キリギリスはなぜ死んだ?

社会に、いらね。と言われた奴の最後のあがき

『自殺』を考える。死にたい気持ちはなぜ否定されるのか?

あなたが「死にたい」のは思い通りにいかないから。他人が自殺する人を引き止めるのは不愉快だから。

 

苦しいなぁ。悲しいなぁ。辛いなぁ。生きるためにしなければならない事をしている。はずなのに、心は窮屈で息苦しくなっていく。

 

人生は甘くない。生きることは苦労の連続だ。そんな事わかってるさ。逆にわかりきってるから、死にたくなるんだろ。

 

 辛いのはみんな一緒だ。生きるのは大変。でもそんな思いをして、生きていかなきゃいけない理由。ってなに?

 

未来に不安や孤独しか感じられないこの場所に止まらなきゃいけないのはなぜ?まったくわからない。

 

死にたい。こういうと、死んではいけない。とみんな言う。「自殺」で検索すると、まず自殺防止のサイトが映るくらいだ。

 

しかし、この流れに疑問が残る。なぜ「自殺」してはいけないのだろう。自分の人生に

自分でケリをつけるのはなぜタブーなのだろうか。

 

人はなぜ「自殺」したがるのか

 

働きたくねぇ。理由は多すぎるくらいだけど、一言だけにするのなら、「窮屈だから」

息苦しい8時間労働を過ごす狭苦しい室内。

 

今日もあーだこーだと小言を言われやりたくない単調な作業をこなし、自分がここにいる意味を問い出す心の声を押し殺す日々が始まる。

 

見上げると天窓から空が見える。遠くに小さく飛行機が見えるほどの青空にバカにされているような気がする。

 

著しく精神を害した人でなければ、人間は不機嫌な時に起きた出来事をなんでもネガティブに捉える生き物なんだろう。

 

イガイガした気持ちを抱えながらも、白いラインを引きながら遠ざかっていく飛行機を羨ましく思う。

 

あれに乗れたらどんなにいいだろう。今ある窮屈さを捨てて、どこか遠い場所に行けたらどんなに・・・

 

 意識が遥かぁかぁなぁたああああああああ!アジカンのデビュー曲っぽく叫んでみるほど飛ばしていたら、サボるな。と怒られて現実に帰る。

 

わかってるさ。ここじゃないどこかに行ったところで何も変わらないのは。環境を変えるなんて一時しのぎ

 

第一、そんな金はないし、自分探しなんて意味がない。この世界のどこに行こうとも

ニートには生きづらい世界が広がっているだけ。

 

そう考えると、急に死にたくなる。こんなに頑張っているのに、どうしてもこうも、うまくいかない。

 

どうしてこんなに窮屈な思いばかりしなければならない。なぜ自殺したいのか。要は自分の思い通りにいかないから。

 

そして、心が悲鳴をあげているのに、その場所に留まるしかない現実。それが延々続く未来に絶望した時、そうまでして生きて行きたくない。という答えが勝った瞬間に

 

人は自殺するように見える

 

 

この国が自殺大国なのはなぜだろう?

 

意外に思うかもしれないが、この国の自殺率は国際基準だと、3位以内ではない。自殺率は以前高い。とはいえ、減少傾向にあるという。

 

しかし、それは統計だけで、世代別で見ると、10~20代の自殺率が高い傾向にある・・・らしい。

 

 日々更新される絶望を煽る情報。働けど、働けど、楽にならざる生活、あーしろ。こーしろ。という周囲からのプレッシャー。

 

なぜ自殺するのか。希望がないから。としか言えない。この国に明るい未来を描いている人間などいるのだろうか。

 

誰もが思っている。でも口にしない真実を語ろうか。この国は終わりに向かっている。

クラークの幼年期の終わりじゃないけど、穏やかに死にかけているのだ。

 

さざれ石の巌が苔むすまで続いたらその先はどうする?どうなる?答えは一つだけ。

砂に帰るのだ。

 

自殺は悪なのか?

 

よく、この国は真面目すぎる。と言われて、比較対象にされる国、例えばメキシコをあげる人はいるけど

 

あの国の犯罪率の高さをご存知ないのだろうか。

 

メキシコ国境の町フアレスでは、ギャングに逆らった町人が見せしめのために殺され、逆さ吊りにされる光景が日常茶飯事だ。

 

フアレスでは麻薬取引が盛んに行われており、それを取り締まる警官は兵士と遜色ない

装備を身につけている。

 

「メキシコ麻薬戦争」と言われるほど、この地域は治安が悪い。

 

 

他にも、自殺率の低い国では、犯罪率や貧困率が高い傾向にある。要は自殺率が低い代わりに、他の原因でバランスをとっているのだ。

 

そこに安寧など、ない。

 

 よく、自殺する人、特に仕事が辛くて。という原因の人に、「死ぬくらいなら、逃げればよかったのに」

 

という輩がいるが、とても無責任だと思う。

 

逃げてどうなる?逃げた先でどうやって生きていくのか。それを示せないのに、ただの感情論を振りかざしてはいけない。

 

特に最近は一度ドロップアウトすると、再就職するのは、宝くじを当てるほど困難だ。

 

 僕は、リーマンショックに始まった就活の辛さを理解している。つもりだ。数十社の企業にエントリーシートを書き、面接を受けたが

 

どこもかしこも、お祈りされるばかりだった。

 

あまりにも辛くて逃げ出したが、逃げてよかった。となるほど現実は甘くない。

履歴書に書かれた学校中退の行。

 

まともな会社は受からず、働けるのは、まともじゃない会社。いや、この世にまとも

な会社なんてないのでは。

 

そもそも、この国は昔から、自分で責任をとる、切腹の文化が根強い。外国では生きるために犯罪に走ったり、ドラッグやアルコールに手を出したり・・・

 

それに比べれば、この国の人々のなんと潔いことか。この国の治安の良さは、自殺率の高さと共に歩いている。といってもいい。

 

誰にも迷惑をかけず、自分のケツを自分で拭く。素晴らしいじゃないか。

 

 やはり、自殺を否定する理由は見当たらない。そうでなければ、仕事の辛さには切れた人々が明日から暴徒と化し、町を破壊するだろう。

 

あなたが完全武装した警察官が24時間張り付いていなければ治安が保てない狂気の国に

住みたい訳でもない限り自殺を否定する理由はない。

 

 

逃げてはいけない理由がないなら、 生きなくてはいけない理由もない。

 

 そもそも、恥や外聞を捨ててまで、生にしがみつく理由があるだろうか。どんなに醜くても、どんなに無様でも。

 

人はいうけど、それを実行している人間はいるのか。その光景を知っているのか。僕は知っている。

 

寝たきりになり、自分が誰なのかもわからず、排泄物を壁に投げつけていた人。筋肉が徐々に固まって、最後には動けなくなる病気に侵され、その恐怖に怯えながら

 

生きなければならなかった人・・・・・

 

無様に生きた先には、死を望むほどの苦痛があることを知らないのだろうか。それとも

大衆に受けるために、耳障りの良いことを言っているのだろうか。

 

どちらにしても、言えることは一つ。人間の命は、あなたが思っているほど、特別ではない。とるに足らない存在だ。

 

深刻に考える必要はない。自分の命は、自分のために使えば良い。

 

社会のレールから外れて、舗装されていない地面を歩くのは、過酷だ。

 

ただ、レールに乗っているだけでは見えない景色もある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クソブログは永遠に不滅です。

今週のPV数はいくつか。貼った広告収入はいくらか。ブロガーなら誰でも気になって仕方ないだろう。

 

ブログの価値は数字じゃない。大衆や金のためじゃなく、己のために書いている。なんてカッコつけてみるけど

 

髪をかきむしりながら書いた記事。誰か共感してくれる。期待に胸を膨らませて開いたブラウザ。読み込んだページに表示されるアクセス解析の数字は、ゼロ。

 

なんだ。興味ない。とかクールな態度とってるくせに。気になってしかたないんじゃないか。

 

 

まるで拾ってきた成人誌で盛り上がるクラスメイトをすかした目で見つめながら、耳をそばだてている中学生のようだ。

 

毎日書いても、工夫をした(つもり)でも、誰にも気づかれない。誰も応答しない。声を限りに叫んでも、結果は同じ。

 

ゾンビ化するウィルスにより、人類が絶滅した世界に生き残り、生存者がいると信じて無線機で呼びかけている・・・・

 

映画、アイ・アム・レジェンドを思い出す 

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 批評家には受けが良くなかったようだが、個人的には最高の映画だった。もちろん、ウィルスミスファンの欲目もあるけれど。

 

しかし、ハリウッドスターでもないクソブロガーの書く記事などいくらやっても結果は同じ。なぜだ!?なぜなんだ!?

 

で、忘れた頃に訪れたブログは、いつも消滅している。

 

「諸君らが愛してくれた(はずの) ブログは死んだ!なぜだ?」

 

「クソブログだからさ。」

 

 

 クソブログとはなにか?その定義とは?

 ブログをクソ化させる物とはなにか。何をもってクソブログとするのだろう?画面の向こうのあなた。

 

もしや自分をディスられているのでは。怒りのボルテージを燻らせている読者のために、一般に言うクソブログを定義していこう。

 

自分の感想も特に述べず、粛々と気になったリンクを”メモメモ”と一言添えてあるだけのブログ

はてダに多いという。出典、はてなキーワード

 

出典元にはそのほかに、SNSや掲示板に書く必要ない、空気の読めない、独りよがりな

書き込みに対するスラング

 

いわゆるチラシの裏。に当てはまる。

 

その他、色々なクソブログ批評を調べていった結果、一つのキーワードが共通していた。それは

 

「他人のウケ狙いをしていない記事。他人の目を気にしていないブログ」をクソブログという。

 

さらに厳密に言うと、それを見ても生活の知恵になるような内容でもなく、見終わって楽しめる内容でもないブログ。

 

なるほど。バラバラだった線が一本につながった。

 

まだつかめない。という人にヒントを出そう。今あなたが目を通している記事。

 

まるでクソブログのお手本のようじゃないか。

 

人はなぜクソブログを書いてしまうのか。

 

新聞屋の原付のエンジン音がする。もう2時か。決まった時間に聞こえる音のおかげで、時計を見なくても時間がわかるようになった。

 

眠れない。夜更かしをしたつもりはない。今日。いや、時間的には昨日か。は10時には床に着いた。

 

でも、眠れない。この時間になる。という事は、朝まで眠れない。長い。約7~8時間、

眠ってくれ。頼むから。と念じながら目を閉じているのは。

 

辛い。眠れないまま仕事に行くのが。朝と夜の境目がわからなくなったような感じのまま、仕事場に向かうのが。

 

うるさい。眠れない夜のあの時計の音が。辛い。この音が原因なのか。と電池を引っこ抜いた。状況は変わらなかった。

 

辛い。アナウンスと共に来る電車に乗るのが。いつもイメージする。車体がホームに止まる前に前に出ればいい。そうすれば、この悪夢が終わる。

 

たった一歩。なぜ前に出ない。足を踏み外せばいい。なぜ出来ない。あと一回だけ間違えればいい。

 

慣れっこだろ?間違えしか犯した事がない君には。

 

誰かが言う。もうたくさんだ。と、お前の人生の、ここが終点だ。と、お前にしては頑張った。十分すぎるほど。

 

なのに。。イメージが途切れる。結局電車に乗ってしまった。

もう終わりにしたいのに。このクソ人生を。

 

 終われる。と思ったとき、いつも止まらせるのは、「ここじゃない。」という言葉。

 

「お前は終わってる」

 

わかってるさ。でも、クソ人生の最後に見る景色が、こんな薄汚れた灰色の空だなんてどうして認められるとだろう。

 

 

 終わってる。わかってる。でもここじゃない。ここじゃないんだ。生きていたい訳じゃない。けど、今すぐに。じゃない。

 

終わらせるのは、まだ先だ。ずっと、もっと遠くまで。そんなポエムを思いつくと、大急ぎでメモして

 

キーボードを叩いている。書くと楽になる気がして。ただ、人に共感されたい。という気持ちは捨てた。

 

クソニートが日頃の不平を嘆いたところで何になる?わかる。わかりまくり。

 

わかりま、クリスティアーノ・ロナウド。とはならない。

 

信頼出来る情報筋からの若者言葉の最前線を使ったところで、まるで面白くない。

これがクソブログの限界。ならばなぜ?

 

文章を打ち込むときは、世界への復讐のつもりで書いている。まるで戦車に石を投げる子供のような気持ちで。

それでなんになる訳でもない。何も変わるでもない。

 

 それでもクソブログを続ける理由。

 

 この世界は重く、大きく、冷たい鋼鉄製の歯車に例えられる。それは社会という篩(ふるい)からこぼれ落た弱者をすり潰しながら周り続ける。

 

問題なのは、歯車自体がさび付いて、動きが悪くなっていることだ。ふるいにかけている彼らもそれには気づいている。

 

ただそれをどうしようとする訳でもない。人肉の着いた鉄なんて誰が掃除したがる?

その場に上流階級()しかいないのなら特に。

 

世界は残酷だ。真実は悲惨だ。この社会は少数派を生かすためにはできていない。

取るに足らない奴らが消えても誰も気にしない。

 

だからここにいる。このブログは、この社会の闇に消えていった人々への鎮魂歌だ。

 

太陽が沈み、夜とともに、寒さが降りてくる。暗闇の中、外でうごめく生ける屍の影に

怯えながら、朝が来るのを待っている。

 

 私はせんべい。はてなブログ最後のクソブロガー。

 

 この声が、同じように震えている誰かに届くことを願う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

働かざる者はなぜ喰ってはいけないのか?

あけすぎてまるでおめでたくないけど、世間のならわしには逆らわない方がいい気がするから、言っておくよ。あけましておめでとう。

 

なんでこんなに更新が空いたの?疑問に思うほど気にかけてくれる読者がいるか?がまず疑問だけど、まあいいや。

 

 先月末から、バイトを始めたせいで、ブログを更新できなかった。書く時間がまるでなかった訳じゃない。

 

ただ、一日中部屋の中にいて、持て余していた時間を正当化したかった頃は、義務感の

ごとく書いていた。

 

でも、バイトとはいえ、社会に参加するようになったら、今まで自分がしてきた事が

無駄だとわかった。

 

だって、人間は働かなければ生きてはいけない。それがこの社会の当たり前のルール。

それ以外は惰弱の言い訳だ。

 

「働かざる者食うべからず」このセリフが、こだまのように心に反響する。

 

ただ、問題は以前山済み。特に最近、気になりだした事がある。とても困ってるんだ。

ニート期間が長すぎたからだろう。

 

働いている間、「この仕事に意味はあるのか?」「これがやるべき仕事なのか?」

 

言われなくてもわかってるさ。25超えた大人の考えるような事じゃないって。

 

ただわからないだけさ。どうしてやりたくない事をやらなければ、生きていけないんだろう。

 

どうしても考えてしまう。人生。自立。将来。金。生きるって何だろう。

働くってなんだろう。

 

どうしてやりたくない事をやらなければ、人間は生きていけないのか。

働かざる者が喰っていけないのはなぜだろう?

 

働いても、安心が手に入る訳じゃないのね。

働く。といっても、期限付きの短期バイト。安定した収入を得られるようになった訳じゃない。

 

未だ足元は不安定。なのに、一定の期間が過ぎたら止められると考えると、安堵した。

 

終わりが来ない恐怖。自分はいつまでこんな場所にいるのか?という不安。なぜそんな

ものを感じるのだろう?

 

君の言う通りさ。低学歴ニートの立場でなぜ仕事を選り好みできるのか。まだ理解していない。

 

自分が何にも特別な存在じゃない。って。

 

たとえ、わかり始めたとしても結果は変わらない。今度は、期間が過ぎてからはどうしようだ。

 

また新しいバイトを探すのかい。今度は長期?それとも短期?誰かに、終わりを宣告されないような仕事は、もう自分には出来そうもないのに。

 

この先の自分。考えたくなんてない。でも、夜の眠れない時間は、それを許さない。

遠い未来。これから生きていく長すぎる人生。

 

どうしても破滅のビジョンしか描けない。少女終末旅行の見過ぎかな。

 

これからの自分も不安だ。なのに、今、この瞬間の自分すら安心できない。仕事は簡単

だからこそ、ミスは許されない。

 

いつも言われてきた事。間違えるたびに。「なんでもこんな事もできないのか」

その言葉と共に突き刺さる彼らの視線。

 

エレファントマンを見る人々はこんな風なのかもしれない。エレファントマンを見た事はない。ホラー苦手だから。

 

今日教えられた事。明日できなかったらどうしよう。明日失敗したらどうしよう。

今日は優しかったあの人も、明日には落胆と憐憫の目でこちらを見るようになる。

 

だから長期のバイトは嫌なんだ。長くいれば、いるほど、アラが見えてくるようになるから。

 

どうしよう。どうしよう。いくら大丈夫。と言い聞かせても、ごまかしにならない。

 ドクン。ドクン。ドクン。ドクン・・・・

 

年々大きくなっていく。

 

チクタク、チクタク、時計の音がうるさい。人生の残り時間が減っていく音。

うるさい。黙れ。黙ってくれ。頼むから・・・

 

 心臓の音が近くに聞こえる。眠れない。うるさい。黙れ。止まってくれ。

この鼓動がしなくなったらどうなる?どうでもいい。

 

希望を抱いて生きた明日が、期待はずれの現実になる今日を迎える恐怖は、もういらない。

別段、生きている理由もないのだから。

 

止まれ。止まれ。止まれ。そう念じているうちに朝になる。一睡もできなかった。なんてことだ。年々状況が悪くなっていく。今までこんなことなかったのに。

 

職場に行きたくない本音と、起きていなくてはならない状況で襲ってくるクソ眠気を

呪う。

 

皮肉にも、仕事自体はなんのミスもなかった。徹夜したバカでもできる内容だ。つまり

誰がやっても同じ。多分機械でも。

 

一睡もできなくても、仕事はできる。仕事も、僕も、所詮その程度の存在だ。

 

働けど、働けど、我が暮らし楽にならざり。

 

もしかしたら、ニートだった時の思考こそが、一番希望に満ち溢れていたのかもしれない。

 

今はどうしようもないが、働き出せばなんとかなる。働いて金を稼げば、生活は、少し

楽になるはずだ。

 

あれも、これも、とは言わないが、働いて金を貯めて、欲しい物を買えるはずだ。

何を買おう?PS4スマホ?敗れたズボンでもいいね。

 

反省するよ。現実はそんなに甘くなかった。

 

当然だけど、人間には物欲以外に最低限生きるために不可欠な欲望。最低限の必要経費がかかる。

 

 

ゼロが減っていく預金通帳を見つめ、どこぞのポジティブ論を胸に言い聞かせる。

 

大丈夫。まだ半分も残ってる。まだ大丈夫さ!

 電気代、「どうも。」

 

ガス代「おっ金入ってんじゃん」

 

食費「はっ?調子こくなし」

 

まだだ!まだ・・・・燃えかすとかした千円札を握りしめた僕に手を差し伸べる存在。

 

国民年金「年金払ってね!義務だもん!」

 

通帳は再びZEROに戻った。

 

これでは、働いていない頃とたいして変わらないじゃないか・・・・・

 

国民年金は若者が老人を支えるシステムというけど、少子化が謳われるこの国では、

老人になった僕を支えてくれる若者はいない。と言われている。

 

貰えるかわからない金を投資するって、まるで博打みたいだね。

貰える年齢も年々上がっていく。もしかしたら一生もらえないかも。

 

誰かがいった「人間は一生働き続けなければならない」つまり、この不安が、悲しみが

生涯続いていくということ。

 

ならそこまで生きていたくもない。将来のため。というけど、絶望しかない未来になぜ

生きていなくてなならない。そこも疑問だ。

 

現実は、今、この瞬間を生きるだけで精一杯だというのに。

 

 この国の国士の皆さんは、口々に、「働かざる物食うべからず」という格言をしゃべる。まるでそれが先祖伝来の昔からあった常識であるかのように。

 

みなさんも御存知の通り、これは、新約聖書の慣用句であって、元々は欧米の考え方だ。

 

どこぞの映画のセリフを思い出す。「ここはまだ日本か」

 

それとも、ツイッターの有名な画像が物語るように、「弱気をくじき、強に媚びる」

のが、この国の人間の国民性だというのだろうか。

 

確かに、彼らは「逃げるな。戦え」とのたまう。これもおかしい。なぜなら、本来文句をいうべきは、逃げ惑う民衆ではなく、襲い来る暴君であるはずなのに。

 

「働かざるもの食うべからず」

 

その意味がわかった。この国の人々は、働きたくない。のである。

本当は寝ていたい。グータラしていたい。上司に文句を言われたくなんてない。

 

でも我慢する。生きていけないから。恐らく、

 

みんながやっているから。が大好きなこの国の住人。もしみんなが働かなくなったら

生きるのに最低限の金をもらったら、この国の人々は働かなくなってしまうだろう。

 

この国の、いや、この世の労働に、生きるのに最低限以上の価値など、ないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017年が終わる。最悪な一年。来年の目標は。

一年が終わる。だからなんだ。としか言いようがない。

年越しが喜びだったのは遠い昔。今は一つ年をとるというだけの恐怖と虚無が遅いかかるだけの行事だ。

 

 春は花粉症がうざい。夏はクソ暑い。冬はクソ寒い。去年より寒くないか。

一年の終わりをまるで避難指示により住人がいなくなった街にいるような

静けさと共にすごす。

2017年を振り返っても、なにがあったのだろう?

 

無職の生活なんてそんなものだ。一年。なにを得たのだろう。

 なにも。自分の存在がなんなのか。人生とはなんなのか。生きるとは。

家の中でじっとしていると、壮大な哲学について考え出す。

 

自分に価値がない。という自覚があるから、それを補おう。と必死になるがあまり

頭が良い人アピールをクソブログに書きなぐっても、1円にもならない。

 働かないでいると、なにをしていても、虚無感がひどい。

 

自分が楽しいと思える行動も「こんな事をしている場合じゃないよな。」という

得体の知れない場所からの忠告が現実と向き合うように警告してくる。

 

 

もしかしたら、人間は暇になるのが怖いから働くのかもしれない。勿論、生きるために

は働かなくてはならない。正確には、働く事によって金を得なくてはならない。

ただ、働き出すと、やりたい事は、「家帰って寝る」以外存在しなくなる。

 

 生きるとはなんだ(哲学)

金があれば時間がなく、時間があれば金がない。まったくうまくいかない。

生きるためには働かなくては。しかし、ただ、働いているだけでは生きている

気がしない。そこでまた、「生きるとはなにか」という自問が始まる。

 

 

人生とは?例えるならクソ面白くもないくすごろくのようなものだ。

スタートからゴールまで、大した距離もないのに、「振り出しに戻る」コマ

ばかりがやたらとあって、地獄の行軍の果てに進んだ距離はたったの2,3マス。

 

 

どれだけサイコロを降っても、まるで前進していない。ニートを一年続けて

わかった。人生はゲームではない。ゲーム。というのは、人間を楽しませるために

作られている。

 人生よりも、人生ゲームの方が100倍エンジョイ出来る事は言うまでもない。

 

ならばなぜ、楽しくもない人生を生きるのだろう。なぜ生きていたがるのか。

いや、多くの人間は、生きていたい。のではない。結果として、しょうがなく

生きてしまった。のだ。

 

 

目を見張るような体験などない。達成したい目的などない。

 生きている理由を考えるなんて時間の無駄。それを知っているから

同じ時間をお金に変えるために生きた心地のしない職場へ急ぐ。

 

 そして気がつけば体が思うように動かなくなり、どこへも行けなくなっている。

巷でよく言われているように、人間は死が近づく程、生にしがみつく。

若い時は死にたがるが、年を取り、自身の命のろうそくが燃え尽きるのが近い。

と悟ると、生きている。という状態にしがみつく。

 

良いか悪いか。はわからない。ただ、おっさんやおばさん。というのは、自由だ。

マナーが悪いのは若者よりむしろ壮年の方が多い。

なぜか。この国では年齢が絶対的な勲章であり、権力でもある。

年寄りは大切にしましょう。年長者は敬いましょう。無条件で。

 

 

おっさんはおっさんで生まれてきたわけではない。

ベンジャミンバトンのように若返っていくわけでもない。

若いとき、年長者に抑圧された感情を、自身が年を食って同じ地位を得たとき

なぜかなにか偉業を成し遂げたように勘違いして駄々っ子みたいな王様になる。

 

なにを言っているのかわからない。

ヤニでボロボロの歯の隙間から 漏れる言葉、言葉のトーンから罵声であるのはわかる。

若者はいつか老人になる。

目の前にいるおっさんが、自分の30年後の姿だと思うと、生きている理由とは?

虚無の世界に戻ってきてしまう。

 

 働なくなったときのために金は貯めておけ。とせっきょうする老人は少なくないが

困ったことに、僕は働なくなるまで生きていたくないのだ。

しかばねのようなおっさんになるなら。

 

ワンパターンから抜け出せ。

生きている理由はわからない。ただ、人生がすごろくのボードの上で行われている

というのなら、同じところを回っているのが嫌になった。どうにかして、

ボードの外に出なければならない。

「とにかく遠くに行きたい」言いようのない心の叫び。

 

それは、今まで一度も行ったことがないところへ行きたい。一度もやっことがないこと

をしたい。という願望。

 

最近短期バイトを始めた。バイト。しかも短期。期間がすぎればまたニートに逆戻りだし、このバイトを長々続けなくもないジレンマに陥る。

でも、それでも、どこか遠くへ。

 

暖かくなったら、海が綺麗見える場所へ。もちろん。現実が作り出す理不尽は

理想や希望を打ち砕こうとする。でも、それでも、その光景を思い浮かべるだけで

少しだけ、生きるのが楽しくなる。未来に希望を持てる。

 

生きてしまった後悔ではなく、生きてきたんだ。と胸を張れる日が来るまで

生き続ける。それが来年の目標かな

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一生やりたい仕事。ってなんだろう。

献血は若者の義務です。」

 

何十回聞いたかわからないアナウンスが鳴り響く中

僕は歯医者の診察台のような所に寝かされ

利き腕に針を刺される。

 

看護師が怪訝な顔をしている。

普通なら、1秒も下からない出来事だ。

しかし、血管が出にくい体質で

採血から全力で逃げ回っていた

人間の腕は、何十回と針を刺される。

 

担当は数十分、苦闘した末

 

血が出ないなら、心臓を取り出せばいいじゃない!

とヒステリーを起こし

ナイフを突き立ててきた。

 

なんでこんな目に合わなきゃいけないんだ。

僕はただ、生きていたかっただけなのに・・・・

 

寝ても覚めても悪夢が終わらない。

悪夢を見ているときに早く目覚めるコツを教えようか。

目を開けろ。と、唱えながら眼球を覆う筋肉を

バールのようなもの

こじ開けるイメージを持つ。

 

脈絡のない、いやな出来事は

頭の半分は夢ごごちでも

頭の半分は脳の作った0円VRだとわかっている。

 

初心者には夢か現実かの判断も難しいだろう。

しかし、睡眠を冷静に分析できる判断力を持てば

現実に帰還するのは、容易だ。

 

一番いいのは、安眠できる事だけど。

 

なんでこんな夢を見たのか。なぜ献血なのかわからない。

でも、原因はわかってる。

求人誌を見ていて親に言われた事。

 

「次に行く職場はずっとやめないでいなさいね」

 

一度入った会社に死ぬまで忠を尽くす。という考えが美徳とされていた

世代からすれば、バイトを転々としている人間の気持ちなどわからない。

 

 

わかってる。生きるのには金がいる。金を得るためには働かなきゃいけない。

でも、いざ働き出したとしても、その働き先に、一生いるのか?

と聞かれたら、答えられない。

 

「やりたい仕事」などなかった。とりあえず生きていたかった。

とりあえず。でよかった。今の世の中で

一生やりたい仕事なんて、どこにあるんだ。

 

 

まさか、無職で一年が過ぎるとは思わなかった。

一歩の前進もなく、時間だけが過ぎていく。

心だけが焦り、足はその場に張りついたまま。

今年の寒さは例年になく厳しい。

それは、寒い。寒い。と煽る天気予報のせいか。

それとも、猶予などない残り時間を

肌で感じているからか。

 

不慮の事故に巻き込まれないのを残念と思ってしまう

自分を呪いながらやり過ごし今日まで。

この生活が、これからも続いていくとするなら

この先の自分は一体どうなってしまうのだろう?

 

その問いに答えようとすると、

肺が縮こまり、半分の仕事しかしてくれない。

 辛い。とても。

 

何もかもが窮屈で、逃げ出したい。

目的地はない。でも遠くに行きたい。行ったことのない遠くに

将来も、暮らしも追いつけないような彼方に。

 

死はとても辛い。しかし

人にとって不安を抱えながら生きていくこと以上の罰があるだろうか。

 

 

 「目標もなく、なんとなく生きているから、そういう事になるんだ。」

 

霜の降りた道を朝日よりも早く出勤する人々が、すれ違いざまにかけてくるセリフ。

爆弾低気圧よりもはるかに冷たいその言葉が心の芯に染み入ってくる。

 

 

なんでなんとなくで生きていてはいけないのか。

なんで不安や恐怖に耐えながら生きていかなければいけないのか

なんで走り続けなくてはいけないのか。

追跡者に追い立てられているように生活しなければならないのか。

バイオハザード2じゃないんだ。

 

なんで、重圧や、屈辱に耐えなければならないのか。

 

そこまでして生きていかなければならない理由が

わからない。

 

消極的だ。と言われても構わない

そういうあなは何を得た?

この世の人は、この目に映る限り

その仕事が好き。というよりも、長い年月いすぎたせいで

そこにいるしかなかった。というふうに見える。

 

終身雇用。それが幸せなのか。わからない。

わからないから困っている。

 

生きるとはなにか。働くとはなにか。

 

どの職場に行っても、みんな口々に

 

「辞めたい」と呟く。

 

みんな本当は、働きたくなどない。

 

でも、生きるために仕方なく働いている。

 

それが義務だから。

 

偽善とはなにか

夢占いで、「献血」と調べたら、偽善という意味があると知った。

なぜそんなものが夢に出てきたのか・・・

この社会に不満を感じているのか。

 

 

夢や希望を歌いながら、一歩外に出れば

お先真っ暗なこの社会。

それを何一つ変えようとしない人々。

 

彼らを批判してはみても、結局なにもできていない自分に対しての偽善か。

 

それとも、義務に支配されて、普通を強要するこの風潮にか。

 

献血が趣味という人を知っている。

体質が合わない奴を理解できないと言われた。

逆も然りだ。

 

一秒、一秒、時が過ぎていく。

無意味な一日が始まる。

 

「働け」という言葉が

生きているな。という当て字に読める。

 

働くとはなにか。

やりたくないことをやるのが働く

ということなら。

 

 

一生やりたい仕事がある。

 

たった一つだけ。

 

「生きる」という仕事が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

NASAが宇宙人がいました。なんて報告すればニートは市民権を得られるかもね。

見上げた空の上のはるか彼方。

どこまで広がっているのかわからない

暗闇。

 

そこになにがあるのか。

地球以外に生き物はいないのか

そんな疑問を持っているのは

人間だけなのか。

その問いに答えを出そうと

必死になっている人たちがいる。

 

自分の生活に直接関わらない

なら、どうでもいい。

そう言う人もいる。

いや、この世のほとんどの

人が興味のない話題かもしれない。

しかし、

ある人種にとっては

これほどの大事はない。

 

人の輪の中に入れない

人と何かが違う。

絶対に埋められない何かが。

自分は本当に地球人?

そう感じている人には。

 

 奇人、変人、宇宙人

 

メン・イン・ブラックという映画をご存知だろうか?

缶コーヒーのCMで有名なジョーンズと

ウィルスミス主演のSF映画

 

それまでファースト・コンタクト

が主流だった宇宙人のイメージを覆し

 

宇宙人が都市に住んでいる。という

トンデモストーリーと、銀ピカのクールな武器。

主演の二人のテンポのいいやりとりで

全米が湧いた作品。

 

日本でもヒットし

小さい頃は

スーパーの駄菓子コーナーに

ぶら下がっているメガネを黒く塗ったり

マーブルチョコの筒にアルミフォイルを

巻いて、記憶消すエージェントごっこを

するくらい影響を受けた。

 

 

 

監督が同じというのもあるけど

アダムスファミリーが住んでそう。

と言われた場所に住んでいた頃の話。

 

はす向かいに

羽毛布団を体に巻きつけ、チャリで

町に繰り出しているおっさんが住んでいて

いつも茹でダコのように顔が真っ赤だったから

その奇行も相まって

火星人と呼んでいた。

 

真実を知っている。とばれたら

MIBにニューラライズされるんじゃないかと

ヒヤヒヤしたのは遠い昔。

 

宇宙なんてものに興味が無くなった

のはいつのことだが思い出せなく

なった頃。

  

通りを挟んだ路地の向こう。

表札がなく、名前すら

わからないアパートの一室が

今日はずいぶん賑やかだ。

 

うっすら、あの火星人を思い出す。

まさか同胞と

地球侵略について

打ち合わせでもしているのか。

都心から電車に揺られて約2時間。

最寄り駅から歩いて15分以上

太陽が差し込まない立地の

築何十年のアパートで地球侵略を企む

宇宙人。悪者なのに

スターを夢見て上京した田舎の若者

のような親近感を覚える。

 

メトロン星人のように

ちゃぶ台越を挟んでウルトラセブン

と会話でもしているのだろうか。

 

しかし、ドアの前に

いるメンバーは

アパートの大家を先頭に

警視庁と書かれた

上着を着たガタイの

いい二人組を引き連れている。

 

ウィル・スミスやトミー・リー・ジョーンズ

葬儀屋のようなスーツではないし

ウルトラ警備隊の面影はない。

 

そんな装備で宇宙武器に対抗できるのか?

常識的な出で立ちの疑問も

部屋の住人がただ

奇異の目で見ていただけの隣人

という繋がりしかなければ、百均で買った

軍手のように、記憶から抜け落ちてしまう。

 

「向かいに住んでるおじいさん。亡くなったみたいよ。」

 

その晩親に聞かされた不意打ち。

 

おじいさんは火星人ではなく

孤独な老人だった。

一人の不安を

紛らわすために酒を飲みすぎ

発作を起こした。

 

彼の赤ら顔は

地球の環境に対する副作用ではなく

ただの酔っ払って徘徊しているだけの話。

 

 寂しくなった。

彼がいなくなったから。

ではない。

彼が宇宙人ではなかった。ことに

 

信じたかった。

自分の物差しでは計れない出来事が

この世にはあるのだ。と

 

そして、自分と同じような

他人との間にズレがある人間の存在が

心のどこかで、心強かった。

 

あなたにはあるだろうか?

周りの人間が笑っているのに

自分だけが楽しめないような状態。

 

こいつらは何が楽しくて笑ってるんだ?

そう思わざるを得ない感覚。

 

まるで、周囲が自分とは違う

言語でしゃべっているような。

 

 

周りの人間と何かが違う。

それがなんなのかは説明できない。

 

自分が異常なのか。

自分は人間ではないのか。

頭の中でそんなやりとりを繰り返す。

答えが出るわけもないのに。

 

僕はなんなんだ。そうだ宇宙人だ。

 

宇宙人がいるのか。

ではなく、宇宙人にいてほしかった。

 

 

今もそれは変わらない。

世界の価値観がひっくり返るような出来事が

おこらなければ、ニートは市民権を得られないだろう。

 

それを得られれば満足か?と聞かれてもわからないけど

 

一秒間に地球を7周できる。と言われている光でも

届くまで、とてつもない時間がかかる距離がある宇宙。

 

その暗闇で、人類だけが孤独だとは思いたくない。

 

そんな考えが、大衆に受け入れられる日がきてほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブログ界の第一デパートに、俺はなる。無職の愚痴ブログぐらいあったていい。

時計の音がうるさい。僕が生まれた時から時を刻んでいた壁掛け時計。

その規則的なリズムはまるで大きなノッポの古時計のようにバカでかく

部屋中に響く。

 

常人なら大した事はない。でも、現職が無職の僕には

外界の音はすべて不愉快だ。幼稚園児の笑い声。石油屋の軽トラが

町中を回りながら流す雪やこんこ。そしてこの、ちくったくっという規則的なリズム。

ウルセェな。いっそ電池を引っこ抜いてやろうか。

何度か手に取ったけどできなかった。

生まれた時から動いていたこいつを止めれば

僕の人生まで動かなくなる気がして。

 

 

昔からあったものが消えていく。

あって当たり前だと思っていた物。いて当たり前だと思っていた人。

いずれみんないなくなってしまう。

それが頭に浮かぶと、両目から涙が止まらない。

万人がこうなるとは思わないけど、古いものを懐かしむ気持ちは

共有できると信じる。

ノスタルジーという言葉があるくらいだから。

 

無職といっても、洗濯や掃除をするには

午前中から活動し始めなければ、家事はとても終わらない。

午前7時に起きたはずなのに、洗濯をし、お湯を沸かし

洗濯が終わればそれを干して、その後掃除・・・・

気がつくと、時刻は11時。いつの間にそんな時間が経った?

そういえば、今日はスーパーの特売があったんだ。

卵がもうない。200円以内で買える今日を逃せば

来週までホットケーキはお預けだ。

 

上り坂で相手を振り切ろうとするオーバードライブの篠崎

*1のように

 

チャリを漕ぎついたスーパー。目的のブツは跡形もなく消えていた。

 

家の鍵を開け、辿り着いた玄関に座り込みかつて

あったであろう母さんの苦労を理解する。

遠い昔の女は一日中家にいればいんだから楽でいいよな。

と愚痴られていた日々を思い出す。

それは違うんじゃ・・・と心の片隅がつぶやいたけど

反論するのもめんどくさく、そうっすね。と返していた。

あの時の僕も、うっすら思っていたのだろう。

金を稼いでいない人間はみんな楽をしている。

身につけた知識の底の浅さを後悔しても

過ぎてしまった日々は取り戻せない。

 

他人の事がどうかは知らない。ただ、

昔は自分が見えない範囲で暮らしている人は

みんな楽をして生きている。と思っていた。

 

無職になってわかったのは

人間が生きるというのはそれだけでとても大変なのだ。ということ。

世間がよく言う、正規とか、非正規とか、パートとか主婦とか

関係ない。みんな立派だ。

 

問題はそれを理解できたのは、この世の底辺に落ちた

時だったという事。

今の僕は、ちびまるこの山田くんがマジ、しんどい。と

言っても否定する事はない。

 

この部屋からは全ての人が輝いて見える。だから外の音がうるさいのだ。

この世界の全ての人が幸せな気がして。僕以外の。

 

カッチ、コッチ、コタツの天板に突っ伏していたら

余計に時計の音がでかくなっていく。いったい僕は何をやっているんだ?

今年もあと1ヶ月しかない。自分の状況はまるで好転しないのに、時間だけは

前に進んでいる。だからこんなに時計の音にムカつくんだろう。

この先僕はどうなるんだ?来年もこのままなのか。そんなのは嫌だ。

嫌だ。何もかも。

 

部屋の中に居たくない。かといって近くにも行きたくない。

できるなら遠くに行きたい。

もっといえばそのまま消えてしまいたい。実行する金がないのは

幸運なんだろうか・・・・

 

考えるのは疲れた。

そのまま電車に飛び乗る。最近この乗り物が好きになってきた。

地下鉄の路線図を見ているとワクワクする気持ちわかる人いる?

あの地図は見ていて楽しい。行くとなったら大変だけど。

そしててやってきた街。立川。

小さい時は夏休みにここで映画を見たり

デパートでおもちゃ買ってもらったり

したっけ。

 

再開発の影響で、僕が子供の頃よりも風景は少し変わった。

新しいものができたり、前からあったものがなくなったり。

 

第一デパート。という商業施設をご存知だろうか。

立川の北口にあった、小汚い

レトロな雰囲気の建物。説明がめんどくさいので色々省くけど

要は、中は昭和テイストなエスカレーターが駆け巡り

今の商業施設のように、整頓された作りではなく

案内板もないから度々道に迷うんだけど

その分、ハクスラ系のゲームのようなワクワク感があった。

誰が買うのかわからないほどマニアックな品揃えの専門店が並ぶ。

僕はここに入っていたプラモ屋の

アーマードコアのプラモデルが飾られたケースを

眺めるのが好きだった。

 

無くなると聞いた時は、なんとも思わなかったけど

実際存在しないところを見ると、とても寂しい。

 

人間はめんどくさい生き物だ。存在するうちはなんとも思わない。

なくなってからなぜ。と悔やむ。それは建物も他人も同じ。

 

それはブログにも当てはまりはしないか。

最近の商業施設は綺麗だ。避難経路とか考えたら

そうせざるをえないんだろうけど、整い過ぎて人間味がない。

人間味がないのは、面白みがない。

もちろんフードコートは好きだけどね。

 

このブログは、誰に必要とされるか分からないほど

マニアックだけど、誰にも必要とされていないわけじゃない。

少なくとも、読者はゼロにはならない。

書いてる本人が楽しんでいる。

なら、ブログの第一デパートに僕はなる。

 

帰宅した後、電灯に照らされ壁掛け時計。

27年も壊れずに時を刻み続けた古き良き日本の物作りの

結晶を、少し拭いてやった。

そこにあるうちは気にしなくても

なくなったら悲しい。

 

僕の寂しさを埋めようと必死になってくれている

この音を

少しでも長く聞いているために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:

2005年〜2008年まで、少年マガジンで連載されていた安田剛士氏の自転車競技漫画。アニメ版のOP少年カミカゼの歌う)WINDER ~ボクハココニイルを久しぶりに聞いたら涙が出てきた。