キリギリスはなぜ死んだ?

社会に、いらね。と言われた奴の最後のあがき

現実には夢と希望がつまっている

現実とは何か。

 

暇だ。周りはスマホで時間つぶししてるけど、ない奴には、暇は苦痛だ。

 

まぁ、ない物をねだっても

 

空から落ちてくる訳もないので、時間を潰す方法を探る。

 

言いつくされたアドバイスだけど、時間は有るけど金はない人は

 

図書館に行って、本を読むといいよ。

 

 一番いいのは、◯◯入門。中でもその本に、「参考文献」がたくさん載っている本。

 

一冊読み終えたら、次はその本を読む。読み終えたらその本の参考文献でもいいし

 

一冊目に紹介されている別の本でもいい。

 

何読んだらいいかわかんなかったら、とりあえずマンガを一冊と

 

興味のあるジャンルか、頭の中によく浮かぶ言葉に関係する本を選んでみるといい。

 

「社会」だったら社会学とか、「金がない」なら、「貧乏」=「貧困」

 

「理不尽」=不平等とか、「自殺」の本だってある。

 

 

もちろん、図書館は公共のスペースだから「みんなの物」っていう前提を忘れずにね。

 

本なんて読みたくねーよという人もいるだろうけど

 

テレビや、ネットにすら、「現実を見ろ」って言われて疲れているなら勧めたい。

 

本を読んでみると、今まで飲み込めなかった理不尽に

 

抵抗する知識が増えてくる。

 

そして、今ある不条理に、疑問を持つようになる

 

今日は「現実って何か」を考えよう。

 

 

 

 

それが現実だからしょうがない。

 

「お前になんの価値があるんですか?」

 

そんな質問をされているような空気に覆われた社会で

 

生き残るために胸を張れる資格もない。

 

人間は非情。社会は無情。その構造を変えるのは不可能。

 

 

  目を開けろ。逃げずに向き合え。

 

「お前なんて生きていてもしょうがない。」

 

 苦痛や悲しみから逃げるように耳を塞ぐと、認めたくない言葉が現実だと認めてしまう。

 

そうじゃない。

 

何をしても無駄。諦めろ。 どうせ何も変わらない。そんな世界こそ、仮想ではないか。

 

 

 現実が揺らぎ始めている。

 

 

グラサンでキメた主人公が、長着をひるがえし、壁を三角飛びして

 

ご機嫌な音楽に乗り、銃を撃ちまくる。

 

ゲームの話ではない。

 

これは90年代にその斬新な映像表現がブームになった映画

 

マトリックス」のクライマックス。

 

人間は現実を生きているという夢を見ているという設定は

 

右へならへの社会に疑問を感じた人なら、一度は考えたと思う。

 

現実とは何かを理解した主人公はこの世界が機械の言葉、「コード」で見えるようになる。

 

なんか意味がわからない緑色のカタカナがブワーと流れてくるアレだ。

 

マトリックスシリーズのデザイナーによると、

 

実は寿司のレシピを反転させたものなのだそうだ。

 

なんという事でしょう。

 

あんなクールな表現がキテレツ大百科のOPと同じ理屈だなんて

 

和風のコロッケと欧米のSUSIでこうまでオサレ度が違うとは

 

いや、キテレツの勇壮なテーマに乗って、キッチンへ急げば

 

誰だって勇者になれるはず。そう思い冷蔵庫を開けたら

 

ジャガイモもタマネギもない。

 

 

 

諦めるな。クックパッドでレシピを調べればいいのだ。

 

まぁ、そもそも材料をどう切ればいいかもわからないんだけど

 

 キャベツすら入っていない冷蔵庫の前で膝をおっても、状況は変わらない。

 

 

 料理はできなくても、コードは見えるのだ。

 

頑張れば報われる夢を見ていた時は、希望膨らませた景色も

 

社会のお荷物になった時から、全てが一変した。

 

春の風もの花も

 

鳥のさえずりも、道路の標識、踏みしめるアスファルト

 

信号機のカモメカモメ、用を足しているトイレのドアすらも、

 

 「お前なんか生きていてもしょうがないよ」というコードが織り込まれていた。

 

揺らぎ始めた現実。

 

 生きるために、 生きづらさに合わせるしかないなら

 

 生きている状態を投げ出したくなる。

 

 現実は辛い、悲しい苦しい。そこから逃れるには死ぬしかない。

 

知ってるよ。もうどうしようもないという時はある。

 

 君の嘆きも、悔しさも、間違ってない。

 

でも、それを変えられないのは「現実」じゃない。

 

 現実の定義

 

現実は2種類に分かれる。

 

現実主義者の理想と理想主義者の現実だ。

 

現実主義者の理想とは、生きづらさは変えることはできないが

 

 その窮屈さの中で、生き残る術を見つけるという考え方。

 

対して、理想主義者の現実とは、

 

「現実」とは、人間の数だけ存在し、いくらでも変える事ができる。というもの

 

つまり

 今、この社会は、「全体に有益ではない人間は死ね」というコードで構成されている。

 

だから、そのコードに同意できない人間は死ぬしかない。

 

変えるには、「有益でなくても生きていたい」

 

 

「なぜ有益でなければ生きていてはいけないのか」というコードを発信すればいい。

 

何を馬鹿な。と言うだろう。

 

でも、 君の痛みや悔しさを誰もわかってくれないと泣いたあの日から

 

世界は随分と変わったよ。

 

 

少なくとも、社会に対する理不尽に疑問をもつ声が

 

これほど多くなるとは、考えもしなかっただろう?

 

 世界は言葉で構成されている。そんな社会はおかしい。と

 

声をあげればそれがこの世界を構成する要素になる。

 

大事なのは声に出す事。意思を示す事。

 

コードを書き換えるのは君自身だ。