キリギリスはなぜ死んだ?

社会に、いらね。と言われた奴の最後のあがき

自分らしく生きろと言われても、自分らしさがわからない。

鏡の前の自分と目を合わせて「お前は誰だ」と言い続けると

 

自分がだれかわからない精神病にかかるって都市伝説を知ってるかい?

 

嘘か誠か実験してみようって度胸もないけど、

 

それに近いことなら毎日起きてる。

 

やりたい事はないけど、

 

やりたくない事は山ほどある心の声が

 

顔を真っ赤にして「やだ!」と泣きじゃくる。

 

「すぅんな事言ったって、しょうがないじゃないか。」

 

楽な道を歩いて生きていけるほど、人生は甘くない。幸楽ラーメンのホープ

 

えなりかずきをガチリスペクトして伝えてみた。わかってくれるよね。

 

「おまえの望まない事しかできないなら、それは誰の人生なんだよ。」

 

駄々っ子からの痛いところを突いたアンサー、確かに。

 

嫌な事をやって生きるのは好きな事をやりきって死ぬ覚悟のないクズの言い訳だ。

 

 

そして、やりたい事がないのは、空虚な生き方をしてきた証でもある。

 

どう生きればいいかわからないとき、「自分らしく生きればいい」と言われても

 

「自分らしさ」がわからない。そもそも自分なんてない。

 

思い出してごらん。

 

これまで君自身で何かを決めた事、一度でもあったのかい?

 

親や周囲の顔色を見て、はいと頷いているだけ。

 

大人の判断は正しかったし、たとえその道でうまくいかなくても

 

「決めた奴の間違いだ。」と言えたけど

 

決めてくれた大人はもういない。自分で判断しなきゃ

 

でも、歯磨きをする/しない程度の選択でも間違ってしまう。

 

やる事なす事全て大間違い。まるで不正解でできてるみたいな人生。

 

そうなると、他力本願の本性がでてくる。誰か助けてくれ。誰か・・・

 

返事はこうだ。誰かと言う前にお前は誰なんだ。教えてくれよ。

 

答えられなかった。他人任せの奴に自分などない。

 

お前は誰だと聞かれても、自分が何者かわからない。

 

今まで他人の言うがままだったくせに今更他人の目をはばからず

 

「自分はこうだ」と言える物はなんてあるんだろうか。

 

自分らしさってなんだ?

 

平成最後の夏、太陽は暑苦しいくらいハイテンションだ。

 

熱を吸収したアスファルトの上を歩くと、鉄板の上で焼かれた

 

たい焼きくんの気持ちがよくわかる。

 

日が落ちても気温は30度以上。蝉も昼夜を問わず、丑三つ時でもフェスの真っ最中。

 

その鳴き声を風物詩と受け取る奥ゆかしさはない。ただの騒音だ。

 

ただ、蝉からしてみれば、五分の魂の叫びなのかもしれない。

 

蝉にすら意思があるのに、人間ときたら・・・

 

 熱中症で運ばれる人が例年の倍以上!くどいCMかってくらいニュースが喚いてる。

 

できるだけ外出は避けてください。だって?

 

なら外出して働かせないような仕組みを作ってくれよ。

 

拭いても拭いても吹き出す汗、T-シャツを着ているはずなのに、背中の布は

 

汗を吸ってくれない。今はムレた雑巾に近い。

 

お腹にあんこは入ってないし、入ってる荷物はしょぼいのに

 

リュックの紐が肩に追いすがるように食い込んでくる。

 

重い。なぜだ?

 

 社会で生きていくためにやらなければならない義務に操られているだけの

 

自分なんてどこにもいない生き方を背負いきれないのに

 

道端に仰向けになった蝉みたいに、一つをやりきって死ぬことすらできない。

 

死体を解体して巣に持っていくために行列を作る蟻のごとく

 

きちんとしたレールに乗って生きている。

 

彼らは自分の生き方に悩んだりするのだろうか。蟻の気持ちはわからない。

 

だってキリギリスだもの。

 

怠け者に労働はキツイ。一生懸命になっても、必ず失敗する。何かを間違う。

 

それまでやってきた事が無に還る瞬間、胃の端っこから酸っぱい物が上がってきて

 

心臓に広がり、シェイクされているような感覚は何度きても慣れない。

 

 

上がったら下がる。最近は一瞬でも、生きてもいいかも・・・

 

と思い始めていた。それは罠だと、いつになったら学習するんだ。

 

信念などないクズは、生きるのは苦痛。ぐらいの気持ちでちょうどいいのに。

 

ここ数日は、まるでそれまでのしっぺ返しのようだ。

 

血の池地獄に垂らされた光る糸にすがったら、それは鋭利な釣り針だった

 

わかってたはずだ。

 

 

電車賃でも、商品でも、外食でも、金を消費して手に入る幸せは、まやかしだと。

 

自分らしさのない人間に居座れる場所などない。

 

意味とか価値とか肯定するとかどうでもいい。たくさんだ。

 

「生きる」っていう言葉自体が苦しい。痛い。重い。

 

油断して走る足を緩めて、死神の鎌に捕まってしまった。

 

もったいぶりながら迫った刃が、皮膚の繊維を一本づつ切るように、喉元に沈んでいく

 

「もういいだろ。十分だ。お前にしちゃよくやったさ」と囁く

 

紙粘土のような質感の骸骨。

 

頭上に死がちらついたときに、「自分は誰なんだ」という声が聞こえる。

 

誰かわからないと答えることで、脳が現実から逃げ出そうとする。

 

死ぬのは自分だという現実から。

 

 お前は誰だと聞かれても、自分が誰かわからない人はどうすべきか

 

この記事に君の望む答えはあっただろうか

 

寄り添う。といっても、泣き喚いているだけで

 

読者への影響など考えた事もない。他人がどう受け取るか

 

なんて検討もつかないから、こう言うしかない。「わからない」と

 

あなた方はそんなやり方じゃ成功できないよ。と言う。

 

残念。成功できるか。は問題じゃないんだ。

 

ここでやってる事は大間違いだろう。でもそれでいい。これだけは譲れない。

 

 あなた方にとって、読みあげる心の声すら不愉快な虫の音だとしても

 

悲しみ、苦しみを訴え続ける。それが僕らしさだ。

 

君が蝉だろうと、蟻だろうと、たいやきだろうと所詮生き物

 

立派な生き方、グータラな生き方、どちらにしても、いつか死ぬ。

 

無職でも、引きこもりでも、非正規雇用でも、君の生き方を生きるがいい

 

 

自分らしさとは、他人に咎められても、曲げられない物を言う。

 

 

 お前は誰だと聞かれても、自分が誰だかわからないときは

 

心の声に嘘をついちゃいけないよ。