キリギリスはなぜ死んだ?

社会に、いらね。と言われた奴の最後のあがき

天国じゃみんな、海の話をするんだぜ。

脳腫瘍で余命わずかのマーチンは病室でたまたま隣に寝ていた

これまた末期の骨髄症患者のルディに言った。

「なんで?」「知るか。流行ってるんだってさ」

一体どこで天国のトレンドを耳にしたのかはわからない。

キッチンから盗み出した酒を飲んで酔っていたからかもしれない。

とにかくここから二人にとって、人生最大、最高の冒険が始まった。

 

見たことがないという人は人生の10割を損している。

どんな映画?と聞かれたら、宮藤官九郎氏のドラマ見たいな映画。といったら

わかりやすいかもしれない。彼が脚本したドラマのファンなら

少なくとも、損はしないだろう。

それか、バック・トゥ・ザ・フューチャーや、レオンといったバディームービー?

が好きな人にもオススメだ。

 

遠くに行きたい。という願望がある。なぜかわからない。

どこかに行きたい。というより、ここに居たくない。自分の現実を認めたくない。

ここから逃げ出したい。といったほうがいいかもしれない。

それで、別の場所に行けたとして、何も変わらないことなど、とっくの昔にわかっていたはずなのに。

 

それとも、生まれてこのかた、地元を離れたことがない事がコンプレックスに

なっているのだろうか。

僕は別に、木更津キャッツアイのぶっさんのような地元愛に溢れているわけではない。

なんだったら、この場所に飽き飽きしているはずなのに。

なぜか離れられない。正確には、ここを離れて、知らない土地で生きていける

生活力がない。まぁそんなたくましい人間が、ニートになるはずがない。

 

それでも、ここから離れれば、何かが変わる。とでも?

いくら別の場所に行こうと、自分という人間が変わらないなら、意味がない。

自分の居場所はここじゃない。と自分を探す旅にでかけようとでも思っているのか?

本当の自分。それは、この瞬間、駄文を書いている僕自身ではないか?

パソコンの薄明かりに反射する脂ぎってヒゲも伸び放題のおっさんを

どうして認めてやる事が出来ないのか?

いい加減認めろよ。この後に及んで何をためらう。

これがお前だとどうして認められないのか。

僕は終わってる。ここからは出られない。

それがどれほど苦痛なのか、なんて書いてもしょうがないけど。

 

 海は広いな。大きいな。

昨日も書いたが、どうしても、海という場所に強く惹かれる。

昔、といっても、去年の事だけど、江ノ島の景色は忘れない。

 写真があれば良かったが、僕のオンボロガラケーでとっても

いまいち綺麗に写らなかったので、その場で削除してしまった。

写真なんかあっても、見せる相手がいるわけじゃないし、

その時は、まさか僕がブログを書いている。なんて想像すらしていなかった。

まぁ、初めてみて、何かかが変わった。とか、良い方向に行った。

なんて事はないけど。

 

アジカンの藤沢ルーザーやピンポンの舞台になっていたり

天気予報でよく映ったりする場所になぜか行きたい。

スマイルが海岸沿いを走っていくあれをやりたかったのだ。

まさかチャリで行こうとは思わない。さすがに学習する。

行きはいい。見える景色が新鮮だから、でも帰りは、見知った

光景がいつまでたっても続く地獄とかす。

うん。さすがにチャリはやめよう。羽田は良くても

鎌倉では、日帰りできなくなってしまう。

それに、江ノ電にも乗りたかったしね。

 

事前に電車の時刻を調べ、年のために、朝5時に家を出た。

道中、驚いたのは

町田の駅前がものすごく都会だった事。

ぱっと見、渋谷と大して変わらない。

降りる駅間違えた?と思ったほどだ。

 

しっかりと電車を乗り継いで行けば、拍子抜けするほど

簡単に湘南についてしまった。

そのままモノレールに乗れば、江ノ島に着くのだが

ここまで簡単だと、逆に不安になる。

そう、僕の目的は江ノ電に乗る事だ。

5,6分迷って藤沢駅に着いた。

ホームには僕が子供の頃、よく行った駄菓子屋の婆さんみたいな、

こじんまりとした、レトロな車両が止まっていた。

外観は小さいが、中は案外広くて、窮屈さを感じなかった。

僕が乗った向かいの席にカップルが座った。

おのれぇリア充め。こんなところでも俺を愚弄するのか。

しかし、来年は俺もちゃんと就職して、彼女を連れてだな・・・・

残念ながら、お前の夢はどちらも叶う事はない。

 

そうこうしている間に列車が走りだした。

ガッタン、ゴットン。ゆっくり走る江ノ電

「次は、江ノ島です。」

アナウンスが告げる。しかし、僕はここで降りようとはしなかった。

どうせなら、終点の鎌倉まで行ってみよう。と思ったのだ。

ガッタン、ゴットン。最初は楽しかったが、だんだん不安になってきた。

まるで海が見えないのである。やはり、選択を間違えたか?

素直に目的地で降りたほうが良かったか?

そんな疑問が浮かび始めた頃

 

「次は、鎌倉高校前」

 

僕の不安は見事に消えていった。

目の前には、見事。としか言いようがない、水平線が広がっていた。

 

海だ。それも、苦い思い出とはまるで違う、想像どうりの景色。

その時の僕の心には、ずっと昔に忘れてしまった感情が蘇っていた。

子供、それも本当に小さな頃の、未来に希望以外持たなかった時の

 そこから3駅ほどは海を横切り、江ノ電はトンネルに入ったそこからは

街中、時には、家の真後ろを通過していく、裏路地が好きな僕には

嬉しい光景だ。特に、民家の間から見えた紫陽花がとても綺麗だった。

そして、鎌倉に着いた。そこではぶっちゃけたいした感動はなかった。

もちろん僕の回りかたが悪い。当初は江ノ島以外に行く予定がなかったので

それ以外は大して調べていなかったのだ。

 

銭洗弁天?に行こうとしたが、道がわからなかったし、これ以上歩いて

体力を消耗したくなかったので、再び江ノ電に乗り込んだ。

えっ!まじ電車賃の無駄じゃね?と思う人のために断っておくと

江ノ電には、「のりおりくん」なる一日乗車券があり

大人600円、子供300円で、江ノ電が一日乗り放題になるのだ。

まぁ頭がいい人にとっては、コスパがどうのの話になりそうだから、

この話は、ここでやめにして。

 

来た道を 引き返す。でも、前のような焦りはない。

やはり、電車に乗っている。というのが大きい。

乗り物にのって良かった。6月とはいえ、この暑さでチャリなんか漕いで

いたら、干物になってしまう。

 

江ノ島はとにかく坂が多かった。階段が高くて、移動するのに

エスカレーターがあるのだが、料金が払えないので

階段を使った。頂上にある神社にお参りしたが、効果があったとは思えない。

そこかしこに猫がいて、日向ぼっこをしていた。

犬猫が嫌いな僕だが、思わず顔がほころぶ。

展望台からは、島全体を見渡す事ができた。素晴らしい景色だったが

高所恐怖症の僕は、10分もいれば限界だ。

いつか床が抜けるのでは?と考えると気が気ではない。

 

その後、いくつか「のりおりくん」を使い倒すためにいくつか寄り道をして

湘南海岸前でおりた。

駅前はビルやら見上げるほど高いマンションが多かった。

ここに住んでいる人は勝ち組にちがいない。

一見東京と変わりない風景、しかし、進んでいくたび確実に、塩の匂いが強くなり、

海が近づいている事を実感した。

しばらく歩くと、道が開けて、目的地に着いた。

目の前に広がる海。最初は、遠巻きに見ている予定だったが

だんだん我慢できなくなった。

ビーチサンダルを持って来れば良かった。と思うと、そこは観光地。

ちゃっかりと売店あり、ビーサンどころか、水着まで販売していた。

 

家から持ってきたお昼を食べるため、飲食ができるか店員にきいた所

 

「トンビがいるから気をつけろ」

と忠告された。

 

海岸にビニールシートをひいて、家から持ってきたおにぎりを食ながら、

どこまでも続く水平線を見ていた。

 

 

見上げていた空と、いつも僕らがいる地上がとても近い。

ここからなら、空の上にいるあの人に近づけるかも。

 なぜ天国で海の話をするのかわかった気がする。

きっと彼らも僕らに会いたくて、海に行くのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

チャリで羽田までいった話。

多摩川沿いを自転車で走って、羽田空港まで行った事がある。

正確には、羽田の近くの海まで。か

20の時だった。就活がうまくいかなくて、

それまで当たり前に皆勤賞を取っていたぼくが、学校にどうしても行きたくなかった。

いつものように、自転車で向かう通学路、その日、この信号を渡ったら

また同じ1日が始まる。そう考えたら

横断歩道の先へ行く事ができなかった。

思えば、これが、ぼくの人生の転落の始まりだった。

ヘタレ、とか、根性なし、とか言われたら、そのとおりだ。と答える。

でも、この一件に関しては、他人がいくら

貶してきても、あっそうで済ませる事ができる。

だって、あのまま、いつもの道を通っていたら、間違いなく

猛スピードで往来する車に体当たりしていただろう。

まぁ今では、その方が良かったような気もするが。

ぼくの行動は全て間違いだらけだ。頭ではわかってる。

でも、理屈じゃない。

あの時のぼくの行動をどういった

言葉にしていいのか、今でもわからない。

たとえるなら、ぼくの頭の毛先から、足の爪の先、細胞の一つ一つが

ここから先へ行くべきではない。と判断したのだ。

 

学校に電話をし、風邪気味だ。とか適当に嘘をついた。人生初の仮病である。

そのあと、渡るべき道に背を向けて、やるべき事から一目散に逃げ出した。

 

気がつくと河川敷にいた。なぜかわからないけど、

昔ここを渡っておばあちゃんとセリ取りに行った映像が頭に浮かんだ。

まぁ、その野っ原は、とっくの昔にマンションになってしまったけど。

 

ここは、余計な建物がなくて、空がとても広く見える。

なんとなく見上げていたら、ブルーハーツが歌う青空を思い出した。

「生まれた、所や、皮膚や、目の色で、一体ぼくの何がわかる。と言うのだろう?」

同じように、エントリーシート一枚でぼくの何がわかる。と言うのだろう?

そんな悪態をつけるほど大した人間でもないのは、今になって理解した事だけど。

空と川に挟まれて向こう岸では、重機が動いている。

それが、何をしているのかはわからないけど

ずっと一定に動いてるように見える姿を見ていると

考える事をしなくていいような気もした。

ぼくは何も考えたくなかった。将来の事も、今の自分の事も。

 

しかし、次第に

今頃は教室であれをやっている時間か〜とか

こんな場所にいていいはずがないだろ?とか

まさかドラマの主人公にでもなったつもりか?という不安の混ざった疑問が

頭の中を満たしていく。

学校には休む。と連絡を入れてしまったから、今更戻るわけにはいかない。

というか、絶対に戻りたくない。

「行ってきます」と元気よく

(フリだけだが)出て行った手前、家に帰る事もできない。

 

途方に暮れていると、道の端っこにくいが立っているのが見えた。

 

多摩川、左岸、海まで45km」

 

海まで。というワードだけが頭の中に強烈にインプットされた。

 

この道を行けばいかなるものか。迷わず行けよ。行けばわかるさ。

 

対して猪木のファンでもないが、このときのぼくは、この言葉で頭がいっぱいだった

とにかく、リスク。という物を考えなかった。

もう何も考えたくなかったから。

 

ぼくは駆け出した。

 

最初は余裕だった。ただまっすぐに進めば良かったから。

しかし、途中で道が途切れてしまう。ここで諦めておけば良かったと

今になって思う。

しかし、このときの僕は何がなんでも、「海」に辿りつくのだ。

という決意でいっぱいだった。

少し遠回りになったものの、だましだまし道を見つけ、団地の間を縫って

進み続けた。

 

道中で、おしゃれなマウンテンバイク乗りに何度も追い越された。

当然だ。僕が乗ってるのは、ジャスコで買ったママチャリ。

気に入ったのは・・・値段だ。一番安かった。

当然、ギアなんて付いてない。

あのくそ急な坂道のきつさといったら。

そんな僕を尻目にスイスイと横を通り過ぎていく人々。

くそぉ・・・僕にもせめて、ギア付きのチャリがあれば・・・と思ったが

よくよく見ると、彼らは、僕と同じ道を行くのではなく、途中で引き返したり、

市街の方へいったりしていた。

「ふふん・・・お前ら、意外と根性がないな。

俺はこれから、あと30km以上走るんだぜ!」

 

上から目線の発言を許してほしい。

時々、同じくいが立っていて、海までの距離を知らせてくるのだが、

いけども、いけども、減らない数字に僕は、妙なテンションになっていた。

 

そして、ここまで来てしまったら、引き返すわけにはいかなかった。

ひたすら進む。後ろを振り向かずに。

 

それでも、距離が確実に減っていくのは、なぜか達成感があった。

二子玉川の景色の美しさは今でも忘れない。

 

ここがこんなに美しいのだから、海はきっと、もっと素晴らしいんだろう。

長時間サドルに乗ったケツの痛みと、ペダルを漕ぎまくった太ももの疲れを

ごまかすかのように、自分を励ました。

 

そして、とうとう、たどりついた。時刻は午後の1時。

出発した時、確認した携帯の時計が午前9時半だったから、

少なくとも、5時間はかかった計算になる。

 

 

確かに、海はあった。しかし、それは僕の想像していたものとはまるで違った。

僕が想像していたのは、もっと地方の、自然豊かなものだった。

東京湾の汚れた色はまるで世紀末の光景だった。

 

今にして思えば、これが僕の人生を物語っていた。

行き当たりバッタリで、よく考えもせずに行動し、結果大失敗。

失うものばかりで得たものはない。

そして、気づいた。どうやって帰ろう?

 

僕には、再びチャリを漕いで来た道を戻る選択肢しかなかった。

そして、気づく。行きに5時間かかるということは、帰りにも5時間かかるのだ。と

足が限界を超え、もう無理だ。と震えだす。無情にも周囲は暗くなっていき、

道がわからなくなり、無駄に迷う始末。

 

泣きべそをかきながらようやく、たどり着いた我が家。

そこで待っていたのは、昼間に教師から確認の電話を受け、仮病が発覚し、

目を三角にする親だった。

 

そのあと、たっぷりお説教を食らったのだが、眠いやら、腹が減ったやらで

内容はよく覚えていない。

この暴挙で僕が学んだことは、どれだけ遠くに行こうとも、現状から脱出する

手段にはならない。ということ。

みなさんは目の前の苦難から決して逃げ出さず、立ち向かってください。

あと旅にでるときは、思いつきで行動せず、よく計画してからにしてね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人は一人で生きていけない。なら僕は人間をやめたい。

走れ。奴を振り切るまで。

追いつかれるぞ、振り向くな、止まるな。引き戻されるぞ。

走れ。走れ。走れ。たとえ根性なしの心臓が悲鳴をあげても

どれだけこれ以上は無理だ。と警告されても

走り続けているうちにそのまま止まってしまえばいい。

走る。走る。はたから見たら不恰好なフォームで、

万年帰宅部だった僕にそんなもの期待しないでくれ。

 

言い訳をすると、運動が嫌いだったんじゃない。

集団行動が嫌いだったんだ。部活動も体育の授業も。

普通から限りなく劣った僕には耐えられなかった。

 

学校、というのは、社会の前身だと聞たことがある。

なるほど、学校でゴミだった僕は、そこからドロップアウトして

社会に居場所を求めても、やはり、ゴミのままだった。

どこへ行っても疎まれる。人間の社会で僕は邪魔者。

いなくなってほしい奴。

僕がいなくなることで平和になる社会。

まるでゲームの魔王の気分だ。

なるほど、ドラクエが楽しめない理由はこれだったのか。

 

例えば、この瞬間、不治の病に冒されて、余命いくばくもない人に

ぼくの寿命をやる事ができるのなら、ぼくはこの命を捧げるだろうか?

書いていて思ったが、無理だと思う。なぜかわからないが、命を粗末に

したいくせに、それを他人にとなると、なにか損をしたような気持ちになる。

もちろん、生きていたい。という彼らの切なる願いをないがしろにするつもりはない。

 

「あの子が死んで、なんであんたなんか生きてるの?」

そう言われてたら、「すいません」としかいいようがない。

生きていてすいません。

行き着く先は、「生まれて、すいません」だろうか。

子供の頃は良さが理解できなかったフレーズだが、一見しただけのうわべのイメージとはいえ、太宰治氏に共感する日が来ようとは。

 生きていたい人が死んで、死にたい奴らが、「死にたい」とつぶやきながら

なんのありがたみもない明日を迎え、1日を消費する。そんな世界は

不公平だ。

ぼくが再三愚痴る世界の理不尽を構成する部品がぼく自身であるという事実に

震えが止まらない。

 

でも、今、この瞬間、僕たった一人だけなら、誰かと比べられないのなら

僕は今、とても自由だ。

 

走る。走る。向かいを電車が追い抜いて行く。

「あの人、平日の昼間っからなんでこんな事してるんだろう?」

前の車両に則って、忠実にレールの上を走っていく箱に乗っている人間の

一体何人が、ぼくを気にするかなんてわかりっこないけど

この瞬間のぼくは、そんな事どーでもいいのだ。なんだったら

電車を追い抜く事が出来るような気さえした。

 

まぁ現実はあっという間に最後尾の車両が追い抜いていき、

ぼくの視界から遠ざかっていった。

それでもいいんだ。誰かと競争しているわけではないから

やりたくてやってる事なら、誰に気兼ねもいらない。

 

たまに年寄りに応援される。がんばれ。と

彼らの目にぼくはどう映っているのだろうか?

これがニートの暇つぶしだとわかったらどんな顔をするのだろう?

 

そんな事、知らない方がいい。だけどたったひとつわかるのは、

筋トレもランニングも働く上ではまったく役に立たない。という事。

働くという行為の疲れは、まったく別次元のものだ。

 

だけど、褒められて悪い気はしない。すこし鼻高々だったのがまずかった。

調子にのるな。やはり、現実がぼくを叩き落としにきた。

 

とりあえず3駅分のところで引き替えそうと踏切を渡ろうとした矢先、

一時停止を忘れたプリウスとぶつかりそうになった。

ぼくが謝ろうとした矢先、乗っていたビールッパラ、咥えタバコにセンスの悪すぎる

サングラスをした中年。人は見た目で判断してはいけない。というが、こういう容姿の

人間で、ぼくに好意的だった人は、経験上、いない。

例にもれず、怒鳴り声が聞こえてきた。何を言っていたのか?はわからないが

とりあえず憎まれ口である事はわかった。

聞こえてきた。というのは、そいつがすでに

3mほど通り過ぎてからの事だったからだ。

 

ぼくも、思わず、「てめーがとまんねぇのが悪りぃんだろうが!ボケェ!」と

叫んでいた。

幸いにも、ドライバーはそのまま行ってしまった。

もし、ここで、そいつが降りてきて、言い合いになったとしたら、やはりぼくは

手を上げていただろう。もし、そいつが通報なんてして、

駆けつけた警官が、あいつだったら、どうだろう。ある意味、傑作だ。

 

非常にせまい主観の意見だがプリウスユーザーというのは、どうしてこうも

バカが多いのだろう。

プリウスがバカを引きつけるのか?バカだからこそ、プリウスに乗って、

「俺、選ばれし者」的な悦に浸るのだろうか。

環境に優しいハイブリットカーも、乗っている人間がDQNなら台無しである。

 

盗んだバイクで走り出しても、気は晴れないでしょう。

 

さぁ、走ろう。と思って外にでたとたんに雨が降った。しょうがなく、家の中に

戻ったら、とたんに雨がやんだ。中途半端な曇り空に舌打ちする。

一度下がったモチベーションを上げる事もできず、結局、1日家の中にいる羽目に

しかし、夜になってから、落ち着かなくってきて、散歩に切り替える。

 

いつもいくルートから外れて、近所のバイク屋の前を通った。

250ccでも、意外と大きい。かっこいいな。

いつも憧れて、とうとう手が届かない代物。

これに乗ってどこまでも遠くへ行けたなら、どんなにいいだろう。

しかし、バックミラーに貼られた値段は、その日の食費も払えないぼくには

到底払う事のできない値段。

 

今なら、盗んだバイクで走りだした尾崎の気持ちがわかる。

でも、そんな手段で手に入れた自由では、気持ちが晴れる事はないから、

彼は、天国へ旅立ってしまったのだとも思う。

 

よく、バイクなんか時代遅れだし、危険すぎる。

買うなら、断然車の方がいい。という意見を耳にする。

ぼくもそのとうりだと思う。以前のぼくも、家族のために、せめて一台だけでも

と、まさかバイトにそんな金が工面できるとでも?

 

なぜ今になってこの不便な乗り物に乗りたいのだろうか?

うまく言葉にできないが、、万年自転車意外乗った事のない貧乏人が、動力のついた

乗り物に憧れているんだろう。もしくは、これが、基本一人乗りだからかもしれない。

社会に気兼ねしてどこへも行けないぼくが

誰の気兼ねもなく、どこまでもいける(ように見える)乗り物に自分にない

自由を見て、勝手に憧れているだけ。

 

わかってる。人は一人では生きていけない。

ならば、ぼくは、もう、人間でいなくてもいいのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

ブログとはなにか?ポエム帳を公開するのはなぜ?

僕のブログはひどい内容ばかりだが、

輪をかけて

八つ当たりのような記事ばかり投稿してしまって

読者の皆さんに本当に申し訳ないと思っている。

頭の中にこびりついた良くない物。それを落とすために

書いたような日記を公開してどうする?という気持ちと

しかし、書きたくてしょうがない。今ここで書かなければならない。という

独りよがりの使命感がせめぎ合い僕を苦しめる。

 

誤解を恐れずに言えば、最近、

人にうける記事を書く。という事を意識しなくなった。

どうすれば検索にひっかかるのか?とか、どんなタイトルをつければ

多くの人に読んでもらえる?とか。

最初は頭をひねっていたが、書く文章の稚拙さは

そんな事を考えても補う事は出来ない。

 

結局ゴミの書く記事はゴミでしかないのだ。僕の人生はゴミだ。

しかし、ゴミで結構と開き直れる可能性を

ゴミだかこそ、リサイクル出来る方法を探している。

それは僕と同じ、社会に打ちのめされ、逃げ場もなく、

行き場のない憤りを抱えながら、雨宿りする事すら許されずに

冷たい雨に怯え、震えている底辺のゴミ虫たちの

声にできない声を代弁する事。

少なくとも、僕の代わりに叫んでくれる人は、もういない。

誰からも必要とされなくてもいい。

僕の鬱屈した感情をあらん限りに、叫ぶんだ。

 

 

僕が、ブログを書いている意味がようやくわかり始めた。

ただの愚痴を不特定多数が見える形にして発信する理由。

どこの誰かわかないが、僕に奇異の目を向け

すれ違っていく人々の中で

 

たった一人だけ。

 

その心に共鳴する言葉を、その脳瑞に深く突き刺さり、決して消える事のない叫びを。

それが僕の向かうべき目標。残すべき文章だと、理解した。

だって、血も繋がってない、生活の仕方も、見てきた景色も違う

赤の他人に、共感できるなんて。それを奇跡と言わずにどうするんですか?

 

多くの人にとっては、価値のない物。

しかし、特定の誰かにとっては、純金よりはるかに価値がある

輝く宝石である物。

そんな願いが叶うはずがない事は知ってる。

もはや無駄である事も分かりきっている。

しかし、書き残さずにはいられない。ここは僕の人生なのだから。

 

 どうでもいい。を振り切って

書くべき事がない。いざパソコンの前に座っても、

どうでもいい。意外の言葉がでてこない。

それではブログにはならない。ゴミを投稿し続ける。と言っても

さすがに、一言だけを繰り返し続けるのは・・・

なんとか、それ意外の言葉を文に起こそうとすると、なかなか骨が折れる。

書いている途中で前半書いた物を読み返すと、そのあまりの幼稚さに震えが止まらなくなる。しかし、それを隠そうとしないところを、もはや長所と断言してしまおう。

 

先ほどのどうでもいい。という言葉がなぜ口癖になったか。

それは僕が今まで、どうにもならない事に出くわしたとき

その理不尽に対する怒りをごまかすために、どうにもならない。

と嘆くのではなく、最初から気に止める必要のない事だった。

悲劇などなかった事にしようとした。そんな事は不可能だ。と今になって

気づかされる。

 

世界は僕の望ましくない方向へ向かっている。

まるで、

日々起こる出来事に、僕の思想すら、否定されているようで

この世界が僕を振り落とそうとしている。

この世界が僕を疎んでいる。

女が、新しい彼氏に乗り換え、元恋人がストーカーと化したのを疎むように

全てが好ましくない方向へ向かっていく、自分を取り巻く環境の全てが。

宝物ばかり無くしてく。増えていくのは不安、焦燥、落胆。

こんな物必要がないのに。

行動するたびに、望ましくない物が増えていく。

まるで、足掻くな。運命を受け入れろ。と言われているようで。

 

なくす物がばかりが増えていく。こんな物が人生だ。というなら、

いっそ、それ自体を捨ててしまいたい。

僕にとって最も望ましくない物、それが明日である事をなぜ世界は無視するのか。

もうわかったよ。僕はやり遂げたよ。もう十分だ。

まだ若い。って?諦めるに早い?って?

じゃあ僕がいくつなら、諦めさせてくれるんだよ?

正直に言えよ。秒読みに入ってるって。もう終わてるって。

もし、誰かが、お前はもう終わりだ。と言ってくれたのなら

楽になれるのだろうか?

 

わからない。

 

僕はひねくれ者だから、きっと反抗するのだろう。

ただ、その意志を示す方法すら、わからないままで、人生が終了してしまう

恐れがある。

 

どっちにしろ、ひどい終わり方なのは間違いないが。

 

どうすればいい?と自分に聞いても、帰って来る答えはどうでもいい。

だけ。僕はもうどうしようもない地点まできてしまったようだ。

 

本当、あなたも、めんどくせぇ奴に絡んだものですね。

今更後悔されても、どうしようもないけど、ネットの世界とはいえ

画面の向こうにいるのは、人間ですので、衝突や軋轢があるのは当たり前ですが。

願わくばあなたの心が、穏やかでいられる場所がある事を、願います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人身事故ってある意味、社会への自殺攻撃だよね。

履歴書。これまで何枚書いただろう?100から先は覚えていないが、

無職、職歴なし、最終学歴、専門学校中退。こんな奴を雇う職場はほぼない。

あったとしたらそこは、確実にブラック企業である。

「お前のようなクズを働かせてやれるのはウチくらいだぞ」

そう言われたら、もはや言葉も出ない。

この世からブラック企業は無くならないだろう。

この世からクズがいなくならない限りは。

あなたが、ぼくのようにならない事を祈る。

 

ぼくのこれまでの苦労も一枚の紙切れ、たった2,3行で

表されてしまう。

なるほど、客観的に見れば、僕が味わったものなど、大した事ではないのだ。

そして、職歴の欄は2年前から止まったまま。今まで面接してきたどんな人もここで

「この後は何をされてたんですか」

ぼく「短期のバイトとか・・・ゴニョゴニョ」

面接官「あっ・・・・(察し)」

その後、適当にいつくか質問して、数週間後に、これまた一枚の紙切れが届く。

「あなたのご活躍をお祈りしています」

一周、ご活躍が、ご冥福に見えたのが気のせいであって欲しい。

文句ははとても丁寧だが、本当に祈っていないのがもろバレである。

まぁ、それは別に問題じゃない。ただ、こちらは手書きしか許されないのに

ワープロで打った文章を送ってくるのはどうか?

せめて、履歴書もワープロで打っていい事にしないか?

それとも、そちらも、手書きの文章で回答するとか。

これなら、文面がたった1行。

 

「おまえみたいなクズ雇わなくても、人が足りてる」

 

でも許せる気がする。

 

まぁ、気をとりなおして、新しいのを書くか。

と思いたったものの、新しいものが見当たらない。

いくら探しても、一枚もない。仕方ない。コンビニに行くか。

ついでに久しぶりにジャンプでも買ってこよう。と財布をとった矢先、

あまりに軽さに愕然とした。恐る恐る中身を確認しても、レシート以外は

入ってなかった。

もはや、履歴書を買う金も親に借りなければならない。

 

「今度雇ってもらえたら、そこにずっといなくちゃね。」

 

 

おそらくベンニー・ドロンでも作れない殺意がこもった

ナイフで心を刺されながら、家をでる。

店頭にはパート用と、普通用の二種類があったが

なぜか割高な普通用を手にしていた。

レジを打つ大学生ぐらいのバイト君。こんな若者ですら、社会に貢献しているというのに、僕は一体なんなんだ。

オサレなパーマがかかった髪から察するに、

これから限りない青春を謳歌するであろう存在を妬ましく思わないのが

まだ、自身への救いか。

 

要件は済ませたものの、まっすぐ家に帰る事が出来なかった。

窮屈な頭の中をさっきの言葉が満たしていく。

「お前は不当な扱いを受けている!反撃するべきだ!」

こうなってしまっては、しばらくは怒りが収まらない。

怒り発作を抱えた人間ができる行動はただ一つ、その場を離れる事

 

歩こう。

 

時刻は夜の8時過ぎ、線路沿いを歩きながら、「今日はどこへ行こうか」と考えを巡らす

せっかくだから、今までいった事がないところがいい。

「 ◯◯町の公園」いった。

「◯◯神社」いった。

「川沿い」あれはだめだ。夜は立ち入り禁止。

最初は楽しかった夜の散歩も、だんだん飽きてきた。そこで気づいた。

僕には元々目的地なんてなかったんだ。行き当たりばったりで生きてきた。

それがバチとなって今帰ってきたんだ。なぜか笑えてきた。

どこかで聞いたが、「笑う」というのは、脳が恐怖から逃げようとする作用

なのだそうだ。

youtubeで戦場の映像を見てくれればわかると思うが

やばい状況にいるにもかかわらず、彼らは笑い出す事がよくある。

まぁここはある意味で戦場だから、しょうがないか。

 

そのとき、僕の横を電車が通り過ぎていった。ちょうど帰宅ラッシュの時間帯で

車内に人がたくさん乗っているのが見えた。

 

こちらから見える。という事は、向こうからもこちらが見える。という事である。

彼らの視点から僕はどう見えるのだろう?

 

大量の人々に見られる僕。

この状況は何かに似ている。そう、サファリパークのバスだ。

 

まるで

「右手をご覧くださーい。あちらが、とうとうバイトすら受からない

この社会の クズでございまーす」

とガイドされているようだ。

 

なぜそんな事を思ったのだろう?

きっとこの、電車。という乗り物は、社会の象徴なのだ。

テレビでも再三放送されているが、日本の電車。というのは、世界に誇れる

物なのだそうだ。

いつも寸分遅れず、時刻通りに到着する乗り物。

人間の血管のように張り巡らされた路線。

 

朝早くからそのなかに

すしずめにされ、行きたくもない場所に行き、働く人々。

 

 真面目を絵に描いたような駅員。まるで、ロボットのようだ。

 

前に、僕が電車にダイレクトアタックしても、

 

「クズがっ!死ぬんだったら、他の所で死ねよ。」

 

という声が聞こえるだけど終わり。

という文句を書いたが、なぜ他の場所や、方法ではなく、電車なのだろう?

それは、ここで飛び降りたら、楽になれる。という考えもある。

 

ここからは僕の勝手な妄想だが、人身事故というのは、追い詰められた人々の

社会へのささやかな復讐なのではないか?

 

不平、不満があるにもかかわらず、それを口に出さない事は美徳だ。と

ある意味洗脳され、生き続ける人々。

そこからはじき出された自分。たとえば明日、僕が首をつっても、世界は何事もなく

進んでいく。

 

自分を追い詰め、はじき出した社会に

最後にせめて一死報いたい。それが、この日本の誇る電車。と

いう乗り物に体当たりする事によって

不平や不満を無視する世界への抵抗。

なんで俺がこんな目に会うんだ。と、愚痴りながらバラバラになった

手足を拾う駅員。

イラつき、舌打ちしながらスマホの画面を除く人々に

その声は聞こえるだろうか?

 

「明日はわが身だ。」と

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

警官が大嫌いって奴、集合。

今まで嫌いだったものが、大嫌いになった。ってだけの話さ。

一応、擁護のつもりだけど

幼稚園の頃の卒業文集。将来の夢なんですか?と聞かれて

警察官!なんて書いたりした事もあった。

子供の頃は憧れてたりしたよ。

 

 それまでは決して、ウゼーなんて思った事は大してなかった

自転車で帰る途中、なんでウーパールーパーが二足歩行してんだ?って疑いたくなる

ようなおっさんがぼくの前を遮って、「自転車の防犯登録を確認します」

って言った時、初めて「えっ!これ女!?」って驚いた事はあるし

その後、また別のやつと遭遇して

「さっき別の人が確認しましたけど。」

って言ったのに、まるで聞く耳持たなくて、また無線でどっかに確認し出した時は

こいつらバカなんじゃないかな。ってうっすら思った事もある。

 

一体俺は後何社の説明会に行けばいいんだ?って思いながらしてた就職活動。

右往左往しながら、会場を探しても、見つからない。しょうがないから

交番に聞きに言ったら、「◯◯」って場所に行きたいんですが・・・」

「住所が分からなきゃ調べようがないですね。」

その後、駄目元で聞いたタクシーの運転手の人の方がよっぽど道を知ってた。

勿論、人によりけりだし、運転手でも、客じゃない。とわかったら、

怒鳴りつけてくる奴も多いから、気をつけないとね。

 

だけど、特別な事がない限り、警官ていうのは、ただそこに立っているオブジェクトでたいした意味を持つ事はなかった。

 

なぜ奴らはあそこまで横暴なのか?

職務質問。思い返せば、これが初めてじゃない。

もはや、記憶の彼方すぎて、はっきりと覚えていないが、

確かあれは秋葉原で通り魔があったときの事だ。

 

その日のぼくは小遣いを貯めて買ったPSPモンスターハンター

自転車のカゴに乗せて、ワクワクしながら、自宅へと急いでいた。

そこで奴らが現れた。

「最近そういうのおおいじゃないですか」

「ナイフとか入ってたら困るでしょ」

もし、本当にナイフを持っていたら、その時点でおまえらを刺してるよ。

おまえらの嘲笑は

むしろ何ももってない。とわかっている余裕からくる物だろ。

それともなんかニヤついてるガキがキモいから、声をかけたのか?

まさか、何かの嫌がらせか?

それとも、当時の、『警察は一体何をやってるのだ?」的な世間の空気に対応するために

上司から設定されたノルマを達成するため?

 

 そして、人生二度目のクソ時間がやってきた。

その瞬間まで、本当に楽しかった。うまく書けなくても、あーすればいいんじゃないか

こーすればいいんじゃないか。そんな事考えてるのは、本当に楽しかったよ。

あんたがくるまでは。

 

ぼくは別にあなたがやった行為自体をとがめているわけではない。

確かに、平日の昼に、道の端に腰掛けて、絵を描いているなんて、まぁ

変なやつだわ。

俺が悪いのは、当たり前だわな。

俺が悪いよ。まったく。そこは降参だよ。

ぐぅの根もでねぇわ。

 

いちいち質問されて、職業は?「フリーターです」って言ったとき、

鼻で笑ったのも、まぁ、公務員からすれば、僕は底辺のゴミ虫だし、当たり前だわな。

電話番号を控え、免許証を見せろ。と言い出し、

住所をノートにとったげく、カバンの中を漁られた事も

別に咎めようとは思わないよ。

 

ただ、カバンの中身を引っ掻き回したあげく、何もなかったのなら、

「すいませんでした」とか

「失礼しました」ぐらいは言えよ。

 

ぼくが、こいつらを嫌いな理由は、人をはぐらかすのは得意なくせに

人に降りる。ってことができないところ。

 

他人の持ち物物色してるんだぞ。おまえは。

それとも、ぼくみたいな、ゴミにはその程度の対応でいいってか?

 

 

それとも、人のカバンを漁るのが日常茶飯時で、当たり前のことだ。

と思っているのか?

 

まさか、警察っていうところはその程度の常識も教えてもらえないのか?

飼い犬ですら、おすわり、お手ぐらい教えるだろうに。

 

みたところ40代後半。

「パトロールです」って自信満々に言ってるけどさ。

その年齢で、こんな新人がやるような仕事しか任せてもらえない。ってどうなの?

それとも、昇進試験落ちまくってこれ、なんてことはないよね。

まぁいいや。ぼくもあんたのことを言えるような立場じゃない。

 

 

だけど、今回の件で思い出した。ぼくが無職、引きこもりでいる理由を。

外に出たら、他人の言葉が、態度がぼくを殴ってくるから。

 

 

 

最悪なことが起こるのはいつも少し楽しいことや嬉しいことが起こった直後

だって事。

 

お前がいるべき場所はここじゃない。調子にのるな。

他人の邪魔にならないように、道の端っこを、もっと日陰を歩いてろ。

 

まるで社会全体がお前は、うつむいて、泣きながら、ここにじっとしていろ。

それが現実だ。

ぼくにそう言い聞かせてくるようで。

 

そうなってまで、生きていく理由も、もう見当たらない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どう考えたって、お前は神に憎まれてる。

「・・・・は、市の収集車です。・・・・今日は、・・・の収集日となっています。」

ゴミ屋がきた。朝だ。いいかげん起きなければ。

眠たい。寝ていたい。できればこのまま永遠に。

なんで夜は眠くないのに、今はこんなに眠いんだ。

まぶたが重い。体が重い。頭が重い。重たいな。全部。なんとか開けた目で時計を

みる。もう9時だ。いい加減起きなければ。眠い。眠いのに。

朝がきた。望みもしないのに。蝉の鳴き声がうるさい。絶滅しろ。

蚊の羽音がする。絶滅しろ。鳥の声がうるさい。

うるさい。うざい。

起きる。起きるよ。目的もないけど。何もしないくせに。なんで生きてる?

嫌なのはわかってる。飽きるくらいに。

テレビをつける。意味もない。けど、習慣化してしまった事は

なかなかやめる事ができない。

ひとりぼっちの空白を埋めたくて、毎日同じニュース、

同じような事柄を人を変えて喋っているだけなのに。

イナポン。大臣やめちゃったか。やっぱり女性に防衛大臣は無理だったんじゃ・・・

見た目、ドラマに出てくる。いじめっ子の親のPTA会長みたいだったから、

あまり好きじゃなかったけど。

それにしても、辞めるまで随分と間があったような。

コメンテーターがしたり顔でつぶやく。

「イナポンは安倍さんの肝いりで随分庇われていましたね〜」

なるほど、いつぞやエヴァのネクタイしてたおじさんは速攻で辞めさせられたのに。

この落差はなんだろう。

かごいけ

たぼがみ

今村復興相。

「我ら、生まれた国は違えども、総理に見捨てられた事は皆同じ。」

この人たちも案外取り替え可能のただの部品なのかもしれない。

 

部屋の中、暑い。煮込まれてるみたいに。クーラーをつけたい。つけられない

親に怒られる。電気代も払ってないくせに。となじられて、

大丈夫、コンセントから抜いてあるから待機電力対策はバッチリ。

うざい。うざい。社会が。人が。僕を追い出した世界が、涼しさすらえる権利がない

自分の身分がうざい。

なにもかも、繰り返し、うざい。

何かがぼくを追いかけ回している。手のようなもの。とてつもなく大きな、たくさんの。

姿が見えない。それがぼくを望ましくない場所へ引き戻す。

明るい場所に出たいのに、出ようともがいているのに。

ここからで出ようとしてるんだ。なのに出られない。

何かが、ぼくが外に出るのを許さない。ぼくを叩きつけて、そこにいろ。と

おまえのお似合いの場所はここだ。とぼくに命令する。ここに居たくないのに

全身がぼくに命令している。ここにいるのは良くない。ここに居るわけにはいかない。

ポジティブに生きていたい。もし、ぼくの真上に核ミサイルが降ってきても、

爆笑してしまえるほどに。

でも、できない。どうしてもできない。誰かが、誰もが、ぼくが

幸福になるのを許さない。気に入らない。ぼくを引き戻す。

暗闇の中でおとなしく

していろ。と

 

ぼくにふさわしい場所はここじゃない。と何度も抗議した。

なぜ聞き入れられない。と、どうしたらいい?

 

この場合どうしたらいい?もしぼくが受験のとき塾に通っていればまともに受験勉強

して、まともな大学に入っていたなら、対処方が書いてある

マニュアルをもらう事ができたのだうか?

あーしていれば、こーしていれば。そんな考えばかり浮かぶのは、

どーしていれば、社会の底辺にならなくて良いのか?を知りたいから。

そして、一回この場所に落ちてしまえば、這い上がる事はほぼ不可能だ。

カイジじゃないけど、人生は勝たなければゴミだ。

20代後半過ぎれば、いやでもそれを思い知らされる。

やはり聞きかじった話を引用するが

そんな事はない。という人間は、一回、うつ病無職になってみるといい。

この社会が、いかに幸せ者しか相手にしないかわかるから。

Twitterー詠み人知らず

 ぼくの人生はゴミそのものだった。一つ残念なのは、どこの業者も引き取って

くれない事。

自分の始末は自分でつけてください。アナウンスがそう言っているような気がする。

 

自殺。日本は若者の自殺者が世界で一番多い国。なのだそうだ。

一見不名誉なランキングだが、愛国者の意見を添えると

外国では、ドラッグにすがる若者が多い一方

日本の若者は犯罪を犯さず、自分の命に始末をつけられる。

なんて勇ましい国民性なんだ!

彼らの頭も中々スパークしてる気もするが、

 

確かに、トレインスポッティング時計じかけのオレンジ

シティ・オブ・ゴッドをみている限りでは

外国はヤク中しかいないというイメージがある。

今のところ行ってみたくない。

 

すがるもの。で

昔テレビのドキュメンタリーで渋谷にある

モスク(イスラム教の教会)を特集していたのを思い出した。

なぜモスクに行くのか?と聞かれた信者が

 

「日本の人、自殺してしまう人多い。なぜ?すがるものがないから。

悲しい。寂しい。苦しい。そんとき、私モスク行く。

神様聞いてくださる。みんないる。

日本の神様、すがれない。日本の人。ひとりぼっち。」

 

そこから、昔職場で出会ったバングラディッシュ人が言っていた事を思い出した。

 

うろ覚えだが、人間はみんな何かしら悪い事をしていて、そのままだと人間は

神に地獄に落とされる事になる。

しかし、ムハマドだか、モハメドみたいな名前の人。

イーノック的ポジション。多分)にマジごめんと謝れば、ムハメドだか

ハメドだかが、神様に、こいつ謝ってるから、許してつかーさいと口を聞いて

くれる。のだそうだ。

 

イスラム教徒が何人いるのかは知らないが、ムハマド氏も今頃苦笑いだろう。

 

そして、ぼくは、映画ファイトクラブ。のセリフを思い出す。

 

「自分が神に嫌われてるんじゃないか?くらいの事は考えろよ!

どう考えたって憎まれてる!

俺たちは望まれない神の子!ザマァーミロ!」

 

憎まれてる。となじっても、神が存在しない。と思えない所がやはり

キリストを信奉する人々の弱さか。

かくいうぼくも、神の存在を否定できない。

しかし、少なくとも、日本の神が、

困ったときにすがる事のできる。助けてくれる存在でない事だけは確かだ。

そこから考えるとぼくは確かに、神に憎まれている。

でも心配いらない。

然るべきときがきたら、自分で始末をつけるよ。