、1日を消費する。そんな世界は

不公平だ。

ぼくが再三愚痴る世界の理不尽を構成する部品がぼく自身であるという事実に

震えが止まらない。

 

でも、今、この瞬間、僕たった一人だけなら、誰かと比べられないのなら

僕は今、とても自由だ。

 

走る。走る。向かいを電車が追い抜いて行く。

「あの人、平日の昼間っからなんでこんな事してるんだろう?」

前の車両に則って、忠実にレールの上を走っていく箱に乗っている人間の

一体何人が、ぼくを気にするかなんてわかりっこないけど

この瞬間のぼくは、そんな事どーでもいいのだ。なんだったら

電車を追い抜く事が出来るような気さえした。

 

まぁ現実はあっという間に最後尾の車両が追い抜いていき、

ぼくの視界から遠ざかっていった。

それでもいいんだ。誰かと競争しているわけではないから

やりたくてやってる事なら、誰に気兼ねもいらない。

 

たまに年寄りに応援される。がんばれ。と

彼らの目にぼくはどう映っているのだろうか?

これがニートの暇つぶしだとわかったらどんな顔をするのだろう?

 

そんな事、知らない方がいい。だけどたったひとつわかるのは、

筋トレもランニングも働く上ではまったく役に立たない。という事。

働くという行為の疲れは、まったく別次元のものだ。

 

だけど、褒められて悪い気はしない。すこし鼻高々だったのがまずかった。

調子にのるな。やはり、現実がぼくを叩き落としにきた。

 

とりあえず3駅分のところで引き替えそうと踏切を渡ろうとした矢先、

一時停止を忘れたプリウスとぶつかりそうになった。

ぼくが謝ろうとした矢先、乗っていたビールッパラ、咥えタバコにセンスの悪すぎる

サングラスをした中年。人は見た目で判断してはいけない。というが、こういう容姿の

人間で、ぼくに好意的だった人は、経験上、いない。

例にもれず、怒鳴り声が聞こえてきた。何を言っていたのか?はわからないが

とりあえず憎まれ口である事はわかった。

聞こえてきた。というのは、そいつがすでに

3mほど通り過ぎてからの事だったからだ。

 

ぼくも、思わず、「てめーがとまんねぇのが悪りぃんだろうが!ボケェ!」と

叫んでいた。

幸いにも、ドライバーはそのまま行ってしまった。

もし、ここで、そいつが降りてきて、言い合いになったとしたら、やはりぼくは

手を上げていただろう。もし、そいつが通報なんてして、

駆けつけた警官が、あいつだったら、どうだろう。ある意味、傑作だ。

 

非常にせまい主観の意見だがプリウスユーザーというのは、どうしてこうも

バカが多いのだろう。

プリウスがバカを引きつけるのか?バカだからこそ、プリウスに乗って、

「俺、選ばれし者」的な悦に浸るのだろうか。

環境に優しいハイブリットカーも、乗っている人間がDQNなら台無しである。

 

盗んだバイクで走り出しても、気は晴れないでしょう。

 

さぁ、走ろう。と思って外にでたとたんに雨が降った。しょうがなく、家の中に

戻ったら、とたんに雨がやんだ。中途半端な曇り空に舌打ちする。

一度下がったモチベーションを上げる事もできず、結局、1日家の中にいる羽目に

しかし、夜になってから、落ち着かなくってきて、散歩に切り替える。

 

いつもいくルートから外れて、近所のバイク屋の前を通った。

250ccでも、意外と大きい。かっこいいな。

いつも憧れて、とうとう手が届かない代物。

これに乗ってどこまでも遠くへ行けたなら、どんなにいいだろう。

しかし、バックミラーに貼られた値段は、その日の食費も払えないぼくには

到底払う事のできない値段。

 

今なら、盗んだバイクで走りだした尾崎の気持ちがわかる。

でも、そんな手段で手に入れた自由では、気持ちが晴れる事はないから、

彼は、天国へ旅立ってしまったのだとも思う。

 

よく、バイクなんか時代遅れだし、危険すぎる。

買うなら、断然車の方がいい。という意見を耳にする。

ぼくもそのとうりだと思う。以前のぼくも、家族のために、せめて一台だけでも

と、まさかバイトにそんな金が工面できるとでも?

 

なぜ今になってこの不便な乗り物に乗りたいのだろうか?

うまく言葉にできないが、、万年自転車意外乗った事のない貧乏人が、動力のついた

乗り物に憧れているんだろう。もしくは、これが、基本一人乗りだからかもしれない。

社会に気兼ねしてどこへも行けないぼくが

誰の気兼ねもなく、どこまでもいける(ように見える)乗り物に自分にない

自由を見て、勝手に憧れているだけ。

 

わかってる。人は一人では生きていけない。

ならば、ぼくは、もう、人間でいなくてもいいのかもしれない。