キリギリスはなぜ死んだ?

社会に、いらね。と言われた奴の最後のあがき

働かざる者はなぜ喰ってはいけないのか?

あけすぎてまるでおめでたくないけど、世間のならわしには逆らわない方がいい気がするから、言っておくよ。あけましておめでとう。

 

なんでこんなに更新が空いたの?疑問に思うほど気にかけてくれる読者がいるか?がまず疑問だけど、まあいいや。

 

 先月末から、バイトを始めたせいで、ブログを更新できなかった。書く時間がまるでなかった訳じゃない。

 

ただ、一日中部屋の中にいて、持て余していた時間を正当化したかった頃は、義務感の

ごとく書いていた。

 

でも、バイトとはいえ、社会に参加するようになったら、今まで自分がしてきた事が

無駄だとわかった。

 

だって、人間は働かなければ生きてはいけない。それがこの社会の当たり前のルール。

それ以外は惰弱の言い訳だ。

 

「働かざる者食うべからず」このセリフが、こだまのように心に反響する。

 

ただ、問題は以前山済み。特に最近、気になりだした事がある。とても困ってるんだ。

ニート期間が長すぎたからだろう。

 

働いている間、「この仕事に意味はあるのか?」「これがやるべき仕事なのか?」

 

言われなくてもわかってるさ。25超えた大人の考えるような事じゃないって。

 

ただわからないだけさ。どうしてやりたくない事をやらなければ、生きていけないんだろう。

 

どうしても考えてしまう。人生。自立。将来。金。生きるって何だろう。

働くってなんだろう。

 

どうしてやりたくない事をやらなければ、人間は生きていけないのか。

働かざる者が喰っていけないのはなぜだろう?

 

働いても、安心が手に入る訳じゃないのね。

働く。といっても、期限付きの短期バイト。安定した収入を得られるようになった訳じゃない。

 

未だ足元は不安定。なのに、一定の期間が過ぎたら止められると考えると、安堵した。

 

終わりが来ない恐怖。自分はいつまでこんな場所にいるのか?という不安。なぜそんな

ものを感じるのだろう?

 

君の言う通りさ。低学歴ニートの立場でなぜ仕事を選り好みできるのか。まだ理解していない。

 

自分が何にも特別な存在じゃない。って。

 

たとえ、わかり始めたとしても結果は変わらない。今度は、期間が過ぎてからはどうしようだ。

 

また新しいバイトを探すのかい。今度は長期?それとも短期?誰かに、終わりを宣告されないような仕事は、もう自分には出来そうもないのに。

 

この先の自分。考えたくなんてない。でも、夜の眠れない時間は、それを許さない。

遠い未来。これから生きていく長すぎる人生。

 

どうしても破滅のビジョンしか描けない。少女終末旅行の見過ぎかな。

 

これからの自分も不安だ。なのに、今、この瞬間の自分すら安心できない。仕事は簡単

だからこそ、ミスは許されない。

 

いつも言われてきた事。間違えるたびに。「なんでもこんな事もできないのか」

その言葉と共に突き刺さる彼らの視線。

 

エレファントマンを見る人々はこんな風なのかもしれない。エレファントマンを見た事はない。ホラー苦手だから。

 

今日教えられた事。明日できなかったらどうしよう。明日失敗したらどうしよう。

今日は優しかったあの人も、明日には落胆と憐憫の目でこちらを見るようになる。

 

だから長期のバイトは嫌なんだ。長くいれば、いるほど、アラが見えてくるようになるから。

 

どうしよう。どうしよう。いくら大丈夫。と言い聞かせても、ごまかしにならない。

 ドクン。ドクン。ドクン。ドクン・・・・

 

年々大きくなっていく。

 

チクタク、チクタク、時計の音がうるさい。人生の残り時間が減っていく音。

うるさい。黙れ。黙ってくれ。頼むから・・・

 

 心臓の音が近くに聞こえる。眠れない。うるさい。黙れ。止まってくれ。

この鼓動がしなくなったらどうなる?どうでもいい。

 

希望を抱いて生きた明日が、期待はずれの現実になる今日を迎える恐怖は、もういらない。

別段、生きている理由もないのだから。

 

止まれ。止まれ。止まれ。そう念じているうちに朝になる。一睡もできなかった。なんてことだ。年々状況が悪くなっていく。今までこんなことなかったのに。

 

職場に行きたくない本音と、起きていなくてはならない状況で襲ってくるクソ眠気を

呪う。

 

皮肉にも、仕事自体はなんのミスもなかった。徹夜したバカでもできる内容だ。つまり

誰がやっても同じ。多分機械でも。

 

一睡もできなくても、仕事はできる。仕事も、僕も、所詮その程度の存在だ。

 

働けど、働けど、我が暮らし楽にならざり。

 

もしかしたら、ニートだった時の思考こそが、一番希望に満ち溢れていたのかもしれない。

 

今はどうしようもないが、働き出せばなんとかなる。働いて金を稼げば、生活は、少し

楽になるはずだ。

 

あれも、これも、とは言わないが、働いて金を貯めて、欲しい物を買えるはずだ。

何を買おう?PS4スマホ?敗れたズボンでもいいね。

 

反省するよ。現実はそんなに甘くなかった。

 

当然だけど、人間には物欲以外に最低限生きるために不可欠な欲望。最低限の必要経費がかかる。

 

 

ゼロが減っていく預金通帳を見つめ、どこぞのポジティブ論を胸に言い聞かせる。

 

大丈夫。まだ半分も残ってる。まだ大丈夫さ!

 電気代、「どうも。」

 

ガス代「おっ金入ってんじゃん」

 

食費「はっ?調子こくなし」

 

まだだ!まだ・・・・燃えかすとかした千円札を握りしめた僕に手を差し伸べる存在。

 

国民年金「年金払ってね!義務だもん!」

 

通帳は再びZEROに戻った。

 

これでは、働いていない頃とたいして変わらないじゃないか・・・・・

 

国民年金は若者が老人を支えるシステムというけど、少子化が謳われるこの国では、

老人になった僕を支えてくれる若者はいない。と言われている。

 

貰えるかわからない金を投資するって、まるで博打みたいだね。

貰える年齢も年々上がっていく。もしかしたら一生もらえないかも。

 

誰かがいった「人間は一生働き続けなければならない」つまり、この不安が、悲しみが

生涯続いていくということ。

 

ならそこまで生きていたくもない。将来のため。というけど、絶望しかない未来になぜ

生きていなくてなならない。そこも疑問だ。

 

現実は、今、この瞬間を生きるだけで精一杯だというのに。

 

 この国の国士の皆さんは、口々に、「働かざる物食うべからず」という格言をしゃべる。まるでそれが先祖伝来の昔からあった常識であるかのように。

 

みなさんも御存知の通り、これは、新約聖書の慣用句であって、元々は欧米の考え方だ。

 

どこぞの映画のセリフを思い出す。「ここはまだ日本か」

 

それとも、ツイッターの有名な画像が物語るように、「弱気をくじき、強に媚びる」

のが、この国の人間の国民性だというのだろうか。

 

確かに、彼らは「逃げるな。戦え」とのたまう。これもおかしい。なぜなら、本来文句をいうべきは、逃げ惑う民衆ではなく、襲い来る暴君であるはずなのに。

 

「働かざるもの食うべからず」

 

その意味がわかった。この国の人々は、働きたくない。のである。

本当は寝ていたい。グータラしていたい。上司に文句を言われたくなんてない。

 

でも我慢する。生きていけないから。恐らく、

 

みんながやっているから。が大好きなこの国の住人。もしみんなが働かなくなったら

生きるのに最低限の金をもらったら、この国の人々は働かなくなってしまうだろう。

 

この国の、いや、この世の労働に、生きるのに最低限以上の価値など、ないのだから。