キリギリスはなぜ死んだ?

社会に、いらね。と言われた奴の最後のあがき

どうして死にたくなるのかな?

死にたい理由を考えろ

東京0円ハウスで有名な坂口恭平さんの著書、「現実脱出論」を読んだ。

 

内容は刺激的だけど、中でも

 

死にたい理由を考えろ。という文が目に焼きついた

 

「死にたみ」と聞くと、「命を粗末に〜」的内容になりがち。

 

でも、坂口さんは理由に着目するという新しい視点を与えてくれた。

  

駄目出しがくるほど 死にたい。死ぬべき。死を連呼してきたけど

 

そこまでは考えなかった。どうして死にたくなるのかな?

 

いる意味がないとわかったとき

 

死にたくなるのは、働いているときが多い。

 

 朝、目覚ましの音に起こされて、電車に揺られる。

 

1日が始まると思うと憂鬱になる。働くという行為が、苦痛にしか思えない。

 

労働は義務と言われても、

 

権利を享受している気になれないのに、義務ばかり押しつけられても。

 

 分かってるよ。甘えるな。怠けるな。なんて、あおるなよ。

 

働いている最中に、頭の中にいる世間と押し問答してるうちに

 

仕事がおそろかになって、どうでもいいミスをする。

 

流れがせき止められ、義務が見上げるほどの山を作る。

 

誰でもできることができない。

 

なにを間違ってるのかわからない。なにを直せばいいのもかわからない。

 

なにがわからないのかわからない。

 

頭の中で問題でぐるぐる回り、ショートして真っ白になる。

 

なぜこんな事もできないのかと指摘される。

 

本人が一番よくわかってる。きつい。クヨクヨしている間に日が暮れる

 

なんとか帰ってきた。眠りについたら、けたたましいサイレン

 

景気がいいのは、目覚ましの音だけ。

 

布団の暖かさに隔てられた外から入ってくる冷気。

 

昨日と同じ。苦痛しかない無能な日常が待っている。

 

しかし、生きるためには働かねば。

 

働かない人間は存在する意味がない。

 

この社会は歯車になれる奴しか生きれない。その現実に死にたくなる。

 

 

やりたいことで一円もとれなかったとき

コントローラーが壊れて、キャラクターが前にしか進まなくなってから

 

卒業したけど、テレビゲームって、楽しいよね。

 

そりゃ、楽しませるように作ってあるから。なんて、いいっこなし。

 

レベル上げの単調な作業でも、楽しい。文句も言わずにやる。

 

なんでか。やりたいことだから。これは望んだことで、やっていて楽しいことだから。

 

なんでもいい。例えばブログを書いている時

 

なぜ?なんて考えなくても楽しいと思える。

 

 でも、例えばトイレにいくとき、一瞬でも現実に戻れば

 

「これが何円の値打ちになる」という質問が降りてくる。

 

こんなことをするよりも、レジの前に立ってる方が金になる。

 

隣にある無人のセルフレジとやることは同じなのに。

 

この何もない、苦痛が金になり、やりたいことが金にならない。

 

 自分の時間を売る。人間をやめて機械にならないと生きていけない時

 

創造、楽しめることに、生きる価値がないなら

 

もう生きていたくない。と強く思う。

 

未来がない。と思う時

 フリーターは義務をほうりだせるから楽でいいけど

 

いつまでも自立できない。大人になれないという裏返しでもある。

 

未来がないなんて考えたくないけど、将来を考えろと言われたり

 

ネットのつぶやきを目にすると、行く末を見ているようで、死にたくなる。

 

わかってる。本当に。自業自得だって。

 

それでも、これまで、これ以上は無理ってところで踏みとどまってきた。

 

よくぞ生きた!と叫びたいけど

 

世の中はもっときつくなる。これまで生きたのを後悔する。

 

人生をなめんな!言い訳するな!努力不足!甘え!愚痴を吐くな!

 

それが社会全体の総意なら

 

 こんな人生はもう無理。これ以上続かなくてかまわない。

 

 死にたい。と言い続けると

 

「でもお前、今生きてんじゃん。嘘乙。」と切り捨てるのは本当に止めてほしい。

 

死にたい気持ちを持っている人は、地面がグラグラ揺れているような不快と

 

明日が来るのが怖くて仕方ない、極限の苦痛に耐えるために

 

死にたいという気持ちを言葉にして切り離すことで、

 

崖っぷちの落ちるか落ちないかのギリギリで踏ん張っているんだ。

 

 死ねよ。という人は、死にたいと思ったことがないのかもしれない。

 

死にたい人の気持ちを考えてほしいといっても無駄なのかもしれない。

 

だとしたら、死を実行した時、「どうして相談してくれなかったの〜」

 

とか言い出すのは非情すぎやしないか。

 

 

「もしかしたら、死にたくさせた世間に問題があるのでは」

 

ぐらい言ってみろよ。

 

 

 

 

 

 

死なない理由

 

死にたいのは確かだ。でも、死ぬわけじゃない。

 

 

この二つは似てるけど、全然違う。

 

口だけと言われたらなにも言えない。むしろなんとでも言ってくれ。

 

 これが最後いいのか。悔しくないか。

 

価値もなく、負けまくったまま、

 

 現実は厳しい。使えない社会のお荷物だ

 

わかってるよ。でも

 

 それでも、まだなにかできる気がする。

 

まだなにかになれると信じたい。

 

惨めなのも辛いのも嫌だけど

 

終われねぇ。

 

死にたいけど、死なねぇよ。