キリギリスはなぜ死んだ?

社会に、いらね。と言われた奴の最後のあがき

身の丈にあった幸福とはなにか?

しばらく調子が良くて

毎日、ブログの更新もできていたが

急に書けなくなった。

ブログとは全く関係ない場所にいた時、頭の中にあった言葉も

いざパソコンの前に座れば、どこかに飛んでいってしまう。

ブログを書くということが、こんなに難しいなんて思わなかった。

 

しかし、なりふり構ってはいられない。

書けない愚痴すら記事にするしかない。

読者の皆さんには申し訳ないと思う。

毎日投稿するとなると、出てくるのはやはり愚痴しかないのだ。

僕の書いたブログが何の役に立つか?と聞かれたら

粗大ごみである。とだけ言っておこう。

文章には、人柄がでる。というなら、

大した社会経験もない奴の書いた物など

その程度で当然だが。

 

人並みが高望み。

 人並みの生活がしたい。

というのは僕には無理な話みたいだ。

「人並み」と言っては見たけど

あまりに過ぎた代物であるような気がする。

結婚、出産、育児、マイホーム。

それら全てが計り知れない自己犠牲の

末に得られる物なら、僕が欲しがるのは、間違っている。

 

あって当たり前だ。と思っていた物は全て

自由を犠牲にして得た物であり

社会全般の人がその程度ならよしとする

不自由に耐えられない僕が

得られる物ではなかった。

 

なりたい物となれる物が違うなら

今僕は幸せの絶頂にいるはずだ。

いい加減、わかれよ。

この生活が、お前の憧れだろう?

昔からそうだった。

本当は、学校も、会社もどうでもよかった。

朝、早く起きるのが嫌でも親に起こされたから

成人してからは、生きるために

仕方なく出かける毎日。

それを考えれば、夢のような生活だろ?

何にもしなくても飯が食える。

好きなだけ寝ていられる。

これ以上の幸福はない。

 

金のかかる物ばかり欲しがって

もし手に入っても

満足できない事はわかってる。

遠いどこかに居場所を求めるから、いけない。

この瞬間、幸福を感じられない者は

どこまでいっても不幸である。

どうやら僕の不幸や不平等を感じる心は

一生物のようだ。

 

家の中にいたくない。

何度も繰り返すが、じっとしていられない。

かといって、帰ってこれないほど遠くへ行きたくもない。

 

線路沿いを自転車で走る。

いつもそうだけど、行きはいいんだ。

雲行きが怪しいとは思っていたけど

案の定雨が降ってきた。

まるで、真面目に生きていない罰であるかのように。

いや、心にやましさがあるから

大した事がなくても罪悪感を覚えるのだろう。

 

雨の勢いは次第に強くなっていき

土砂降りになった。

行くときは爽快だったまっすぐな道も

帰りは地獄とかす。

傘をさそうにも、折りたたみでは

この強風の中では役にたたない。

必死でペダルを漕ぐ僕。

 

その横を通り過ぎていく軽自動車。

僕も車があったら。

僕はいつも、自分の手の届かない物を羨ましがる。

しっかり前を見ないと、障害物にぶつかるかもしれない。

上を向いて歩くのも考えものだ。

 

僕には

ジャスコで買ったチャリが

お似合いの乗り物なのに。