キリギリスはなぜ死んだ?

ニートに生きる資格を

チャリで羽田までいった話。

多摩川沿いを自転車で走って、羽田空港まで行った事がある。

正確には、羽田の近くの海まで。か

20の時だった。就活がうまくいかなくて、

それまで当たり前に皆勤賞を取っていたぼくが、学校にどうしても行きたくなかった。

いつものように、自転車で向かう通学路、その日、この信号を渡ったら

また同じ1日が始まる。そう考えたら

横断歩道の先へ行く事ができなかった。

思えば、これが、ぼくの人生の転落の始まりだった。

ヘタレ、とか、根性なし、とか言われたら、そのとおりだ。と答える。

でも、この一件に関しては、他人がいくら

貶してきても、あっそうで済ませる事ができる。

だって、あのまま、いつもの道を通っていたら、間違いなく

猛スピードで往来する車に体当たりしていただろう。

まぁ今では、その方が良かったような気もするが。

ぼくの行動は全て間違いだらけだ。頭ではわかってる。

でも、理屈じゃない。

あの時のぼくの行動をどういった

言葉にしていいのか、今でもわからない。

たとえるなら、ぼくの頭の毛先から、足の爪の先、細胞の一つ一つが

ここから先へ行くべきではない。と判断したのだ。

 

学校に電話をし、風邪気味だ。とか適当に嘘をついた。人生初の仮病である。

そのあと、渡るべき道に背を向けて、やるべき事から一目散に逃げ出した。

 

気がつくと河川敷にいた。なぜかわからないけど、

昔ここを渡っておばあちゃんとセリ取りに行った映像が頭に浮かんだ。

まぁ、その野っ原は、とっくの昔にマンションになってしまったけど。

 

ここは、余計な建物がなくて、空がとても広く見える。

なんとなく見上げていたら、ブルーハーツが歌う青空を思い出した。

「生まれた、所や、皮膚や、目の色で、一体ぼくの何がわかる。と言うのだろう?」

同じように、エントリーシート一枚でぼくの何がわかる。と言うのだろう?

そんな悪態をつけるほど大した人間でもないのは、今になって理解した事だけど。

空と川に挟まれて向こう岸では、重機が動いている。

それが、何をしているのかはわからないけど

ずっと一定に動いてるように見える姿を見ていると

考える事をしなくていいような気もした。

ぼくは何も考えたくなかった。将来の事も、今の自分の事も。

 

しかし、次第に

今頃は教室であれをやっている時間か〜とか

こんな場所にいていいはずがないだろ?とか

まさかドラマの主人公にでもなったつもりか?という不安の混ざった疑問が

頭の中を満たしていく。

学校には休む。と連絡を入れてしまったから、今更戻るわけにはいかない。

というか、絶対に戻りたくない。

「行ってきます」と元気よく

(フリだけだが)出て行った手前、家に帰る事もできない。

 

途方に暮れていると、道の端っこにくいが立っているのが見えた。

 

多摩川、左岸、海まで45km」

 

海まで。というワードだけが頭の中に強烈にインプットされた。

 

この道を行けばいかなるものか。迷わず行けよ。行けばわかるさ。

 

対して猪木のファンでもないが、このときのぼくは、この言葉で頭がいっぱいだった

とにかく、リスク。という物を考えなかった。

もう何も考えたくなかったから。

 

ぼくは駆け出した。

 

最初は余裕だった。ただまっすぐに進めば良かったから。

しかし、途中で道が途切れてしまう。ここで諦めておけば良かったと

今になって思う。

しかし、このときの僕は何がなんでも、「海」に辿りつくのだ。

という決意でいっぱいだった。

少し遠回りになったものの、だましだまし道を見つけ、団地の間を縫って

進み続けた。

 

道中で、おしゃれなマウンテンバイク乗りに何度も追い越された。

当然だ。僕が乗ってるのは、ジャスコで買ったママチャリ。

気に入ったのは・・・値段だ。一番安かった。

当然、ギアなんて付いてない。

あのくそ急な坂道のきつさといったら。

そんな僕を尻目にスイスイと横を通り過ぎていく人々。

くそぉ・・・僕にもせめて、ギア付きのチャリがあれば・・・と思ったが

よくよく見ると、彼らは、僕と同じ道を行くのではなく、途中で引き返したり、

市街の方へいったりしていた。

「ふふん・・・お前ら、意外と根性がないな。

俺はこれから、あと30km以上走るんだぜ!」

 

上から目線の発言を許してほしい。

時々、同じくいが立っていて、海までの距離を知らせてくるのだが、

いけども、いけども、減らない数字に僕は、妙なテンションになっていた。

 

そして、ここまで来てしまったら、引き返すわけにはいかなかった。

ひたすら進む。後ろを振り向かずに。

 

それでも、距離が確実に減っていくのは、なぜか達成感があった。

二子玉川の景色の美しさは今でも忘れない。

 

ここがこんなに美しいのだから、海はきっと、もっと素晴らしいんだろう。

長時間サドルに乗ったケツの痛みと、ペダルを漕ぎまくった太ももの疲れを

ごまかすかのように、自分を励ました。

 

そして、とうとう、たどりついた。時刻は午後の1時。

出発した時、確認した携帯の時計が午前9時半だったから、

少なくとも、5時間はかかった計算になる。

 

 

確かに、海はあった。しかし、それは僕の想像していたものとはまるで違った。

僕が想像していたのは、もっと地方の、自然豊かなものだった。

東京湾の汚れた色はまるで世紀末の光景だった。

 

今にして思えば、これが僕の人生を物語っていた。

行き当たりバッタリで、よく考えもせずに行動し、結果大失敗。

失うものばかりで得たものはない。

そして、気づいた。どうやって帰ろう?

 

僕には、再びチャリを漕いで来た道を戻る選択肢しかなかった。

そして、気づく。行きに5時間かかるということは、帰りにも5時間かかるのだ。と

足が限界を超え、もう無理だ。と震えだす。無情にも周囲は暗くなっていき、

道がわからなくなり、無駄に迷う始末。

 

泣きべそをかきながらようやく、たどり着いた我が家。

そこで待っていたのは、昼間に教師から確認の電話を受け、仮病が発覚し、

目を三角にする親だった。

 

そのあと、たっぷりお説教を食らったのだが、眠いやら、腹が減ったやらで

内容はよく覚えていない。

この暴挙で僕が学んだことは、どれだけ遠くに行こうとも、現状から脱出する

手段にはならない。ということ。

みなさんは目の前の苦難から決して逃げ出さず、立ち向かってください。

あと旅にでるときは、思いつきで行動せず、よく計画してからにしてね。