キリギリスはなぜ死んだ?

社会に、いらね。と言われた奴の最後のあがき

自己肯定感。とは、図々しくなる事。

 

「生きづらさの臨界」の画像検索結果

生きずらさは人間にないよ。社会にあるんだ。

僕だって本くらい読む。

図書館に涼みにいった時ただ寝ているだけだと怒られるから

違いますよ。僕は知識をつけに来たんですよ。

部屋にクーラーがなくて、

このままだと、熱中症になりそうだから、公共の場に

逃げた訳じゃないんですよ。と

アピるためだ。

 

ただ、なんの興味もない物をただ広げているのも、つまらない。

一番くつろげるソファーの近くある本棚。

その社会学の欄で、バカにも解りそう

魅力的なタイトルの背表紙を

手に取った。

 

著者の湯浅誠氏は自身が代表を務める

NPO法人もやいで、派遣切りや、日雇い労働者の支援を

していて、実際に生活困窮者と接した経験から

主に、非正規雇用の若者が抱える

「生きずらさ」を

一個人のせいにしないで、社会構造の問題として語っている。

 

僕が驚いたのは、これが、2008年に出版された物だという事。

もう9年もたっているのに、ここに書いてある内容が

まるで改善されず、むしろ悪化しているように思えるのは

 

 

日本人の美徳でもある「恥」の文化。だけど

それは、いまや、行き過ぎた自己責任論となり、

それで、いくら理不尽に蓋をしても、限界であるという現実を

突きつけられている気がした。

 

 

湯浅氏は、「貧困は人間にないよ。社会にあるんだ。」

と記している。

僕は、それをパクって、「生きずらさは人間にないよ。社会にあるんだ。」

と思う。

それが、この本を読んだ感想だ。

 

 

 

 要は図々しさって事。

最近話題の自己肯定感。

僕のような自己評価が低い人間には

この、「なんの根拠もないけど、自分は生きていていいんだ!」

と思える感覚が足りないらしい。

 

つまり、普通の人は特に何か理由がなくても、生きていればいいや。

と思っているのか。

それを「人間が生きている」と言えるのだろうか?

要は、「生きさせろ!」と声を上げられるかどうか。

それでなくとも、もう少し、図々しくなった方がいい。

という事なのだろうか。

 

だけど、いくら

「他人は他人、自分は自分」と開き直ったところで

この社会で生きて行く限り、他人と比べられる事は避けられない。

そして、多くのクズは社会から切り離されて生きて行く事は出来ない。

 

僕らは、「こんなもんだ」と諦めて、デモも、運動も起こさない。

そんな事をしても、何も変わらない事を知っているから。

それは、ある意味、日本人の「奥ゆかしさ」の表れ。

残念ながら、

この国にはもう必要がない物なのかもしれない。

 

 

よく、日本のここがダメ!と指摘すると

「嫌ならなんで日本の住んでるの?」

という言葉を投げかけられる。

 

こういう人間が、日本を破壊するのだ。と思う。

 

僕はクズだから、嫌でも住むしかない。

もし、もっと優秀な人間だったら、今すぐにでもでて行くさ。

ここより待遇のいいもっとほかの場所へ。

 

例えば、別の国で、高待遇をうりに、人材の買い叩きが起こったら、

どうなるか。優秀な人々は、次々にそこへ移住し、

ここには、問題点だらけの労働環境だけが残る。

 

選択肢がある人々はそんな場所には集まらない。

叫ばれる少子化を止める策もなく、かといって

労働力は不足。

 

なら、どうする?

 

 

仕事を選り好みできず、安く使う事の出来る労働力

 

移民を受け入れる事だ。

 

実際、僕が働いていた時

バイト先の店長が

「お前一人を雇う金で、外国人が二人雇えるんだ。

少なくとも、二人分の働きをしてもらわなければ、困る」

と言われた事がある。

 

いや、そんな低賃金で雇われる外国人の立場はと

頭に?が沸いたが。

 

そんな待遇にはたして、外国人たちは満足するだろうか?

消極的な日本の若者と違い、自己主張が強く

ただでさえ、日々の不満から、テロ行為が増えている

この世界で。