その人生に価値はあったか。
夕方のニュースで死刑囚の死を報じていた。
かといって、刑を執行されたのではなく
がんに侵され、症状を和らげる治療を受けた末で一生を終えた。
ネットニュースを流し見しただけでも、極刑になる予定の身分だけあって
かなりの凶悪犯。
被害者や遺族を思うと罰を受けずに逃げ切ったような気もする。
判決を受けた2007年から
約9年、彼はどんな気持ちで過ごしてきたのだろう。
誰かの命を奪い、誰かに自分の命奪われる。死ぬ順番を待ちながら生きる。
その生活に恐怖はなかったのか。
近づいてくる死神の足音を恐れながら余命を消費する事こそ罰なのだろうか。
彼の命はなんだったのだろう。
金持ちから財産だけでなく、命を奪って、捕まって・・・
価値のない命はない。というなら
彼の命の値打ちはいくらか。その人生にどんな意味や価値があったのか。
わからない。
死・・・「死ぬ」とはなんだ。
死ね。死ぬ。死にたい。死ねば。日常では、今も挨拶のように飛び交っている言葉。
でも、その本質を知っている人は、どれくらいいるのだろう。
書いている本人には、わからない。
それでも死を遠ざける理由
何を「死」と呼ぶのだろう。
どうなったら僕らは「死ぬ」のだろう。
瞳孔に光を当てて小さくならなかったら。専門の機械を使って、「生きている」
といえる反応をしなかったら。
もう動かなかったら。体が腐り始めたら。
見えなくなる事。会えなくなる事。どれも、「生きている」側からの見方ばかりで
本人には関係ない物ばかりだ。
「死ぬ」という状態の経験者に話しを聞ければ早いけど
2017年現在それは実現していない。
死
それを迎え入れる日の僕に、死刑囚以上の価値はあるのだろうか。