「急性死にたい病」突然死にたくなる病気をどう防ぐか。
将来の不安を考えると、自立していけるだけの生活費を稼げる身分にならなくては。でも、同じ職場で一生やっていくのか。と心に聞くと、?が浮かんでくる。
20代もあと数年。「ここは自分の居場所じゃない」こんな幼稚なこと言ってる場合じゃない。なのに頑なに離れない。
甘えてる。解ってる。後ろ指差されるダメ人間の綱渡りみたいな生き方をこのまま続けるわけにはいかない。
でも、この社会と自分の相性の悪さがつくづく身にしみると、進んでも進んでも暗くなるだけの道のりに嫌気がさして死にたくなる。
無駄遣いだって?必要経費さ。
銀行で金を下ろすたびに生きるのがきつい。残額は減っていくばかりなのに引き落とした無駄金は増えていく。
散財した本人を自分でなじっているのだから世話がない。通帳にマイナスという単価が印字されるたび、心まで削られている気がする。
生きづらいのは金がないから。の一言につきる。あなたの冷たい目線を感じるけど、現実を嘆いて何が悪い?
苦しいのは欲望や願望があるから。それを捨てれば楽になれる。って言う人がいるけど
望みもない。なにかを欲する気持ちがないなら、それは死んでいるのと変わらないじゃないか。
金を使わなきゃいい。と言われても部屋の中で無駄以外生まれないルーティーンをこなして、時間を潰すだけの日々には戻りたくない。
「常人は働いている時間だ。なにしてる?」南の窓から刺す日差しに背を向けて横になる。
北向きに寝ると迎えにくるという死神。叱られた頃は遠ざけていた悪役も、無職にはピンチになると現れるヒーローに感じた。
日が暮れる頃にまぶたを開ける。目の前にある光景は一切の苦痛のない楽な場所でも、
針の上を延々歩かされる床でもない。
終わらない責め苦を与えられる。という意味では地獄に近い我が家の天井を見つめながら、この世にはヒーローもヒールもいない。と実感する。
木目の形が悪魔みたいになって、「なぜ生き続けてしまったの?」と問いかけてくる。
答えられない質問をされても困る。正解があるかすら未だにわからないのに。
目のつくところには無職の面影がサブリミナルのように配置されている。その残像に風呂場に沸いたカビだったあの日にひきずり戻される。心が耐えられない。
行き当たりばったりの天体観測を提案するかのごとく外に飛び出す。無職には夜道をウェーイしながら歩く友達はいない。まさに誰も知らない物語。
足を向けるのは都心。ここには地元にある「お前仕事は?」みたいな空気がない。
郊外は平日だと指名手配犯みたいな気分になる。でも、都会だとその時間でも人が多い。
特に上野のあたりは年中初詣か。というくらい賑わっている。街全体がエンドレス縁日みたいな雰囲気。祭りは好きだよ。行ったことないけど。
昼間っから飲んでいる人もいっぱいる。他人の事情なんて知らない。でもここにいると
後ろめたい事情のある奴でも、生きるのを許されるようで、心が弾む。
最近酒を飲むようになった。アルコールは親に禁止されていたから縁があまりなかったけど、口に入れて見れば何て事ない。
昔から外に繋がるあらゆる物を禁止されてきたけど、大人たちは僕にどんな大人になって欲しかったんだろう。
他人との接し方がわからないままで、どうしてヒキニートにならないと思ったんだろうか。
酒を飲んでわかったのは、自分は飲むのが嫌いじゃなくて、飲み会が嫌いなのだ。という事。
孤独は苦痛だけど、一人でいられる時間がなくなるのは嫌だ。それに
今はどうか知らないけど、会社の飲み会で吐くまで飲ませるのはまだ続いているだろうか。
バイトなら断れるけど、正社員だとそうはいかない。しょうもない待遇から出られない理由の一つだ。
それに、酒が入らなくても、日常の中で、結局説教はされる。もっとちゃんとしろ。
とか、親はいつか死ぬぞ。とか、その年で自立しないでどうするとか。
わかってるよ。もし、自立できるだけの金と、自由になれる時間が両立するなら、喜んで出て行くさ。
でもそんなわがままが通用するような世の中じゃないのもわかってる。酔いがいつか冷める。
帰りに乗った冗談みたいな満員電車と、改札を通った後の電車賃。金を消費しただけという現実が、行動の虚しさを暴き出す。
大人は口々に、将来を考えろ。真面目に生きろ。と言うけど、真面目に生きてドブ板に
追いやられた無職からしたら釈然としない。
いや。やめよう。この社会は結果が全てだ。がんばりました。でもダメでした。なんて
誰も聞く耳を持ってくれない。
結局何をしても、人生ってやつからは逃げられない。いや、「人生」なんてでかい枠で囲うからいけない。わからなくなるだけだ
バカ真面目だと疲れちゃう
これまでの行動が全くの無意味か。違う。少しだけど、生きるヒントは得られたと言い張ってみる。
この社会で生きるには多少ダメなところがある。ぐらいの方がいい。バカ真面目に生きてバカをみるのは自分だ。助けはこない。この世にヒーローはいない。
人が多い場所に行けば、それだけ多様な感性が集まる。はなつまみ者でも、生きていけないわけじゃない。この世に悪役などいない。
現実は辛い。この、死にたい。という欲が消えるかわからない。でも、自分で選んだ精一杯の終わり方を実行できるくらいの金が貯まるまでは、生きていたい。
それまでは、自分が無能でも、幼稚でもいい。頭の欠陥や、心の息苦しさや、現実の虚しさを何度暴かれることになっても、生きる環境があるかぎりすがってみる
「ここが自分の居場所だ。」心から言える世界は必ずある。
先の見えない恐怖と戦いながら歩き続ける一本道。それが極楽に通じるクモの糸だと信じて