キリギリスはなぜ死んだ?

誰の目にも止まらない人々の、言葉に出来ない魂の叫びを綴るブログ。

クソブログは永遠に不滅です。

今週のPV数はいくつか。貼った広告収入はいくらか。ブロガーなら誰でも気になって仕方ないだろう。

 

ブログの価値は数字じゃない。大衆や金のためじゃなく、己のために書いている。なんてカッコつけてみるけど

 

髪をかきむしりながら書いた記事。誰か共感してくれる。期待に胸を膨らませて開いたブラウザ。読み込んだページに表示されるアクセス解析の数字は、ゼロ。

 

なんだ。興味ない。とかクールな態度とってるくせに。気になってしかたないんじゃないか。

 

 

まるで拾ってきた成人誌で盛り上がるクラスメイトをすかした目で見つめながら、耳をそばだてている中学生のようだ。

 

毎日書いても、工夫をした(つもり)でも、誰にも気づかれない。誰も応答しない。声を限りに叫んでも、結果は同じ。

 

ゾンビ化するウィルスにより、人類が絶滅した世界に生き残り、生存者がいると信じて無線機で呼びかけている・・・・

 

映画、アイ・アム・レジェンドを思い出す 

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 批評家には受けが良くなかったようだが、個人的には最高の映画だった。もちろん、ウィルスミスファンの欲目もあるけれど。

 

しかし、ハリウッドスターでもないクソブロガーの書く記事などいくらやっても結果は同じ。なぜだ!?なぜなんだ!?

 

で、忘れた頃に訪れたブログは、いつも消滅している。

 

「諸君らが愛してくれた(はずの) ブログは死んだ!なぜだ?」

 

「クソブログだからさ。」

 

 

 クソブログとはなにか?その定義とは?

 ブログをクソ化させる物とはなにか。何をもってクソブログとするのだろう?画面の向こうのあなた。

 

もしや自分をディスられているのでは。怒りのボルテージを燻らせている読者のために、一般に言うクソブログを定義していこう。

 

自分の感想も特に述べず、粛々と気になったリンクを”メモメモ”と一言添えてあるだけのブログ

はてダに多いという。出典、はてなキーワード

 

出典元にはそのほかに、SNSや掲示板に書く必要ない、空気の読めない、独りよがりな

書き込みに対するスラング

 

いわゆるチラシの裏。に当てはまる。

 

その他、色々なクソブログ批評を調べていった結果、一つのキーワードが共通していた。それは

 

「他人のウケ狙いをしていない記事。他人の目を気にしていないブログ」をクソブログという。

 

さらに厳密に言うと、それを見ても生活の知恵になるような内容でもなく、見終わって楽しめる内容でもないブログ。

 

なるほど。バラバラだった線が一本につながった。

 

まだつかめない。という人にヒントを出そう。今あなたが目を通している記事。

 

まるでクソブログのお手本のようじゃないか。

 

人はなぜクソブログを書いてしまうのか。

 

新聞屋の原付のエンジン音がする。もう2時か。決まった時間に聞こえる音のおかげで、時計を見なくても時間がわかるようになった。

 

眠れない。夜更かしをしたつもりはない。今日。いや、時間的には昨日か。は10時には床に着いた。

 

でも、眠れない。この時間になる。という事は、朝まで眠れない。長い。約7~8時間、

眠ってくれ。頼むから。と念じながら目を閉じているのは。

 

辛い。眠れないまま仕事に行くのが。朝と夜の境目がわからなくなったような感じのまま、仕事場に向かうのが。

 

うるさい。眠れない夜のあの時計の音が。辛い。この音が原因なのか。と電池を引っこ抜いた。状況は変わらなかった。

 

辛い。アナウンスと共に来る電車に乗るのが。いつもイメージする。車体がホームに止まる前に前に出ればいい。そうすれば、この悪夢が終わる。

 

たった一歩。なぜ前に出ない。足を踏み外せばいい。なぜ出来ない。あと一回だけ間違えればいい。

 

慣れっこだろ?間違えしか犯した事がない君には。

 

誰かが言う。もうたくさんだ。と、お前の人生の、ここが終点だ。と、お前にしては頑張った。十分すぎるほど。

 

なのに。。イメージが途切れる。結局電車に乗ってしまった。

もう終わりにしたいのに。このクソ人生を。

 

 終われる。と思ったとき、いつも止まらせるのは、「ここじゃない。」という言葉。

 

「お前は終わってる」

 

わかってるさ。でも、クソ人生の最後に見る景色が、こんな薄汚れた灰色の空だなんてどうして認められるとだろう。

 

 

 終わってる。わかってる。でもここじゃない。ここじゃないんだ。生きていたい訳じゃない。けど、今すぐに。じゃない。

 

終わらせるのは、まだ先だ。ずっと、もっと遠くまで。そんなポエムを思いつくと、大急ぎでメモして

 

キーボードを叩いている。書くと楽になる気がして。ただ、人に共感されたい。という気持ちは捨てた。

 

クソニートが日頃の不平を嘆いたところで何になる?わかる。わかりまくり。

 

わかりま、クリスティアーノ・ロナウド。とはならない。

 

信頼出来る情報筋からの若者言葉の最前線を使ったところで、まるで面白くない。

これがクソブログの限界。ならばなぜ?

 

文章を打ち込むときは、世界への復讐のつもりで書いている。まるで戦車に石を投げる子供のような気持ちで。

それでなんになる訳でもない。何も変わるでもない。

 

 それでもクソブログを続ける理由。

 

 この世界は重く、大きく、冷たい鋼鉄製の歯車に例えられる。それは社会という篩(ふるい)からこぼれ落た弱者をすり潰しながら周り続ける。

 

問題なのは、歯車自体がさび付いて、動きが悪くなっていることだ。ふるいにかけている彼らもそれには気づいている。

 

ただそれをどうしようとする訳でもない。人肉の着いた鉄なんて誰が掃除したがる?

その場に上流階級()しかいないのなら特に。

 

世界は残酷だ。真実は悲惨だ。この社会は少数派を生かすためにはできていない。

取るに足らない奴らが消えても誰も気にしない。

 

だからここにいる。このブログは、この社会の闇に消えていった人々への鎮魂歌だ。

 

太陽が沈み、夜とともに、寒さが降りてくる。暗闇の中、外でうごめく生ける屍の影に

怯えながら、朝が来るのを待っている。

 

 私はせんべい。はてなブログ最後のクソブロガー。

 

 この声が、同じように震えている誰かに届くことを願う。