キリギリスはなぜ死んだ?

社会に、いらね。と言われた奴の最後のあがき

預金通帳に書かれたそばから減っていく数字、

お金がなければご飯を買うこともできない。

ご飯がなければ飢えて死んでしまう。

生きるためにお金を稼ぐ、疲れたと叫ぶ心と体に鞭打って

今日も朝から出勤だ。

道の脇でじいさんが自転車で転んだ。ここで助けていれば遅刻してしまう。

遅刻すれば仕事がなくなる。すまんな。じいさん。

人生のゆとりを犠牲にしないと死んでしまう人生とは?

なんて哲学者気取りで書き込めば

君は、今はお金に縛られない生き方もあるとか

フリーランスでお金を稼ぐ方法もある。なんて言い出すんだろ?

例えば無人島でmasaru hamaghitやナスDみたいに生きるセンスはないし・・・

ならば都市のストリートで生きる?マンションのゴミ箱から無断でアルミ缶を拾えば窃盗罪が成立、橋の下にダンボールを敷けば、国家権力の地上げ屋がこんちは。

お腹を満たすために、廃棄の弁当を漁ろうとしても最近のコン◯二弁当は、廃棄する時にタバコの灰を混ぜる。残飯を漁られないためだ。

ストリートで生きて行くためには、マンション住人との交渉力、警察を察知して

逃げる危機管理能力、ほかの路上生活者との情報交換、縄張りを荒らさないように

気に入られるコミュ力がいる。

ならばフリーランスはどうか?ニートから抜け出せなかったときに一度だけ

ブログで稼げないか試したけど、ダメだった。

クライアントの指示通りに文章を書くという作業ができなかった。

当然だ。ブログは押さえつけられた感情を解放するための唯一の拠り所。

それをストレスの場にすれば、パンパンの風船に空気を吹き込むようなものだ。

それに、家の中で仕事をするのも、窮屈だった。

このブログをみている人は、お前はコミュ症のぼっちだろ?って言うだろう。でも

仕事に関しては、ぼっちが嫌だったようだ。

誰もいない国に行きたいなんて言ったのに。わがままだなぁ・・・

それに、会社につながれている身と違って、フリーランスは自分から仕事を

とってこなくちゃならない。結局のところ、仕事を得るために必要なのは

仕事をくれる人とのつながり、いわゆる、コネだ。

それを会社がくれるか、自分で繋がっていくかの違いだ。

こう考えると、ホームレスと、フリーランスは似ている。

どちらもコミュ力が大事でしょう。

そしてどちらも、自由気ままにみえて、その実は不自由で窮屈だ。

飲み会を嫌がるようなヤツは一瞬で潰れていくだろう。

ならば自給自足はどうだ?田舎で野菜を育てるニートも話題になった。

君は野菜を作る農家の苦悩がわかっていない。

彼らの生活はブラック企業など目じゃないほど辛いものだ。

そして、田舎暮らしには、狭いコミュニティーの中で立ち回れるコミュ力が必要だ。

やはり、人間が生きて行くためには、コミュ力が必要だということか。

年をとればとるだけ、上手く立ち回れない人間は生きるのに向いていないと痛感する。

もういっそ、どっか遠くの名も知れない土地で果ててしまいたい。

ないのは物欲か?

今日も本社から上役がやってくる、一ヶ月前には存在しなかった指示をさも当たり前の

ように怒鳴り散らして帰っていく。

それでもここにいるしかない。逃げ出したい。でも、逃げられない

金がいるから。金を得るためには、心を削るしかないから。

かといって、欲しいものを手に入れられるだけの金はない。

休憩時間に慰めるために見ているインスタ。

自転車、自動車 バイク、服、車、どれもかっこいい。

でも、どれもこんなところにいるヤツには買えるわけがない金額。

かっこいいものは高い。

それでも、と雑誌を買って帰る。

少しワクワクして、子供の頃みたいに両手をブンブン振って歩いてみた。

すぐに馬鹿らしくなってやめた。

小学生の半日授業の帰り道みたいに

ワクワクしながら家に帰ることもないのかなぁ・・・・

それはそれで寂しいな。

 

ガチの若者からみたら若くはないので、今時の若者事情は知らない。

ただ、元、若者の立場から言わせて貰えば

若者と懸け離れた年齢の大人たちがよく、

「今時の若者は物欲がない」と嘆いているけど大きな間違いだ。

物欲がないのではなく、お金がない。それだけの話だ。