キリギリスはなぜ死んだ?

社会に、いらね。と言われた奴の最後のあがき

大人のための勉強法。効率的な勉強法とは。

前回の記事で、勉強がうまくいかない理由と、勉強を好きになる方法を書いた。

 

senbeibj59634hu.hatenablog.com

 

興味を持って見てくれた人は、内容うっす!とがっかりさせてしまったかもしれない

最初はサクッと読める要点だけを詰め込んだスマートな記事を予定していたけど

ノートに書いたまとめがまとまらず、一記事に納められなくなってしまったのだ。

 

そこで、「無駄にならない勉強法」からコピペした気づきを前回、「革命編」と

今回、「野望編」の壮大なスケールの2部作に分けてお送りする。

 

前回の勉強嫌い克服に対して

 

今回は、時間のない大人のための、効率的な勉強法について紹介するぜ。

 

大人のための効率的な勉強法、守破離勉強法

 

前回で、大人の勉強法は、「気づき」をへて、それを行動化していくことが大切

 

と書いた。なら、どう行動するべきか。そのヒントになるのが、守破離だ。

 

守破離(しゅはり)ってなんだ?

日本を代表する茶人、千利休のうたを元にした、学びの姿勢を示す言葉。

物事を極めるための重要な方法のまとめで

主に、「守」 「破」 「離」の三つのステージで構成される。

 

ざっくりとした解説

「守」 基本をそっくりそのまま徹底的に真似る     (初級)

 

「破」他の人や他の流派のやり方を研究し、さらに成長する(中級)

 

 「離」自分流のスタイルを探求し、前進する。      (上級) 

勉強の流れ

つまり、基本の習得→他のパターンを試す→自分流の確率という感じ。

 

たまに、教科書や入門書をみるな。というアドバイスがあるけど、あれはダメ。

 

 

 基本を知らない=「己を知らない」状態で勉強を始めても、守破離不適合となり

成長に繋がらない。

 

 ポイントは、「自分が学びたいこと」と「自分に必要なこと」を分けて考えること。

 

「学びたい」ではなく、「学ぶべき」必要な知識や方法を選ぶのが大事になる。

 

そのためには、自分への問いかけが必要になる。

 

自分がその分野の「基本」を抑えているか「守」

 

様々なパターンを身につけ、応用できるか「破」

 

基本も応用もすでに身につけていて、「自分流」を突き詰めているか「離」

 

そして、本を読んだり、セミナーに参加したら、学んだことを一つだけ実行してみる。

 

この記事を書いているのも、この本に書いてあった、アウトプットの一つだ。

 

それについては、後で説明するよ。

 

 入出力勉強法、ステップ1、概観

勉強に必要なのは、インプット、アウトプットであるのは前回話したとおり

ちなみにその割合は、インプット3:アウトプット7がちょうどいい。

 

さて

アプトプットするには、インプットが必要。そのために、ネットの情報や本を読む

わけだけど、君はどう読む?

 

僕は最初の端書きの段階から、一行一句漏らさず読んでた。でもこれは時間の無駄だ。

 本を読むときは

 

目次を見て、本のおおよその内容を把握し、本をパラパラとめくりながら

 

「その本で自分が最も知りたいことを先に読む」

 

知りたいことが書いてなかったら、次の本へ移り、知りたいことがあったら、

最初の一ページに戻りそこから読み始める。

 

 

人間の脳は情報をネットワークで記憶する。つまり、関連性のあるものを記憶するのは

簡単でも、関連性のないものを記憶するのは至難。

 

情報を記憶するときは、前後の脈絡や、全体の中での位置づけをはっきりさせる

 

 

 ここからわかることは、勉強は、全体から細部へ移っていくのが正しいということ。

 

過去問勉強法。

これから試験勉強する人で、過去問があるなら、まず過去問で出題された部分を

全て調べて、教科書や赤ペンで塗っていく。

 

ポイントは、選択問題であれば、正当以外の引っ掛け選択肢も、「出題された」

として、蛍光ペンで塗っていく。

 

そして、出題された部分をノートにまとめて、暗記していく。

 

それを優先して完璧に暗記する。過去問のある試験なら、間違いなく役に立つはずだ。

 

ボールペンは一週間で使い切る

ここで重要なのは、「手書き」ってところ。パソコンのタイピングでいいじゃん。

という人もいるだろうけど、手書きとタイピングを比べたところ

 

手書きで書いた方が記憶に残り、勉強の効果が高い。という研究結果があるそうだ。

勉強とは、体を動かすこと。ボールペンを一週間で使いきるぐらいが目安だそうだ。

 

同じように、単語帳だけを使う勉強法は、非常に効率が悪い。

 

頭の中で思い出す、想起は、思い出すだけなので、結局記憶に残らない。

 

単語帳を使うなら、カードを見たら、綴りを指で空中に書く。

あたかもシャドーボクシングをするボクサーのように。

生成学習のすすめ

そして、書けなかった部分を、重点的に記憶する。

 

間違えた部分はすぐに答えをみずに、間違えた理由を考える。これを、「生成学習」

という。

脳は、正解した問題よりも、間違えた問題を、強烈に記憶する。

なので、模試は積極的に受けた方がいい。

 

ただし、フィードバックは忘れないように。

 

ポイントは、「悩んだ問題ほど、記憶に残りやすい」ってこと。

 

フィードバックとスーパーアウトプット

究極のアウトプットとは、教える。

 

アウトプットのやり方で、一番効率の良いやり方は、人に教えることだ。

手っ取り早いのは、講師になって、セミナーを開くことだけど、人嫌いには敷居が高い。

 

そこで登場するのがこの学んだ内容をブログに投稿すること。ここでの投稿からの

あなたの反応が、最高のフィードバックなるというわけだ。

 

この記事が勉強嫌いあなたのなにかヒントになることを願う。

 

勉強の目的

一番大事なのは

「なぜ勉強するのか」「知りたいこと」「知らなければならないこと」を明らかにする

こと。

 

このブログは、メンヘラブログとして出発し、社会の常識に馴染めない叫びを

投稿してきた。今、この瞬間もそれは変わっていない。

 

僕が知りたいことは、「この社会がなぜこんなに生きづらいのか」

 

「社会を変える方法はないのか」

 

知らなければならないことは、「生きづらい社会でどうやって生きるのか」

 

それをどう知ればいいのか、どう考えればいいのかすらわからなかったけど

 

まずは、知り方、考え方を調べていく。

 

そして、今まで感じた、「なぜ生きてしまったのか」という

 

疑問の答えを見つようと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無駄な勉強から抜け出すためには。

この一ヶ月はなんだったんだ。片道一時間の帰り道、電車の中で感じる疲れ。

 

会社から資格の試験を受けろ。という命令をうけ、200問近い問題集を毎日解いて

この日のために備えていたというのに、20分でそれは無意味になった。

一ヶ月、遊んでいたわけじゃない。サボっていたわけじゃない。ならばなぜ?

勉強のやり方が間違っていたから。でも、何が間違っていたのかはわからない。

 

無駄な勉強法から抜け出すためにはどうしたらいいのだろう。

 

 無駄にならない勉強法とは?勉強がうまく行かない4つの理由。

 いつものパターンなら、ここから自虐が始まるけれど今回は一味違う。

ブログを書くのもめんどくさいくらい落ち込んでいたとき、

 

さっちゃんさんの記事が目に止まった。

 

ワイが勉強法を読み漁った結果「これはマジで天才になる」と思ったやつランキング! - 働いたら負け

無駄にならない勉強法の本を読みました。とても参考になりました。

2018/12/01 09:57

 

制作期間4ヶ月

ブログをかじった人間なら、彼の苦労がわかるはずだ。

論理的でとてもわかりやすい。ぜひ見てほしい。

そんな超大作を無断でパクるのも忍びなく、引用元として貼り付けている。

さっちゃんさんがもし不愉快でないなら、知のギャグマシーン

 

トータルテンボス風に、「かまわんよ」と返してほしい。

 

この記事の中で、

 

ムダにならない勉強法

ムダにならない勉強法

 

 という本が紹介されていた。今回のテーマである。

 

 

サンマーク出版かぁ・・・・という第一印象と、この手の本を読んでも

実になった経験がないため、気は進まなかったが、読んでみたら

自己啓発と上から目線は鼻に付くものの、この虚無感から抜け出すヒントにはなった。

 

 

 

 

著者の樺沢氏によると、大人の勉強がうまくいかないのは

 

  • 勉強が辛いと感じるから
  • 教科書、テキストがないから
  • モチベーションがなく、続かないから
  • ポイントがわからないから

 の4つの理由があり、これを乗り越えるには、勉強法を知ること。

 

この本の中で、いいな。と思ったセリフがある。

 

この世に頭の悪い人間はいない。勉強法を知らない人がいるだけだ。

樺沢紫苑 

 

 

 

「勉強法とは、勉強するための方法」ではなく

 

「勉強を開始するための戦略」であり、これを間違えると、いくら時間を消費しても

意味がない。

 

なるほど、つまり僕は一ヶ月、勉強のやり方間違えていたわけだ。

ならば、正しい勉強のやり方とは?

 

勉強が辛い=楽しくすればいい。

 

人間は楽しいことをすると、脳からドーパミンが分泌される。これは集中力と記憶力を高め、学習効率を大幅にアップさせる。

 

逆に、嫌いなことをすると、ストレスホルモン、コルチゾールが分泌され

記憶力を司る海馬の働きが低下する。

 

 つまり、「勉強しよう」という強制ではなく、勉強が楽しく、「やってしまう」

「やりたくてしょうがない」状態になれば、勉強は効率化するというわけだ。

 

理屈はわかった。しかし、夏休みの算数ドリルすら投げ出すレベルの勉強嫌いが

どうやって、勉強を楽しめば良いのだろう。

 

勉強を楽しくする=魅力を聞く

一番いいのは、勉強好きの友達に聞いて見ること。興味のないジャンルでも

その分野の面白さを教えて貰えば、新しい発見がある。

 

せやかて工藤。周りが勉強なんかしなくても生きていける。って人たちばっかだから

こんな生活してるんやろ。と返したくなる。

 

そんな僕らのために、「本」がある。勉強の好きな有名人の本を読んでみることで

勉強の魅力に触れられる。というわけだ。

 

試しに、著者の紹介している勉強法の古典「知のソフトウェア」に目を通した

触りだけでも感動する内容で、それについては別の機会に話したい。

 

池上彰氏も紹介されており、目を通したけど、やっぱりわかりやすい。

さすがCのこと、スィーっていう知識人である。

 

ほかにも、知りたい目的に分けて著者が紹介されているので、詳しいことは本を

見てみてもいいんじゃない。

 

勉強を楽しくする=脳を喜ばせる

 

もっとも学びが大きのは、知りたいことが3割り、知らないことが7割り書かれた本

 

情報はネットワークとして記録する、そのためには、「知っていること」が

ある程度ないといけない。

 

つまり、3対7の割合、「ちょい難」を選ぶのが脳に一番いい。

 

なるほど。ゲームでもダークソウルより、デモンズソウルの方が評価が高い。

難しい前作が好評だったからと難しすぎる次回作が好評とは限らない、

そこがまた難しい

 

 勉強が楽しくなる方法=脳に褒美を与える

 

脳は報酬を欲しがっている。そのためには、小さな成果を記録して、脳にご褒美を

与えるといい。例えば、英語のヒアリング時間や、問題種を何ページ解いたか

勉強時間そのものなど・・・

 

数値の変化や、微細な変化、ちょっとした成果でも、脳はドーパミンを分泌する。

 

毎日続ける。まとめて一気にやる「集中学習」よりも、毎日コツコツやる「分散学習」

の方が復讐の回数が増え、記憶に残りやすい。

 

たとえ短い時間でも、毎日コツコツやった方が、少しづつでも、結果がでる。

というわけだ。

 

勉強を目的化する。

 

勉強を無駄にしないために重要なのは二つ。

 

目標を決めること

 

気づきを得ること

 

目的地=勉強の目標を決め、どうなりたいか、獲得した知識をどう生かすか

を決めることで、最適な勉強法がわかるのだそうだ。

 

そのためには、「無知の知

自分が何を知っていて、何を知らないかを

明白にする。そうすれば、知らない部分を勉強すればいい。

 

それを、この本では、気づきと読んでいる。

 

そこから、自分は基本を学んで抑えているのか

様々ななパターンを身につけ応用できているのか

基本も応用もすでに身につけて、自分流を突き詰めているのかを

自問していく

 

そのために必要なのが、インプット、そして、アウトプットだ。

インプット、アウトプットの重要性。

 

大事なのは、アウトプット前提のインプットをすること。

 

あとで、アウトプットする。と分かれば、インプットも重要な部分のみとなり

無駄な学習をしないで済むはずだ。

 

「アウトプットとは」脳の中に入った情報を脳のなかで処理して外界に出力すること

具体的には、「話す」「書く」 「行動する」にあたり

 

話すより、書いた方が、記憶に残りやすい。

 

つまり、勉強の結果をだしたいなら、書いた内容を音読するとよい。

 

その後で、問題集を解いたりして、自分の知らないこと、を突き詰めていく。

ちなみに復習するタイミングは一回目が一日後

 

二回目が3日後

 

三回目が7日後といった風に

 

最初は早めに、その後、徐々に時を開けて復習するといい。

 

 

 フィードバックする。

 

インプット、アウトプットの間に必要なのが、フィードバックだ。

 

フィードバックとは、得られた結果を評価、考慮して、次のインプットに

修正を加える作業のこと。

 

問題集の間違えた部分を読み返したり、興味をもった本から、同じ分野の別の本を

読んでみるなどがそれに当たる。

 

フィードバックがないと、どれだけインプット、アウトプットを繰り返しても

空回りになってしまう。

 

大事なのは、「なぜ間違えたか」を自分で考えること。なのだそうだ。

 

 なぜこんな記事を書いたか。

 いつもと違う内容で、戸惑った人もいるかもしれない。なぜこんな記事を書いたか

というと、勉強を無駄にしない最大の方法は、知った情報を発信すること。

だと気づいたからだ。

 

ブログを書いても無駄なのか。という不安をなんども書いてきたけど

不安を考えても、考えるだけで何も変わらない。そしたら、これまでやってきたことが

本当に無駄になってしまう。それだけは嫌だ。

だったら、

何か一つでも、変える可能性があるのことをしてみたいと思ったんだ。

 

なにより、この一ヶ月、知らないことを知れたのは、嬉しかった。

もしかしたら、

勉強が面白いかもしれない、それがこの一ヶ月で得た「気づき」だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

空は誰のものでもない。

雨が降るのか、晴れるかわからない中途半端な天気、曇りは嫌いだ。

 

傘を持って出れば安心だけど、安心の重さを背負える余裕はない。

 白くもなく、黒にもなれない灰色で満たされた天気予報

どちらに転ぶかわからない不安を抱えながらも、テレビが言ったなら

大丈夫。3秒ルール並みの謎ルールと共に外に出て数十分

上を向いて歩いている僕とは違い道行く人たちは手元のスマホに夢中。

 

空の色なんて誰も気にしていない。

 

自分の頭で考えるのをめんどくさがった奴をこずくように雨粒が降ってくる。

行くにも戻るにも微妙なコンビニの、雨宿りするには少なすぎる屋根の下から

 

自動ドアの向こう、レジ横のビニール傘が目に入る。

いっそ買ってしまおうか。そんなことで、金を使うぐらいないなら最初から・・・

 それ以上はやめようぜ。ここで反省会を開いても、雨が上がるわけじゃない。

このまま突っ立ってる方が、よっぽど無駄足だ。

 

雨脚が強くなってきた。さぁどうすると煽るように。

 じっとしてるか。進んでいくか。正しいのはどっちだ。間違えたらどうする。

間違えるのは悪いこと?そうでもないさ。

 

予報士だって全国ネットで間違えんだから。愛嬌があっていいじゃない。 ねぇ良純。

 

 

歩こう。

 

歩く意味とか、辿りつく場所とか、わかってるに越したことはないけど

わかなくてもわかってても最後死ぬのは変わらないし、それでも気に入らないなら

わかるまで歩けよ。土砂降りの中を突っ切って

 人からどう見られるかだって?

冗談だろ。君は存在しているだけで、十分変だ。

ずぶぬれで歌っている姿を笑われてもいい。

 

歌おう。

 

悲しいときほど歌おう。苦しいときほど歌おう。

誰とも分かり合えないようなだれもかれもに置いてきぼりにされているような

みじめな気持ちの時は、歌おう。

 

 

 何をと?と聞かれたら、別にアニソンでもアイドルソングでもいいんですけど

でも僕はやっぱりブルーハーツ

 

あのもやもやした雲の向こうには青空があるんだ。雲で見えないだけ。

信じろよ。疑ってどうなる。気持ちが暗くなる。暗くなってどうなる。

始末をつけるか。つけられない。進めない。戻れない。脱落もできない半端者。

やめろ。それ以上続けてどうなる。

 

自分を嫌いな理由をこれ以上増やしてどうなる。

 

天気が悪い。

 

今日も曇り。

やるからにはふり切れろよ。それとも、これはお前だっていうメッセージ?

そうとも。世捨て人にも、金持ちにも、社畜にもなりきれない半端ものさ。

 

半端者は腰掛けのバイトに行きますよ。今日も昨日と同じこと。

6時半の駅前、おっさんがブツブツと喋ってる

階段の端に立てかけれた、横田へのオスプレイ配備反対!の看板が目に入る。

ぶっちゃけ、オスプレイはどうでもいい。うちに墜落してくれれば、くそったれな

日常を終わらせると同時に、悲劇のヒーローにもなれる。

こっちは地べたを這うだけで精一杯なんだよ。

空の上を何が飛んでるかなんて、誰も気にしてない。

そんな悪態が出る朝、一言で表すなら最悪。だからなんだ。

 

ある意味最高より幸せじゃん。それ以上落ちない。けどね。

お前だけじゃない。と言われても、俺以外幸せにしか見えないから落ち込む。

 雨雲の居座った日の夜に裏路地を歩くと、とても惨めな気分になる。

昼間は意識せず通り抜けられる距離なのに、ジメジメした空気と先の見えない暗闇のせいで、道自体が長くなったような気がする。

 

 

いつものようにはいかない。どうしようもない。

いや、ちがう。

間に雲があるだけだ。星は消えない。光はそこにないわけじゃない。

なんてことはない。気がつけば家の前に立っていた。

 

今日はたまたま見えなかっただけさ。

誰でも初心者

おでかけ日和と煽られると引きこもっていたくなる。

晴れているからといって、こちらの気分に変化はない。

特に目新しい情報があるわけでもないけど

部屋の静けさを埋めるためにつけたテレビがこの国の空は誰のものかと話していた。

僕の見上げた空を、この国の飛行機は許可なく飛べないそうだ。

「誰のものなんだ!」コメンテーターが怒っている。

わかりやすく線が引いてあればいいのか。

あんな広いものを持ちきれる人などいない。

 第一、誰かのものだとして、なんの問題があるのか。空なんて誰も気にしてない。

そんなつぶやきを考えたとき、ビデオの期限が今日だったことを思い出した。

ビデオ屋までチャリを転がす道すがら、

 

子供の頃からよく見るレトロなプロペラ、尾翼にはアメリカの国旗がついてる

 飛行機が飛んでいく。

 

容姿を観察できるほど低く飛んで大丈夫か。とも思う。だからなんだ。

空なんて誰も気にしてない。

 

ミリオタではないから、あれがどんな飛行機で何をするのかはわからない。

ただ、ビデオ屋の行きと帰りで、見える範囲をグルグル回っているから

練習なのだと思う。

 

切り返しのおぼつかなさに、初心者なのだろうという妄想をする。

車の免許を取る時、路上に初めて出た時は緊張したものだ。

 

軍用機に路上教習があるかは知らないし、初心者マークが貼ってあるわけでもない。

ただ、最初は誰でも戸惑う。乗っているのは人間。飛行機にのってるだけで、

彼のなにがわかるというのだろう。ただ見えないだけさ。

仮免講習の前の日に、緊張で眠れなかった日を思い出して、頭の上を飛んでいく

鉄の塊に乗っている奴も、同じではないかと思うと

借りたアメリカ映画の中で、雨に歌っている主人公の気分がわかった気がした。

 空は誰のものでもない

曇りの日は飛行機が飛んでいく。どんな種類かはわからないけど、飛んでいるのは

音でわかる。

 

雨か晴かわからない日の夕暮れ、珍しく夕焼けになったほうへ、見慣れない飛行機が

飛んでいく。目で見たことはない。でもニュースでは知っている。

オスプレイじゃん!一人でテンション上がってたけど、

通行人の誰も空なんて気にしていない。

さもあたり前のように、夕焼けの方へ消えていった。

 

この目で見れば何てことはない。ニュースは見えないから不安なだけ。

それだけさ。

 

曇りの日は嫌いだった。先の見えない不安に潰されそうになるから。

それでいい。不安なままでも、進んで行くべきだ。それが最悪だったとしても

持ちきれないものをねだるよりはずっと。

 

 

天気は思い通りにならない。空は誰のものでもないんだから。

 

備考

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一人で死ぬと覚悟を決めろ。

一人っ子って言うと、うらやましい。とか甘やかされてそだったんだろ。とか

もっと苦労しろよ。とか言われる。

 

そんな事はない。僕なりに苦労して生きてたし、一人っ子って事はそれなりの事情を

抱えているものだと思うんだけど、やっぱり本当に苦労している人は、親元で暮らしたりなんてしないで、自立して生きているし、真の苦しみと戦っている人は、ニートになったりしないだろう。

 

井の中のなんたらとよく言ったもので、自分の狭い部屋から空を見上げているカエルが

弱々しく鳴いたところで、誰に興味を持たれるわけもない。そもそも、誰が暗い井戸の

底を覗こうとするのか。

 

誰もいない。誰にも気づかれない。逆に言えば、他人の顔色をみたり、歩調を合わせたりする事がなく、自分の管理できる世界で、自分の思う通りに生きていけるそういうところは、ぼっちは優れている。

 

ここまで書いて気づいたけど、僕は他人と分かりあう日は、永遠にこない。だって他人に合わせるられないのに、どうして、他人に合わせてもらえると思うのか。

それでわかってくれる人を求めるとか・・・・・ちょっとわがまますぎやしないか。

 

「わかってくれる人」って書いたけど、一体なにをわかってほしいの。

低学歴職歴なしフリーターの身分なのは、なまけてたからじゃなくて、その先々に

あった、そこにとどまっていたら死んでいた。っていう状況から逃げ出して、後ろめたさを抱えながら生きてきたのを、正当化してほしいのかい。

 

それとも、これまで、何もかも中途半端だった自分を褒めてほしいのかい。

それは虫が良すぎない?

 

例えばさ。石につまづいただけで死にたいってわめいて、始めの数時間でうまくいかないって諦めて、それで世の中が悪い。俺は悪くないって毒づいてる奴を、君は好きになれる?

 

それとも、よく聞くように、「痛みを分かち合いたい」のかな?

他人の痛みなんて背負えるわけないだろ。痛みの意味すらわかってないのに。

認めるのが怖いんだよ。これまで生きてきた時に、耐えられない。逃げ出したい。

なんで自分だけが。と眠れない夜を過ごしてきた時間は、大したものじゃないって事に

 

その、自称耐え難きを耐えてきたっていう自信だけで自分を支えてきたのに、それは

結局、底辺の暗がりで広い世界を知らないで育ったからこその自己満足だって現実を

認めさせられるのが恐ろしんだ。

 

「させられる」ってのは、他人からもち込まれた価値観ってことだ。外の広い世界。

広いといっても、どこへ行ってもどこまでいっても、生きづらい常識に縛られた

社会、何時間もかけて書いた履歴書に数分で目を通され、鼻水で枕を濡らした夜や

心臓がひっくり返るような暴言を受けても、拳を握りしめて、ヘラヘラ笑った日や

外へ出ようとしても、足が玄関にへばりついて言う事を聞いてくれない情けなさに

 

なぜそんな事もできないのかと己を呪った朝の長い長い数十年を、数十分しかあった事のない赤の他人に採点され、したり顔で社会の常識を説教される拷問に対して

不公平だ。とこぼす事に、それは全部、お前が努力してないのが悪いんだ。と

全人類に口をそろえられているような、あの、なんと表現したらいいのかわからない

もう、本当に独りだ。という気持ち。

 

そう。結局、他人は敵なのだ。周りを硬い堀で囲ったのは、外敵から身を守るためだ。

社会標準に合わせられない人間は、社会から身を守るために、孤独を選んだのだ。

大衆からみると、ヤバいやつかもしれないけど、独りってのは、結構勇気が要るもので

誰でもできる事じゃない。聞くところによると、うちうちにこもるのが世の中の流行りなんだって、あれ、そう考えたら、ある意味、大衆派なのかな。

 

まぁいいや。あれ・・・なにを書こうとしたんだっけ。忘れちゃった。昔はノートに

しっかり考えをまとめて書いてたんだけど、そんな力んでも、更新できないから

ノープランでパソコンの前に向かってる。

 

そもそも、小説家とかプロブロガーとかじゃないんだから、もっと軽い気持ちで書くべきだったんだ。君だって、緩いノリの方が好きでしょ?

 

これこそ、チラシの裏に書いとけよってね。読むのはだるいだろう。でもさ。

誰も読まないだろう。くらいに力抜いて書いたほうが、気が楽だよ。

少なくとも、皮算用してがっかりするよりはいい。

 

大海を知ったとして、知ったところでどうなる。この世にはどこもかしこも、

クズ。の一言であしらう奴らばかりじゃないか。否定する人間は山ほどいるのに

肯定してくれる人は一人もいない。

 

昔はね。他人は無理でも、血の繋がった人ならわかってくれるんじゃないかぐらいに

希望を持っていた時もあってね。

 

なにもかもうまくいかなくて、この世はなんでこんなに苦しんだ。何もかももうだめだ

ママンに相談して、帰ってきた答えは

 

「彼女でも作れば」だったからね。

 

ふざけるなよ。目の前の問題は何一つ解決してないじゃないか。

第一、ストレスのはけ口にされる女性にも失礼だ。

 

いや、女子にもてたいのはもてたいさ。もてたいよ。もてたい。四回も書くほどだ。

相当もてたいんだろう。そして、もてないんだろう。その通りだ。

 

街を歩いていると、キャワイイギャルが通りすぎるたびにガン見する自分が情けなくて

しょうがない。しかし君だって、美人をみると心ときめくだろ?

少なくとも、死にたい。とか言うよりは、ポジティブだ。

 

こんな子が彼女だったら。とか、思う。でもさ。かわいいって事は、それだけその子も

努力してるって事だよね。

 

スタイルいい。って事は、ダイエットしてる。って事だし、髪綺麗だなって事は

高い美容院行ってるって事だし、かわいい服だな。って事はそれなりに高い服着てる

って事で、なんでそんな努力してるかって言うと、それに見合うイケメンか金持ちをゲットするため。なんだよね。

 

見た目ジャバ・ザ・ハットの底辺にキモい目でガン見されるためじゃない。

彼女の目に僕は映らない・・・・僕はステルスか?

 

これ、通報とかされないよね。ネットで公開するって事は、女性も見るわけでしょ。

別にいいか。いや、通報は勘弁だけど、生まれてこのかた、キモい、臭い、しね以外の

言葉をかけられたことがないから。

 

そう。見た目美人といっても、内面まではわからんぜ。いいのは外側だけで、心は醜いなんてざら。かわいい子は性格いいなんて嘘ですよ。奥さん

 

それはクラスのいけてる組から目の敵にされてきたから自信を持って断言できる。

 

野山に咲く花は、野に咲いているから映える。

素晴らしい名画は、額ぶちの中にあるからこそ、素晴らしい。

 

美人も同じ。遠くから見ているからこそ、美しい。

 

ひきこ持っているカエルも同じ。外の世界を知らずに、あれこれ想像をめぐらして

頭の中に天国を作れれば、それで幸せじゃないか。それにこの暗闇だかこそ、

空の高さが身にしみる。

 

井の中の蛙大海を知らず。されど空の青さを知る。

 

 

僕は一人だ。だからこそ、この景色を、自由を独り占めしている。

どうだい?うらやましいだろ。

 

 これを手放すくらいなら、一人で死ぬと覚悟を決めるさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人生に疑問しかない。

何のために生きているのだろう。わからない。これだからこうだ。という答えを

ここで言えればいいんだけど、選んできた道のどこにも、それはなかった。

 

「何のために」

 

目的は大事だよ。漫画のヒーローだってそうでしょ。

ルフィもナルトも「俺はなる」て言えるからかっこいい。

まぁ、元からヒーローってタイプじゃないし、そんなもの必要なかったのかも

べっ別に、うらやましくなんか・・・・ないんだから・・・

 

事件、事故で急な不幸がないなら、時間は瞬間のように過ぎていく。

目的って書くと身構えてしまうけど、考える内容を別に分けるって事かもしれない。

放っておくと頭の中は、慣れた毎日を疑い始める。

 

毎日、毎晩、毎週、頼んだわけじゃない。好きでやってるわけじゃない。

でも、テレビ、ネット、新聞、他人・・・いろんんな価値観が流れ込んでくるうちに

 

足元の安定性を疑い始める。見た目は硬いアスファルトでも、しっかりしてるのは

ガワだけで、中身はテキトーに舗装されているんじゃないか。この道は本当に

アスファルトなのか。とか、そもそも、しっかりと舗装する必要があったのかとか

ただ歩いているだけの奴にはどうにもならない事ばかり考える。考えるな。って考えれば、考えるほど、考える。まったく。困ったもんだ。

 

何のために生きてるんだろう。何のために・・・・生きるために?こんなに苦しいのに?生きていたいの?それとも死にたいの?ならなぜ死なないの?言葉にできない。

わからない?もうわからなくて良くない?

 

どうしたらいい。誰に聞いてる。誰かが答えてくれると本気で信じているのか。

ただの痛い奴と思われて終わりだって事は、今まで痛いほどわかっているだろ。

わかってるよ。誰かに聞いても、誰も答えられないような疑問だからだ。

 

なぜそんな事ばかり考えるの、今している事を疑うの?自分の居場所はここじゃないって思ってる。別に俺じゃなくてもできる事。俺がいなくても成り立つ仕事。

俺はただの部品と考える。とどのつまり、なぜ働いているのかわからないんだ。

 

生きていくため。正確には、生きるために必要なものを得るための金を得るため。

逆に言えば、金さえあれば、働かなくていいんだ。俺にもハンターライセンスがあれば

ヤフオクで売れば七代先まで遊んで暮らせるってマジ?

 

金。金ってなんだろう。最近分かってきたのは、生きるために必要最低限の金はそこまで多くはなくて、残りはそれを得るために費やした時間やストレスをとり返すために

消費するためのもの。金っていうのは欲しいものを買うためのものなわけだけど

 

欲しいものがない・・・・そもそも、そこまで生きていたくないわけだから。

例えばトニースタークと体と心が入れ替わってる!ってなっても、嬉しくないし

鉄とチタンの合金できたスーツで悪と戦おうとは、しないだろう。

強いて言うなら、ゴミみたいな自分でも、心からわかってくれる人が欲しかったね。

それはお金で買えないでしょう。僕の欲しい物はお金じゃ買えない。

 

そして、お金で買えない物を手に入れられるほど、自分に価値があるかと聞かれたら

ない。と即答できる自分が悲しい。絶望的な答えはすぐに出てくるのになぁ。

なぜ、前向きな、希望に満ちた答えがどこにもないのだろう。もうたくさんだ。

こんな物を書きなぐるのは。かといって、これをやめれば、ガスが溜まった部屋みたいになる。火花が散れば、その瞬間に大爆発。いままでそうやって、取り返しのつかない

物を失ってきた。それを思えば、今はよくやってる。

 

希望が見えない。明日を迎えるのに張り合いがない。どうしたいい。

どうすれば、未来を信じられるのか。どうすれば、今、生きている「だけ」の人生を

認めることができるんだ。

 

もしかしたら、これまでと別の道を進めば、何か見えてくるのじゃないか。

わかってる。けど、凡人から普通の道を選ぶなってのは、

綱渡りの経験がないのに、ギネス級の高さに貼られたロープを渡れっていってるような

もので、踏み出した瞬間に強風にあおられ谷底に真っ逆さま。それでどうなる。

 

誰の心にも残らない。みんな馬鹿な奴もいたな。ぐらいで終わりでしょう。

でも、どこにも行けないクズには、彼の勇気の価値がわかってる。

誰に評価されなくても、己の道を行ける人は素晴らしい。

 

 

そろそろ付き合うのがめんどくさくなってきたんじゃないかい?そもそも、こんな

ところまで読んでくれてるの。そんな事まで心配してどうするよって話なんだけどね。

ここまで来たなら、なにか気の利いた事を言えるのが、一流なんだろうけど、全く

思いつかないよ。すまんね。

 

つまんねぇのは百も承知だけど、書いてる時は、しがらみもない世界にいられる気がするんだ。特別な人間になりたいとか、人気者になりたいとか、

このブログで金を稼ぎたいとか、ここまでの内容のひどさを見ればそんな事

思ってないのわかるでしょ。

 

これまでの経験でわかったのは、これはこうだ。ってわからないなら、そのままで

いい。って事、無理に結論を出すよりも、うじうじ悩んでいる奴のほうが僕は好きだな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブログがマンネリ化している。

文才がない。書けない。と愚痴りつつ、やめるにやめられず続けてきたブログも

今月で3年目になる。何事も二年でリセットするクズとしては新記録だ。

死にたい〜とか、死ぬ〜とかメンヘラかまってちゃん丸出しの記事ばかりでも

目を通してくれる人がいたからこそ、ここまで続けてこれたのだと思う。

 

そこは素直にありがとう。と伝えたい。

 

生きているだけで疎まれるゴキブリのような内容でもしぶとく生き残ってきたけれど

最近困っている。書き始めた時は新しいアイデアと思っていたのに、途中まで来ると

「あれ、これ、前も書いたんじゃね?」と気づく。

 

同じ文句の繰り返し、俗っぽい言い方をすれば、ブログがマンネリ化しているのだ。

それはつまり、世間体の悪さに耐えきれず小さな部屋の中で窓とドアを閉めきり

動けない弱さを社会のせいにして心を保っていた頃から変われていないって事。

1mmでいいから何か変われ。良い事がおこれ。頼むから誰か気づいてくれ。

 

俺はここにいるんだ。

 

時間と距離を置いた今だから、うわぁ・・・・・と感じるけど

前のめりでキーボードを打っていた時は、減る一方の貯金より大事だった。

自分の世界に引きこもれば、外敵に襲われる心配はない。

でも、四畳半が世界の全てになると、心が狭苦しくなり、我慢できなくなる。

 

誰にも会いたくないのに、誰かと繋がっていたい。

 

上司、同僚、親、友達、周りの誰かにおかしいよ。と言われた心の叫びを

おかしくないよ。と言ってくれる方はいませんか。

看守と化した知人から逃れ、常識の壁で囲われた世界から抜け出したい。

 

ネットを通じていろんな人の、多様な考えに触れて心が軽くなったのは確かだ。

 ここは広くて居心地がいい。だからこそ現実世界との差の激しさに苦しむ

社会で生きるのは厳しい。生きる理由を根こそぎ奪われていくような感じだ。

 

もちろん、社会から外れて生きていく方法があるのは知ってる。でもできない。

生まれてこの方バカ真面目だけが取り柄で生きてきた。

他人は関係ない。自分を常識で縛っていたのは、自分自身だった。

 

別に激務でもなんでもないのに苦しい。辛い。死にたい。わがままなのはわかってる。

そんな非生産的な考えをしても仕方ない。でも、考えるな。考えるなと念じるほど

頭は暗い想像をする。

ほら、眠ろうって思うほど、眠れなくなる時、あるでしょう?あれと同じ。

 

ほうっておくとぐるぐる回っていく言葉、そのガス抜きとしてブログを使う。

そこでまた、ブログを書く意味を見失う。これは他人に見せるべき内容なのかと。

 ただのガス抜きなら、ノートに書きなぐって終わりにした方がはるかに効率的だろ。

 て、これも前に書いたことあるな。引き出しが少ないというか、なんというか・・・

 

だからといって、悲しみや苦しみに蓋をして、ピエロになれるかと聞かれてもな。

「これは果たして世に出すべきなのか」そう考えたら、永遠にブログなんて書けない

 どうしても誰かに伝えたい。他人に屁を嗅がせてどうなる?心の中の常人のささやきを

無視して、ありのままの姿を見せてきたからこそ、ここまで続いたと信じる。

 

苦労が存在しない世界なら文句は言わない。

 

でも現状はみんなの見ているまばゆい光と真逆の世の中だと感じてしまう。

少なくとも、大衆の言う、美しい国の存在をまだ実感できていない。

人間は闇を恐る生き物だからしょうがない。

町はネオンに包まれたけれど、星明かりの美しさを消してしまった。

 

 

一つの苦しみも悲しみもない世界は、害獣の存在を許さない。

ドブネズミの素晴らしさは写真には映らないからだ。

 ちなみにリンダとは、スペイン語で美しいという意味がある。

 

同じように、死ぬとか、死ねないとかは世の中の人達には汚らしいゴミなのだろうけど

 

クソみたいな自分を変えるために、悲しみや苦しみと向き合う場所を必要としている人にとって、なくてはならないものだ。

 

できるなら、今まで書いてきた記事が、暗闇を進んでいるあなたと一緒に歩いている事を願う。

 

今後の方針

 

嘘はつきたくないと言ってみたけど、現状が気に入らないのも正直な気持ちだ。

これまでは、このままじゃダメだ。という葛藤だったけど

 

今はなんというか、うまく言葉にできない、「ああ、またこれか」的な感じ。

もちろん、目の前にある問題が解決した訳もなく、不安は据え置きなんだけど

膿を出し切ったというか、これまでの焦りとは違う何かだ。

 

変えなくちゃ。ではなく、変えてみようか。という感じ。

 

かといって、いきなり逆サイドに切り返しても、足をくじくのは目に見えている。

ならどうしよう。うーん。わからん。

 

最近だと詩を書いてみようかと思った時もあった。

amazarashiのPVに出てきた中原中也の詩集を読んで、意味はわからなかったけど

わかりたいと思える共感力と、無駄をそぎ落とした言葉のミニマリズムを感じた。

 

そして、数行で読み終えるからこそ、何回も読み返せる手軽さもある。

一記事2000行は多すぎじゃねと思っていたから、中也には求める全てが詰まっていた。

 

(もちろん、ブログを書くのは好きだけどね。)

 

本当は好きじゃないんだ。こういう、本題とかけ離れた独り言を書くのは

でもまぁ、今回はとにかく、数字を考えないでのびのび書くっていう目的があったから

それはそれでOK。

 

余計な事を考えないで、書きたいままに書くと気持ちがいい。もちろん自己満足と言わればそれまでだけど。

 

今後どうなっていくかはわからないけど、ブログをやめない。とは言っておこう。

誰も求めてないなんていいっこなしだよ。

だってここは、飽きっぽい僕らの変えた、たったひとつの世界なんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ニートは死ぬべき? 死にたい人は死ねば救われるの?

ニートはなぜ死ぬべきなのか?

 

ニートは健康だ。心以外は。体が健康なら自立して当たり前。

 

大人になっても親にたかっているニートは、社会的には、死ぬべきだろう。

 

「 親に迷惑をかけるな。」多数派の常識だ

 

また、迷惑か。

 

こっちだって好きで生きてるわけじゃないし、産んでくれと頼んだ覚えもない。

 

絶対的優位な正論の拳から逃れたくて、出たのは子供じみた屁理屈

 

言っても無駄。あの日腹の底に押し込めた言葉も、今は無駄じゃない

 

ネットユーザーの努力で少数派が声を上げられる社会になり

 

根拠のない俗説に基づいた多数派の常識は非常識になりつつある。

 

しかし、ニートが人間ではなく、寄生虫である事に変わりはない。

 

いくら毒親を恨んでも、宿主がいなくなれば、自立を迫られるのは事実。

 

養ってくれる人が居なくなった後、どうやって生活費を稼ぐ?

 

真っ白な履歴書を鼻で笑われ、怒りに燃えても失くした時間は戻ってこない。

 

 生きるためには必要な金を得るために働かねば。なのに

 

常識にそった生き方から1ミリでもそれれば、働きたくても働けなくなる。

 

先の事を気にしてもしょうがないんだけど

 

暇だけはあるニート。考えまいとすればするほど

 

思考の壁にせき止められた不安は溢れかえり

 

雨漏りのように暗い想像が頭の隅から染み込んでくる。

 

消費するだけの時間、動けない焦り、不安、現状、絶望・・・

 

殺虫剤をかけられたような息苦しさはどうしたら無くなるんだ。

 

「なら、息をしなければいいじゃん。」

 

なるほど、つまり、生きるなと。

 

そもそも、クズにとって、生きるのは苦痛だ。人生は地獄だ。

 

むしろ、死んだ方が楽だと思うほど。

 

それなのに、無責任に「生きてたほうがいいよ〜」と連呼する輩のなんと多い事か。

 

彼らは生きるのは素晴らしいという常識に目を眩ませられている!

 

 

価値観が多様化している現在、無条件で「生」=「善」にするのは意味がない。

 

 

 生きる上で避けられない不安や孤独、絶望、尽きない悩みは、死ねばなくなるよ。

 

自由のない人生は、苦痛でしかない。

 

神は魂の強い奴ほど、そばに置きたがる。

 

だから生きるべき人ほどあの世へ行く。

 

それを証明するために、おばあちゃんの話をしてもいいかな。

 

 彼女は僕にとって母親代わり、いや、母親そのものだった。

 

 

 笑っている顔しか思い出せないほど、明るい人だった。

 

家にいつもいて当たり前、まるで空気のような存在。

 

終わるのがもったいないくらいの日常、今とは大違いだ。

 

 もしかしたら、全て上げて落すための誰かの策略だったのかもしれない。

 

 とにかく、あんな日がくるなんて、想像すらしてなかった。

 

その日は天気が悪くて、足元が滑りやすく、おばあちゃんは転んでしまった。

 

その時はなんともなかったけど、じわじわと悪魔は迫っていた。

 

最初は腰が痛い。程度だったのに、翌月には、足が思う通りに動かないといい

 

 

三ヶ月後には、杖をつくようになり、半年後には散歩にすら行けなくなって

 

1年経つと毎朝体が痛くて仕方がないとこぼし布団から出る回数が減り

 

ニ年経ったとき、電動ベットの力なしじゃ起き上がれなくなっていた。

 

ベットに寝たきりでいると、動けないストレスで、精神を病んでいく。

 

他人に頼まなきゃ寝返りすらうてない情けなさ、終わりのない痛みに心は壊れていく

 

朝は眠っていて、夜中の2時、3時に、大声で叫びだす。

 

内容は支離滅裂で聞けたものじゃなく、黙っててくれ。と怒鳴ってしまった。

 

当時は眠れないなんて事はなかった。今なら何時間でも付き合うのに。

 

一番きつかったのは排泄物を壁に投げて遊んでいた事。

 

おばあちゃんはお手玉だといった。自分が何を持っているのかすらわかからなくなり

 

まるで別人に取り憑かれたように口汚くなっていく。

 

廊下に投げ捨てられたうんこをティシュで拾う毎日。

 

こんなことがいつまで続くのか。そう考えた時に

 

すまない。白状するよ。

 

あってはならない考えがよぎった。

 

 

早く死ねばいいのにと。

 

 

断っておくと、介護の全般を担当していたのは母さんで

 

僕はほとんど何もしていない。

 

ただ、客観的に見て、介護はきつい。

 

よく、職がない人に、介護にいけばいいじゃん。と安易な答えを出すやつがいるけど

 

平和ボケしすぎ。身内ですら無理なのにそれを最低賃金でやるなんて・・・・・

 

人生百年時代という割に、バックアップはおざなりだね

 

お前にありがたいお国の崇い思想がわかるものか!って?

 

正解だ。死ぬべきクズは僕でおばあちゃんではない。

 

もしかしたら、そんなクズの考えを見透かしていたのかもしれない。

 

おばあちゃんは次第に、死にたいと呟くようになった。

 

でももう、死ぬ元気すらなかった。

 

 終わらせる自由すらないなら、人生はもう、苦痛でしかないじゃないか。

 

 寝たきりになって3年目、おばあちゃんは隣町の病院に入院した。

 

翌週見舞いに行った時には、喋りもしなかった。

 

幼稚園の帰りに、昔の歌を押してくれた

 

小学校のとき、傘を遊んで壊したときに、物を大事にしろと怒ってくれた。

 

中学の同級生に制服を破られたとき、転んだと行ったら、そうか。で終わらせてくれた

 

高校の制服を着たとき、ベットの上で、飯代はあるのか?と聞いてくれた。

 

いつも笑っていてくれた、あの人はそこにいなかった。

 

 

それはもう生きているとは言えない。もし言い張るなら、生き地獄でしかないよ。

 

その年の冬、母さんが他人には任せておけない。ということで、再び自宅に戻った

 

そして4年目の春のある日、朝起きたら、母さんがおばあちゃんを呼んでいた。

 

幸せそうに眠っていた。もう、一切の苦痛に悩まされずにすむ。

 

まるであの日のおばあちゃんが戻ってきたような顔だった。

 

ニ度と笑ってくれることはない。でも、彼女を見ていると

 

楽しかった思い出が刃みたいになって、心を刺してくる。

 

残ったのは、やるべき事をやれなかった後悔。

 

 同情されたいアピールにように涙をこぼしても、それを取り返す事はできない。

 

泣くな。泣くな。泣くんじゃないよ。男じゃないか。

 

泣いて昨日がくるじゃなし。

 

あの日わかった。頑張っても意味はない。なら、なぜ生きなければならない?

 

あの日からずっと、なぜ死ねないのかを考えるようになった。

 

 これが俺のニート思考のオリジン。

 

人の死を言い訳にして、めんどくさいことから逃げようとしたのを、

 

神は見透かしていたのだろう。

 

それまでの楽しさを取り返すように死ぬべきクズの地獄が始まった。

 

この世はブラック企業と同じだ。まともな人からログアウトして

 

死ぬべきクズが残される。

 

 

クズにとって死は救いだ。

 

ここまでニートについて話したが、安心してほしい。

 

ニートでなくなっても、死にたい気持ちが消える事はないから。

 

生きたくても生きれない人がいるように

 

死にたくても死ねない人がいる。

 

死ぬべき人は健康だ。心以外は。健康なら、自分のケツを自分でふくことができる。

 

その気になれば、死を選択できる、これは本当に幸せなことだ。

 

生きているだけで素晴らしいという人もいる。それも間違いじゃない。

 

ただ、死ぬべきクズが自分を客観的に観れることは評価すべきだと思う。

 

少なくとも、事実から逃げて、深夜アニメとか見てる萌え豚よりマシじゃないか。

 

おっさんが考えた甘い言葉を小娘の拡声器越しに浴びて無駄な金を搾取されるより

 

丈夫で長いロープを買ってきて、自重を支えられる縁を探した方が

 

はるかにコスパがいい。

 

 

自分の惨めさを嘆き、世の非情に頭を打ち付けているやつの方が百倍価値がある。

 

 むしろ、この世は死ぬべきクズである自覚すらない奴ばかりのさばる

  

真の死ぬべきクズは、自覚すらせず、今日ものうのうと生きてるっていうのに!

 

ろくな社会経験をしてない奴が社会を語るな!と言われたらそれまで。

 

だとすれば、逃げ道をたどった先にある袋小路途方で途方に暮れてたんじゃ遅い。

 

どこにもない楽園から抜け出して、どうしようもない自分と向き合えよ。

 

男の本懐は自己破壊だ。

 

筋繊維の破壊、筋トレが最強のソリューションなのも頷ける。

 

苦しい生よりも、死が救いになることはある。

 

だからこそ、あなたが救われるのは、まだ早い。

 

 

 

自分が死ぬべきクズだとわかっているならなおさら

 

 

寿命の尽きる、最後の一秒まで

 

生の苦しみをじっくりことこと味わいたまえよ〜