キリギリスはなぜ死んだ?

社会に、いらね。と言われた奴の最後のあがき

死ねないから生きてるだけの人生を続けるのは嫌だ。

 

死ぬのが怖いから生きてるだけ

 30目前で実家暮らしの無職、親のメンチビームを受ける背中の暑さに耐えきれず、

 

週何回かのバイトをして十数万の小銭を稼ぎ、お茶を濁す

 

自己紹介を書いただけで死にたくなる。逆になぜ生きてるのかわからない。

 

こんな生活を続けても、時間だけ消費されて気が付いたらゲームオーバー。

 

アスファルトに寝転んで呟いた「生きるんじゃなかった」が辞世の句。

 

そんな未来像ばかりはっきり見える。

20過ぎの頃は、わかってくれる人が現われると見くびっていたけど

 

世間で噂の幸運の女神は、目標を立てて必死に走っている人に微笑む。

 

 バイトしただけで一仕事終えた気分のクズなど視界に入らないんだ。

 

 

 苦しい、悲しい、老人の昔話みたいに繰り返して、明日を変えようとしない奴に

 

ハッピーエンドなど来ない。

 

生きてるだけでいいじゃないか。と言う人もいるけど、人間らしく生きていけないなら

それもう人生じゃないよ。

 

なら、これ以上頑張って(るつもり)の生活を続けてもしょうがない。

 

この世にさよならをしよう。硬い決意はその場限り、肝心な時に踏み出す勇気が

なくて、昨日と同じ、くそったれな今日を過ごしてる。

 

いっそ誰か楽にしてくれ・・・

 

夢も希望も元気もない。ただ死ねないから生きてるだけの、なにもない人生を続けるのは嫌だ。

死にたいけど死ねない。まるで映画の悪役みたい。

  

無能クズでも選択肢はあった。せめてあの時こうしていれば・・・・

なんて妄想しないと、世間の厳しい目に耐えられない。

 

 

みんな無職の事、エイリアンみたいに扱うけど、そうじゃない。

 

ニートや引きこもりの血液は酸で出来てないし、サソリの化物から生まれてきたわけでもない

 

クズと罵る世間と同じように普通分娩で生まれた人間なんだ。

 

子供の時もちゃんとあった。楽しかった。あの頃は身の程なんて頭になかったから。

 

でも、自分の器の底が見えるようになった今、記憶を客観視していくと

 

その年表は美しい思い出じゃなくてポジティブに言い換えたトラウマだとわかった。

 

 

一クラス30人中29人にとっての普通が難解なパズルに思える。勉強も運動も常にビリ。

もちろんコミュ力なんてお話にならない。

 

個人ならそれでいいけど、クラス対抗の競争じゃそうはいかない。

 

勝つという普通以上の結果を求められる中では、普通以下の個人は集団の足かせでしかない

 

みんなから浴びせられる「お前さえいなければ」の声。

 

いつから好きでお前らの輪に入っていると錯角していた?

 

場所も時代も関係ない不変の価値観、クズはどこに行っても邪魔者だ。

 

人以下の奴に人並の幸せなどあるはずもなく、深爪のような痛みばかり増えていく。

 

でも、死ぬのは怖い。死にたいけど、死ねないから、

 

自分を倒してくれる奴を探してるなんて、映画の悪役でもねーのに。

 

 

 

 

死ねないから生きているだけの人生を続けるのは嫌だ。

 

 

いつだってこの社会の常識人たちは遠回しに、「他人の迷惑にならないところで勝手に死ね」と囁いてくる。

 

望んでいない場所でサンドバックとして吊るされたあの日から何が変わったのかわからない。

 

頭のいい奴なら気づいてる。クズの命は始まった瞬間にもう終わってるんだと。

 

これ以上歩いてもどうにもならない、ここで人生を終わらせるのが賢明。

 

んなこたぁわかってるさ。昇る朝日を恨むほど。

 

でも、さぁ行けという極に、形のない手が地獄への特快に乗ろうとする背中を引っ張る。

 

 しようと思えば無視できる。か細い腕が別れ際に彼氏のシャツを引っ張る彼女のように

追いすがる。彼女など居たこともないけど。リア充爆発しろ。

 

 

そしていつもの1日が始まる。もうたくさんだ。しかし、社会には逆らえない。

 

ならば、あなたたちの望み通り、誰もいない。たどり着いたことのないところまで走ってやる。

 

噂によると、普通の人はブログを始めても、数ヶ月、数年でやめてしまうらしい。

 

常人に馴染めない奴にぴったりの居場所じゃないか。

 

かっこ悪いし、臭いし、見るに耐えなくても、ここで喚き続ければ

 

女神の冷笑くらいはもらえるでしょう。

 

死ぬ気になったことはないから、どういう状態かわからないけど、

 

ブログを書いたら、2週間くらはアホになって何もする気になれない。

 

さぁん!・・・じゃねーよ。

 

文章を書くのって大変なんだ。あなた方から見れば、ただの駄文だろう。

 

でも、書いてる時は楽しいんだ。まるで思想家になった気分。

 

  このまま、死ねないから生きてるだけの人生を続けるのは嫌だ。

 

 

だから、生き絶える最後、生きたくないのに生きた自分を褒めてやれるように

 

言葉だけでも前へ進もう、1cmでも、1mmでもいいから。

 

絶望の中を周り続ける日々から抜け出し、自分を少しでも肯定するために。

 

 

 これだけは譲れないっていう物を心で握りしめて続けていけば

 

クズでもなにかを変えられるってとこ、見せてやんよ。