キリギリスはなぜ死んだ?

社会に、いらね。と言われた奴の最後のあがき

人生に救いがないと気づいた一年

2018年。平成最後の寒波(であってくれ)と共に

 

もういくつ寝れば30という大事な年が、社会の底辺のままで終わる。

 

気づいてしまった。この先、生き続けても、救いのない人生だと気づいてしまった

 

今更wwww

 

笑ってくれ。ここから先は苦笑いも起こらない。

 

 気づいちゃった。気づいちゃった。わーいわい。(絶望)

 

気づいたというより、そらす目線すらなくなったというべきか

 

落ちたら這い上がればいい。 ゴミ人生にそんなロマンはない。

 

一度踏み外せば、底のない谷を落ちていく。

 

君のいう通りだ。一言で言えば自業自得。

 

落ち始めた瞬間に、爪が割れても、指が折れても

 

谷の壁に這いつくばって、それ以上落ちないようにするべきだった。

 

ここより下はない? 甘いな素人。

 

目が慣れればいずれ見えてくる。終わらない虚無が。

 

どこまで落ちるかわからない不安を覚えたら、そこから一目散に駆け上がれ

 

いずれ良くなる。いつか報われる。そんな甘言を信じるな。

 

今を変えられないなら、未来など変わるはずがない。

 

君が思っているよりも社会はずっとシビアだ。

 

一瞬でもレールから外れたら、その後は地獄。

 

 

確かに、某ゼンカモン、くたびれた堂本剛

 

法の網目をくぐった人間の悪意を垂れ流す掲示板の創造主

 

京都大学出身のニートなど、常識からそれて生きている人はいる。

 

しかし彼らは本筋から離れた脇道を記した地図がある環境と

 

本人の地頭の良さが揃っているから輝いているのであり

 

「やだ!やだ!会社行きたくないンゴ!朝起きるの辛いンゴ!」

 

と駄々をこねるだけのゴミが真似しても・・・・

 

せやかて工藤。彼らはお前には想像もできない努力の人たち。

 

お前の言い分は醜い成功者への嫉妬やで。

 

exactly。

 

 

しかし、これだけは言わなくちゃならない。

 

彼らは底辺で精一杯生きる人達の「苦しい」というか細い悲鳴を

 

 「今は働かなくても生きていける。底辺にいるのは本人の意志」

 

「苦しまないで生きるために努力しない本人が悪い。」という

 

 

自己責任論者の言い分を言い換えたに過ぎない。

 

なんだかんだいって、みんな自己責任大好きじゃないか

 

 

江戸時代の村は、今と大して変わらない自己責任社会だったらしい。

 

それから数百年。まるで進歩していない。

 

人間。特にこの国の人々には、細胞レベルで弱者を切り捨てる非情がインプットされている。

 

「思いやり」 「助け合い」などという言葉は、世間体を気にした偽善でしかないのだ

 

君は、今は生活保護を申請して生きている人もおるで。と返すだろう。

 

しかし、費用は年々引き下げられてるし、不正受給問題の余波で

 

受給条件もべらぼうに厳しくなっている。

 

かくいう僕も、以前の会社でパワハラに心を壊して働けなくなり、貯金も底をつき

 

わずかな希望にすがって市役所を訪ねたけど

 

「自称鬱じゃだめだよ。診断書がなきゃ」

 

「親が生きてるじゃんwww甘えるなゆとりwww」(超訳)で終りだった。

 

君にわかるか?「お前は救う価値のないクズだよ」と認定された時の絶望が。

 

痛む傷口をナイフでえぐられるような日々に耐えながら、こずかいを稼ぎ

 

それすらも税金で徴収される。

 

その金で、生活保護を貰ってる奴が人がいる。

 

中には海外旅行にいき、受給額もギャンブルで使い切ってる奴まで

 

甘えるな。僕だって必死で生きている。

 

実によくできた社会構造だ。救う人間を選別することで

 

弱い奴がより弱い奴を妬むようになる。

 

ただ、誰もそのシステムに文句をつけない。

 

なんだかんだ叫んだって、みんな自己責任が大好きなんだ。

 

どうしよもないから生きている

 もうすぐ日が暮れる。いつもと同じ夕暮れ。昔はクリスマスや正月に独りだと

 

後悔が残ったけど、今じゃ何も感じない。いつもと変わらない生きづらい一日だ。

 

平成最後の〜と言われてもどうでもいい。年が変わるからなんだ?

 

ただ年号が変わるだけ。生きづらさは変わらない。

 

 

もう何もかも嫌だ。死にたい。歯磨きをしている間にすら思う。

 

逆になんで生きてるの?と聞かれたら、死ねないから。と答える。

 

くそみたいな繰り返しの日々を終わらせよう。

 

電車が通過するというアナウンス。特快が迫ってくる。

 

黄色い線の内側と外側、あっちが天国。こっちが地獄。

 

残っている理由なんてどこにある。

 

利き足を出そうとしたき、遺書を書いてからにしよう。

 

なんとなく、そう思った。だからブログを書く。

 

死にたいメーターが振り切れないと、書こうとも思わない。

 

チラシの裏にでも描いてろよ。と言われても、

 

他人に訴えるものがないと、張り合いがない。

 

江戸時代と違って、今はネットで自分の意志を示すことができる。

 

努力の方向音痴のゴミに、希望や救いは与えられない。わかってる

 

でも、黙って消えたくない。

 

どこまで落ちるかわからない不安の中でようやく踏みとどまれた。

 

 命のつきる最後の一秒まで、喉から血が出ても言い続ける

 

 この社会の冷たさが、最後と言えるその日まで。