キリギリスはなぜ死んだ?

社会に、いらね。と言われた奴の最後のあがき

物の豊富さは人生の豊かさと同じか?

立派な一軒家だった。周りを囲むその他の家々に引けを取らないぐらいの。

同時に見栄っ張りがひしめき合っているせいで、

日当たりは最悪。あたりを塀で囲まれているような立地

ある意味、刑務所のようだ。何十年のローンがあるのかは知らないが、

前の持ち主が完済できなかったせいで

中古に回され、彼が手に入れたマイホーム。

それが夢だったかは知らない。けど、自分も

前の住人のようになるのでは。と疑わなかったのだろうか?

住宅ローンに苦しむ家主のストレスを吸って佇む憧れの我が家。

ある意味、いわく付きの物件と同じだ。

そのうちホラー映画になるかもしれない。

 

なんで僕はここに来たんだろう?お盆だから仕方なく。と自分をごまかして

見たものの、本当は興味があった。

彼がどんな家で暮らしているのだろう?という好奇心。

そして、何かが変わるかもしれないという淡い期待。

ここではないどこか、今いる環境を変えれば、

自分が変わる事ができる。という安直な 妄想を捨てきれずにいる。

 

行動しない限り何も変える事はできない。しかし、行動するのは、疲れる。

もう、僕はダメだ。疲れ切った。もう動けない。そんな駄々をこねても

1日は過ぎて、引き返せない後悔に変わっていき

僕を着実にゲームオーバーへと近づけていく。

 完全に理解する事などできないし、する気もないが、

もしかしたら、刑の執行を待つ死刑囚が

こんな気分なのかもしれない。

 

とりあえず。と通されたリビング。

とにかく、僕が生活している部屋とは比べものにならないほど

物がたくさんあった。

椅子には腰が痛くならないように、クッションが引いてあるし

テレビは電気屋の特設コーナーに置かれているようなデカさ。

冷房をつけているのに、扇風機まで回せる余裕。

ちっぽけな見栄を貼れば、昔、まだおばあちゃんが生きている頃は

それぐらいの余裕があった。いろいろな意味で。

ここにはない物はない。人が生活する上で必要な物が全て揃っている。

 

テーブルの向かいに座っている彼、僕らは互いに目を合わせない。

もちろん会話など生まれる訳がない。

僕は別に悪意がある訳でない。ただ、なにを話せばいいのかわからない。

テーブルの向こう、たった数十センチの距離が、とてつもなく、遠くに感じる。

テレビでは、「君の名は」のブルーレイのCMをしていた。

流星が飛んでいくのを見つめている女の子。見たことがない映画だが

そのシーンは綺麗だ。と思った。

 

父さん。知っていますか。空に浮かんでいる星の光。あれはリアルタイムで

写っている物じゃないんですって。この世で最も速い光ですら、

この広い宇宙を超えるには、何十年、何千年もかかる。

でもどんなにか細くても、僕らはそれを見ることができる。

たとえそれが、千年以上前の姿だったとしても。

 

それを考えたら、僕らの間にあるこの距離はなんでしょう?

すぐ目の前にいるあなたが、とてつもなく遠くにいるのは、なぜでしょう?

たかが、20数年ですよ。

それとも、人間はその程度の距離を埋めることもできないのでしょうか?

 

 

結局、そのまま、逃げ帰ってきたいつものボロ小屋で

カチャカチャ、キーボードを打ちながら、思い返してみると

あの家には、パソコンがありませんでしたね。

まぁ、はっきりいって、必要なツールだとは思えないけど。

 

あの場所は物で満たされていたけれど

あなたのやつれた頬と、僕に、嫌味をいっていた時とは比べものに

ならないほど小さくなった体を見ていると

あなたの人生がますますわからなくなってきます。

人間の幸せとはなんなのか?

 

貧乏人の負け惜しみと思ってくれて結構です。