キリギリスはなぜ死んだ?

社会に、いらね。と言われた奴の最後のあがき

人と会うのが怖い 

数年会っていない友達から電話がかかってきた。

 

頭の中で再生する映像には子供のままの彼が写っている。

 

通話ボタンを押そうとしたとき

 

相手と何を話すか想像して、指が止まった。

 

実家暮らしフリーターには、世間話の近況報告もできない。

 

何回か経験すればわかる。大抵その場が凍りつく。

 

親戚や近所、興味のない他人なら構わない。

 

でも、親友と呼べた人に乾いた笑いを返されるのは耐えられない。

 

さっきまでジングルベルも、今ではドアを叩く借金取りのよう

 

早く出ろよ。と脅す携帯を放り投げて、呼び鈴が消えるのを待つ。

 

しばらくして、息絶えた画面を見ると

 

留守電のメッセージと、「本当にこれで良かったのか」という後悔が残る。

 

ツイッターで相談するほど悩み、掛け直した番号。

 

彼も同じ立場で、その悩みの相談なのでは。

 

 普通になれなかったのは自分だけではない。

 

特別に落ちこれぼれているわけではない安心感が欲しかった。

 

電話に出た彼の声はあの頃と変わらなかった。

 

人生が光で満ちていた頃に戻っていく感覚。

 

 

 それも一瞬だった。

 

 

「今仕事何してるの?」

 

 

 全身の力が抜け、ひざ関節が40年くらい劣化した感覚。

 

そこからは、何時もの、乾いた時間が戻ってきた。

 

あの頃のみんなはもうどこにもいない。

 

みな当たり前に就職、自立、結婚している。

 

「大人になりそびれたのはおまえだけ」と言われている気がした。

 

彼は、「今度会おうよ」というけれど、普通の社会人に対する劣等感を

これ以上広げるなんて冗談じゃない。

 

忙しいから今度ね。といって電話を切る。

 

顔を合わせても、普通の社会人に対する劣等感で、その場から逃げ出さない

自信はない。

 

昔なら喜んで約束していたのに、歳を食うと、つまらない見栄がつっかえて

腰が重くなる。

 

 人に会うのが怖い。時間の流れから置いてきぼりになっているきがするから。

 

他人の近況と比べると、卑屈になってしまうから。

 

ならそもそも、電話に出なければよかった。そうはいかない。

 

他人と会うことで、何か変わるんじゃないかと思っているのは事実だ。

 

人と会うのが怖い。しかし誰かと繋がっていたい。

 

 働きたくない。しかし、生きるためには仕方ない。起業する行動力も

 

労働から離れて世捨て人になる悟りも開けない半端者のはがゆさ

 

人に使われるのは嫌いなのに、人に使われなければ生きていけない

 

この生き方で一生、生きていくの?と聞かれたら、口がどもるモヤモヤを

抱えながら、なんだか納得できずに生きている。

 

それが人生だ。と言われたら、そんな人生終わってしまってかまわない。

 

かといって終わらせる勇気もない。中途半端な自分にイラつく。

 

働いていれば安心と言い聞かせるけど、苦痛と恐怖しか待っていない社会に

 

出たくない。

 

逃げたい。今すぐに、そんな境地はもう何度目か。

 

しかし頭の中の現実が諭す。

 

ここで逃げ出てどうなる?逃げたところでその後は?

 

何もない。またニートに戻るだけ。

 

そして、ただの糞袋とかした己を呪うだけ。

 

そこからまた道に戻ろうとしても、

 

この歳なら再就職先を見つけるのは、もっと困難になる。

 

ここにいるしかない。ここで生きるしか。じゃあもう生きていたくないよ。

 

でも死ねない・・・・おなじところをぐるぐると回る。たくさんだ。

 

ここからでる方法。最近本気で考えている。死ぬ以外で、どうにかして

 

働く以外の道がないか。「現実は甘くない」わかってる。

 

しかし、このままでは、本当にどうにもならない。

 

なぜ人と会いたいのか

 

ブログを初めてよかったのは、自分の歩ける範囲外の生き方をしている人と

出会えることだ。

 

もしかしたら、そういう生き方をしている人に、直に話を聞いてみれば

 

何か変わるかも。と思ったこともある。

 

しかし、ネットと違って、

 

現実の世界で会うとなると、人との距離感がつかめない奴にはハードルが高い。

 

結局、他人をあてにしても、何も良いことがないのは、わかりきっている。

 

しかし、自力で物事を変える力もないごみくずには

 

この行き詰まりから抜け出すことができない。

 

どうすればいい。わからない。一人では。

 

なぜ人と会いたいのか。逃げ道を作りたいのだ。

 

逃げ出したい場所以外にも、居場所がある。そういう安心感が欲しい。

 

できるなら、自分と近い感性を持った人に会いたい。

 

まったく同じでなくていいから。

 

人と合えば何か変わるかもしれない。

 

それを考えると、今回の友達からの電話に出たのは、良いことだったと思う

 

結果はどうあれ、行動した。ということは、少し自信になった。

 

やらなかった後悔より、やった後悔の方がポジティブというのは

 

まんざら嘘ではないらしい。

 

これまでの生き方を振り返ると、しなければよかったことと、すればよかった事しか

ない。

 

しかし、その経験から、こうすれば。と思えるやり方が見つかればいい。

 

もちろん、これからの事はわからないけど。