キリギリスはなぜ死んだ?

社会に、いらね。と言われた奴の最後のあがき

生きる価値のない人のセーフティーは安楽死。

 社会学者の古市と科学者の落合氏の終末医療に対する対談がネットで炎上している。

 

要するに、死が確定している人間の命を引き延ばすために金を使うのって、無駄だよね

 

ということらしい。この二人に興味がないので、適当に内容を要約したから

 

ちげーよ。というツッコミはなしにしてほしい。本題はそこじゃない。

 

気になったのは、彼らの対話に対する

 

セーフティネットを壊すな」とか

 

「お前も老人になったら困るだろう」というコメント。

 

おそらく、最近らくらくスマホを買った方々の意見なんだろう。

 

分かってねぇなぁ・・・・

 

セーフティーネットの網目

 

余命の長い短いに関わらず

 

生きる価値のない人は長生きなど望んでいない。今すぐ死にたいのである。

 

後ろ指差される僕らの人生が苦しいのはなぜか。頑張ってこなかったからだ。

 

ニート、引きこもり、非正規雇用、流されるままに逃げてきた奴に

 

安心など存在しない。じじいになれば野垂れ死に待ったなしである。

 

セーフティーネットに頼ればいい。という意見もある。しかし

 

メイドインジャパンの網は荒すぎて、網目に引っかかる方が難しい。

 

それ以上落ちないように貼られた「網」といっても

 

 この国のセーフティネットは、ガワだけのハリボテではないか。

 

本音では、 働けないクズは死んでくれと思っているのだろう。

 

ここにたどり着いたあなたなら気づいていると思う。

 

人間は誰も助けたくないし、頑張れない他人は邪魔者で自分はグータラ暮らしたい。

 

他人など気にしている場合ではない。

 

人間の本能は、悲しみと不幸に向かうようにできている。

 

生きづらさは日本の構造、日に照らされてできた影に過ぎない

 

 

 偽りの希望に期待すればバカをみる。自分の人生は、自分で切り開くべきだろう。

 

求められるのは、絶対安全、安楽死

 

かといって、大人になっても自立できない赤ちゃんだから

 

こんなゴミ人生を送っているのは事実。

 

やはり、外部からの手助けは必要。

 

 絶対に安全と言い切れるセーフティ

 

生きる価値のない人にとって、本当の安心とは何か?

 

「死」

 

以外思いつかない。

 

不都合しか起こらない現実で生きるかぎり、心安らぐ日などこない。

 

日常にはクズが生きるべきではないと知らしめる罠がそこかしこに張ってある。

 

今日をやりすごしても、明日に、明日を退けても、来週に・・・・

 

油断して自己を肯定すれば、地雷を踏み抜き、手足が無くなる。

 

その後は、調子に乗った自分を後悔する地獄が待っている。

 

いつつまずくんだ。次は何が起こるんだ。どうせダメなのに、なぜこんなことを?

 

油断しないように、この瞬間も心に言い聞かせる現実

 

「生まれてきてゴメンなさい」

 

誕生を呪いながら生きなければならない現実と向き合うのは、正直キツイ

 

しかし、現実から目を背けても、手痛いしっぺ返しがくるだけだ。

 

義務を果たすために乗る電車。立ったまま目を閉じる

 

数分でいい。現実を見ないですむ。

 

それでも、視覚がない分、他の感覚から現実が流れ込んでくる

 

辛い。きつい。悲しい。消えたい。耳の奥で声がする

 

胸の真ん中から、不愉快な振動が骨を伝ってくる。

 

毒ん 毒ん 毒ん・・・

 

一呼吸するたびに、針が肺に刺さるようだ。

 

痛い、苦しい、逃げたい。

 

もし、ここで、逃げ出せたらどんなにいいだろう。

 

行き先と逆方向の電車に乗って、

 

気の向くままに、心の向くままに、遠くに行けたらどんなにいいだろう。

 

どこまでも遠くの、窮屈さのない世界に・・・

 

そんな妄想の一番楽しいところで、目的地到着のアナウンス。

 

夢はさめるものだと理解する。

 

どんな場所に行っても、無価値な自分が変わらないかぎり、意味はない。

 

逃げちゃダメだ。

 

この社会では、逃げれば逃げるほど、選択肢は狭くなっていく。

 

逃げて、逃げて、たどり着いた地獄。

 

つまりこの世は地獄、人生は苦痛なのだ。

 

仕事が向いてない。と思っていたけど、

 

 

 

人生という仕事に向いていないとわかったのは、つい最近のことだ。

 

そこまで悟った人間には、やはり、安楽死を与えたほうがよいと思う。

 

この先、グローバル化の激しい国際社会で競争を余儀なくされる日本

 

少子化、人手不足を背景に、労働の強度は上がっていく。

 

そのペースについていけない人間はでてくるだろう。

 

 

そうでなくても、最近、世の中に対する逆恨みをした「無敵の人」が増え始めた

 

一時期流行った、「死刑になりたいから人を殺す」という輩も増えていくだろう。

 

 

そういう人間には、国が最後、きちんと安らかな眠りを保障することが大事だと思う。

 

生きる価値のないクズでも、どうぞ勝手に死んでください。では、国の威信が問われるだろう。

 

僕は、新自由主義や競争社会を否定する気はない。

 

これから日本という国が生き残っていくためには、多少の犠牲は仕方がない。

 

それはわかる。

 

しかし、自分たちで決めた方針にとりこぼされた人間の最後ぐらい

 

しっかり面倒をみるべきだと思う。