キリギリスはなぜ死んだ?

社会に、いらね。と言われた奴の最後のあがき

2019年は「選択」の年でした。

2019年。振り返る事などあっただろうか。いや、振り返っても、楽しい事など

 

一つも起きていないから、思い出したくもない。と言った方がいいか。

 

ただ、2019年になって気づいた事があるから、それを書いていこう。

 

 

今年の今頃は、来年こそなにか、人生が変わるような

 

なにかがおこるのではないか。期待していた自分が心の端っこに残っていた。

 

甘いよォ!甘すぎるよォ!

 

カルピスを割らずに原液のまま飲みほすくらい甘いよォ!

 

人生。最悪から逃げるために行動を起こせないやつのなにが変わると言うんだ。

 

一日中会社の奴隷になっている底辺の身分に甘んじている限り

 

人生に光が当たることなどない。

 

ここから飛び出せる力などない。かといって、窮屈な社会生活をすてて

 

世捨て人の生き方を選ぶ勇気もない。

 

会社に雇われずに、自立して生きて行く知恵も、胆力もない。

 

くじけてばかり。迷ってばかりの人間の人生が逆転することなど、ありえない。

 

この先数十年。薄暗く、カビ臭い路地裏を這い回り、なんてひどい一生だったんだ。

 

取り返しようのない後悔で終わる人生を思うと、生まれてこなければよかった。

 

と日々思う。ただそれは言い訳に過ぎない。

 

生まれてきたことを呪っても、生まれてしまった事実は変わらない。

 

たしかに生まれた場所は選べない。

 

人間の可能性を決めるのは、9割が環境だ。しかし、血反吐を吐くほど努力して

 

どん底から駆け上がった人など山ほど入る。

 

この人生がゴミなのは、その人生を選択したからだ。

 

たとえそれがどれだけ苦しくて、悲しくて、寒くて、惨めでも、それが運命だ。

 

この評決を受け入れ一歩先に道がないかもしれない暗闇を歩き続ける。

 

たしかに、人並みにはなれなかったけど、人並み以上に勇気のいる道を選んだ。

 

それだけのこと。

 

政治は大事

 

見出しをよんでブラウザのバツボタンを押した人も多いだろう。

 

突然なにかに目覚めたのか?といぶかしむ人もいるのではないか。

 

当然だ。僕だってそう思う。

 

たしかに、政治というのはめんどくさい。選挙のときだけでかい声でまくしたて

 

選挙が終われば、どこにもいない。たまにニュースで見る国会中継には

 

おっさんとおっさんが小学生のようなやり取りをしているだけ。

 

結局誰がなっても同じで、どうしようもない。自分とは関係ない存在だと思っていた。

 

しかしそれは勘違いだ。政治ほど生活に直結していることはない。

 

その際たるものが消費増税。立派な肩書きのある大人たちは

 

社会保障費が足りないとか、国の借金が〜とのたまうが

 

そもそも、2014年の8%増税のうち、社会保障に使われたのは、増税分のうち16 %

 

さらに、国の借金といっても、日本は自分の国で円をすれる

 

「自国通貨建ての借金」ができる国であるため、そもそも借金を返す必要がない

 

必要なのは、金が世に溢れすぎないようにする、「インフレ率の制御」であって

 

日本国の借金を返すとうことは、庶民から取り上げたお金をシュレッダーにかける

 

愚行であるという事実。さらに、消費税増税のかわりに

 

法人税所得税の最大税率がどんどん低くなっている矛盾を

 

内閣官房京都大学教授藤井聡氏、同じく京都大学教授の中野剛志氏

 

立命館大学経済学部教授松尾匡氏、元財務相官僚の高橋洋一氏。

 

経済評論家の三橋貴明氏。

 

同じく経済評論家の森永卓郎氏さらにはパーフェクトフューマンあっちゃんまでもが

 

明言している現実はもはや常識だと思っていた。

 

97年の消費増税以降、いわゆる、「失われた20年」を続けてきた自由民主党

 

もはや、自由も民主もない販社勢力とかした彼らも、今年7月の選挙で落とされる

 

と思っていたけど、見通しが甘かった。

 

選挙の結果は、自民の大勝。

 

消費税は予定通り増税され、この国は失われた30年に入り始めた。

 

僕が信じられなかったのは全有権者の50%が棄権するという戦後二番目に低い投票率

 

つまり、この国に住んでいる人の半分は、今の生活に満足しているということ。

 

ブログの中にいると、不幸なのは自分だけじゃない。みんな悲しみに耐えているんだ

 

と思っていた。でも、一歩現実にでれば、そんなことは思い違いだとわかる。

 

この社会に生きづらさを感じているのは、本当に一握りの人間だったのだ。

 

しかし、一貧乏人の生活に政治はガンガン刺さりまくる。

 

10月からあきらかに毎日がきつくなった。

 

神に祈っても、ブログを書いても、働いていても政治が変わらない限り

 

苦しい生活は変わらない。しかし、世の中の人のほとんどは、今の人生に苦しさを

 

感じていない。もはや八方塞がりだけど、それも、この国の人々の選択だ。

 

それでも、ブログを書き続ける。

 

 もはや人生がおっくうだけど、これは僕が選んだ道だ。他人からの評価がどれだけ

 

低かろうと、もうやめちまえと言われてようと、途中で投げ出したくない。

 

このブログはたしかに、愉快ではない。でも

 

ブログに苦しいと書いている時だけ、生きている気がする。

 

 

この薄暗い道を行けるところまでいこう。それが僕の選んだ答えだ。