キリギリスはなぜ死んだ?

社会に、いらね。と言われた奴の最後のあがき

究極の断捨離とは、ニートになる事。

不要な物は買わない。決意をしたはいいが、なかなか続かない。

なら、どうするか。物を買う手段・・・収入を断てばよい。

稼がないためには、働かない。

ニートとは、ミニマリストの最先端なのだ。

断捨離を行う人々。ミニマリストとはなんぞ?

はてなのダッシュボードの関連ブログに断捨離。や冷やし中華ミニマリスト始めました。

といブログをよく見かける。

断捨離・・・?必殺技のような響きだ。少年ジャンプでNARUTOが存命なら

サスケあたりの新技で登場していただろう。

ミニマリストとはなんだ?

C,Wニコル・・・・それはナチュラリストだ。

マツコ・デラックス・・・・それはコラムニストだ。

インリン・オブ・ジョイトイ。それはエロ・テロリストだ。

その節はお世話になりました。

もはや、◯◯ニストしか合っていない。わからない。仕方ない。

Ok! Google!

 

断捨離とは

不要な物を減らし、生活に調和を持たらそうとする思想。やましたひでこ(山下英子)の著書において発表された。

 

  • 断:入ってくるいらない物を断つ。
  • 捨:家にずっとあるいらない物を捨てる。
  • 離:物への執着から離れる。

 近年では断捨離を実践する人をミニマリストと呼ぶことがあるが、

著者のやましたひでこ自身は

断捨離とミニマリストを明確に区別している

 

引用元-wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%AD%E6%8D%A8%E9%9B%A2ja.wikipedia.org

 何!断捨離とミニマリストは一緒ではないのか?

ならばミニマリストとはなんぞ?

 

ミニマリストとは。

 

最小限の事しかしない人。最小限の物しか持たない人。

出展ーデジタル大辞泉 小学館

 

違いがわからない。

断捨離はいらない物を捨て、ミニマリストは物をあまり持たないという事

なのだろうか。

とにかく、物欲に縛られない生き方をしている人。と考えれば

明後日の方向にはいかないだろう。

 

僕には欲しい物しかない。それを買う金もない。

ならば働け。でもバイトの面接すらうまくいってない。

このままではイライラを貯めるだけ。

これではいけない。

ならばどうする。

よく聞く話さ。逆に考えるんだ。

「いつでも買える」と考えるんだ。

買えないんじゃない。買わないんだ」

諦めたのではなく、自ら望んだ結果と捉えれば

欲求不満に悩まされずにすむ。

 

なぜ、僕らは、「欲しがる」のか

 6年前の東日本大震災。ネットでまことしやかに

 

「物資が足りなくなるのでは?」という噂が広がり

コンビニやスーパーは万一の自体に備えようとした人々で満員になった。

僕のバイトしていた場末のコンビニさえ、見た事もないほどの行列。

カップ麺、トイレットペーパー、電池。いつも売れない高級志向のやつも

SOUL'd OUT

店長は、あさましい。とか、万引きがいつもより増えた。とぼやいていたし

レジに立っていた時、ロンTに昇り鯉の刺繍の入ったおっさんに

 

「トイレットペーパーどこ?」と聞かれ

 

「すいません。売り切れちゃったんです。」と返すと

 

「使えねぇ店」と吐き捨てられたのを覚えている。

イラストレーターも「う◯こなんて拭けなくても死なねぇだろ。」

と呟いたらしい。

ただ、これがアメリカだった場合、暴徒が生存者を襲うゾンビのように押し寄せ

商品を金を払わずにお持ち帰りしていくのも事実。

それを思えば、お買い上げ頂いたお客様のなんと善良なこと。

 

数日たっても商品はこない。

売り物を作る工場を破壊されてしまったから。

早めに店じまいせよ。との本社からのメール。

いつもより早く帰れる!ラッキーとご機嫌で閉店の準備をしようとした。

すると、いつ風呂に入ったかさえ、定かでない身なりのお爺さんが現れた。

爺さんは辛うじて売れ残ったカップ麺を2つレジに並べた。

確かカップ麺は一人一点という張り紙をつけていたはずだけど。

 

「すいません。一人一つだけなんですぅ。」ペースを乱された不機嫌を隠せず

投げやりな態度になる僕。

すると爺さんは

「そんなこと言わねぇでくれよぉ。ここまできたんだからよぉ」

と涙目になってしまった。

 

事情を聞くと、彼は墨田区からやってきたホームレス。

数週間に一度、空きカンを集めた金を貯めて、カップ麺を食べるのを

楽しみにしていたけど、買いだめブームの影響で

どこの店でも売ってもらえず、少なくと50キロ以上離れた

潰れかけの店にやってきたらしい。

店長に事情を話し、特別に会計をした。

袋づめする僕に、彼はまるで小学生のような汚れのない笑顔で

「ありがとう」と言ってくれた。

僕はただのバイトだ。さっきまであなたを疎んでいた。

感謝などされても、仕方がない。

 

まるで初孫のごとく、袋を抱え出て行った彼

ドアを閉めようとしたら、ちょうど自転車に乗せるところだった。

両サイドには見慣れないデザインのゴミ袋。

それに引きちぎらんばかりに入った空きカン。

くくりつけられた後輪は今にも潰れそうに地面に押し付けられていた。

 

「ありがとな。兄ちゃん!」そう言うと爺さんは

もう無理。とでも言いたげにきしむ自転車を転がし、行ってしまった。

これから、また、50キロの道のりを帰るのだろうか。

 

その晩、遅い夕食にカップ麺を食べた。

いつもはうっちゃるスープや残りの具を飲み干していた。

なぜかわからない。でも、スープ飲んだところで死なないよな。

必要とする人が本当に欲しい時にゆき渡らない。

なにかがおかしい。

 

僕らが、物を買うのは、「不安」だから。

売り切れたらどうしよう。足りなかったらどうしよう。

流行から外れて、変な奴だと思われたらどうしよう。

 だから満たされない。5個あっても、100個あっても買う

そういう意味では、ニュースは操作されている。

僕らに気がかりを植え付け、消費を煽るように。

 

 

あの時は、どのテレビ局も津波に飲み込まれる街の様子を

馬鹿の一つ覚えのように流していた。

これで不安になるな。と言う方が無理だろう。

欲をいえば、一局ぐらい、お笑いや、

それこそアニメでも放送するべきではなかったか。

SONS OF NEET

僕は働かなくて

いいほど恵まれた環境にいる。

それを誇るべきではないし

現状をいつまでも続けられる。とも続けたいとも思っていない。

物をねだる以前に生活力を手にしなければならない。

頭ではわかっている。

 

でも、今、少なくとも死んでいない。

余計な物は買わないし、誰の目も気にならない。

働いている人にボロクソ言われるほどには、楽だ。

 

そういう意味でニートは物質主義否定の最前線

「自由の息子達」なのかもしれない。