キリギリスはなぜ死んだ?

誰の目にも止まらない人々の、言葉に出来ない魂の叫びを綴るブログ。

ニートは死ぬべき? 死にたい人は死ねば救われるの?

ニートはなぜ死ぬべきなのか?

 

ニートは健康だ。心以外は。体が健康なら自立して当たり前。

 

大人になっても親にたかっているニートは、社会的には、死ぬべきだろう。

 

「 親に迷惑をかけるな。」多数派の常識だ

 

また、迷惑か。

 

こっちだって好きで生きてるわけじゃないし、産んでくれと頼んだ覚えもない。

 

絶対的優位な正論の拳から逃れたくて、出たのは子供じみた屁理屈

 

言っても無駄。あの日腹の底に押し込めた言葉も、今は無駄じゃない

 

ネットユーザーの努力で少数派が声を上げられる社会になり

 

根拠のない俗説に基づいた多数派の常識は非常識になりつつある。

 

しかし、ニートが人間ではなく、寄生虫である事に変わりはない。

 

いくら毒親を恨んでも、宿主がいなくなれば、自立を迫られるのは事実。

 

養ってくれる人が居なくなった後、どうやって生活費を稼ぐ?

 

真っ白な履歴書を鼻で笑われ、怒りに燃えても失くした時間は戻ってこない。

 

 生きるためには必要な金を得るために働かねば。なのに

 

常識にそった生き方から1ミリでもそれれば、働きたくても働けなくなる。

 

先の事を気にしてもしょうがないんだけど

 

暇だけはあるニート。考えまいとすればするほど

 

思考の壁にせき止められた不安は溢れかえり

 

雨漏りのように暗い想像が頭の隅から染み込んでくる。

 

消費するだけの時間、動けない焦り、不安、現状、絶望・・・

 

殺虫剤をかけられたような息苦しさはどうしたら無くなるんだ。

 

「なら、息をしなければいいじゃん。」

 

なるほど、つまり、生きるなと。

 

そもそも、クズにとって、生きるのは苦痛だ。人生は地獄だ。

 

むしろ、死んだ方が楽だと思うほど。

 

それなのに、無責任に「生きてたほうがいいよ〜」と連呼する輩のなんと多い事か。

 

彼らは生きるのは素晴らしいという常識に目を眩ませられている!

 

 

価値観が多様化している現在、無条件で「生」=「善」にするのは意味がない。

 

 

 生きる上で避けられない不安や孤独、絶望、尽きない悩みは、死ねばなくなるよ。

 

自由のない人生は、苦痛でしかない。

 

神は魂の強い奴ほど、そばに置きたがる。

 

だから生きるべき人ほどあの世へ行く。

 

それを証明するために、おばあちゃんの話をしてもいいかな。

 

 彼女は僕にとって母親代わり、いや、母親そのものだった。

 

 

 笑っている顔しか思い出せないほど、明るい人だった。

 

家にいつもいて当たり前、まるで空気のような存在。

 

終わるのがもったいないくらいの日常、今とは大違いだ。

 

 もしかしたら、全て上げて落すための誰かの策略だったのかもしれない。

 

 とにかく、あんな日がくるなんて、想像すらしてなかった。

 

その日は天気が悪くて、足元が滑りやすく、おばあちゃんは転んでしまった。

 

その時はなんともなかったけど、じわじわと悪魔は迫っていた。

 

最初は腰が痛い。程度だったのに、翌月には、足が思う通りに動かないといい

 

 

三ヶ月後には、杖をつくようになり、半年後には散歩にすら行けなくなって

 

1年経つと毎朝体が痛くて仕方がないとこぼし布団から出る回数が減り

 

ニ年経ったとき、電動ベットの力なしじゃ起き上がれなくなっていた。

 

ベットに寝たきりでいると、動けないストレスで、精神を病んでいく。

 

他人に頼まなきゃ寝返りすらうてない情けなさ、終わりのない痛みに心は壊れていく

 

朝は眠っていて、夜中の2時、3時に、大声で叫びだす。

 

内容は支離滅裂で聞けたものじゃなく、黙っててくれ。と怒鳴ってしまった。

 

当時は眠れないなんて事はなかった。今なら何時間でも付き合うのに。

 

一番きつかったのは排泄物を壁に投げて遊んでいた事。

 

おばあちゃんはお手玉だといった。自分が何を持っているのかすらわかからなくなり

 

まるで別人に取り憑かれたように口汚くなっていく。

 

廊下に投げ捨てられたうんこをティシュで拾う毎日。

 

こんなことがいつまで続くのか。そう考えた時に

 

すまない。白状するよ。

 

あってはならない考えがよぎった。

 

 

早く死ねばいいのにと。

 

 

断っておくと、介護の全般を担当していたのは母さんで

 

僕はほとんど何もしていない。

 

ただ、客観的に見て、介護はきつい。

 

よく、職がない人に、介護にいけばいいじゃん。と安易な答えを出すやつがいるけど

 

平和ボケしすぎ。身内ですら無理なのにそれを最低賃金でやるなんて・・・・・

 

人生百年時代という割に、バックアップはおざなりだね

 

お前にありがたいお国の崇い思想がわかるものか!って?

 

正解だ。死ぬべきクズは僕でおばあちゃんではない。

 

もしかしたら、そんなクズの考えを見透かしていたのかもしれない。

 

おばあちゃんは次第に、死にたいと呟くようになった。

 

でももう、死ぬ元気すらなかった。

 

 終わらせる自由すらないなら、人生はもう、苦痛でしかないじゃないか。

 

 寝たきりになって3年目、おばあちゃんは隣町の病院に入院した。

 

翌週見舞いに行った時には、喋りもしなかった。

 

幼稚園の帰りに、昔の歌を押してくれた

 

小学校のとき、傘を遊んで壊したときに、物を大事にしろと怒ってくれた。

 

中学の同級生に制服を破られたとき、転んだと行ったら、そうか。で終わらせてくれた

 

高校の制服を着たとき、ベットの上で、飯代はあるのか?と聞いてくれた。

 

いつも笑っていてくれた、あの人はそこにいなかった。

 

 

それはもう生きているとは言えない。もし言い張るなら、生き地獄でしかないよ。

 

その年の冬、母さんが他人には任せておけない。ということで、再び自宅に戻った

 

そして4年目の春のある日、朝起きたら、母さんがおばあちゃんを呼んでいた。

 

幸せそうに眠っていた。もう、一切の苦痛に悩まされずにすむ。

 

まるであの日のおばあちゃんが戻ってきたような顔だった。

 

ニ度と笑ってくれることはない。でも、彼女を見ていると

 

楽しかった思い出が刃みたいになって、心を刺してくる。

 

残ったのは、やるべき事をやれなかった後悔。

 

 同情されたいアピールにように涙をこぼしても、それを取り返す事はできない。

 

泣くな。泣くな。泣くんじゃないよ。男じゃないか。

 

泣いて昨日がくるじゃなし。

 

あの日わかった。頑張っても意味はない。なら、なぜ生きなければならない?

 

あの日からずっと、なぜ死ねないのかを考えるようになった。

 

 これが俺のニート思考のオリジン。

 

人の死を言い訳にして、めんどくさいことから逃げようとしたのを、

 

神は見透かしていたのだろう。

 

それまでの楽しさを取り返すように死ぬべきクズの地獄が始まった。

 

この世はブラック企業と同じだ。まともな人からログアウトして

 

死ぬべきクズが残される。

 

 

クズにとって死は救いだ。

 

ここまでニートについて話したが、安心してほしい。

 

ニートでなくなっても、死にたい気持ちが消える事はないから。

 

生きたくても生きれない人がいるように

 

死にたくても死ねない人がいる。

 

死ぬべき人は健康だ。心以外は。健康なら、自分のケツを自分でふくことができる。

 

その気になれば、死を選択できる、これは本当に幸せなことだ。

 

生きているだけで素晴らしいという人もいる。それも間違いじゃない。

 

ただ、死ぬべきクズが自分を客観的に観れることは評価すべきだと思う。

 

少なくとも、事実から逃げて、深夜アニメとか見てる萌え豚よりマシじゃないか。

 

おっさんが考えた甘い言葉を小娘の拡声器越しに浴びて無駄な金を搾取されるより

 

丈夫で長いロープを買ってきて、自重を支えられる縁を探した方が

 

はるかにコスパがいい。

 

 

自分の惨めさを嘆き、世の非情に頭を打ち付けているやつの方が百倍価値がある。

 

 むしろ、この世は死ぬべきクズである自覚すらない奴ばかりのさばる

  

真の死ぬべきクズは、自覚すらせず、今日ものうのうと生きてるっていうのに!

 

ろくな社会経験をしてない奴が社会を語るな!と言われたらそれまで。

 

だとすれば、逃げ道をたどった先にある袋小路途方で途方に暮れてたんじゃ遅い。

 

どこにもない楽園から抜け出して、どうしようもない自分と向き合えよ。

 

男の本懐は自己破壊だ。

 

筋繊維の破壊、筋トレが最強のソリューションなのも頷ける。

 

苦しい生よりも、死が救いになることはある。

 

だからこそ、あなたが救われるのは、まだ早い。

 

 

 

自分が死ぬべきクズだとわかっているならなおさら

 

 

寿命の尽きる、最後の一秒まで

 

生の苦しみをじっくりことこと味わいたまえよ〜