キリギリスはなぜ死んだ?

社会に、いらね。と言われた奴の最後のあがき

だんご虫

ミシッという音がして今踏んだ場所を見てみる。

人が通らない公園の境目、白いコンクリートブロッグに

目立つ浅黒いシミができていて、触覚だけがうねうねと動いている。

 

 

数センチ先を見ると、危険を感じたのだろう。

数匹がその場で丸まっていた。

しかし、ここを通らなければ仕事にならない。

足に流れる気持ちの悪い感触を気にしないように歩く。

 

 

「誰の邪魔もせず、誰の迷惑にもならない場所でじっとしていたのに。」

 

向こうはただの虫なので、そんなことは思っていないだろうけど

ネットの隅で、誰の目にも触れないように、少なくとも、読んでも薬にはならない

ブログを書いている者としては、ただ気持ち悪いで切り捨てられない人情がある。

 

どんなに目立たないようにしていても、殴りかかってくる奴はいるものだ。

傷つかないように、押し黙って耐えている。殴り返す力なんてないから

 

それにしても、なぜ彼らはこんな陰気な場所に集まってくるのか。

フォルムが湿っぽいからか、湿っぽい場所に集まった結果

陰気なフォルムになったのか

いずれにしても、どうしてこんな気持ちの悪いフォルムになったのか。

 

いや、気持ちの悪いというのは、もしかしたら失礼かもしれない。

この世の中にはマニアというものがいて、彼らをかわいいとペットにする人も

いると聞く。一時期はダイオウグソクムシという、30センチはある深海魚

(魚ではない・・・・か)が大人気だった。らしい。

 

でかいだんご虫を愛でる感性を理解することはできないが、

キモいと言われた奴でも受け入れてもらえる場所があるという世界の広さを感じながら

ここが硬くて冷たいコンクリートではなく、

柔らかい土だったら踏んでも問題はないだろうと思った。

 

 

 

 

 

 

コロナ

ちょうど4月の半ば、職場で熱っぽくなって体温を測ると37度だった。

慌てて本社に電話。担当者不在で連絡とれず。頭が疲れて余裕がない。

とりあえず病院に行かなくては。いったいどうやって?もしコロナだったら?

人にうつしたらどうしよう・・・何もわからない。ネットで検索すると

厚生労働省のホームページ、保健所に電話してね。電話番号を打ち込む。

担当者は言った

「公共機関を使わずに家に帰って、4日間寝ててちょーだいな。

 そのあと病院いって、それでも熱が出るようなら、保健所きて、よろ」

どうやって帰れと?電車もバスも使わずに?歩いて帰れとでも?

仕方なく電車を使う。

駅の改札、トイレ、車両を待つホーム、

いつもなんとも思わなかった全てが怖い。

この日ほど人がこわかったことはない。

この日ほど心細かった日はない。

 もし、これが映画の序盤なら、徐々に目が血走ってきて、突然向かいの客に

襲いかかるのだろう。ウィルスといえばだいたいゾンビになるもんだけど

目に見えないウィルスは、ゾンビよりもずっと怖い。

もし他人にうつしてしまったら?他の人に迷惑をかけるのは嫌だ。

家に着いてとりあえず寝よう。と思ったら 

本社から電話、熱がある。だるいと言ったら

その熱があるってのが怖いんだけどとのこと

誰のせいだと思ってんだよ。

それから4日後、病院にいったら

「特に肺炎とかではないね。多分過労的なやつだね。寝てればいいよ」

この4日はなんだったんだろう。

自粛、自衛、他人に頼るな。

自分でなんとかしろ。

どうしてみんな平気でいられるのか。

コロナなど関係なく、この国の人々は、一種の病気なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

2019年は「選択」の年でした。

2019年。振り返る事などあっただろうか。いや、振り返っても、楽しい事など

 

一つも起きていないから、思い出したくもない。と言った方がいいか。

 

ただ、2019年になって気づいた事があるから、それを書いていこう。

 

 

今年の今頃は、来年こそなにか、人生が変わるような

 

なにかがおこるのではないか。期待していた自分が心の端っこに残っていた。

 

甘いよォ!甘すぎるよォ!

 

カルピスを割らずに原液のまま飲みほすくらい甘いよォ!

 

人生。最悪から逃げるために行動を起こせないやつのなにが変わると言うんだ。

 

一日中会社の奴隷になっている底辺の身分に甘んじている限り

 

人生に光が当たることなどない。

 

ここから飛び出せる力などない。かといって、窮屈な社会生活をすてて

 

世捨て人の生き方を選ぶ勇気もない。

 

会社に雇われずに、自立して生きて行く知恵も、胆力もない。

 

くじけてばかり。迷ってばかりの人間の人生が逆転することなど、ありえない。

 

この先数十年。薄暗く、カビ臭い路地裏を這い回り、なんてひどい一生だったんだ。

 

取り返しようのない後悔で終わる人生を思うと、生まれてこなければよかった。

 

と日々思う。ただそれは言い訳に過ぎない。

 

生まれてきたことを呪っても、生まれてしまった事実は変わらない。

 

たしかに生まれた場所は選べない。

 

人間の可能性を決めるのは、9割が環境だ。しかし、血反吐を吐くほど努力して

 

どん底から駆け上がった人など山ほど入る。

 

この人生がゴミなのは、その人生を選択したからだ。

 

たとえそれがどれだけ苦しくて、悲しくて、寒くて、惨めでも、それが運命だ。

 

この評決を受け入れ一歩先に道がないかもしれない暗闇を歩き続ける。

 

たしかに、人並みにはなれなかったけど、人並み以上に勇気のいる道を選んだ。

 

それだけのこと。

 

政治は大事

 

見出しをよんでブラウザのバツボタンを押した人も多いだろう。

 

突然なにかに目覚めたのか?といぶかしむ人もいるのではないか。

 

当然だ。僕だってそう思う。

 

たしかに、政治というのはめんどくさい。選挙のときだけでかい声でまくしたて

 

選挙が終われば、どこにもいない。たまにニュースで見る国会中継には

 

おっさんとおっさんが小学生のようなやり取りをしているだけ。

 

結局誰がなっても同じで、どうしようもない。自分とは関係ない存在だと思っていた。

 

しかしそれは勘違いだ。政治ほど生活に直結していることはない。

 

その際たるものが消費増税。立派な肩書きのある大人たちは

 

社会保障費が足りないとか、国の借金が〜とのたまうが

 

そもそも、2014年の8%増税のうち、社会保障に使われたのは、増税分のうち16 %

 

さらに、国の借金といっても、日本は自分の国で円をすれる

 

「自国通貨建ての借金」ができる国であるため、そもそも借金を返す必要がない

 

必要なのは、金が世に溢れすぎないようにする、「インフレ率の制御」であって

 

日本国の借金を返すとうことは、庶民から取り上げたお金をシュレッダーにかける

 

愚行であるという事実。さらに、消費税増税のかわりに

 

法人税所得税の最大税率がどんどん低くなっている矛盾を

 

内閣官房京都大学教授藤井聡氏、同じく京都大学教授の中野剛志氏

 

立命館大学経済学部教授松尾匡氏、元財務相官僚の高橋洋一氏。

 

経済評論家の三橋貴明氏。

 

同じく経済評論家の森永卓郎氏さらにはパーフェクトフューマンあっちゃんまでもが

 

明言している現実はもはや常識だと思っていた。

 

97年の消費増税以降、いわゆる、「失われた20年」を続けてきた自由民主党

 

もはや、自由も民主もない販社勢力とかした彼らも、今年7月の選挙で落とされる

 

と思っていたけど、見通しが甘かった。

 

選挙の結果は、自民の大勝。

 

消費税は予定通り増税され、この国は失われた30年に入り始めた。

 

僕が信じられなかったのは全有権者の50%が棄権するという戦後二番目に低い投票率

 

つまり、この国に住んでいる人の半分は、今の生活に満足しているということ。

 

ブログの中にいると、不幸なのは自分だけじゃない。みんな悲しみに耐えているんだ

 

と思っていた。でも、一歩現実にでれば、そんなことは思い違いだとわかる。

 

この社会に生きづらさを感じているのは、本当に一握りの人間だったのだ。

 

しかし、一貧乏人の生活に政治はガンガン刺さりまくる。

 

10月からあきらかに毎日がきつくなった。

 

神に祈っても、ブログを書いても、働いていても政治が変わらない限り

 

苦しい生活は変わらない。しかし、世の中の人のほとんどは、今の人生に苦しさを

 

感じていない。もはや八方塞がりだけど、それも、この国の人々の選択だ。

 

それでも、ブログを書き続ける。

 

 もはや人生がおっくうだけど、これは僕が選んだ道だ。他人からの評価がどれだけ

 

低かろうと、もうやめちまえと言われてようと、途中で投げ出したくない。

 

このブログはたしかに、愉快ではない。でも

 

ブログに苦しいと書いている時だけ、生きている気がする。

 

 

この薄暗い道を行けるところまでいこう。それが僕の選んだ答えだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

頑張らなくていいよ(最終章 中編)

いつもの通り母親と話し、帰ろうとした時だった。

 

送っていくよ。

 

父親からの提案。耳を疑う気の利いたセリフに

 

トラップの匂いを嗅ぎ取ったけれど、ここで断ればへそを曲げて

 

嫌味を言ってくるのはわかっていたし、彼の顔は

 

 why so serious?と聴きたくなるほどで、断るわけにはいかなかった。

 

 

サーキットでライバルに勝つために作られた車はくつろぎなど眼中にない。

 

狭い。気まずい。友達の友達(初対面)と二人きりにされた時くらい気まずい。

 

しかしこちらはコミュ症歴20余年。焦らない。まだあわてるような時間じゃない。

 

会話に困ったら、そもそも会話をしない理由・・・窓からUFOを探せばいい。

 

アダムスキー型がまぶたをかすめた時、彼は前方から顔をそらさずに口を開いた。

 

今日の午前中に医者の問診があって、こう言っていた。

 

これ以上良くなることはないのは確かだけど

 

ここまで、(命が)持っているのは信じられない。 と

 

「お母さんはよくがんばっているよ」

 

リビングで酒を飲みながらテレビにぼやいているようないつもの口調。

 

 それは、 お母さんはがんばっているのに、お前はなんで頑張っていないんだ?

 

 という嫌味にも聞こえた。でもそこでカッとなって運転手に掴みかかり

 

コントロールを失った車が対向車線のトラックに衝突する・・・・

 

お昼のニュースにありがちなことwww になるのもつまらないから

 

口の肉を前歯で咬み怒りを抑えた。

 

確かにブログ記事の8割は死にたいと呟いている。おあつらえ向きじゃん。

 

さっさとやれよ。とあおる人もいるだろう。ところがギッチョン

 

 

僕はクズなのは認める。でも僕の死に方は僕が決められる・・・はず。

 

嫌いなやつと心中は嫌だ。

 

 だから、一言「そう」とだけ返した。うまい返しは見つからなかった。

 

電車の乗り換えがある駅まででいい。と言って、途中で降ろしてもらった。

 

息苦しい空間から出て、胸を開いて深呼吸した。

 

頭をそらせてみた空は排気ガスなど感じさせないような青色。

 

人生を呪いたくなる時は決まって天気がいい。何かの皮肉なのだろうか。

 

仕事の話 

 

彼のぼやきが耳の隅に引っかかりつつ、やらなければならないことに精をだした。

 

「頑張らないテキトーなバイト」 

 

みんな、おまえはいいよな。親の脛かじって生きていけて。と冷ややかに笑う。けど

 

こっちは君が思っている以上に必死だ。

 

 

白鳥は見えないところで無様にバタ足しているって聞いたぜ。

 

バイト。と言っても、一つのミスは即、死につながる。

 

最近だと、もうやってることが正社員と何が違うのかわからなくなってきた。

 

それでも、お前はバイトだ。という立派な社会人からの叱咤・・・

 

クズは一生正規にはなれないのか。

 

そういえば、「非正規をなくす」って言ったえろい人がいたっけ。

 

正規だろうが、非正規だろうが仕事は仕事だ。真面目にやらなくては。

 

そんな心をへし折るように、世の中は不都合な現実を突きつけてくる。

 

人出不足。いやさ賃金不足。最低賃金で3kをこなし、しんどい。を

 

諦めずにぼやく現場に

 

めんどくささを感じた会社が出した答えは、人出が足りている現場でお荷物に

 

なったやつを送ってくること。

 

やってきた人は森田健作にそっくりだった。親戚にいれば楽しいけど

 

仕事の同僚としてはかんべんしてほしいタイプの森田健作(以下 健作)。

 

自分の過去のどうでもいい自慢話を話すときは、キラッキラの少年のようになるのに

 

仕事のやり方を教えると、この世の終わりのような悲しい目をする。

 

災害本部をほっぽり出して自宅に帰ってしまいそうだ。

 

頑張ったけどミスしたとかいうレベルじゃない。

 

それもそのはず、以前の業種と比べると、給料が半分になってしまったから

 

やる気が出ないのだそうだ。顔が水に濡れて力が出ないヒーローかお前は。

 

若者が賃金低いからテキトーにやります。なんて言ったら

 

世間は「甘え 」「自己責任」「身の程」といったイシツブテ雨あられに降らせるのに

 

世間は、ゆとりとカテゴライズしておとしめるけど

 

現実には、甘えてわがままなのは、老人たちのほうじゃないか。

 

どうしてそんないい加減な生き方で、今まで生き残ってこれたんだ。

 

高い年金を払っても、こんなやつらのために使われてしまうのか。と思うと

 

怒りよりも疲れがでてくる。

 

そもそも、年を取っているから無条件で偉いという世の中にただよっている空気。

 

都市伝説じゃないか。と怪しんでしまう。昔の人が頑張ったから今があるというけど

 

今まともな生活が出来ているやつは、ただたんに運が良かっただけだろう。

 

それなのに、貧乏の血の池地獄であっぷあっぷしている人たちが

 

「ふまじめ」「甘え」「ゆとり」にされて苦しむのは間違っている。

 

頑張りすぎて疲れ切っている。その現実をいつになったら世間はわかるのだろう。

 

どこまで頑張れば頑張ったね。といってもらえるのだろう。

 

死ぬまで頑張り続けなければならないんだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

がんばらなくていいよ。(最終章 前編)

 

いつもビリッケツ。万年置いてけぼりの人生に意味はあるのだろうか?

 

 

 

それからしばらく母親の所に行かなかった。カウントダウンは迫っている。でも

 

母親の寿命以上に、父親のいる空間にいたくなかった。

 

何をされるでもないけど、職場にいるような雰囲気だからだ。

 

 

休日まで疲れることをすれば、この先、生き残れない。

 

だから顔を出したくなかった。それが正直な気持ちだ。

 

別に悪意があったわけじゃない。

 

そもそも、話したいのは、母親であって彼ではない。しかし、病室にいくと決まって

 

昼食過ぎの薬を飲み終わった後、副作用で眠っている所で、ほぼ父親との二人になってしまう。

 

彼女と話ができるのはめったになかった。だからこそ、会話の内容を覚えている。

 

今日は風呂に看護師に風呂に入れてもらった。とか。よかったじゃん。というと

 

動けないから怖いけどね。お湯があがってくるの。でも気持ちいいよ。

 

顔に力はなかったけど嬉しそうだった。

 

 

ある日は昼食後なのに珍しく起きていて、食器がまだ下げていなかった。

 

出された物は全て食べてあった。ご飯が美味しいの。声に力はなかったけど

 

楽しそうだった。

 

いつもより調子の良い所を見て、このまま元の生活に戻れるのでは?

 

というちゃちな期待が湧いた。あてにならないのは、よく知っていたけど

 

いままでの苦しみが無駄じゃない根拠になる希望が欲しかった。たった一度だけでいいから・・・

 

 

ある日は部屋のテレビのニュースを見ていた。確か、車の輸入の数字の話だった。

 

そこから車の運転の話になった。彼女は不意に、車欲しくない?と聞いてきた。

 

電車に乗れれば十分。と答えた。

 

場の雰囲気を考えると金がないから買えない。とは言いたくなかった。

 

母親を挟んで反対側に座っていた父親はだまっていた。

 

彼女は運転したくない?と聞いてきた。

 

これまでのキャリアからつける職業と年収を考えると、

 

エンジンつきの乗り物を手にする日はこない。

 

それでもいつか車を買えるようになったら乗せてあげるよ。

 

いつか。の話をするのは、苦しかったけど。

 

彼女は少し引きつった顔で笑った。でも目は優しかった。

 

幸せはいつも夢の中

 

 ある日のことだった、休日を使って、みんなで少し遠い所に花見をして

 

ピクニックにいくことになった。愛車を洗車してみんなを乗せて行くことにした。

 

中古のワンボックスだけど、みんなを乗せて行くには十分。

 

そこには、父親も含めて、みんなを乗せて運転していく理想の人がいた。

 

幸せだった。とても。どこにでもいける。

 

みんなが行きたい所に連れて行けるんだ・・・・

 

そこでいきなり景色が割れた。一瞬何事かと思ったけど

 

切り開かれたのはまぶたで、いままでの幸せは夢だったとわかった。

 

 誰ひとり幸せにできない人間になってしまった現実がじわじわと押し寄せて

 

どこにも行き場のない悔しさが天井を涙で覆った。

 

このゆがんだ景色ををあと何年見つめ続ければ、報われる日がくるのだろう?

 

この人生があまりにもクソすぎて、惨めな理由はなんだ?

 

お前が悪いんだよ。

 

考えられる答えはひとつだけ。でも、その答えが辛すぎて眠れなかった。

 

時間がない。

ある日のこと、母親の所に行く。とおばさんに言うと、

 

「ぬり絵」を持って行ってほしい。と頼まれた。

 

母親のところにいったとき、欲しいものは?と聞いたら出てきたのだそうだ。

 

ぬり絵と言うから、少し微笑ましかったけど、母親に渡したのは、立派な大人の塗り絵だった。

 

ぬり方の見本が前半に載っていて、「ねっ!簡単でしょ?」の具象化で真似できない

 

母親ははこんなにうまくできないよと笑った。

 

父親がだんだんうまくなっていけばいいじゃん。と言った。それに乗っかった。

 

そんな時間がないことはわかっていたけれど。

 

置いてけぼりになってばかりだ。

 

母親のところには行かないで街に出かけていた。

 

前の日に嫌なことがあって、彼女に会いにいっても余計に辛くなる気がした。

 

気分を変えたかった。それがいけなかった。

 

父親から電話があった。彼は必ず、今日は休みか?と聞いてくる。

 

休日なのに、どうしてこないんだ?と聞かれている気がするのは、後ろめたい

 

ところがあるからだろうか。

 

休みで家以外の場所にいる。と答えた。彼は仕方ない。と言って

要件を伝えた。

 

写真を現像して欲しいとのことだった。

 

なぜか?と聞くと、「母親の遺影に使う写真を作るから」と答えた。

 

聞かなければよかった。

 

彼から渡されたデジタルカメラ写真屋に持っていくと、店員にノートパソコンの前に

案内された。

 

両親がどこか旅行にいっている画像が再生された。

 

彼女がまだ元気だった頃の写真だ。何枚か見ているうちに涙がこぼれた。

 

もう、何もかも間に合わない。その後悔が涙になった。

 

これは。という写真を何枚か現像して父親に渡した。

 

その日の夜、夢をみた。夢ならいつも、むかし住んでいた家が出てくるけど

その夢は珍しく、今の家が出てきた。

 

僕が寝ていたら、枕元で誰かが、じゃあね。と言った。

 

誰かわからないのに、置いてかないでよ。そう叫ぶと目を覚ました。

 

 

みんないなくなってしまう。その虚しさや、言いようのない寂しさで目頭がきつくなり

 

ボロボロの天井を見つめながらまた涙がでてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

がんばらなくていいよ。(中編の下)

あまりにもありきたりな、お寒いジョークでお茶を濁してみたものの

 

空気がフリーズするだけだった。

 

癌。といっても、いろいろな病状があるはずだ。立ち直った有名人もいる。

 

 

最近の医学ならば、案外治るものではないだろうか。

 

専門家でもないのに、適当な文句をひたすら並べてみた。

 

信じたかった。全て元どおりに、丸く収まる。なにも問題がない。

 

自分がしてきたことのつけを払うことなどあり得ないと信じたかった。

 

そんなことあり得ないのに。

 

その時は適当に励まして、場を濁した。どうしようもなかった。

 

 帰り道は膝に力が入らず、生まれたての子鹿のようにへなへなと歩いた。

 

このままにしては置けないのはわかりきっている。でも凡人になにができると?

 

なにもない。無力だ。なにより、自分のことで精一杯だった。

 

 しばらくバイトと自分の家のマラソンで、母親のところには行かなかった。

 

現実を見たくなかったのだ。

 

 働いていれば、いわゆる、親不孝というフレーズを耳に入れなくて済んだ。

 

無職でいるよりは、世間からの風当たりが少なくなると信じていた。

 

誰に責められるのか。

 

黙っていれば他人の苦痛なんて誰も興味がない。

 

奴らにはしょせん、人生をいい加減に生きている馬鹿にしか見えまい。

 

これまでの人生、どれだけ傷ついてきたかなんて、説明しても・・・・・

 

 人手不足という言葉に耳にタコができるくらい聞き飽きた。

 

崖っぷちのバイトも例外ではなく、穴を埋めるための、地獄の長時間労働が始まった。

 

まさか、バイトの身分でフルタイムをこなすことになるとはね。

 

限界を突破した労働時間も、よく調教された奴隷の皆さんには甘えに見える。

 

生きている間は誰にも理解されない苦しみ

 

死ねば誰かが、かわいそうだね。ぐらいは言うかもね。

 

そんな安い同情を買うために死ぬ奴が馬鹿だけど。

 

 僕なりに社会人としてやっていこうとしたある日、立ち上がろうとした足を

 

へし折るように、父親からメールがきた。

 

 「お医者様からお母さんが余命一ヶ月だと診察されました。

 

一回でいいので、会ってあげてください。お願いします。」

 

肺が空気を取り入れるのを拒んでいるような感じがした。

 

同僚には荷物を取りに行くと言ってその場を飛び出した。

 

まるで授業中にうんこもらしたやつみたいに。

 

生まれて初めて彼の電話番号を押した。

 

数年ぶりに聞く彼の声は僕が憎んでいた頃よりも細くなっているような気がした

 

メールの内容が本当か。と言った。ドッキリ大成功!のプラカードが出るとでも?

 

 彼によると医者が言うには、正確にいつかはわからない。けど覚悟はしておけと。

 

壁沿いにしゃがむしかなかった。動けない。息ができない。

 

中学生の頃、同じクラスのボクシングを習っている。と自慢していたDQN

 

脇腹を殴られたときに似ている。

 

責められたのはスクールカーストの頂点にいる彼ではなく

 

底辺のキモいやつ・・・誰も助けてはくれなかった。

 

昔も今も変わらない。自分を救えるのは自分だ。

 

固まった膝をなんとか伸ばし立ち上がる。

 

父親は今日は休みか?と聞いてきた。

 

 仕事の代わりはいないのかと聞かれた。

 

代わりはいくらいる。しかしここで代われば明日からはそいつの仕事になる。

 

僕は職を失うだろう。

 

後日。ということにして、生きた心地などしない1日を乗り切る。

 

その日は朝から晩まで時間が止まったような気分だった。

 

眠れない日はなんどもあったけど、朝が来なければいいと思ったのは初めてだ。

 

目をつぶっていても、走る車の音や、悪ふざけで子どもが鳴らした防犯ベル。

 

差し込む太陽の光が普通の人間は行動する時間なのだ。起きろと嫌味を言う。

 

仕方なく体を起こす。身体中が重い。本当は一歩も動きたくない。でも仕方ない。

 

行かねば。ひどい成績表をもらいに行く気分だ。 それでも受け止めねばならない。

 

お前の人生は万年最下位の赤点・・・絶対にきたくない家の前にやってきた。

 

チャイムを押す。しばらくすると父親の声がして、入ってこいと言われた。

 

玄関を開けると彼がいた。

 

記憶の中にいる人よりもだいぶ小さい気がした。

 

リビングに通される。彼はどこにでもなくせんべいが来たよ。と言った。

 

そして・・・・母親がいた。

 

初めて見たときは誰だかわからなかったくらい痩せていた。

 

彼女は鼻にチューブをはめていて、その管が長く伸び、リビングにあるストーブ少し大きいくらいの箱につながっている。

 

箱の正面に酸素と書いてあった。

 

後で父親から聞いたけど、このころには自分で息をするのが難しくなっていたのだそうだ。

 

彼女はよく来たね。と言った。

 

前に聞いたときよりも声が小さくなったような気がした。僕は彼女の隣に座った。

 

座ったものの、何を言えばいいのかわからなかった。調子はどう?とか元気か?

 

的な世間話はできそうにない。見るからに悪いからだ。

 

仕方なく天気の話をした。このときは5月の半ばだったから、雨が降っているね的な。

 

やはり何を話したのか覚えていないけど、病気を思い起こさせるようなことには

 

触れないように気をつけていた。彼女はずっといてもいいよ。といった。

 

僕は今すぐに逃げ出したかった。

 

そうこうしていると、部屋の隅にWi-fiの機械があるのがわかった。それについて話す

 

と、どこからか父親がやってきて、携帯を変えたと。

 

彼の手にはスマホが握られていた。いつの間に・・・

 

そして携帯会社からのクーポン券をだしてきた。

 

機種変更すると少し割り引かれるようだ。ならば彼女の携帯はどうなのかと聞くと

 

「私はもう無理だよ」と答えた。今更手遅れだろう。

 

もっと自分で自由に動けたときならばあるいは・・・・

 

時計が午後の3時をさしていた。

 

これ以上彼女を見ているのが辛すぎて、その場から退場した。

 

 

その場にいたら身をすり潰されるような気持ちになったから。

 

複雑な気がしたけれど、僕はその数日後にスマホに変えた。

 

彼女への後ろめたさはあったものの、奴への対抗心が先に出た。

 

通信料の機種代は自分で払うと断った。初めて働いていてよかったと思った。

 

機種変更の手続きをしている間、販売員が、月々いくら払うのか。という

 

契約を書き込んでいるのを見て、仕事から逃げられないんだな。

 

目をつぶりながら、両肩に背負った見えない物の重さにめまいがした。

 

それからしばらくあの家に行くことはなかった。

 

バイト先で入った新人がまたやめたからだ。

 

シフトの穴を埋めなければ。

 

書き起こしている。逃げただけとわかった。

 

自分の今までを甘えだと認めたくなかった。

 

これまでの人生。

 

主観で見れば努力が報われない理不尽な世界観だったとしても

 

客観的に見れば、自己責任の自業自得。一人で死ね。と切り捨てられる恐怖と

 

上から狙い撃ちされているような切り捨てに耐えられなかったのだ。

 

答えはもう出ているのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

がんばらなくていいよ(中編の上)

発端は3年前にさかのぼる。

 

 

彼女はよく、スマホがほしい。と言っていた。車がほしいとも。

 

僕が小さい頃、大人になったら、車に乗せてね。と嬉しそうに語っていたっけ。

 

時々思い出して涙がでる。鼻水をかんでからブログ編集に戻ろう。

 

僕はオートマの車しか運転できない。

 

彼女の家・・・つまり、父親の城にはマニュアル運転の軽自動車が一台だけしかない。

おかげで、免許をとってから一度も車を運転したことがない。

 

なので免許はゴールド免許である。ただ、もう公道に出ることはないだろう。

 

自分の力のなさ、情けなさが悔しくて夜も眠れない。

 

今の生活も不安定な万年フリーターには、軽自動車でも高すぎる代物。

 

無理をして手に入れても、こんどは維持費が高すぎる。

 

車どころではない。この世の中の贅沢が全て若者を遠ざけている。

 

生涯車なんて買えない。なぜこんな目に合わなければならないのか。

 

これまでの人生を頑張ってこなかった奴が悪い。

 

なぜこんな自分なんだろう。

 

自己肯定感なるものが流行っているけれど

 

自分がダメな人間でも生きていいんだ。などという怠惰を

 

いくら独りで思い込んでも、他人は絶対に許さない。

 

頑張らない人生に後悔が増えたけど、今更になって、悔やんでも仕方がない。

 

これ以上自己嫌悪を続けても壊れてしまう。他人のせいにしよう。

 

父親が家族のことを垣間見る人なら

 

僕はもっと別の、例えば車を使うような仕事をしていたのかも。

 

彼のことはあまり知らない。ただ、自分本意な人。とだけしか。

 

彼の家には彼のものばかりがある。

 

もちろん、食器その他、必要なものはこれでもかとあるのだけれど

 

母親のものは、ジグソーパズルの完成品が2.3枚掛けてあるだけ。

 

彼の家にはビールサーバーがある。

 

しかし、ネットに接続できる機器はノートパソコンすらない。

 

この、情報過多の時代にである。

 

 

彼は車に対するこだわりがすごい

 

わざわざ、マニュアルのスポーツカーを購入。

 

ATの軽自動車なら僕でも運転できたのに・・・・

 

どぉじでなんだよぉおおおお!(ガーリィレコード高井ボイス)

 

若い頃はレーサーになりたかったと聞いたことがある。

 

車も改造するのが好きで、椅子を自分で外したりする。

 

なのに彼の車にはドライブレコーダーがない。

 

肝心なものがなくて、事故になった時どうするのだろう。

 

この煽り運転全盛の時代に。

 

金はあっても本当に必要なものがない。

 

それとも自分の一番近くにいる人の望みもわからないのか。

 

わかろうとしないのか。

 

 

 

最悪の結末になるのはわかりきっていただろう。

 

次に会ったのは、翌年の冬だった。

 

母親はとても我慢しているように見えた。

 

何かをぐっとこらえているようだった。

 

昔、体を悪くした時父方の親戚から「根性がない」と言われたことを気にしている

からだと思う。

 

この時が限界だったのだろう。

 

 これまでの彼女からは想像できないくらいイライラしていた。

 

両手の指を差し出して、よく見てみると僅かに白くくすんでいた。

 

単なる風邪か、肌の乾燥だと思っていた。

 

しかし、彼女は体が弱かったので、些細な兆候も命取りになる。

 

父親が病院に連れて行けばいい。奴はなにしてる。

 

彼がいないところでわめいて意味はないのに。

 

歩けない。疲れたと言って座り込んでしまう。

 

なにも知らないと、だだをこねているようだった。

 

本当は気づいて欲しかったんだと思う。

 

なぜ今になってそんなことを?なにを言っても戻れないのに。

 

 彼女は、先週、病院に行ってきて、検査を受けたけど、結果が思わしくない。と言った。

検査入院する。そういった時、不安そうだった。でも僕は上の空だった。

 

当時ガチ無職だった僕が考えていたのは、

 

この先どうやって生きていけばいいのかだけだった。

 

他人を思いやれない。という点で誰かとの間に大差はない。

 

結局自分しか見えていなかった。

 

なんとか今のバイトを見つけ、それになれるために四苦八苦していて

 

ブラック企業だとは知りながらも、

 

しがみつかなければならないジレンマに苦しんでいた。

 

毎日、毎日、塀のない牢獄の中をさまよっているような感覚。

 

くすんだ淀んだ空気にのしかかられているような1日。

 

どうして、こんな生活しかできないのか。努力不足。辛いのは自分のせいだ。

 

誰かを恨んでも、絶望は変わらない。

 

そんな現実に悶絶しているうちに母親のことなど、なかば忘れていた。

 

結局は僕も彼と同じ、ただの弱虫だったということか。

 

 なんとか、どうにか、今の生活を、仕方がない。と割り切れるレベルには妥協できる

 

安心を得られたある日のことだった。

 

母親が家にきて、外食をしないか。と言ってきた。

 

のこのこついっていった馬鹿に今なら言いたい。やめろ引き返せ!と

 

なにをたべたのか。もうあまり覚えていないが

 

彼女は今までになく、顔が青かった。

 

フォークを持つ指の爪の色が以前より白くなっている。

 

いぶかしむ僕に不意打ちをかけるように、彼女は呟いた。

 

「私、癌なんだよ。」と。

 

がーん。

 

(続く)