キリギリスはなぜ死んだ?

社会に、いらね。と言われた奴の最後のあがき

がんばらなくていいよ。(中編の下)

あまりにもありきたりな、お寒いジョークでお茶を濁してみたものの

 

空気がフリーズするだけだった。

 

癌。といっても、いろいろな病状があるはずだ。立ち直った有名人もいる。

 

 

最近の医学ならば、案外治るものではないだろうか。

 

専門家でもないのに、適当な文句をひたすら並べてみた。

 

信じたかった。全て元どおりに、丸く収まる。なにも問題がない。

 

自分がしてきたことのつけを払うことなどあり得ないと信じたかった。

 

そんなことあり得ないのに。

 

その時は適当に励まして、場を濁した。どうしようもなかった。

 

 帰り道は膝に力が入らず、生まれたての子鹿のようにへなへなと歩いた。

 

このままにしては置けないのはわかりきっている。でも凡人になにができると?

 

なにもない。無力だ。なにより、自分のことで精一杯だった。

 

 しばらくバイトと自分の家のマラソンで、母親のところには行かなかった。

 

現実を見たくなかったのだ。

 

 働いていれば、いわゆる、親不孝というフレーズを耳に入れなくて済んだ。

 

無職でいるよりは、世間からの風当たりが少なくなると信じていた。

 

誰に責められるのか。

 

黙っていれば他人の苦痛なんて誰も興味がない。

 

奴らにはしょせん、人生をいい加減に生きている馬鹿にしか見えまい。

 

これまでの人生、どれだけ傷ついてきたかなんて、説明しても・・・・・

 

 人手不足という言葉に耳にタコができるくらい聞き飽きた。

 

崖っぷちのバイトも例外ではなく、穴を埋めるための、地獄の長時間労働が始まった。

 

まさか、バイトの身分でフルタイムをこなすことになるとはね。

 

限界を突破した労働時間も、よく調教された奴隷の皆さんには甘えに見える。

 

生きている間は誰にも理解されない苦しみ

 

死ねば誰かが、かわいそうだね。ぐらいは言うかもね。

 

そんな安い同情を買うために死ぬ奴が馬鹿だけど。

 

 僕なりに社会人としてやっていこうとしたある日、立ち上がろうとした足を

 

へし折るように、父親からメールがきた。

 

 「お医者様からお母さんが余命一ヶ月だと診察されました。

 

一回でいいので、会ってあげてください。お願いします。」

 

肺が空気を取り入れるのを拒んでいるような感じがした。

 

同僚には荷物を取りに行くと言ってその場を飛び出した。

 

まるで授業中にうんこもらしたやつみたいに。

 

生まれて初めて彼の電話番号を押した。

 

数年ぶりに聞く彼の声は僕が憎んでいた頃よりも細くなっているような気がした

 

メールの内容が本当か。と言った。ドッキリ大成功!のプラカードが出るとでも?

 

 彼によると医者が言うには、正確にいつかはわからない。けど覚悟はしておけと。

 

壁沿いにしゃがむしかなかった。動けない。息ができない。

 

中学生の頃、同じクラスのボクシングを習っている。と自慢していたDQN

 

脇腹を殴られたときに似ている。

 

責められたのはスクールカーストの頂点にいる彼ではなく

 

底辺のキモいやつ・・・誰も助けてはくれなかった。

 

昔も今も変わらない。自分を救えるのは自分だ。

 

固まった膝をなんとか伸ばし立ち上がる。

 

父親は今日は休みか?と聞いてきた。

 

 仕事の代わりはいないのかと聞かれた。

 

代わりはいくらいる。しかしここで代われば明日からはそいつの仕事になる。

 

僕は職を失うだろう。

 

後日。ということにして、生きた心地などしない1日を乗り切る。

 

その日は朝から晩まで時間が止まったような気分だった。

 

眠れない日はなんどもあったけど、朝が来なければいいと思ったのは初めてだ。

 

目をつぶっていても、走る車の音や、悪ふざけで子どもが鳴らした防犯ベル。

 

差し込む太陽の光が普通の人間は行動する時間なのだ。起きろと嫌味を言う。

 

仕方なく体を起こす。身体中が重い。本当は一歩も動きたくない。でも仕方ない。

 

行かねば。ひどい成績表をもらいに行く気分だ。 それでも受け止めねばならない。

 

お前の人生は万年最下位の赤点・・・絶対にきたくない家の前にやってきた。

 

チャイムを押す。しばらくすると父親の声がして、入ってこいと言われた。

 

玄関を開けると彼がいた。

 

記憶の中にいる人よりもだいぶ小さい気がした。

 

リビングに通される。彼はどこにでもなくせんべいが来たよ。と言った。

 

そして・・・・母親がいた。

 

初めて見たときは誰だかわからなかったくらい痩せていた。

 

彼女は鼻にチューブをはめていて、その管が長く伸び、リビングにあるストーブ少し大きいくらいの箱につながっている。

 

箱の正面に酸素と書いてあった。

 

後で父親から聞いたけど、このころには自分で息をするのが難しくなっていたのだそうだ。

 

彼女はよく来たね。と言った。

 

前に聞いたときよりも声が小さくなったような気がした。僕は彼女の隣に座った。

 

座ったものの、何を言えばいいのかわからなかった。調子はどう?とか元気か?

 

的な世間話はできそうにない。見るからに悪いからだ。

 

仕方なく天気の話をした。このときは5月の半ばだったから、雨が降っているね的な。

 

やはり何を話したのか覚えていないけど、病気を思い起こさせるようなことには

 

触れないように気をつけていた。彼女はずっといてもいいよ。といった。

 

僕は今すぐに逃げ出したかった。

 

そうこうしていると、部屋の隅にWi-fiの機械があるのがわかった。それについて話す

 

と、どこからか父親がやってきて、携帯を変えたと。

 

彼の手にはスマホが握られていた。いつの間に・・・

 

そして携帯会社からのクーポン券をだしてきた。

 

機種変更すると少し割り引かれるようだ。ならば彼女の携帯はどうなのかと聞くと

 

「私はもう無理だよ」と答えた。今更手遅れだろう。

 

もっと自分で自由に動けたときならばあるいは・・・・

 

時計が午後の3時をさしていた。

 

これ以上彼女を見ているのが辛すぎて、その場から退場した。

 

 

その場にいたら身をすり潰されるような気持ちになったから。

 

複雑な気がしたけれど、僕はその数日後にスマホに変えた。

 

彼女への後ろめたさはあったものの、奴への対抗心が先に出た。

 

通信料の機種代は自分で払うと断った。初めて働いていてよかったと思った。

 

機種変更の手続きをしている間、販売員が、月々いくら払うのか。という

 

契約を書き込んでいるのを見て、仕事から逃げられないんだな。

 

目をつぶりながら、両肩に背負った見えない物の重さにめまいがした。

 

それからしばらくあの家に行くことはなかった。

 

バイト先で入った新人がまたやめたからだ。

 

シフトの穴を埋めなければ。

 

書き起こしている。逃げただけとわかった。

 

自分の今までを甘えだと認めたくなかった。

 

これまでの人生。

 

主観で見れば努力が報われない理不尽な世界観だったとしても

 

客観的に見れば、自己責任の自業自得。一人で死ね。と切り捨てられる恐怖と

 

上から狙い撃ちされているような切り捨てに耐えられなかったのだ。

 

答えはもう出ているのに。