キリギリスはなぜ死んだ?

社会に、いらね。と言われた奴の最後のあがき

みんなが辛いのに我慢しろっておかしくない?みんな〜だからこの社会は息苦しい。

 

「みんな辛いから我慢しろ」 言った側としては励ましや慰めのつもりだろうけど

 

言われた側には崖の淵にしがみついた手を踏みつけられているのと同じだ。

 

 

「みんな〜だから」大衆は文句言わないし、問題ないって人は勘違いしてる。

 

この社会がおかしいのは「みんな」分かってる。でも、たとえ声を上げたところで、

 

ただ喉が痛くなって疲れるだけ。物事は悪くなる一方だけど、原因はわからないし

 

改善する案もないから、地獄の責め苦から逃れるのは不可能。

 

前へならえを刷り込まれた人々は閻魔に舌を抜かれたような顔で

 

 みんなしんどい満員電車に乗り込み、みんな我慢してる激務をこなし、みんなが辛い

 

社会の息苦しさに耐えて生きていくしかなかった。

 

駄々をこねる子供の鳴き声みたいな心臓の鼓動を心の押し入れに閉じ込めて

 

何かおかしいと叫ぶくそがきを忘れかけた頃、起こったのが

 

  日大タックル問題

 

最初は「肘でもええから目に入れろ」の再来?くらいのイメージしかなかった。

 

 でも、マスコミやネットの話題まで総なめにする日大アメフト部の闇の深さに

 

初見の冷笑は吹き飛んでいく。

 

干からびた梅干しに似ている監督、イノセントな筋肉チルドレンの体たらくはみなさん

ご承知の通りだろうから割愛。

 

 

美容師との世間話に困るほど人の噂に疎い僕でも、鉄砲玉を命じられた彼の会見は

 

優秀な大人のバックアップありきといえど、当人の置かれた状況に同情しかできない。

 

彼は大好きだったアメリカンフットボールを引退する。

 

それが悲しかった。

 

一歩間違えれば被害者に障害を残しかねない危険な行為。それでも

 

大好きな事を、例えば、怪我で体が動かない。とか、才能がないのがわかった

 

とか、それこそ自己責任の範囲なら言葉も飲み込めるだろうけど、

 

上司の理不尽な命令が理由というのは、あまりに・・・・・やめよう。

 

知人でもない、一視聴者が彼の選択に口を出す権利はない。

 

 

今回の問題は日大だけが悪いのか。違う。

 

 彼の、わらにもすがる思いで振り絞った声を「みんなやってるから我慢しろ」

 

と放置した社会が黒幕だ。

 みんな辛いからなんだって?

 

あれは社会人の義務から逃げ出したニート初心者だったころ

 

 

家に金を入れずに囲む食卓のケツの座りの悪さを受け流すメンタルをもてずに

 

「もう一度やり直そう」と受けたスーパーのバイト。

 

面接の時点でお察しだった。

 

「その年で働いてないとか、親に申し訳ないと思わないの?」とか

 

「携帯持ってるの?」という問いに「はい。」と答えると

 

「通話料誰が払ってんの?働いてもいないのに」とか

 

「タバコ吸うの?」

 

「すいません」

 

「ですよねーwwww働いてませんもんねーwwww」

 

 

これは「バイトの面接」じゃないのか、聞くべきはシフトや交通費だろ。

 

そもそも、働いてないから面接に来たんだろ?バカなのか。あんた。

 

腹わたがフォッサマグマしながらも、逃げ出して負け犬に逆戻りするのは嫌だという

 

不燃ゴミにもならないプライドを守るため、ヘラヘラ笑いながら

 

「すいまっせぇーんwww」と答えた。

 

数日後受け取った合格通知。今思えばここで逃げ出せば良かった。

 

今度こそ立ち直れる。くそみたいな希望を持った無職を待っていたのは、これまたくそ

 

みたいないじめの日々だった。

 

いじめられた学生に「逃げろ」とか、「学校行くな」というけど、社会って

 

学校と対して変わらないよね。しかも、成人したら無条件で存在を肯定される

 

学生フィルターも消滅して、残るのは生きづらさなのに。

 

 

フルーツポンチ村上のようなキャラのクソ野郎に、毎日クソみたいな小言を

 

聞かされ続ける地獄。「嫌いなやつとは距離を取れ」なんて言われても、閉鎖空間で

 

つきっきりの状態じゃ、逃げる場所なんてどこにもないのよ。

 

金を貯めて何かしようとか、ここを乗り切れば楽になるとか続ける理由を唱えても

 

その場しのぎにすらならないし、行きたくない。嫌だ。っていうガキみたいな

 

言葉しか頭に浮かばない。どうしようもなくて相談した人のアドバイス

 

「みんな辛いんだから我慢しなさい」

 

それで何が変わるんだよ。いや、言い訳するな。我慢、我慢、我慢、我慢・・・・・

 

気がつくと耐えろ。と握った拳が、奴の蚊の泣くような声で腐った女のような嫌味を

 

 

垂れる日光を浴びずに育ったカマキリみたいな血の気のない顔面に吸い込まれて

いった。

 

 二、三発食らわせたところで、致命傷にはならず、止めに入った他の社員に

 

「おまえは遊びにきてるんじゃなくて、働きにきてるんだぞ。」

 

「みんな辛くても(以下略)」うるせぇ。

 

言わないでいいよ。悪いのは僕だ。わかってる。

 

ただ、奴の頭をそのまま肉斬りスライサーに押し付なかっただけ良かったと思う。

 

俺、偉い。ニートよ。これが自己肯定感だ。その場は帰れ。と命じられた。

 

帰り道で思うのは、悔しいやら、悲しいやら、不安やら、これを言葉にするには

 

どうしたらいいのだろう?世界が自分と、他人で分断されてしまった感覚。

 

すれ違うあらゆる景色が、「お前は生きるべきじゃない」と囁いているような感じ。

 

コートかけられて出てきた犯人の気分。わからない。伝わるとも思わないし

 

伝わったところで、何が変わるわけでもない。ただ、わかってほしい。

 

あの時ほど、救いが欲しかったことはないこと。

 

そして、「みんなが辛い」社会に適応できないクズに差し伸べられる手などない現実を。

 

 

 

ネットの中は過剰に生暖かい寛容が溢れているけど、本当に困った時には、誰一人助けてくれないじゃないか。

 

イライラする。「逃げる」か「従うか」かの、消極的な二択しかない現実に。

 

怒りを飲み込むな。不満を口にしろ。自分に嘘をつくな。

 

 とっくの昔にご存知なんだろ?使い古されたテンプレのごまかしは、もう通用しない。

 

君が感じているモヤモヤや不満は飲み込んだり、忘れたりするものじゃない。

 

声に出して、訴える物だ。それは人間の正当な権利。

 

 

今日も死にたい。と呟く君、逆になぜ生きてるんだい?

 

死ぬのが怖い?国は安楽死施設早く作れだって?わかる。でもね。

 

やましい事を国ぐるみで隠すような奴らに

 

 

「この社会のシステムは金持以外は地獄を見るように作られています」

 

なんて、認めるような代物をわざわざ作るとでも?

 

死にたいなら、死にたいほど辛い現実を突きつける世間に怒れ、声をあげろ。

 

今を生きている君に必要なのは、永遠に来ない世界の終わりを望むことではなく

 

みんながおかしいと感じている理不尽に中指を立てる勇気だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「LEFT ALIVE 」 アーマード・コア鍋P新作はロボゲの救世主となるか

アーマードコア、新作マダー!?

 少数派は生きづらい。

 

メカ秘密結社、フロムソフトウェアが株式会社ダークソウルと化して早数年。

 

地底人や地球人のレイヴン、ps3で首輪を外された人類の天敵、アーマードコアの新作を待ちわびているミグラント達にとって

 

ニッチなロボットゲーム自体が絶滅の危機に瀕しているこのごろは

 

 まるで炎天下の砂漠で乾きにあえぎつつ、ありもしないオアシスを探し歩くような苦痛の毎日が続く。

 

しかし、「AC有る限りフロムやめない」宣言をした機械変態、

 

鍋島プロデューサーの存在に

 

「フロムはダクソ作りつつアーマードコア新作を作るための力(資金)を溜めている」という、か細い希望を抱いていた。

 

 

藁にもすがる思いの難民に、ネットは非常な現実を突きつける。

 

「鍋島Pがフロム・ソフトウェアを退社し、スクエア・エニックスに入社

フロントミッションの新作を製作中。」

 

根拠のない情報に最初は否定的だったイレギュラーもVDとダクソのアプデ格差

アーマードコア20執念をスルーする公式に信念が揺らぎ始める。

 

もしや・・・という疑いと共に迎えたTGSで、それは起こった。

 

ロボゲ界のレアルマドリード。LEFT  ALIVEの魅力とは。

 スクエア・エニックスに転職した鍋Pの最新作

 

「LEFT ALIVE」

 

 


LEFT ALIVE TGS2017 Trailer

 

 

 特に0:27~のモノアイの動きにフェチズムを感じる。男子の欲情を掻き立てるため

禁止されないか心配だが、メカに対するこだわりを感じて嬉しくなった。

 

ファミ通のインタビューに登場した鍋P。V系の生放送では「ナニカサレタ・・・」

 

ようだけど、転職の影響か若干健康的になり、オサレなジャケットを羽織っている。

 

オサレゲーム会社スクエニはファッションにも気をくばっている、さすが大手。

 

鍋Pの生存確認が終わった所で一区切りつけて、ゲーム本編について語ろう。

 

ここまであまりにもアーマード・コアを連呼してきたため

 

「こいつ、他のロボゲやったことないんじゃね?」と疑っているあなた、正解だ。

 

フロントミッションは5のPVで気になってはいた。しかし論理を重視しない脳筋には

シュミレーションというジャンルは敷居が高かった。

 

そう。ほこり臭い愛機を自分の手で操作し、その姿を眺めるからこそ、興奮するのであっ

て、ロボットが出て来ればなんでもいい。という訳でないのだよ。

 

 どちらかと言えば、RPGよりアクション系がいい。

 

ゲームは戦場に放り出された人々の一日を追体験するアクション。

 

ゲーム内で「ヴァンツァー」と呼ばれる歩行型機動兵器は敵として主人公を苦しめる。

 

プレイヤーは、戦ったり、罠を仕掛けたり、時にはヴァンツァーを奪ったりして悪意に満ちた街を脱出しなければならない。

 

動画を見る限り、ステルスアクションの要素もあり、どこかMGSを思い出す。

 

それもそのはず、キャラクターデザインの新川洋司氏は、長年MGSシリーズのヴィジュアルを担当してきた硬派ゲーム界のカリスマ。

 

 

メタルギアRAYのかっこよさに、タンカーで関係ない写真を撮りまくり、オタコンに

 

酷評されたポンコツ傭兵としては、この展開は新しくて惹かれる。

 

 

そして、プロデューサーは初代フロントミッションを 世に出した橋下真司氏。

 

プレイ経験皆無の奴が語れるエピソードはないけど、同作は考え抜かれた設定

 

人間味のあるキャラクターと、幅広いカスタマイズ性が評価されたからこそ、20年以上

 

続くシリーズになったのはわかる。

 

確かに、アーマードコアは、メカアクションとしては最高だった。

 

しかし、脳内妄想必須のストーリーと人間キャラがでない(出せない)というシリー

ズの伝統に縛られて、マンネリ化していたのも事実。

 

 

新規タイトルとして

 

ストーリーはフロントミッション。ロボに乗ればアーマードコア。ロボから降りたら

 

メタルギアソリッド・・・そんな神ゲーが出れば一生やりづつけるのだが・・・

 

 メカ物界のレアルマドリードが立ち上げた新規タイトル

 

 「LEFT ALIVE」どうか 終末寸前のロボゲ界の救世主とならん事を。

 

 

終わりに、 E3 2018に願いを込めて。

 

なんども人生を投げ出そうとした。それでも耐えた理由がここにある。

 

去年のソニーカンファでは、フロムソフトウェアの登場はなく

 

終わった後の脱力感は賢者タイム並み。今年のE3はどうなるのだろう。

 

 

2018年現在のフロムの発表はダクソリマスターと謎のPV・・・・だけ・・・

 

3日後は何か最新情報がある。と信じたいけど、同時にメカカスタマイズアクションが

 

ない恐怖も感じる。

 

もちろん、ロボゲー以外にも魅力的なゲームはたくさん有る。

 

しかし、フロムの実写ムービーと共にPSを買い換えてきた身としては

 

アーマードコアは青春であり、人生。このまま終わってしまうなんて耐えられない。

 

確かに、次世代機の高騰する製作費を考えると、利益の見込めない

 

ロボット物を作るのは、リスクが高すぎるのもわかる。

 

しかし、初代PSの、これは売れないだろっていうゲームがひしめき合う

 

カオスな状況こそが、目新しさを持った名作を生みだしてきたはず。

 

ゲームも現実も同じだ。少数派を受け入れる余裕があるほうが世界は楽しい。

 

あんな物呼ばわりされる変態が自由に表現できる場所。

 

 

 E3、2018が、そんなお祭りだったらいいな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんのために生きるのかわからない。死にたい。でもあなたにしか人生の価値はわからない。

自分の存在価値がわからない。生きている理由もわからない。

 

なぜこんなに不安なのかもわからない。何がこんなに苦痛なのかもわからない

 

この息苦しい義務感はどこからくるんだ。辛い。きつい。それが一日続くだけで

 

ありえない苦痛と、そんな馬鹿な。という出来事ばかりの繰り返し。

 

生きていてよかった!と笑うことができる理想は遠のいてくばかり。

近づいている気すらしない。なぜだ。

 

歩いているのは確か。でも、進んでいる向きは正しいのか?

 

前に進んでいるのか。足踏みしているのかすらわからない。

そんな人生の価値を、なんのために生きるのかを、誰か教えてくれ。

 人間らしく生きたい。

 

母親に手を引かれた子供が、楽しそうにアンパンマンのマーチを歌っている。

 

釣られて鼻歌を歌い出す、アラサー無職。

 

どうした?いつもなら留守電に入った自分の声を聞くだけでも、そのキモさにドン引き

しているのに。

 

嫌に上機嫌だな。

 

ここは、いつもなら閉店するんじゃないか。と疑わしくなる銀行のATM。

 

 

タッチパネルを押すたびに「はれぇ?」「ほえぇ?」と

 

不思議ちゃんのような声を出すババァと操作を教える行員のタイマンが

 

流れを悪くする列の最後尾でなぜ今日に限って?とイラつく。そこまで考えて

ニュータイプとして直感が答えを出した。

 

今日は辛い労働の対価が支払われる日、給料日だ。考える事はみんな同じだね。

 

金が入った。これで好きな事が出来る。心が上向いたのはほんの一瞬。

 

この社会は、「勘違いするなよ。お前は生きてるんじゃない」

 

「生きさせてもらってる」んだ。

 

と言わんばかりに、金をむしり取っていく。

 

やるべき事が山のようにあって、やりたい事なんて二の次、三の次。

 

やりたい事をやれ。とエールをくれる人の気持ちはありがたい。

 

でも、やりたい事をやる前に死んでしまったら元も子もない。

 

生きるためにやるべき事を片付けるのに精一杯。

 

「やりたい事」なんてできる余裕はない。それが続くうちにまた

 

「自分は何のために生きてるんだ。」という疑問が、頭をめぐり始める。

 

答えなんて求めてもしょうがない。

 

この心のもやもやをとる方法はひとつ。肉を食べる事だ。

 

月一の贅沢。立川マシマシのマシライス。これは素晴らしい。ふざけた名前だが

 

マシライスを全人類が食べれば、戦争はなくなる。そう確信できるぐらいうまい。

 

肉は素晴らしい。肉は正義だ。うすら笑が口から漏れた。

 

満ち足りた心のまま、駅ビルで漫画を買う。おいおい。

 

 

漫画なんて、レンタルやスマホでも見れるだろと突っ込まれてもしょうがない。

 

選択肢が増えると、手元に残しておきたい物は少ない事がわかる。

 

手提げの袋にいれてもらった、「リアル」三巻を大事に持ちながら

 

電車に乗り込む帰り道。子供の頃のワクワクした気持ちを思い出す。

 

この作品には、3人の主人公がいる。その中の、野宮という男が、僕には他人には思えない。

 

彼の言葉は、まるで自分の心を代弁されているようで、ページをめくるたび、

 

「野宮ァ」と叫びたい。

 

いや、13話には、「野宮ァアアアアアアアアアアア」と叫ばずにいられなかった。

 

心が震えた。近所の人から苦情が来た。全俺が泣いた。

 

 

そんなしょうもないギャグを考えたとき、頭の中で声がした。

 

お前は、30手前の職歴なしフリーターだろ。

 

そんな無駄遣いをする金がどこにある?こんな事していられる身分じゃないだろ。

 

家に金を入れもしないで、何してる?

 

そこまでなじられて、いつかの貧困層を取り上げたニュース番組を思い出した。

 

どこかの生活保護を受けている家庭で、犬を飼っている。

 

ネット環境があるなら、望まずとも入ってくる世間の声。

 

「こんな貧乏な日本人はいない」とか「貧困なら、こんな贅沢するわけがない」とか

 

正直、やらせかどうかは、どっちでもいいけど

 

彼らのセリフに「欲しがりません勝つまでは」の時代を思い返す。

 

「働いたら負け」のニートといい、一体みんな何と戦ってるんだ・・・

 

この国では、この瞬間も「贅沢は敵だ」という言葉の弾丸が

 

機銃掃射のように飛び交っている。

 

人はただ生きているだけではダメだ。

 

人間らしく生きる事ができなければ、辛い現実を生きる理由を失ってしまう。

 

ただ、人間らしく生きたい。そんな願いすら、叶わないなんて。

 

 生きがいを見つけるのが、人生

 嫌な事は数あれど、良いことはない。

 

どうせどうにもならない。そんな現実が

 

心をしらけさせ、抑圧された感情はやがて弱者への暴言に形を変える。

 

 

逃げようとしても、逃げられない苦痛は日に日に増していき、辛い人生を耐える価値を見失う。

 

 愛と勇気にすら愛想をつかされた、救いのない現実に押しつぶされそうになる。

 

 そんな時は、 アンパンマンのマーチをつぶやいてごらん。

 

  今日も生きてしまったな。なぜ踏みとどまっているのか。自分を呪う日々。

 

それでも、生きる事に価値を見いだせないまま終わるのは嫌だ。

 

ありえない事ばかり起こる毎日。なら、辿り着けない。と絶望した望みに

 

追いつく日も夢じゃない。

 

生きた実感のない。いくら死にたくても、「生きる」という選択をした限り

 

  生きがいを探し続けなければならない

 

なぜなら、あなたの人生の価値はあなたしかわからないから。

 

頑張ってるよ。君は、今。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現実から逃げたい。仕事が辛い。それでも逃げたくない。

現実から逃げたい

胸の奥が痛いくて重い。心臓の音が骨を渡って、全身をきしませる。

 

仕事が辛い。「やだよ。行きたくないよ」。耳のそばで聴こえる叫びを振り切るように足を動かす。

 

望まない場所に近づくほど、心臓はこなきじじいのように重くなって

肺の奥に沈んでいき、鼓動の間隔はどんどん短くなる。

 

まるで警報のよう。最初は「嫌だ。嫌だ。嫌だ。」駄々っ子みたいな声が心筋を

跳ね回って、次第に「逃げろ。」という命令が連呼する。

 

 

どれほど心が疲れた。といっても、目指す場所もわからないまま飛び出したら

辿り着くのはどんづまりだけ。

 

逃げると言っても自分のいく末をしっかり見据えた逃げ道が必要だ。

 

そんな短期的な計画すら立てられない無能は、破裂しそうな風船にヒヤヒヤしながら

生きる不快感と付き合っていくしかない。

 

いっそ引き裂かれてしまえば 楽なのに。淡い願いむなしく、下手くそなドラムのようなリズムは治らない。

 

いつまでこんな窮屈な思いが続くんだろう。答えはわかってる。でも認めたくない

 

生きている限り息苦しさは切り離せない。それが現実だというのなら、

 

もう現実から逃げたい。

 

  逃げ出したいのに、逃げられない。

 

 やはり切り離せない「将来」

 

駅のホームでいつも考える。

一生懸命歩いた。でも足跡の歩幅の短さは、足踏みとの違いがわからないくらいの差。

 

 

何も変えられない。うんざりだ。こんな毎日。もう嫌だ。自分への苛立ちが大きくなる

電車がくる。というアナウンス。足元の黄色い線を見つめる。

 

八方塞がりの生活の唯一の逃げ道。あの世の存在。あるか、ないかは重要じゃない。

あと数歩踏み出せばこの苦しみは終わる。それだけは確か。

 

電車の警笛が近づく。

 

行けよ。

 

ほら 

 

早く 

 

何してる?

 

ファッション死にたいと言われればそれまで。でも、土壇場で足が離れない。

 

自分の人生は自分以外に変えられない。わかってる。だから逃げたい。でも、

人生から逃げ出す勇気すら備わってなかったのか・・・

 

救いのない世界。ちっぽけな命。

 

5,4,3,2,1・・・・勤労の義務から解放される時間になった。フルタイムの社員の嫌味を

スルーし、タイムカードを押して福男選びよろしく、職場から駆け出す。

 

朝は死ぬほど嫌だった電車に早く乗りたくてしょうがない。

遠足に向かう小学生のような気分だ。

 

帰れる。好きなだけ眠れる。心をぴょんぴょんさせながらくぐった改札。

その向こうではスマホとにらめっこしたり、駅員に詰め寄る人々で混雑していた。

 

いつもより多い。というより、人の流れが止まっている。見上げた掲示板には

電車遅延の文句が流れていく。

 

右から来た文章を左へ受け流そうとしても、背中にへばりつく疲れに邪魔されて

予定を狂わされた苛立ちは行き場のない怒りに変わっていく。

 

なんでよりによって今日なんだ。そんなに死にたいのなら

他人の迷惑にならない場所で死ねよ。常識知らずな奴め。

 

 イラついても、状況は変わらない。ホームに人はいない。ベンチに腰掛け

缶コーヒーをすする。

 

脳天に上りきった血がジェットコースターのように転がり落ちて、悟る。

 

おいおい。お前だって、その常識知らずに加わろうとしてただろ。ついさっきまで。

 

誰も自分を見ていない。と嘆くけど、他人の痛みに関心を持った事があったか。

 

責任感が強く、真面目。自殺する人は、いい人。だと思う。

 

でも、この現代社会では、「いい人」は「どうでもいい人」と同じだ。

 

あたりを見回す。駅員に怒鳴る人、遅延の掲示板を写メする人。何に使うのだろう。

遅延の証明?それとも、ツイッターに載せるのか。

 

不思議だな。SNSが普及して、みんな他人の優しさを求めているなら

隣にいるおっさんに調子はどうだ?と聞けばいい。

 

愛されたいなら、愛する事から始めなさい。

 

 

なんてポエムを思いついているうちに、事は片付いた。いつの間にか全てが元どおり。

 

まるで何もなかったみたい。そんなものだ。人の命なんて。

 

どうでもいいごみくずが、人生から逃げ出したところで、電車が5、6分遅れるだけ。

 

 配られたカードで勝負するしかない。とよく言うけど、手元にあるのはカスカード

ばかり。勝てない勝負になぜ挑まなければならないのか。

 

負けるとわかってるなら、戦おうが逃げようが同じじゃないか。

 

そんな憂鬱と共に、1日が始まる。なんの変化もない日常。

 

強いて言うのなら、ホームの警備員がやたら増えた。警備する前に介護が必要そうな

爺さんが働いている。

 

そう。人間は働かなければならないんだ。生きている限り。

 

誰かが、仕事の辛さから脱落し、誰かが別の仕事にありつく。

そうやって人間の命は循環していくのかもしれない。

 

それでも、まだ、逃げたくない。

 

 逃げちゃダメだ。というセリフがある。でも、ダメだ。と強制するのとは

ちょっと違う。

逃げ出したい。でも、まだ諦めてくない。

 

まだ、自分の可能性を否定したくない。まだ何者にもなれる。そんな気持ちを捨てたくない。

 

全てのはしごを外されて、どこにも行き場がない。自分は終わったと思ってた。

 

それは誰かに使われる道ではなく、自分の道を歩き出した証拠。

そこからが本当のスタートだ。

 

生活は苦しい。逃げ出したいと思うなら、君はいい奴だよ。

だからこそ、どうでもいいとは思わない。

 

配られたカード、たとえ勝ち目がなくてもいい。荒野のど真ん中で

干からびる事になっても。

 

終わりなんてどうなるかわからない。

 

現実から逃げたい。仕事が辛い。人生は厳しい。

 

でも今日も生きていこう。

 

心が叫ぶ。それでもまだ、逃げたくないんだ。と

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つらい。苦しい。しんどい。生きづらい社会はなぜ変わらない?

「ネガティブなブログは人に好かれない」以前アドバイスをもらった事がある。

つらい。苦しい。しんどい。からみ酒の愚痴ほどの価値もない文章。

 

集団の中でうまく立ち回れない奴の悲鳴に耳を貸すほど、常人は暇じゃない。わかってるさ。書く前から。それでも、誰か聞いてくれないか。

 

期待して馬鹿を見るのは慣れた。はずなのに、本当にこの国は幸せ者以外必要としないんだなぁ・・・・

          

言い訳させてよ。暗く、寂しく生きていたい奴なんているのか?前むきに生きたいよ。誰だって。

 

でも、みんなつらい。みんな苦しい。みんなしんどい。だから我慢しろ「みんな同じ」っていう現実はそれを許さない。

 

 ホワイジャパニーズピーポー。おかしいだろ〜。みんなつらいなら、それは欠陥だよ。

なぜ改善しないの?

 

「他人のせいにするな」っていうのはつまり、「俺のせいにするな」って意味。

 

みんなが苦しい。生きづらいと思っている。なのになぜこの社会は変わらないんだろう?

 

 

眠い。だるい。しんどい。

 眠い。布団という安全地帯から目覚ましの音に脅されて、国民の義務をはたしに行く。

5分前行動。始めた奴を一生恨む。なんて面倒な事を考えたんだ。

 就業時間ぴったりなら、五分長く寝ていられるのに。

 

電車を待つためにホームに並ぶ。いつもより前よりの位置に立った。

できるなら座って、あと5分の欲を満たしたい。

 

「黄色い線の内側にお下がりください。」丁寧な言い回しの陰に、外側にでるなよ。

面倒を起こすな。という本音を感じる。

 

節電のため押しボタン式になった扉を開ける。早く乗り込み、自分の座席を確保したい

勢いよく乗り込んだ車内はイス取りゲームする間もないほどの満員。

 

居心地の良い場所には、惰弱の入り込む隙間などなかった。僕よりも早い時間に起きて

遠い場所からそこにいる人々はみんな寝てる。

 

そう。みんな眠いのだ。好きなだけ眠れるのなら誰だって寝てるだろう。だけど

それじゃ生きていけない。

 

思い出したよ。この社会はみんなが疲れ切ってる。「何かが」おかしい。でも

「何が」かは誰も知らない。

 

変わらなければ、でも何を変えたら良いのかわからない。それが見つかったとしても、変えたところで、生活が良くなるか。と聞かれたら・・・・

 

 日本の闇を嘆くだけ

 日に一回はツイッターを見ないと落ち着かない。他人は嫌いだけど、他人とは思えない

心の傷を持った人たちのつぶやきを見ていると勇気がでる。

つらい人生を耐えているのは自分だけでははない。

それを他人事ではなく、心で実感できるから。かもね。

 

現代はネットの普及で誰もが表現者になれる。「当たり前」に納得できないお子様が

ブログをかけるぐらいだ。あなたが付き合ってくれるか?は別にして。

 

 誰でも情報を発信できる。ということは、自分に耳障りの良い言葉ばかり溢れているわけじゃない。

 

塞ぎこむ心を癒すためネットに救いを求めた時に限って、業界の闇や、理不尽といった胃酸が逆流するような内容のツイートが何万RTもされ、否が応でも眼に映る。

 

明かされた日本の闇にブラウザのバツボタンを押そうとした。なんてことだ。

 

行き詰まった人生の苦しみを吐き出したブログを書いている本人が、他人の痛みに背をむけるなんて。

 

もちろん、拡散される。ということは、発信源に確かな文章力があるからこそ。

ただ、赤の他人の目線になることで、ネガティブな発言がなぜ受けないか。を理解した

 

「答え」がないからだ。つらい。苦しい。しんどい。日本の闇を嘆く「だけ」で

そこからどうしたら良いのか。はどこにも、誰にもわからない。

 

いわゆるブラック企業の労基ガン無視の実態が暴かれるたびに、「逃げろ」「やめろ」

という人がいる。その気持ちはわかる。

 

だけど、「逃げた先でどう生きるのか」は誰にもわからない。

再就職しようにも、転職ばかりしているような人間にまともな会社が席を

用意してくれるだろうか?

 

結局行き着く先は、人が寄り付かない人材を選り好みしない会社。みんな、勘違いしてはいけない。

 

選択肢があるのは、選択できるほど優秀な人間だ。それ以外の無能が生きるためには、労働にしがみつかなければ。

 

ニートで知らない者はいないベーシックインカム。生きるだけで金が貰えるというけど

 

生産性のない人間を生かす余裕がある国に生きづらさなど存在するか。

 

今や年金世代ですら働かなければ生きてはいけない時代。

 

無能、クズにバリアフリーであるほど、現代社会は甘くない。人の代わりはいくらでもいる。けど、消費前提で回っていく経済の代わりになる世界はない。

 

 

ブラック企業こそが、選ばれなかったクズのセーフティーネットというのが、現実だ。

 

  社会=集団。集団は人が作るなら、人が変わらなければならない。

 

打開策もなく、弱音を吐くな。甘えるな。という輩には永遠に口を閉じてもらおう。

 

誰かがいなくなれば良くなる。という人種にも退場願おう。何が悪いの?あいつがいるから。では、問題の本質から逃げているだけ。

 

 老害。という言葉を使いたくはないけど、残り数年でこの世から退場する人と、これから先、このどんづまりを生きる僕らでは、抱えている不安が違いすぎる。

若者に理解ある風老人の言葉はあてにしてはいけない。

 

 

 最後に。真夜中に一人、暗い天井を見つめながら己の惨めを嘆いている誰よりも

真面目なあなたに。

 

 

つらい。苦しい。しんどい。止めようとすればするほど流れてくる涙が

間違ってるはずないだろ。

 

だってこの社会は、「みんながつらく、苦しく、しんどい」のだから。

 

社会とは生活習慣を共有したり、影響しあっている人のまとまりだというのなら、変わるべきは人間。

 

目の前にいる苦しんでいる人や、悲しんでいる人を無視することを前進だと勘違いしている。だからこの社会は変わらない。と論じてみる。

 

 弱さや間違いを認めないから窮屈なんだ。

 

ならばまず、人のネガティブな部分を否定しないことから始めてみないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

将来に希望が持てない。未来がない人生を生きてしまう理由。

 安心で楽な道を選んだはずなのに、足場はいつも不安定。ここにいるべきじゃない。じゃあどこに行けばいい?さっぱりわからない。

 

 やりたくない。行きたくない。直感を信じて逃げだした。なのに走れば走るほど状況は悪くなってく。

 

資格、就活。何をしても無意味な気がする。明日の朝起きるのも冗談じゃない。

 

 

将来に希望が持てない。未来がない人生が不安で仕方ないのに、生きてしまう。そんな悩みと縁を切る方法はないものか。

 

 

 

 

 

現在以外興味ないね。

 

会社に入って働いていれば、老人になっても安定。なんていつのことだか思い出してごらん。

 

 現代社会は本当に強い人間以外は生き残れない。ここは上辺だけ平和を装ったディストピアだ。

 自分の頭で考えずに流れに身を任せていれば、いずれ破滅が待っている。

 

苦しみに耐えていれば、いつか救いがくる。なんて幻想にすがっても、誰も君を見ていない。

 

差し伸べられる手を待っていれば、いずれ餓死する運命。今すぐ立ち上がらなけば、明日に怯える日々は変わらない。

 

自己防衛おじさんの言う通り、これからの時代は、「他人を当てにせず、自分で生き残る」しかないんだけど・・・

 

今はパソコンがあれば在宅で稼げる。とはいうものの、「自分で考える頭」がないやつでは、とても続けられない。

 

もしかしたら思考停止している社畜より、ネットで稼いでいるネオニートのほうが頭がいいのかもしれない。

 

 

僕は言われた事以外できない。思いつかない。奴隷向きの人間だと悟った。

だから働くしかない。でも、ニート的感性のやつにはバイトってだけで重労働だ。

 

行きたくない場所に行って、赤の他人と接するってだけで気力を使い果す。言い訳なのはわかってる。

  

バイトでなんとかなるのは若いうちだけ。なんだけど、非常に困った事に、ジジィに

なってまで生きていたい。という意欲がわかない。

 

未来に希望がない。

 

甘くない世の中で一日生きるだけで自分を褒めたいくらいなのに、「そんないい加減に生きて将来やっていけるほど世の中は甘くないよ。」と忠告される。

 

高校の担任に、同じようなことを言われた。

 

「私は別に困らないよ。将来後悔するのは君だからね」

 

クラス替えのスタートダッシュに失敗したコミュ障にとって、そりが合わない人間達と同じ教室で一日を過ごすというのは、強制収容所に入れられるのと同義だ。

 

「学校に来るだけでキツイんです。」本音を言う訳にはいかなかった。今と違って、口に出したところで言い訳になるだけだから。

 

ネットの世界は居心地がいい。ここでは常人に一喝されて終わりの感性にも、共感してくれる人がいる。

 

ただ、試験勉強もせず、家に帰ればゲームばかりやっているようなガキに、ろくな未来がないことも事実。

 

攻略本ではなく、参考書を読んでいれば 、この記事も読み返したとき、明るい気持ちになれる内容だったのかな。

 

あの時頑張っていればと後悔する。ならば今頑張れよ。と思うけど、未来が今に変わってみれば、昨日と同じ道を歩いてる。人は過ちを繰り返す生き物だ。

 

30年後、今が後悔になるとわかりきっているとして、人生を続けようと思う人はいるのか?

 

どんな輝かしい経歴を持った人でも、いずれ死んでしまう。だとすれば未来がない人生を今、終わらせてしまおうか。

 

 戻らない日々を振り返るのも悪くない。

 

過去の記事を読み返して、何が悪かったかを考えてる。人気ブログになるために修正するべきは何か。

 

変わってねぇじゃん・・・と言われてもしょうがない。何回見返しても、辿り着く答えは

 

「内容が暗い」

 

の一つだけ。これを変えることはできない。たとえ誰の目に留まらなくても、自分の本音を語れる場所をなくしたくない。

 

それに、全く価値がなかった。とは思わない。読み返してみれば、よくぞ今まで生きていたな。と感心する。

 

現状は見違えたようだ。去年の今頃、来年の君は働いてるよ。と聞いても、胡散臭い儲け話程度のリアクションしかできない。

 

 3ヶ月しかいない職場。同僚の本音はどうあれ、終わってみれば嫌味もいじめもない

奇跡の職場だった。

 

こんな幸運は2度も続かない。次のバイト先には逃げ場がない。

 

でも大丈夫。なんでお前は生きてるんだ?なんて場面、これまで飽きるほど越えてきただろ。

 

 

いい加減に生きてる?そんなもんさ。他人から見れば。

 

生きてるだけで精一杯?今日を一生懸命生きて何が悪い?

 

調子いい言葉が嫌い。上げて下がるのは嫌だ。だからブログに書けばいい。

 

たとえ自己満足でも、この瞬間は表現者になれる。

 

 

一日生きているだけで奇跡と言い張れば、消費するだけの毎日を過ごすのも怖く無くなる。

 

生きているのに理由がなくても、不安を引きずって、這ってでも進んで行く。

 

  

未来がない人生を生きてしまうのは、未来を生きるヒントを探しているから。

 

それがどこへ行けば見つかるかも、そんなものあるのかすらわからない。

 

ただ、後悔に追いかけ回されても、未来のない人生の不安と戦いながらでも

 

歩いている限り、未来は変えられる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

チェスター・ベニントン追悼。さよなら弱者のヒーロー。

いつからだろう。前後すらわからない暗闇に突き落とされ、歩いても進んでいる気がしなくなったのは

 

いつからだろう。前向きな言葉が、前を向いているだけ。になったのは。

 

 いつからだろう。人聞きの悪い感情を抑えられなくなったのは。

 

いつだったろう。怒りや悲しみは欠けてはいけない心の一部と教えてくれた人。

 

チェスター・ベニントン。そしてリンキンパークに出会ったのは。

 

就活という地獄。

ネットで新卒向けの就活サイトに登録し、説明会の予約をとって、窮屈なリクルートスーツを着て地下鉄の複雑な乗り換えをこなし、会場を目指す。

 

 移動も筆記試験も面接も精神をヤスリがけされている気分。企業からくる封書にはいっているのは不採用通知ばかり。

 

努力は報われると信じた。信じたかった。でも、世間と自分が思う努力には、マリアナ海溝並の溝があった。

 

 常人の常識に合わせるために努力していた時点で、そいつは社会不適合者。この頃はまだ自分がダメ人間だという自覚がなくて、「気合でなんとかなる」なんて、ごまかして。

 

膨れ上がる汚いものを心の片隅に押し込むのも限界。ある日異変が起きた。それまで聞いていた音楽を再生しても何も感じない。お気に入りリストは

 

「明日はきっとくる」「明けない夜はない」「止まない雨はない」と励ますけど

 

待てど暮らせど昨日と同じ、真っ暗な闇の中を土砂降りの雨が降りつづいている。

 

苦しい。辛い。わかってるさ。みんな同じだって。でも、飲みすぎたときのゲロみたいに喉元まで上がってくるそれを我慢できない。

 

夕食どき、一番近い人。家族に漏らしたその愚痴は、気合でどうにかしろ。の一言で済まされた。まるで最初からなかったように。

 

 嫌な事から逃げるな。メディアで流れる前向きな歌詞は、嫌で仕方ない事を我慢できないやつを無視して鳴り続ける。

 

弱音を吐くやつなんて最初からいなかったみたい。頭の中で誰かがつぶやいたとき、足が止まった。そして気づいた。

 

 この場所は弱虫など存在しない。最近流行りの日常系コンテンツを見ればわかる

主人公に都合の悪いやつは存在せず、怒りや悲しみが徹底的に排除された完璧なユートピア

 

 

 自分の人生がうまくいかないのは、個人の努力不足。そう考える人たちは、

二次元の画面を見すぎたせいで、物体には奥行きがある。当たり前の現実を忘れてしまったかのようだ。

 

 平面で見えている物の裏には、こんなにも孤独と、悲しみと、不寛容と、絶望と、不条理で溢れているというのに。

 

お前だけが辛いんじゃない。そう言葉をかけられるたび、怯えていた。ネガティブなゴミの耳には、「みんな辛いのに、お前だけ愚痴を言うな。甘えるな」

 

という叱咤に感じる。近しい人々の励ましの言葉が、とてつもなく遠くから聞こえてくる。

 

虚しい。悲しい。辛い。逃げたい。全てを投げ出して。ごみくずの避難所、あの世への

一歩を踏み出しかけたとき出会ったのが、チェスター・ベニントンだった。

 

 

 チェスター・ベニントンの死から1年

 

チェスター・ベニントンが自らの命を絶ってから、一年がすぎた。信じられない。

あの日受けた衝撃が、たった今起こった事のように心臓を跳ね上げる

 

この件については何回か記事にしてる。

 

senbeibj59634hu.hatenablog.com

 

 

senbeibj59634hu.hatenablog.com

 

 

なぜ芸能人。それも海外アーティストの死が、これほどまでに悲しいのだろう。それは

彼が、誰よりも弱者のそばにいたから。だと思う。

 

リンキンパークの歌詞は全編英語の洋楽だけど、歌っている内容は、打たれ弱い人々のためのものだった。

 

チェスター・ベニントンは一言で言えば、「かっこよかった」それは、洋楽聴いている俺云々を超えた、もっと直感的な何かだった。

 

彼らの楽曲に救いはない。ただひたすら、辛い。苦しい。しんどいと連呼する。しかしそこからは不思議と絶望を感じさせない。

 

彼は怒っていた。何に?かは本人にしかわからない。しかし確実なのは、彼は心にある

その怒り、悲しみを、燃料のように燃やして、暗闇の中を進み続けた。という事。

 

俺は辛いんだ。俺は苦しいんだ。もうたくさんだ。憚らず叫ぶ事で、現実に真正面から

立ち向かっていた。

 

それは同じ場所にいる人々に、悲しみと怒りを否定するな。というメッセージ。

 

負の感情はなくしてはいけない。むしろ必要だ。SNSにはぬるま湯のような発言が溢れているけど、それはインターネットの中だけ。

 

モニタの前から離れれば、己以外を頼りにできない現実の世界が待っている。

悲しみと怒りが人を前進させる

現在の現実は、暗い感情を恐れるあまり、強い光を当てすぎている。完璧な世界を求めるがあまり、弱者をいないものとして扱う。

 

現実は厳しい。ここから救い上げてくれる人を待っていても迎えはこない。他人を当てにするから不満が出る。貯蓄、投資、海外移住。自己防衛。基本だよね。

 

明けない夜を待つのではなく、光の届かない海底でも手探りで進んで行く覚悟を。

 

たとえ味方などいなくても、自分の道を進んで行く強さを。この、曖昧な寛容の残る、不完全なディストピアを一歩一歩確実に。

 

 

 

最後に、我が人生でも一番過酷な現実を認めなければいけない。

 

ごみくずの肩を叩いてくれた人はもういない。ここからは、自分の足で歩くしかない。

 

 あなたはもういない。その悲しみを生涯燃やし続ける燃料にして。

 

さよなら。チェスター・ベニントン。最高にかっこいい、弱者のヒーロー。