キリギリスはなぜ死んだ?

社会に、いらね。と言われた奴の最後のあがき

古見さんはコミュ症なのか

コミュ症の定義(世間的な)

コミュニケーション能力に障害がある人のことをさし、「私コミュ症ですから〜」

「てめーコミュ症かよ」といった汎用性の高さで瞬く間に日本中に広がった

主観のコミュ症の症状としては

話に「主語」がなく、昨日と一昨日と昨年の話題がごっちゃになっているため、なにを話しているのかわからない

話し始めるとマシンガンのようにまくしたてるため、話しを聞いているだけで疲れる

こちらの話しをほぼ聞いていない

人の話しを最後まで聞けずに遮る

話している言葉が人語ではない

など、「他人への配慮ができない人」をいう

列挙した例を見るだけでも疲れる人であるため

他人からさけられそもそもコミュをとる他人がいない

哀しい個性、それが「コミュ症」だ

ふと思う

自分は果たしてコミュ症ではと考えると夜も眠れない

今日話した人を傷つけていないか

昨日の会話は不愉快にさせていないだろうか

喋りかけても会話がとまってしまったら

仲良くしたい、友達がほしい、でも恥ずかしくて、怖くて、言葉が出てこない

そんなこの2021年に絶滅危惧種とかした大和撫子、古味硝子(こみしょうこ)さん

をヒロインにしたオダトモヒト氏原作の漫画が「古見さんは、コミュ症です。」だ

古見さんはコミュ症です。とは

今年の10月にアニメ化もされた超有名な本作をしらない人はほぼいないだろう

(あおり)

しかし僕はネトフリのおすすめにでてくるまで存在すら知らなかった

というのも、この世の不条理と哀しみ、絶望から目を背けないことをスタンスとしている以上日常ほのぼのコメディアニメを見ている輩を

「それでも男ですか!この軟弱者!」的な視点で見下していたわけだ

しかし、最近はそのスタンスに息切れしてきている

マシンガン撃ちまくるか殴りあう映画を見なくなった、嫌いになったわけではない

なんというか、「悲しいけどこれ、戦争なのよね」という姿勢に疲れてしまった

そんな現代社会の摩擦に擦り切れた心に、マスターはそっと古味さんを

お勧めしてくれたのだった。

あなたが同士である可能性をもある、内容を確認しておこう

物語は3月 主人公の只野仁人(ただのひとひと)くんが

 私立 伊旦(いたん)高校に入学するところから始まる

只野の苗字の後にひとを二回も付けるあたり、只野くんの両親は只野くんに

頼むからしゃしゃんなという呪いをかけているのかもしれない

自分の子供に自惚れるな!と叱咤する両親、どんな親だ 

そんな両親の願いむなしく只野くんは

中学時代に厨二病を発症し、好きな子に告白するために、校庭にデカデカと

LOVEと書いたところ、「キモい」と返事をされ無視され続けた経験から

高校では目立たず普通に生きていこうと決めた

ある意味「元コミュ症」である

下駄箱で靴を履き替える只野くんの前に現れたのが

只野くん曰く

「なんかもう、綺麗としか言いようがない」ヒロイン

古見さんである

目の前に現れた超絶美少女の前でモジモジしてしまいながらも

挨拶する只野くん、しかし古見さんは一言も発さずにその場から去ってしまう

「まぁいいや、僕なんかとは一生関わらない人だったんだ。」

無視された寂しさをかみしめつつ教室に向かう只野くん

「僕は変わったんだ。これからは波風立たせない三年間を送るんだ」

只野くんは気づいていなかった、この高校に入学した時点で彼を待つ運命を

自分の席に座る只野くん、しかし妙だ、四方八方から視線を感じる

周囲を見回した只野くん、目があった隣の席の女子こそが、古見さんであった

自己紹介で黒板に自分の名前を書き、一言も発さずに立ち去る古見さん

クラスメイトたちはまるでギレンザビの演説を聞いたように湧き立っていた

古見さんはその美貌とクールな立ち振る舞いから学校中で

マドンナやアイドル以上の存在(同級生の山井さん曰く、「神」)扱いであり

つまり あいつもこいつも古見さんの隣の席をただ一つ狙っており

只野くんはそこにいるだけで14番目のターゲットだったのだ

周囲の視線はほぼ只野くんへのジェラシー(殺気・・・もれてるケド、大丈夫?)

同じ雑誌の国民的探偵漫画の犯人みたいなデザインの同級生に囲まれ、自己紹介しただけで舌打ちされてしまう只野くん、古見さんの落とした消しゴムを拾ってあげようとしたところ

後ろの席からコンパスが腕めがけて飛んでくる

ニンジャリアリティーショックに涙目の只野くん

その後の休憩時間に古見さんの周りに集まった同級生の肘が顔面にヒットし

気絶してしまう。

数時間後・・・薄らいだ意識の中で只野くんはかすれた声を聞く

「どうして・・・うまく・・・しゃべれ・・・・」

取り戻しかけた視界に入ったのは、携帯の待ち受け(ネコ)に向かって「ニャー」と

つぶやく古見さんであった。

 

目を疑う只野くんと目が合う古見さん

只野くん「なんにも見てないです」

その瞬間、古見さんは耳を真っ赤にして走り出してしまう

 

「しまった!独り言+ニャー発言からの明らかに不自然な見てないです発言!

これでは恥ずかしくていられない!」

 

その瞬間、只野くんの灰色の脳細胞がスパークを起こす

下駄箱での出会いから古見さんの自己紹介、そして今の独り言、バラバラだった点が

一本の線につながり、一つの答えを導き出す

 

「もしかして 古見さんっ!

         人と話すのが苦手なんですかっ!」

 

振り向いて立ち止まり突然バグりだしてしまう古見さん

「ななななななななななな」

チョークを握り黒板に向かう「なんでわかったんですか」

そして古見さんは黒板に書き始めた

自分が他人と話そうとすると言葉がでてこない「コミュ症」であること

言葉のない筆談なら人と会話できること

自分のせいで只野くんがクラスメイトから雑に扱われているのを申し訳なく

思っていること

そして、友達を100人つくるのが夢であること

 

古見さんマドンナでも神でもなく、恥ずかしがり屋の普通の女の子であることを

知った只野くんは古見さんの友達になり、ついでに残り99人の友達作りに

協力することを約束する、こうして只野くんと古見さんの青春が始まった

只野くんニュータイプ

注目は只野くんの察しのよさである、古見さんはコミュ症であるため、言葉を発することがほぼない、あっても初対面のときみたくバグる、アニメでは古見さんの瞳が暗い

印象で、何を考えているかわからない、そんな古見さんの心情を解説し、周りの生徒

に通訳するアニメ版戸田奈津子氏こと只野くん、もはや超能力というか

攻撃の来る方向がわかっているニュータイプである

確かにニュータイプは誤解のない相互理解を促す存在でもあるから

只野くんの行動は人類の希望とも言える。

もしかしたら只野くんの両親はスペースノイドでありどこかのコロニーで只野くんを

出産、仁を持った人になってほしいという意味を込めて

仁人と名付けたのかもしれない。

 

この漫画の良いところは、只野くんがやる気のないのになぜか

女の子にモテモテ系の主人公ではなく、他人に気をつかい、気配りと行動できる

いいやつである事。

そして友達100人つくるという、ほんわかコメディであるにもかかわらず

海賊王ばりの目標がある事だと思う。

実際主役の二人だけでなく、他のクラスメイトもニンジャやらヤンデレ

ラーメンを食べに行った店主もコミュ症であるなど、登場人物のキャラが濃い

しかも、登場人物が基本善人であり、見ていてほっこりする

「俺も連れってくれ、古見さん世界に!」と叫ばずにはいられない

早口でまくしたてるオタクスタイルでこちらのコミュ障が露呈したところで

本日のメインテーマを振り返りたい

果たして古見さんはコミュ症なのか

前段で解説したとおり、キリギリスはなぜ死んだ審議委員会の定義する

コミュ症とは、「他人の気持ちを考えず一方的に喋っている奴」をさす

少なくとも他人の気持ちを考え過ぎて言葉がでない古見さんはコミュ症ではない

しかし、作品世界の定義では彼女はコミュ症である。これは困った

混乱をさけるため、ここにコミュ症定義のグリニッジ標準時を設定する

人の気持ちを考えないのをコミュニケーション能力に障害がある人として

コミュ「障」

古見さんのような人を「人の気持ちを考えすぎて言葉がでてこなくなっちゃう症状」

として

コミュ 「症」

只野くんをサイコミュ(最コミュニケーション能力)とする

 

古見さんは恥ずかしがり屋の奥ゆかしい女の子であり、そんなところを卑下する必要はまったくない

「私コミュ症ですから〜」なんて言う奴は大体コミュ障なのだ