キリギリスはなぜ死んだ?

社会に、いらね。と言われた奴の最後のあがき

無気力からの脱出と無駄な努力の終わらせ方

(無限ループって怖くね?)

雨の日も風の日も歯を食いしばって

向かい風に立ち向かっていれば

いつか報われる日が来る。と信じていた。

その結果、僕が得た物は

閉め切られた部屋の中で限られた酸素だけを使って

ただ息苦しくなっていくだけの日々と

存在するだけで後ろ指を指される社会不適合者の烙印だけ。

 

今までしてきた事はなんだったの?

そんな疑問を振り切って

何度か立ち上がってみたけれど

いつも散々な目に会うばかり

まるで滑車にいれられたハムスターのように

同じところを必死に回っている。

 

そのうち全てが嫌になって、

部屋の中でうずくまって・・・・

このままじゃダメだ。とわかっているから苦しいんだ。

また同じ事になるとわかっているから不安なんだ。

 でも、それじゃ、何も生まれやしない。

その間を行ったり来たりするのはもう飽きた。

 

ここから出たい。

 

失敗しない人生はないけれど、それでも一歩踏み出したい

どうせこれかも生きていくのだから。

良い努力、悪い努力

 

なぜ失敗したか?を知ろうとしないと

同じ事を繰り返す。

今回は無駄な努力と無気力から脱出する方法を考えてみよう

 

 まずは、無駄な努力の定義を調べてみる。

matome.naver.jp

によると、努力には努力した分だけ結果に繋がる「良い」努力と

いくらやっても結果につながらない「悪い」努力があるのだそうだ。

 

そんなの結果論じゃん。とも思うが、

大体3ヶ月やって効果が出ない努力は、無駄な努力だと見ていい。

この期間中に効果が出ない場合

その努力が本当に効果があるのか?を見直してみる。

少なくとも、「これだけ頑張っているから、報われるはずだ」という考えは

無駄な努力である事が多い。

これまでしてきた失敗はこれだと思う。

つまり、頑張る事が目的であってはダメだ。

その努力が本当に目標につながるが?を常に疑う事が大事なのだ。

 良い努力をするにはどうしたらいいか?

良い努力は言いかえれば効率的な努力とも言える。

そのために重要な事は3つ

  • 時間をかける。

時間をかけて何かに取り組んでいれば

そこにどんな感情があろうとそれらは

すべて「努力」なのである。

 

 一見、先に書いた事と矛盾しているように見えるが、

時間をかけて、楽しんでやる事が大切で、

それがあれば,毎日何時間もぶっ通しでゲームしていても、それは努力になる。

 

 

  •   負荷を与える

どんなに強い負荷も、続けていけば次第に慣れていき

ラクに感じてくる。ここで、ラクのまま通すのか

さらに強い負荷を与えるのかで努力の効果は異なってくる。

 

例えば、最初は難しいと感じるゲームの操作も慣れてくると楽にこなせるようになる。

一週目は倒すのが難しかったボスも攻略方がわかれば楽に倒せるようになる。

そこで終わらせずに、強力な武器を禁止してプレイしたり、

ダメージを負ったら即リセット、みたいな縛りプレイをしてみる。


3. 基礎を築く

基礎をおろそかにして技を磨いても、

ある程度まで技術は上達する。

だが、いつか必ず行き詰る。

そのとき、基礎に立ち戻れるかどうかが

上達の分かれ道となるだろう。

 

 何事も土台が大事。しっかりとした足場ができていないのに

豪華な家を建てても、結局は傾いて倒れてしまう。

昔、姉歯物件っていうのがあったな。・・・

あれは倒れてないけど。

 努力は見せなきゃ意味がない。

 日本人の美徳として、努力は水面下でするものという

考えがあるが

努力が報われる人は

努力をしているところをきちんと周囲に見せている。

逆に、努力を見せないように頑張ると

結果を出しても「まぐれ」と思われてしまうかもしれない。

僕も努力は見せないものだ。と思い込んでいたけど

それじゃダメだ。

頑張ってますアピールはできるだけやっておいた方がいい。

 

ともすれば、書いた絵をここで発表してみよう。

 

所詮無職の落書きだけど、書いてる最中は、とにかく目の前にある不安を

考えなくていい。現実逃避と言われたらそれまでだけど。

無気力でいないためには趣味を作る。

僕は今怠惰な日々を過ごしているけれど、思い返せば、

働いていたときもたいして変わらなかった。

このままでいいのか?と、心のどこかで疑っていたけど

働いてさえいれば大丈夫だ。という根拠のない安心感があった。

 

でもそれじゃ、心の中に出来上がったもやもやが大きくなっていくだけ。

それを取り除くには、とにかく、やっていて楽しい事が必要だ。

もちろん、僕らは働かないと生きていけないけど

働くために生きているわけではないから。

 

やれば1やらなければ0

裸の王様が、バカの目には見えない布で服を作ったように

僕は常人には見えない足枷をされて、日々を過ごしている。

それは鉛や鉄よりもずっと重くて

引きずって歩かざるおえないのが

どれだけ大変なのか?

僕を煽る人々に説明しても

そもそも見えないのだから、理解できないのは当然だ。

他人の許可はいらない。結局歩くのは僕自身。

自分が取れる限りの歩幅で進んでいく。

それがどれだけ小さな一歩でも構わない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ARMSって皆川亮二の力が欲しくなる漫画じゃないの・・・

ARMSとは・・・

インテリオタク*1

七月鏡一と、

バトルマンガ変態*2

皆川亮二の奇跡の出会いが

産んだケミストリー

運命に抗おうとする少年たちの

挫折、苦悩、成長を

ドラマチックに描き

人間の持つ残酷さと強さが

折り重なることで生まれる

人生の素晴らしさを

高らかに歌い上げた

SFコミック

ARMS(1) (少年サンデーコミックス)

 

 ではないのか!?

スラムダンクを読んで

バスケがしたくない

男がいないように、ARMSを見て

自分の手足がナノマシンの擬態ではないか?

と疑わずにいられない男はいないだろう。

 

僕も足がつったとき

くっ!?共振!?と

 

近くのARMS適合者を探したものだ。

 

厨二病の教科書、いやさバイブル

完全無欠、唯一無二であるARMSであるが、

ほとんどの人は知らない。と答える

なぜこんなにも知名度が低いのか?

 

選民思想をくすぐる戦略

「どんな難攻不落の要塞にも

必ず弱点がある。

なぜだと思う?

その弱点に侵入者を

おびき寄せるためさ。」

 

キース・ホワイト

にあるように、わざとらしい宣伝をせず、

わかる人だけわかればいい。という

横浜銀蝿みたいな精神を全面に押し出し

「俺、インディーズのバンドしか聞かないから。」

と通ぶっている厨二病患者たちの

心理を完全に掌握した

エグリゴリの情報操作の産物。

 

決して、連載が少年サンデーだったからとか

そんな理由ではない。

 

 

残されたオーパーツ

鳩山由紀夫

その行動のぽけぽけぶりに

宇宙人と呼ばれた彼の

唯一の功績

地球に残したオーパーツ

バカ発見器

SNSツイッターである

 

社会に馴染めない人々のつぶやきは

崖の上の船越のような包容力がある。

人生ログアウト寸前の僕には

まるで、地獄に下ろされた

蜘蛛の糸のようだ。

トレンドに目を疑う。

僕は物心ついた頃から

厨二病だった。

世間がゲームボーイ

ポケモンに夢中だった頃

メダロットをやっていたし

クラスにどれだけ

コロコロ派が多くても

ボンボン派でいることを貫いた

 

生粋の反骨、いや

叛骨の申し子といっていい。

反骨、かっこいい。

武骨とか骸骨とか

◯◯骨って響きがいい。

豚骨は・・・まぁ別として

バルス*3

精神があるから、

流行にあまり興味はない。

 はずだった。

しかし、

トレンド欄に突然現れた

 

#ARMS

 

目に入った時は

この歳で老眼始まった?

と焦ったけど、何回読み返しても、

しっかりと

A  R  M  S である

 

なんで今更?

パチンコにもなった

アニメは一回やった

まさか、もう一回遊べるドン?

ありえない話ではない。

エウレカセブンだって

2期やったのに今度は映画になるらしい。

*4

 

 それとも、実写化か?

ない話ではない。

 

シグナル(字幕版)

シグナル(字幕版)

 

 学生が、「なにか」に遭遇する事で超能力を得るという、

ありがち

シンプルなストーリーだが

力を得た学生が完全に白兎であった

 

この監督*5

絶対ARMS見た事あるな。

 

キューブリックの再来と噂される

新進気鋭のクリエイターが

漫画実写化ブームに乗っかる可能性を

なぜ否定できると言うのだ?

 

とにかく話題になるということは

それなりの事件が

起きているに違いない。

ワクワクしながらリンクへジャンプする。

希望に満ちた扉の先にあったものは

ARMS違い


ARMS Direct 5.17.2017

任天堂から新しく出るゲームだった。

ARMSは伸びる腕のことで、変形もしないし

反物質も生成しない

「力が欲しいか。」と

心に直接語りかけてくることもない。

なんということだ。

僕が描いたARMS像と、

世間が描くARMS像はまるで違っていた。

しかし、ARMSの名前を

そのまま使ってしまって

いいのだろうか。

無知の僕でも、商標の

問題くらい知っている。

まんま使うのはまずくないか?

まるまる同じじゃないからセーフ

どうやらマンガは

「Project  arms

であり、

ゲームの方は

ただ「ARMS」だけなのでセーフらしい。

しかし、検索すると圧倒的にゲームのほうが

ヒットするのは悲しい。

僕の中では漫画の方が先だったのに・・・

 

「ルフィを出して」「リトルマック」「いやダルシム」『ARMS』開発者のもとに寄せられる奇妙な参戦リクエスト | AUTOMATON

ぜひ高槻涼をですね

2017/06/06 22:20

 ゲームとコラボするキャラクターの要望があるらしい。

この記事を見る限り

「腕が伸びる」ことに

注目してるっぽいが

ぼくとしてはARMSは

ブラックボックスが多すぎて解析不能だったり

制御不能で暴走したり、

電磁波を受けてバナナみたいに

固まるものであって欲しい

 

 

知名度をあげよう。

やはり、知名度がないのが問題だ。

読んでみれば、

飲めないブラックコーヒーを片手に

アメリカって汚いよな。と

したり顔で呟く少年の心にここまで

突き刺さるマンガはない。

僕の意見としては、

床屋の待合室に

 

「Project  arms」を

常に備えておくことを

国が義務化するべきだ

 

毛先を遊ばせた

最新の髪型を自慢する

クラスのリア充達を横目に

美容室に行きたくても

そのオサレな店構えに圧倒され

小さい頃から

馴染みの床屋を

裏切れるはずもなく

仕方なく

スポーツ刈りにする中学生に

巴武士の見事な刈り上げは

勇気を与えることであろう。

 

NARUTO

ONE PICE 

SLAM DUNK

と肩を並べる面白さ

 

「Project  arms」

まだ見たことがない人は、ぜひ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:褒めてます

*2:褒めてます

*3:話を仕切り直す NOW に使っていいよ

*4:僕が好きなのはホランドがデビルフィッシュで突っ込むところ

*5:ウィリアム・ユーバンク

死にたい気持ちとの付き合い方

楽な死に方。と打ち込むと

検索エンジンがまるで

コケた子供に騒ぎながら駆け寄ってくる

おばさんみたいにいらない世話を焼いてくる。

 

あなたが死んだら誰かが悲しむ。とか

悩まないで相談してください。など

そういうマニュアルがあるのか?と勘ぐりたくなるほど

同じような文句が並んでいる。

ガチで死を考えている人間には何の頼りにもならない。

 

どうしても救いたい。というなら、金をやればいい。

その昔、まだ家なき子だった頃の安達祐実

「かわいそうね〜」とお情けをかけた大人に

「同情するなら金をくれ!」と声を張り上げていた。

 

金以上に価値があるものって?

金があれば幸せになれるとは限らないが、不幸を取り除く事はできる。

 Twitter詠み人知らず

もっともだ。

人間の社会に「金」以上に価値がある物はない。

金があればなんだってできる。

少なくとも、上っ面の言葉をかけるより現実味がある

希望を捨てきれないから始末が悪い。

いつも散弾銃で頭を吹っ飛ばしたい。

とは言うものの

現物があれば、引き金を引くだろうか。

できっこない。

 

そんな物日本で手入るわけがない。あなどっている。

  銃があればサクッと楽になれるのにっていう

言い訳がしたいだけ。

 

本当は死ぬ事が恐ろしい。

口では死にたいとこぼすけれど、実行しない

ずるずる生き続ける自分を殺したいほど憎いのに

 

 僕はまだ、自分が終わっている事を

心の底で認めていない。

まだなんとかなる。そんな浮かれた気持ちがある。

まだ20代だから、と言い訳をして

どうせこのまま過ごして30代になるだ。

それでようやくあわてだすんだろう。

冬になってから物乞いに行くキリギリスのように。

 

自殺はなぜしてはいけないのか?

自分の未来

起こっているのは他人事。だけど

飛び降り、首吊り、人身事故

明日、僕が同じ事をしない。と、どうして言い切れる?

こうなるんだ。と言われているみたいな

不安を覚えるのはなぜだろう。

 

ぼく以外いなくなった教室で

バカ以外わかって当然の問題に頭をひねる

クラスメイト達が座っていた机を涙目で見つめながら

今頃楽しく遊んでいるんだろうかと考えると、

とても損をしているような気分になった。

 

それと同じで、自殺者のニュースが

今生きている事がこの世に置き去りされた感じがする。

 

 葬式代の問題。

みなさんもご存知のとうり、葬式というのはとにかくお金がかかる。

 

 

http://so-labo.com/funeral-familys-buddhist-altar/5027/so-labo.com

式場のレンタル代、飲食接待費だけでも200万

位牌に戒名を入れるとまさかの20万!

さらには坊さんにやるお気持ち

そもそもお気持ちってなんだよ

 

チップって言えばいいじゃん

 

なんでそんな物。

坊さんには給料がないのだろうか?

気持ちとか忖度とか

バカジャネーノ。

 

 

こんなに金がかかるなら

僕の葬式は必要ない

灰にしてさっさと海に流してほしい。

 

 

「してはいけない」のではなく「して欲しくない」

二度と悲しみも苦しみも感じなくなる事が

背負いきれなくなった荷物を降ろせる唯一の選択なら

むしろ本人にとってこれほどの幸福はないのでは。

 

 デメリットは他人の方が大きい

 

 「周りの迷惑を考えろ」

「この世には生きたくても生きられない人が〜」

結局のところ

「お前の命は大事じゃないし、いつ死んでも構わないが

周りに負担がかかるからやめろ」

というのが本音だろうか。

 

金の問題もあるけれど・・・

なにより、心に傷を負う。

「あのときこうしておけば」「もっとああしておけば」

後になって悔んでも二度と取り返せない。

一見生きた人間と別れるのと同じようだが

相手が死んでいると大分違う

普通の死でもかなりきつい。これが自殺者だったら?

とても想像したくない。

 

 

苦痛と幸福の等価交換

人生の意味とは

答えなどない問いばかり考えていたけど

僕が知りたいことは

本当に「人生」の意味だろうか。

 

違う。

 

僕が知りたいのは、人生に必ずついてくる副産物

心臓を握り潰されるような息苦しさや

理由もわからず込み上げてくる涙と

まだ生きてたのか。となじられる眠れない夜が

目もくらむほどの黄金と交換できる価値が

苦痛と幸福は比例する物だと信じたいのだ。

 

それが意味がない。と知るのはとても怖い。

もしあるとしても、

僕は皮算用をしている。

僕の感覚は世間とこの上なくズレていて

他人にはかすり傷で、大げさに痛がっているだけに見えるのだろう

まるでわざと倒れてフリーキックを得ようとする選手のように

 

どの程度の傷をおえば、世間は幸福をくれるのだろう。

その傷は僕に耐えられるだろうか。

 

 生きるとは罰である。

 映画インファナル・アフェア

ラストは悪事を冒かす事に苦悩する警官が死に、

善人になろうとするマフィアが生き残った。

なぜなら、死とは、苦しみからの解放であり

生きる事は、無限に続く苦しみの道を歩いて行く事。

ある意味死ぬよりも重い罰なのかもしれない。

罰せられる人が善人であるなら。

 

どこかで聞いた事がある

 

生ける人は皆、罪人

 

ならぼくの罪状は?

罰せられる理由を教えてくれ

納得できるかは別にして

生きてる事が辛いなら。


森山直太朗 - 生きてることが辛いなら

 

 最後に 森山直太朗の名曲から引用したい。

この世に居場所がない。生産性もない。

でも生きていたい。誰に後ろ指さされようとも

 

 僕が罪人で、この世界が塀のない刑務所だとしたら、

人生は刑期。

期限を決めるのは僕自身だ。

まだ半分も終わっていない。

まだ許されない。

だから苦しみぬいて

生ききった!と腹の底から言える時がくるまで

 

くたばる喜びはとっておこう。

踏み出す勇気を持てない人に能見寛を知ってほしい。 

書き残す意味。存在の証

 世間から見れば、どうでもいい、馬鹿げた話を

わざわざネットという社会に見える形にして

書き残す価値がわからなかった。

 

しかし

 

 現在価値がない文章も、遥か遠い未来

誰かの心に、何かを残すことができるかもしれない。

それを能見寛(のうみ ゆたか)が教えてくれた。

 

書き残すことで

どんなにちっぽけな奴でも

ここにいたんだ。と示すことができる。

 

 

 

求法の旅人との出会い。

生きずらさを解決するヒントとの出会いがないものか。

かすかな期待を抱いて、図書館のそれっぽい本を数冊、棚から引き出してみる。

必殺技みたいな名前の外人が書いた本も

精神科医が記した本も

果ては宗教の本を読んでも

 

  「人生」それは究極のオープンワールドゲーム。そこに攻略法はない。

という結論が出ただけだった。

 

 その場を去ろうとしたそのとき、あるタイトルが目に止まった。

 

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神龍。オラの人生を夢オチにしてくれ。

人生初デジャブ

会った事はない。でも確かに知っている。

ニュースで、今社会問題になっている無職の引きこもりを

特集していた。

いつも興味がないのに、チャンネルを変えることができなかった。

なんとなく知り合いだと思ったのだ。

 

彼は

他人とうまく交流することができず、流れ作業すら満足にできない。

先輩からのありがたい指導もまるで聞いていない。

怒ってもらえるだけマシだという事がわからないのだ。

 

しまいにはバイトすらやめて家の中に引きこもり

食って寝て、他人のせいにする言い訳ばかりを繰り返す

それで何かが変わるわけもないのに・・・

 

さらに救いがない事にその腹いせを2chに書き込んでいる。

ディスプレイに反射した顔、どうりで見覚えがあるはずだ。

 

彼は僕自身だった。

 

  そこで目が覚めた。昨日は徹夜で

友達から借りたバイオハザードをやりすぎた。

ゾンビは怖いし、操作が難しくてうまくいかないイライラが

夢に出たんだろう。

 

 大嫌いな、ニートと呼ばれる人種。

今日を頑張ろう。

あんなダメな大人にはなりたくない。もしなったら、速攻で死ぬけどwww

 

という夢を見たのさ。

中学生の時の僕がよく出てくる。

気の合う友達がいて、将来クソ袋になるなど考えたこともない。

毎日が楽しく

まるで日常系アニメのようだった。

 

僕の全盛期はホーム・アローンのガキ*1

並みに早くきてしまった。頂上に立ったのはほんの一瞬。

そこから先は、道ですらない。どこまでも続く深い谷を落ちていく。

人間にとって一番の不幸とは、幸福を知ってしまうこと、かもしれない。

幸福な過去と、惨めな今をどうしても比べてしまうから。

 

神への無茶振り

毎日神社に参拝している。時間が巻き戻るようにと。

 バカバカしいと思うだろう、しかし、溺れる者はなんとやら、と言う。

捧げた賽銭も、1000,2000では足りない。

神よ。信じる者を救いたまえ。

願いがいつか叶うなら、今がその時だ。

 

あの頃に戻れたら、そこから人生をやり直せたら

どれだけいいだろう。

 戻るのは不可能だとしても

時を止めるスタンドぐらい使えるようになっているはず・・・

 

ザ・ワールド!時よ止まれ!

・・・・・・

もちろん何も起こらないが

現実逃避でもしない限り、息もできない。

 

壮大なスケールの素人ドッキリである可能性。

僕がホームから飛び降りたら、なぜかマットが敷いてあって、

田村淳が出っ歯を隠そうともせずに満面の笑みを浮かべ、

「ドッキリ!大成功〜!」のプラカードを持って駆け寄ってくる。

 

今まで僕をいじめていた人たちも

全員仕掛け人だったんだよ。と

 

  頼むから嘘であってくれ。

こんな毎日は冗談だと言ってくれ。

 

 まぁ実際は電車の遅れを駅員が謝り

あちらこちらからクズへの舌打ちが聞こえるだけ。

 

 

箱庭系映画という線もある。

 

トゥルーマン・ショー

あらすじ

 典型的なアメリカ市民・トゥルーマン。だが彼の暮らす環境は

どことなく不自然だ。

 

それもそのはず、実は彼の人生は、

隠しカメラによってTV番組「トゥルーマン・ショー」として

世界中に放送されていたのだ!

 

家族や友人を含めたこれまでの人生が全てフィクションだったと知った

彼は、現実の世界への脱出を決意する…。

メディアによって作られた人生の悲喜劇に、見事なリアリティを与えているジム・キャリーの熱演が光る傑作コメディ。

映画 トゥルーマン・ショー - allcinema

のように僕の人生は全てがそのままリアリティ番組として

全世界に配信されている可能性。

 

しかし、僕のような人間の生活にどんな娯楽性があるというのか?

 

前記事で書いた「アリとキリギリス」のように

悪目立ちするクズの様子を映すことで、視聴者に「こいつと比べたらマシだな〜」

という安い優越感をあたえ、「こんなやつになりたくないな〜」という不安をあおり

勤労意欲をあげる効果がある。・・・・かもしれない。

 

それでも

もう二度と会えない人達も実は俳優でどこかで生きてる。

そう考えると、少し救われた気がした。

 

以外と大衆受けするかも

それが無理なら、よくある逆境系の映画に作り変えよう。

これまで僕は助走をつけていた。

ここからはどこまでも走っていくのみだ。

こんなに頑張ったのに

成功できないはずがないんだ。

それが映画のカタルシスだろう。

 

これまでの努力は無駄?

あれほど必死に耐えた日々が無価値だ、なんてありえない!

意味はあった。価値はあった。

煌めく光をつかめる日が必ずくる。

 

 これまで起こったこと全部に価値があるんだ。そうだろ。

苦しんだだけ。悲しんだだけ、なんて認めたくない。

 僕はハッピーエンドの映画以外、見ないタイプだ。

 

 脚本の才能ないよ。お前

くそつまらん脚本を書いたのはどいつだ。

お前だろ。

えっ・・・・?

 お前だよ。

君は誰?

このクソ映画の脚本を書いたのはお前さ。

ただ自滅しただけ。自分でつまんなくしたんだろ。

一応言っておくと、人生は映画じゃないけど。

 

 これは映画じゃない・・・?

そう。

なら、ここはどこ・・・・?

現実。

それって、なに・・・・?

少なくも、お前より頑張ったけど、報われない人がいる世界。

 

 なら、今まで僕がやってきた努力は・・・・なに?

「頑張ったふり」

 

僕が受けた痛みはなに?

「大げさに痛がっただけ」

 

僕は一大叙事詩の主人公だろ?

 

現実を考えたら、お前はドン・キホーテだろ。

ドラゴン退治じゃ〜て風車に突撃して

地獄の軍団と葬式帰りの坊さんを間違えて、身ぐるみ剥いで・・・

ただの勘違い野郎さ。

 

 

違う。

 

違わない

 

信じない。

 

信じるか。信じないかは関係ない。

都市伝説じゃないんだ。

 

 

真実は人間を幸せにできない。

 

お前は特別なんかじゃないんだ。

 

 

特別じゃない・・・・

僕の存在は、痛みも、苦労も、全部、無意味・・・・・

そんな現実など糞食らえだ!

今からドラゴンボールを探しに行ってくる。

そして、高らかに叫ぶんだ。

 

シェンロォォオン!

オラの人生を夢落ちにしてくれぇえ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:マコーレ・カルキン

生きるべき命、死ぬべきクズ。二つを分けるボーダライン。

いじめられた学生が自殺する。世間はかわいそう!自殺などしなくても〜とか

いじめたやつは死ね!と言う。

 

例えば、その子が死ぬ事なく、社会に出て、失敗し、引きこもりのままずるずると

30過ぎたらどうだろう?

途端に世間はさっさと死ね!となじる。心の傷とは一生付き合っていく物なのに・・・

 

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ポジティブ思考じゃなくていい。人間だもの

上がれば下がる。登れば落ちる。それが人生なら

いっそ期待は捨ててしまおう。

 嘆いていても愚痴っても、生きている。それで十分。

 

 

  • 夢や希望がなければ、生きていてはいけないの?

 

 

昔の僕は、テンプレの言葉に踊らされて、足元を見ていなかった

だから小石につまづき、理想と現実の自分を比べて

惨めになるばかり。

 無理やりポジティブになる方がおかしい。ヤク中じゃないんだから。

 

世の中には、無責任に人を励ます言葉が多すぎる。

 

必要なのは、苦しみをごまかさず 

どんなにくだらないくても、情けなくても

自分と向き合う勇気をもつこと。

 弱音吐いたっていいじゃない。にんげんだもの

極度のネガティブ思考であるぼくの頭の中は

常にSEKAI NO OWARI状態。

でもその弱さを隠して生きて来た。

それが男らしさとか、人の強さだと思っていた。

しかし

弱音吐かない奴が強い。何てことはない。

 

弱音をはける人は意外と心が折れにくいのかもしれない。 - ニート気質な僕の生きる道

 

むしろ、適度に弱音を吐いてガス抜きできる人間こそが、強者だ。

かといって、僕には本音を吐けるような他人はいない。

だから、ここに書くにした。

 

本音を心に留めたままでは、いつか破裂する。

 

いっそこのままと思うこともあるけど

 生きていたい。正確には、まだ死にたくない

 

 

 

  かわいそうな奴を演じるな!

 世間から罵声が飛んでくる。しかし

 

 一見明るく見える人も、ピエロを演じているだけ。

 昔のぼくと同じように

 

誰にけなされてもいい

どちらか選べと言われたら、かわいそうな奴を演じる方が楽だ。

 

 

伝説の男もこう言ってる

 

 

I’d rather be hated for who I am, than loved for who I am not

 偽りの自分を愛されるより、ありのままの自分を憎まれる方がいい

  ーカート・コバーン