キリギリスはなぜ死んだ?

社会に、いらね。と言われた奴の最後のあがき

現実から逃げたい。仕事が辛い。それでも逃げたくない。

現実から逃げたい

胸の奥が痛いくて重い。心臓の音が骨を渡って、全身をきしませる。

 

仕事が辛い。「やだよ。行きたくないよ」。耳のそばで聴こえる叫びを振り切るように足を動かす。

 

望まない場所に近づくほど、心臓はこなきじじいのように重くなって

肺の奥に沈んでいき、鼓動の間隔はどんどん短くなる。

 

まるで警報のよう。最初は「嫌だ。嫌だ。嫌だ。」駄々っ子みたいな声が心筋を

跳ね回って、次第に「逃げろ。」という命令が連呼する。

 

 

どれほど心が疲れた。といっても、目指す場所もわからないまま飛び出したら

辿り着くのはどんづまりだけ。

 

逃げると言っても自分のいく末をしっかり見据えた逃げ道が必要だ。

 

そんな短期的な計画すら立てられない無能は、破裂しそうな風船にヒヤヒヤしながら

生きる不快感と付き合っていくしかない。

 

いっそ引き裂かれてしまえば 楽なのに。淡い願いむなしく、下手くそなドラムのようなリズムは治らない。

 

いつまでこんな窮屈な思いが続くんだろう。答えはわかってる。でも認めたくない

 

生きている限り息苦しさは切り離せない。それが現実だというのなら、

 

もう現実から逃げたい。

 

  逃げ出したいのに、逃げられない。

 

 やはり切り離せない「将来」

 

駅のホームでいつも考える。

一生懸命歩いた。でも足跡の歩幅の短さは、足踏みとの違いがわからないくらいの差。

 

 

何も変えられない。うんざりだ。こんな毎日。もう嫌だ。自分への苛立ちが大きくなる

電車がくる。というアナウンス。足元の黄色い線を見つめる。

 

八方塞がりの生活の唯一の逃げ道。あの世の存在。あるか、ないかは重要じゃない。

あと数歩踏み出せばこの苦しみは終わる。それだけは確か。

 

電車の警笛が近づく。

 

行けよ。

 

ほら 

 

早く 

 

何してる?

 

ファッション死にたいと言われればそれまで。でも、土壇場で足が離れない。

 

自分の人生は自分以外に変えられない。わかってる。だから逃げたい。でも、

人生から逃げ出す勇気すら備わってなかったのか・・・

 

救いのない世界。ちっぽけな命。

 

5,4,3,2,1・・・・勤労の義務から解放される時間になった。フルタイムの社員の嫌味を

スルーし、タイムカードを押して福男選びよろしく、職場から駆け出す。

 

朝は死ぬほど嫌だった電車に早く乗りたくてしょうがない。

遠足に向かう小学生のような気分だ。

 

帰れる。好きなだけ眠れる。心をぴょんぴょんさせながらくぐった改札。

その向こうではスマホとにらめっこしたり、駅員に詰め寄る人々で混雑していた。

 

いつもより多い。というより、人の流れが止まっている。見上げた掲示板には

電車遅延の文句が流れていく。

 

右から来た文章を左へ受け流そうとしても、背中にへばりつく疲れに邪魔されて

予定を狂わされた苛立ちは行き場のない怒りに変わっていく。

 

なんでよりによって今日なんだ。そんなに死にたいのなら

他人の迷惑にならない場所で死ねよ。常識知らずな奴め。

 

 イラついても、状況は変わらない。ホームに人はいない。ベンチに腰掛け

缶コーヒーをすする。

 

脳天に上りきった血がジェットコースターのように転がり落ちて、悟る。

 

おいおい。お前だって、その常識知らずに加わろうとしてただろ。ついさっきまで。

 

誰も自分を見ていない。と嘆くけど、他人の痛みに関心を持った事があったか。

 

責任感が強く、真面目。自殺する人は、いい人。だと思う。

 

でも、この現代社会では、「いい人」は「どうでもいい人」と同じだ。

 

あたりを見回す。駅員に怒鳴る人、遅延の掲示板を写メする人。何に使うのだろう。

遅延の証明?それとも、ツイッターに載せるのか。

 

不思議だな。SNSが普及して、みんな他人の優しさを求めているなら

隣にいるおっさんに調子はどうだ?と聞けばいい。

 

愛されたいなら、愛する事から始めなさい。

 

 

なんてポエムを思いついているうちに、事は片付いた。いつの間にか全てが元どおり。

 

まるで何もなかったみたい。そんなものだ。人の命なんて。

 

どうでもいいごみくずが、人生から逃げ出したところで、電車が5、6分遅れるだけ。

 

 配られたカードで勝負するしかない。とよく言うけど、手元にあるのはカスカード

ばかり。勝てない勝負になぜ挑まなければならないのか。

 

負けるとわかってるなら、戦おうが逃げようが同じじゃないか。

 

そんな憂鬱と共に、1日が始まる。なんの変化もない日常。

 

強いて言うのなら、ホームの警備員がやたら増えた。警備する前に介護が必要そうな

爺さんが働いている。

 

そう。人間は働かなければならないんだ。生きている限り。

 

誰かが、仕事の辛さから脱落し、誰かが別の仕事にありつく。

そうやって人間の命は循環していくのかもしれない。

 

それでも、まだ、逃げたくない。

 

 逃げちゃダメだ。というセリフがある。でも、ダメだ。と強制するのとは

ちょっと違う。

逃げ出したい。でも、まだ諦めてくない。

 

まだ、自分の可能性を否定したくない。まだ何者にもなれる。そんな気持ちを捨てたくない。

 

全てのはしごを外されて、どこにも行き場がない。自分は終わったと思ってた。

 

それは誰かに使われる道ではなく、自分の道を歩き出した証拠。

そこからが本当のスタートだ。

 

生活は苦しい。逃げ出したいと思うなら、君はいい奴だよ。

だからこそ、どうでもいいとは思わない。

 

配られたカード、たとえ勝ち目がなくてもいい。荒野のど真ん中で

干からびる事になっても。

 

終わりなんてどうなるかわからない。

 

現実から逃げたい。仕事が辛い。人生は厳しい。

 

でも今日も生きていこう。

 

心が叫ぶ。それでもまだ、逃げたくないんだ。と

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つらい。苦しい。しんどい。生きづらい社会はなぜ変わらない?

「ネガティブなブログは人に好かれない」以前アドバイスをもらった事がある。

つらい。苦しい。しんどい。からみ酒の愚痴ほどの価値もない文章。

 

集団の中でうまく立ち回れない奴の悲鳴に耳を貸すほど、常人は暇じゃない。わかってるさ。書く前から。それでも、誰か聞いてくれないか。

 

期待して馬鹿を見るのは慣れた。はずなのに、本当にこの国は幸せ者以外必要としないんだなぁ・・・・

          

言い訳させてよ。暗く、寂しく生きていたい奴なんているのか?前むきに生きたいよ。誰だって。

 

でも、みんなつらい。みんな苦しい。みんなしんどい。だから我慢しろ「みんな同じ」っていう現実はそれを許さない。

 

 ホワイジャパニーズピーポー。おかしいだろ〜。みんなつらいなら、それは欠陥だよ。

なぜ改善しないの?

 

「他人のせいにするな」っていうのはつまり、「俺のせいにするな」って意味。

 

みんなが苦しい。生きづらいと思っている。なのになぜこの社会は変わらないんだろう?

 

 

眠い。だるい。しんどい。

 眠い。布団という安全地帯から目覚ましの音に脅されて、国民の義務をはたしに行く。

5分前行動。始めた奴を一生恨む。なんて面倒な事を考えたんだ。

 就業時間ぴったりなら、五分長く寝ていられるのに。

 

電車を待つためにホームに並ぶ。いつもより前よりの位置に立った。

できるなら座って、あと5分の欲を満たしたい。

 

「黄色い線の内側にお下がりください。」丁寧な言い回しの陰に、外側にでるなよ。

面倒を起こすな。という本音を感じる。

 

節電のため押しボタン式になった扉を開ける。早く乗り込み、自分の座席を確保したい

勢いよく乗り込んだ車内はイス取りゲームする間もないほどの満員。

 

居心地の良い場所には、惰弱の入り込む隙間などなかった。僕よりも早い時間に起きて

遠い場所からそこにいる人々はみんな寝てる。

 

そう。みんな眠いのだ。好きなだけ眠れるのなら誰だって寝てるだろう。だけど

それじゃ生きていけない。

 

思い出したよ。この社会はみんなが疲れ切ってる。「何かが」おかしい。でも

「何が」かは誰も知らない。

 

変わらなければ、でも何を変えたら良いのかわからない。それが見つかったとしても、変えたところで、生活が良くなるか。と聞かれたら・・・・

 

 日本の闇を嘆くだけ

 日に一回はツイッターを見ないと落ち着かない。他人は嫌いだけど、他人とは思えない

心の傷を持った人たちのつぶやきを見ていると勇気がでる。

つらい人生を耐えているのは自分だけでははない。

それを他人事ではなく、心で実感できるから。かもね。

 

現代はネットの普及で誰もが表現者になれる。「当たり前」に納得できないお子様が

ブログをかけるぐらいだ。あなたが付き合ってくれるか?は別にして。

 

 誰でも情報を発信できる。ということは、自分に耳障りの良い言葉ばかり溢れているわけじゃない。

 

塞ぎこむ心を癒すためネットに救いを求めた時に限って、業界の闇や、理不尽といった胃酸が逆流するような内容のツイートが何万RTもされ、否が応でも眼に映る。

 

明かされた日本の闇にブラウザのバツボタンを押そうとした。なんてことだ。

 

行き詰まった人生の苦しみを吐き出したブログを書いている本人が、他人の痛みに背をむけるなんて。

 

もちろん、拡散される。ということは、発信源に確かな文章力があるからこそ。

ただ、赤の他人の目線になることで、ネガティブな発言がなぜ受けないか。を理解した

 

「答え」がないからだ。つらい。苦しい。しんどい。日本の闇を嘆く「だけ」で

そこからどうしたら良いのか。はどこにも、誰にもわからない。

 

いわゆるブラック企業の労基ガン無視の実態が暴かれるたびに、「逃げろ」「やめろ」

という人がいる。その気持ちはわかる。

 

だけど、「逃げた先でどう生きるのか」は誰にもわからない。

再就職しようにも、転職ばかりしているような人間にまともな会社が席を

用意してくれるだろうか?

 

結局行き着く先は、人が寄り付かない人材を選り好みしない会社。みんな、勘違いしてはいけない。

 

選択肢があるのは、選択できるほど優秀な人間だ。それ以外の無能が生きるためには、労働にしがみつかなければ。

 

ニートで知らない者はいないベーシックインカム。生きるだけで金が貰えるというけど

 

生産性のない人間を生かす余裕がある国に生きづらさなど存在するか。

 

今や年金世代ですら働かなければ生きてはいけない時代。

 

無能、クズにバリアフリーであるほど、現代社会は甘くない。人の代わりはいくらでもいる。けど、消費前提で回っていく経済の代わりになる世界はない。

 

 

ブラック企業こそが、選ばれなかったクズのセーフティーネットというのが、現実だ。

 

  社会=集団。集団は人が作るなら、人が変わらなければならない。

 

打開策もなく、弱音を吐くな。甘えるな。という輩には永遠に口を閉じてもらおう。

 

誰かがいなくなれば良くなる。という人種にも退場願おう。何が悪いの?あいつがいるから。では、問題の本質から逃げているだけ。

 

 老害。という言葉を使いたくはないけど、残り数年でこの世から退場する人と、これから先、このどんづまりを生きる僕らでは、抱えている不安が違いすぎる。

若者に理解ある風老人の言葉はあてにしてはいけない。

 

 

 最後に。真夜中に一人、暗い天井を見つめながら己の惨めを嘆いている誰よりも

真面目なあなたに。

 

 

つらい。苦しい。しんどい。止めようとすればするほど流れてくる涙が

間違ってるはずないだろ。

 

だってこの社会は、「みんながつらく、苦しく、しんどい」のだから。

 

社会とは生活習慣を共有したり、影響しあっている人のまとまりだというのなら、変わるべきは人間。

 

目の前にいる苦しんでいる人や、悲しんでいる人を無視することを前進だと勘違いしている。だからこの社会は変わらない。と論じてみる。

 

 弱さや間違いを認めないから窮屈なんだ。

 

ならばまず、人のネガティブな部分を否定しないことから始めてみないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

将来に希望が持てない。未来がない人生を生きてしまう理由。

 安心で楽な道を選んだはずなのに、足場はいつも不安定。ここにいるべきじゃない。じゃあどこに行けばいい?さっぱりわからない。

 

 やりたくない。行きたくない。直感を信じて逃げだした。なのに走れば走るほど状況は悪くなってく。

 

資格、就活。何をしても無意味な気がする。明日の朝起きるのも冗談じゃない。

 

 

将来に希望が持てない。未来がない人生が不安で仕方ないのに、生きてしまう。そんな悩みと縁を切る方法はないものか。

 

 

 

 

 

現在以外興味ないね。

 

会社に入って働いていれば、老人になっても安定。なんていつのことだか思い出してごらん。

 

 現代社会は本当に強い人間以外は生き残れない。ここは上辺だけ平和を装ったディストピアだ。

 自分の頭で考えずに流れに身を任せていれば、いずれ破滅が待っている。

 

苦しみに耐えていれば、いつか救いがくる。なんて幻想にすがっても、誰も君を見ていない。

 

差し伸べられる手を待っていれば、いずれ餓死する運命。今すぐ立ち上がらなけば、明日に怯える日々は変わらない。

 

自己防衛おじさんの言う通り、これからの時代は、「他人を当てにせず、自分で生き残る」しかないんだけど・・・

 

今はパソコンがあれば在宅で稼げる。とはいうものの、「自分で考える頭」がないやつでは、とても続けられない。

 

もしかしたら思考停止している社畜より、ネットで稼いでいるネオニートのほうが頭がいいのかもしれない。

 

 

僕は言われた事以外できない。思いつかない。奴隷向きの人間だと悟った。

だから働くしかない。でも、ニート的感性のやつにはバイトってだけで重労働だ。

 

行きたくない場所に行って、赤の他人と接するってだけで気力を使い果す。言い訳なのはわかってる。

  

バイトでなんとかなるのは若いうちだけ。なんだけど、非常に困った事に、ジジィに

なってまで生きていたい。という意欲がわかない。

 

未来に希望がない。

 

甘くない世の中で一日生きるだけで自分を褒めたいくらいなのに、「そんないい加減に生きて将来やっていけるほど世の中は甘くないよ。」と忠告される。

 

高校の担任に、同じようなことを言われた。

 

「私は別に困らないよ。将来後悔するのは君だからね」

 

クラス替えのスタートダッシュに失敗したコミュ障にとって、そりが合わない人間達と同じ教室で一日を過ごすというのは、強制収容所に入れられるのと同義だ。

 

「学校に来るだけでキツイんです。」本音を言う訳にはいかなかった。今と違って、口に出したところで言い訳になるだけだから。

 

ネットの世界は居心地がいい。ここでは常人に一喝されて終わりの感性にも、共感してくれる人がいる。

 

ただ、試験勉強もせず、家に帰ればゲームばかりやっているようなガキに、ろくな未来がないことも事実。

 

攻略本ではなく、参考書を読んでいれば 、この記事も読み返したとき、明るい気持ちになれる内容だったのかな。

 

あの時頑張っていればと後悔する。ならば今頑張れよ。と思うけど、未来が今に変わってみれば、昨日と同じ道を歩いてる。人は過ちを繰り返す生き物だ。

 

30年後、今が後悔になるとわかりきっているとして、人生を続けようと思う人はいるのか?

 

どんな輝かしい経歴を持った人でも、いずれ死んでしまう。だとすれば未来がない人生を今、終わらせてしまおうか。

 

 戻らない日々を振り返るのも悪くない。

 

過去の記事を読み返して、何が悪かったかを考えてる。人気ブログになるために修正するべきは何か。

 

変わってねぇじゃん・・・と言われてもしょうがない。何回見返しても、辿り着く答えは

 

「内容が暗い」

 

の一つだけ。これを変えることはできない。たとえ誰の目に留まらなくても、自分の本音を語れる場所をなくしたくない。

 

それに、全く価値がなかった。とは思わない。読み返してみれば、よくぞ今まで生きていたな。と感心する。

 

現状は見違えたようだ。去年の今頃、来年の君は働いてるよ。と聞いても、胡散臭い儲け話程度のリアクションしかできない。

 

 3ヶ月しかいない職場。同僚の本音はどうあれ、終わってみれば嫌味もいじめもない

奇跡の職場だった。

 

こんな幸運は2度も続かない。次のバイト先には逃げ場がない。

 

でも大丈夫。なんでお前は生きてるんだ?なんて場面、これまで飽きるほど越えてきただろ。

 

 

いい加減に生きてる?そんなもんさ。他人から見れば。

 

生きてるだけで精一杯?今日を一生懸命生きて何が悪い?

 

調子いい言葉が嫌い。上げて下がるのは嫌だ。だからブログに書けばいい。

 

たとえ自己満足でも、この瞬間は表現者になれる。

 

 

一日生きているだけで奇跡と言い張れば、消費するだけの毎日を過ごすのも怖く無くなる。

 

生きているのに理由がなくても、不安を引きずって、這ってでも進んで行く。

 

  

未来がない人生を生きてしまうのは、未来を生きるヒントを探しているから。

 

それがどこへ行けば見つかるかも、そんなものあるのかすらわからない。

 

ただ、後悔に追いかけ回されても、未来のない人生の不安と戦いながらでも

 

歩いている限り、未来は変えられる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

チェスター・ベニントン追悼。さよなら弱者のヒーロー。

いつからだろう。前後すらわからない暗闇に突き落とされ、歩いても進んでいる気がしなくなったのは

 

いつからだろう。前向きな言葉が、前を向いているだけ。になったのは。

 

 いつからだろう。人聞きの悪い感情を抑えられなくなったのは。

 

いつだったろう。怒りや悲しみは欠けてはいけない心の一部と教えてくれた人。

 

チェスター・ベニントン。そしてリンキンパークに出会ったのは。

 

就活という地獄。

ネットで新卒向けの就活サイトに登録し、説明会の予約をとって、窮屈なリクルートスーツを着て地下鉄の複雑な乗り換えをこなし、会場を目指す。

 

 移動も筆記試験も面接も精神をヤスリがけされている気分。企業からくる封書にはいっているのは不採用通知ばかり。

 

努力は報われると信じた。信じたかった。でも、世間と自分が思う努力には、マリアナ海溝並の溝があった。

 

 常人の常識に合わせるために努力していた時点で、そいつは社会不適合者。この頃はまだ自分がダメ人間だという自覚がなくて、「気合でなんとかなる」なんて、ごまかして。

 

膨れ上がる汚いものを心の片隅に押し込むのも限界。ある日異変が起きた。それまで聞いていた音楽を再生しても何も感じない。お気に入りリストは

 

「明日はきっとくる」「明けない夜はない」「止まない雨はない」と励ますけど

 

待てど暮らせど昨日と同じ、真っ暗な闇の中を土砂降りの雨が降りつづいている。

 

苦しい。辛い。わかってるさ。みんな同じだって。でも、飲みすぎたときのゲロみたいに喉元まで上がってくるそれを我慢できない。

 

夕食どき、一番近い人。家族に漏らしたその愚痴は、気合でどうにかしろ。の一言で済まされた。まるで最初からなかったように。

 

 嫌な事から逃げるな。メディアで流れる前向きな歌詞は、嫌で仕方ない事を我慢できないやつを無視して鳴り続ける。

 

弱音を吐くやつなんて最初からいなかったみたい。頭の中で誰かがつぶやいたとき、足が止まった。そして気づいた。

 

 この場所は弱虫など存在しない。最近流行りの日常系コンテンツを見ればわかる

主人公に都合の悪いやつは存在せず、怒りや悲しみが徹底的に排除された完璧なユートピア

 

 

 自分の人生がうまくいかないのは、個人の努力不足。そう考える人たちは、

二次元の画面を見すぎたせいで、物体には奥行きがある。当たり前の現実を忘れてしまったかのようだ。

 

 平面で見えている物の裏には、こんなにも孤独と、悲しみと、不寛容と、絶望と、不条理で溢れているというのに。

 

お前だけが辛いんじゃない。そう言葉をかけられるたび、怯えていた。ネガティブなゴミの耳には、「みんな辛いのに、お前だけ愚痴を言うな。甘えるな」

 

という叱咤に感じる。近しい人々の励ましの言葉が、とてつもなく遠くから聞こえてくる。

 

虚しい。悲しい。辛い。逃げたい。全てを投げ出して。ごみくずの避難所、あの世への

一歩を踏み出しかけたとき出会ったのが、チェスター・ベニントンだった。

 

 

 チェスター・ベニントンの死から1年

 

チェスター・ベニントンが自らの命を絶ってから、一年がすぎた。信じられない。

あの日受けた衝撃が、たった今起こった事のように心臓を跳ね上げる

 

この件については何回か記事にしてる。

 

senbeibj59634hu.hatenablog.com

 

 

senbeibj59634hu.hatenablog.com

 

 

なぜ芸能人。それも海外アーティストの死が、これほどまでに悲しいのだろう。それは

彼が、誰よりも弱者のそばにいたから。だと思う。

 

リンキンパークの歌詞は全編英語の洋楽だけど、歌っている内容は、打たれ弱い人々のためのものだった。

 

チェスター・ベニントンは一言で言えば、「かっこよかった」それは、洋楽聴いている俺云々を超えた、もっと直感的な何かだった。

 

彼らの楽曲に救いはない。ただひたすら、辛い。苦しい。しんどいと連呼する。しかしそこからは不思議と絶望を感じさせない。

 

彼は怒っていた。何に?かは本人にしかわからない。しかし確実なのは、彼は心にある

その怒り、悲しみを、燃料のように燃やして、暗闇の中を進み続けた。という事。

 

俺は辛いんだ。俺は苦しいんだ。もうたくさんだ。憚らず叫ぶ事で、現実に真正面から

立ち向かっていた。

 

それは同じ場所にいる人々に、悲しみと怒りを否定するな。というメッセージ。

 

負の感情はなくしてはいけない。むしろ必要だ。SNSにはぬるま湯のような発言が溢れているけど、それはインターネットの中だけ。

 

モニタの前から離れれば、己以外を頼りにできない現実の世界が待っている。

悲しみと怒りが人を前進させる

現在の現実は、暗い感情を恐れるあまり、強い光を当てすぎている。完璧な世界を求めるがあまり、弱者をいないものとして扱う。

 

現実は厳しい。ここから救い上げてくれる人を待っていても迎えはこない。他人を当てにするから不満が出る。貯蓄、投資、海外移住。自己防衛。基本だよね。

 

明けない夜を待つのではなく、光の届かない海底でも手探りで進んで行く覚悟を。

 

たとえ味方などいなくても、自分の道を進んで行く強さを。この、曖昧な寛容の残る、不完全なディストピアを一歩一歩確実に。

 

 

 

最後に、我が人生でも一番過酷な現実を認めなければいけない。

 

ごみくずの肩を叩いてくれた人はもういない。ここからは、自分の足で歩くしかない。

 

 あなたはもういない。その悲しみを生涯燃やし続ける燃料にして。

 

さよなら。チェスター・ベニントン。最高にかっこいい、弱者のヒーロー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「急性死にたい病」突然死にたくなる病気をどう防ぐか。

将来の不安を考えると、自立していけるだけの生活費を稼げる身分にならなくては。でも、同じ職場で一生やっていくのか。と心に聞くと、?が浮かんでくる。

 

20代もあと数年。「ここは自分の居場所じゃない」こんな幼稚なこと言ってる場合じゃない。なのに頑なに離れない。

 

甘えてる。解ってる。後ろ指差されるダメ人間の綱渡りみたいな生き方をこのまま続けるわけにはいかない。

 

でも、この社会と自分の相性の悪さがつくづく身にしみると、進んでも進んでも暗くなるだけの道のりに嫌気がさして死にたくなる。

 

 無駄遣いだって?必要経費さ。

銀行で金を下ろすたびに生きるのがきつい。残額は減っていくばかりなのに引き落とした無駄金は増えていく。

 

散財した本人を自分でなじっているのだから世話がない。通帳にマイナスという単価が印字されるたび、心まで削られている気がする。

 

生きづらいのは金がないから。の一言につきる。あなたの冷たい目線を感じるけど、現実を嘆いて何が悪い?

 

苦しいのは欲望や願望があるから。それを捨てれば楽になれる。って言う人がいるけど

 

望みもない。なにかを欲する気持ちがないなら、それは死んでいるのと変わらないじゃないか。

 

金を使わなきゃいい。と言われても部屋の中で無駄以外生まれないルーティーンをこなして、時間を潰すだけの日々には戻りたくない。

 

「常人は働いている時間だ。なにしてる?」南の窓から刺す日差しに背を向けて横になる。

北向きに寝ると迎えにくるという死神。叱られた頃は遠ざけていた悪役も、無職にはピンチになると現れるヒーローに感じた。

 

日が暮れる頃にまぶたを開ける。目の前にある光景は一切の苦痛のない楽な場所でも、

針の上を延々歩かされる床でもない。

 

終わらない責め苦を与えられる。という意味では地獄に近い我が家の天井を見つめながら、この世にはヒーローもヒールもいない。と実感する。

 

木目の形が悪魔みたいになって、「なぜ生き続けてしまったの?」と問いかけてくる。

答えられない質問をされても困る。正解があるかすら未だにわからないのに。

 

目のつくところには無職の面影がサブリミナルのように配置されている。その残像に風呂場に沸いたカビだったあの日にひきずり戻される。心が耐えられない。

 

行き当たりばったりの天体観測を提案するかのごとく外に飛び出す。無職には夜道をウェーイしながら歩く友達はいない。まさに誰も知らない物語。

 

足を向けるのは都心。ここには地元にある「お前仕事は?」みたいな空気がない。

郊外は平日だと指名手配犯みたいな気分になる。でも、都会だとその時間でも人が多い。

 

特に上野のあたりは年中初詣か。というくらい賑わっている。街全体がエンドレス縁日みたいな雰囲気。祭りは好きだよ。行ったことないけど。

 

昼間っから飲んでいる人もいっぱいる。他人の事情なんて知らない。でもここにいると

後ろめたい事情のある奴でも、生きるのを許されるようで、心が弾む。

 

 

最近酒を飲むようになった。アルコールは親に禁止されていたから縁があまりなかったけど、口に入れて見れば何て事ない。

 

昔から外に繋がるあらゆる物を禁止されてきたけど、大人たちは僕にどんな大人になって欲しかったんだろう。

 

他人との接し方がわからないままで、どうしてヒキニートにならないと思ったんだろうか。

 

酒を飲んでわかったのは、自分は飲むのが嫌いじゃなくて、飲み会が嫌いなのだ。という事。

 

 孤独は苦痛だけど、一人でいられる時間がなくなるのは嫌だ。それに

今はどうか知らないけど、会社の飲み会で吐くまで飲ませるのはまだ続いているだろうか。

 

バイトなら断れるけど、正社員だとそうはいかない。しょうもない待遇から出られない理由の一つだ。

 

 それに、酒が入らなくても、日常の中で、結局説教はされる。もっとちゃんとしろ。

とか、親はいつか死ぬぞ。とか、その年で自立しないでどうするとか。

 

わかってるよ。もし、自立できるだけの金と、自由になれる時間が両立するなら、喜んで出て行くさ。

 

でもそんなわがままが通用するような世の中じゃないのもわかってる。酔いがいつか冷める。

 

帰りに乗った冗談みたいな満員電車と、改札を通った後の電車賃。金を消費しただけという現実が、行動の虚しさを暴き出す。

 

大人は口々に、将来を考えろ。真面目に生きろ。と言うけど、真面目に生きてドブ板に

追いやられた無職からしたら釈然としない。

 

いや。やめよう。この社会は結果が全てだ。がんばりました。でもダメでした。なんて

誰も聞く耳を持ってくれない。

 

結局何をしても、人生ってやつからは逃げられない。いや、「人生」なんてでかい枠で囲うからいけない。わからなくなるだけだ

 

 

 バカ真面目だと疲れちゃう

 これまでの行動が全くの無意味か。違う。少しだけど、生きるヒントは得られたと言い張ってみる。

 

この社会で生きるには多少ダメなところがある。ぐらいの方がいい。バカ真面目に生きてバカをみるのは自分だ。助けはこない。この世にヒーローはいない。

 

人が多い場所に行けば、それだけ多様な感性が集まる。はなつまみ者でも、生きていけないわけじゃない。この世に悪役などいない。

 

現実は辛い。この、死にたい。という欲が消えるかわからない。でも、自分で選んだ精一杯の終わり方を実行できるくらいの金が貯まるまでは、生きていたい。

 

それまでは、自分が無能でも、幼稚でもいい。頭の欠陥や、心の息苦しさや、現実の虚しさを何度暴かれることになっても、生きる環境があるかぎりすがってみる

 

「ここが自分の居場所だ。」心から言える世界は必ずある。

 

先の見えない恐怖と戦いながら歩き続ける一本道。それが極楽に通じるクモの糸だと信じて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日まで生き延びてしまった死ぬべきクズの皆さんへ。

ニートから一念発起してバイトを始めたものの、外の世界の常識人たち接しているとこの社会がいかに窮屈かわかる。

 

「その年でフリーターとか何を考えているんだ。」

 

「若いからまだ盛り返せるでしょう。真面目に働きなよ。」

 

「親に甘えて生きていられるのは今のうちだけだよ」

 

なるほど。引きこもっていた時、頭の中をぐるぐる回っていた不安を客観的な視点で指摘してくれるとはありがたい。

 

彼らは夢があるのか。とか、目標を持たなくちゃ。とか言うけど、ニートになるような

人間(いや、「人間」という表現はやめようか。この社会ではニートはゴミ扱いだから)

 

生まれてこの方目的など持った事がない。子供の頃、道徳の授業で「自分ノート」なるものを書かされたときを思い出す。

 

 

それまでは当たり障りのない答えを書いたが、「自分の将来を描いてみましょう」の問いで、立ち止まってしまった。

 

頭の中で空想を巡らせても、「自分の未来」がまるで出てこなかった。そしてその行だけ嘘をつけなかった。

 

そこだけ空白で提出したノート。指導要領に入っていなかったからだろうか。誰からも

咎めはなかった。

 

ただ、空白のページに赤ペンで「目標がないね」と担任のコメントが入っていたのを覚えている。

 

目標がない人間は異常なんだろう。この歳になっても、「なんとなく生きる」を続けて

いると、親切な人が目標を提案してくれる。

 

職業訓練のパンフとか、資格のセミナーだとか。どれも的外れだ。建前では考えますと。言うけど

 

やりたい事は一つ。遠くに行きたいんだ。そしてそのまま消えてしまいたい。

自分を取り巻くあらゆる不安が及ばない遠く。

 

正直、それが達成したなら、そのまま・・・今時珍しい話でもない。

 

木にロープで吊られたニートを外人がネットで公開するかもしれない。それでも構わない。

 

自分の最後。美しい海を見る事ができれば。

 

あの日から7年

生きるのが嫌で仕方ない。人聞きの悪い本音と見てくれだけは健康な体を引きずって歩いているクズにとって、今日ほど生きづらい日はないだろう。

 

意識していないと時間は信じられない速さで通りすぎていく。この国に住んでいる奴なら誰しも無視できない悲劇から、7年が経った。

 

メディアは示し合わせたように、あの日亡くなった人々の映像を流す。子供を亡くした親。夫を亡くした妻。孫を亡くした祖父 etc・・・・

 

 

皆、守るべき家族や、未来ある若者。この手の話を聞くと、無能ニートにはどうしても

「お前みたいな奴が生きているのは間違っている」と言われている気がしてならない。

 

常識人の皆さんからすれば信じがたい感想かもしれない。残念ながら自分で手一杯の無職には知人でない人の不幸を思いやる余裕がない。

 

ただ、無関係ではない。あの日を思い返してみよう。ちょうど二十歳の時だ。名もしれない専門を中退し、潰れかけのバイト先で、社員からのパワハラに耐えていたあの日。

 

 

本店に売り上げが悪い。という小言を言われ、怒りのはけ口を探していた社員と二人きりのデスゲーム。

 

上司に言われた言葉の宛先をすり替えたコピぺをネチネチと浴びせられていると、心は別の内容を考え始める。

 

タメの奴らは今頃大学に行って、楽しく遊んでいるのに、なんで俺はこんな目にあってるんだ。不公平だろ。

 

わかってるさ。当然の報いだと。将来設計をちゃんとしていないと、こういう事になるのさ。

 

そのときだった。カタカタという音ともに、地面が揺れだした。最初はわずかばかりだった振動は次第に増していき、ついには立っていられないほどになった。

 

戸棚から落ちる商品。慌ててかがむ客たち。僕はといえば、遮蔽物のないレジの前で

禹王さおうしていた。

 

震源地からはるか彼方の場所で、大した被害はなかった。ただ、その後のテレビで、繰り返し津波の映像を流し、まるで世界の終わりのような予感をさせた。

 

そういえば、スポンサーがCMを自粛し、AC(アーマード・コアじゃないよ)がこれでもか。と繰り返された。

 

あの日金子みすずはこの国で一番有名な詩人になった。

 

その後、原発がどうの。停電がどうの。買いだめショックなどを経て、

「被災地の人たち」の行動が立派だ。と外国から言われた事で

 

この国はすげぇええの第一次ブームが起きる。

 

ブーム。というのは一時的なもので、日常が落ち着けば、いつも通りの不満が顔を出す。これを悪い事だとは思わない。

 

悲しい事が起きなければ実感できない幸せを素晴らしいと言いたくはないから。

 

人の不幸で喰う飯はうまいか

 

視聴率を追いかける仕事だから致し方ないとはいえ、メディアはこぞって、インパクトのある映像を欲しがっているように感じる。

 

そんなに悲劇が欲しいのなら、四六時中葬儀場に張り付いていればいい。天災など起きなくても、この世は毎日、誰かの命日だ。

 

彼ら他人の不幸で飯を喰う日雇い労働者だ。「数字」が取れないから。ジャーナリスト。この単語はドイツ語では日給取り。という意味があるらしい。

 

あの日の報道にも、不安を煽り消費を促す。という意図があった。とかなかったとか。

 

震災ではなく、いつの間にやら、「3,11」という名前がついた。

まるで9,11同時多発テロのよう。あれも今ではすっかり名前も聞かなくなった。まるで最初からなかったように。それとも一時のブームだったのだろうか。

 

 

生きてしまったものは仕方ない。

 

クズを無能呼ばわりする人間たちは、ただ言いたいだけ。なのだ。

 

人間の言葉の裏には必ず別の意味が存在する。彼らは、叩きやすい奴を吊るし上げて

鬱憤を晴らしているだけ。

 

それとも、バカって言ったら、バカって言えばいいのか。未だ批判に批判で返している前記事の落語家みたいに。

 

彼らは甘えるな。というけど、ニートからしてみれば、何もかも上手くいかない気持ちがわからない奴の方がよっぽど甘えている。

 

現実の厳しさをわからない彼らは、生きるのをなめている。

 

それでも、文句を言いいたいなら、生きてしまったものは仕方ない。と言おう。

 

 

 なぜ生きてしまったんだろう。と後悔しているあなたも底辺から見れば

 

甘くない現実を今日も生き抜いた。偉大な人だと誇りに思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「自己責任」を考える。この国に完璧な人などいない。

今年一番の寒さを毎週更新し、より強力な最強寒波が襲来する。まるで少年漫画のパワーインフレのような気候の2月の半ばに、それは起こった。

 

 

 未だ出口のない寒さとは裏腹にツイッターはある人物の発言で炎上。その最高にホットな発言がこの

 

 

である。

 

発信源は桂 春蝶(かつら しゅんちょう)氏。これは芸名で、彼は3代目にあたる。職業は落語家とのこと。

 

この騒動で思い出したのは、人工透析は甘え。発言で炎上したフリーアナウンサー長谷川豊氏だ。

 

彼はツイッターで、「頑張らずにがんを治そうとするな。」とう趣旨の発言をし、やはり炎上した。

 

この二人の共通点は二つ。二人共言葉を扱う職業であり、二つめはガソリンをかぶせた青いはとを種火に投げ込んで暖をとるまで、僕はこの二人を知らなかった。ということ。

 

みなさんもご存知の通り、炎上というのは批判を集めるというデメリットの他に、多くの人から注目を集める。というメリットがある。

 

これを逆手に取った「炎上商法」なる宣伝方法があるそうだ。ネットの世界は広大である。

 

まぁ、「憎まれっ子世に憚る(はばかる)」と昔からいうし、掲示板やSNSの出来事なんて、昔からある世間話を文章に残る形にしただけだし、多少はね。

 

桂氏が炎上商法で名を上げようとしているという前提で話を進めてしまったけど、これがなんの戦略でもないなら、むしろその方がヤバイ。

 

こちらの一方的なイメージだけど、落語というのは、その社会の世相を笑い話にする。

という古典芸能だと思っていたけど、違ったようだ。

 

彼のツイートにはユーモアがないと感じてしまう。今回もそうだけど、どれもこれも、

朝礼の校長先生か、ゼミで後輩に知識をマウントする大学生を思い出す。

 

こんな話を聞いて誰が面白が・・・・いや、やめておこう。これ以上は、ブーメランwwwが大好きな人たちが喜びそうだ。

 

そんな三流クソブロガーは落語をCDでしか聞いたことがない。ただ、立川志の輔氏や柳家喬太郎氏。は面白いかった。

 

志の輔氏は健康番組の司会者。というイメージで、彼の創作落語を聞いた時は、「がってんしているだけの人じゃなかったのか」と思ったけど。

 

ご当地ゆるキャラを題材にした、「モモりん」スマホ依存をテーマにした

「スマ中」はオチが素晴らしい。

 

時代を反映した。といえば、ブラックユーモアを感じさせる柳家喬太郎氏の「国民闇年金」は面白かったし、古典?と呼べばいいのかわからないけど

 

「もう半分」は人間の浅はかさが深く描かれている。特に志ん朝氏のバージョンが好きだ。

 

話が長すぎて、「要点を言えよ」とイライラしている人のために答えを出そう。

 

彼がどのような思想を持っているかは問題ではない。ただ、「落語家」という職業であるからには、落語でその考えを示してほしい。

 

それにしても、落語。というは、人間って完璧な生き物じゃないよね。嫌なところもあるよね。という暗い部分を笑いにするもの。

 

人間はロボットではない。誰もが品行方正に生きていけるわけではない。

人間臭い部分を、人情と呼ぶ芸能だと思っていたけど、どうやら違ったらしい。

 

何れにしても、

 

 自分の話で金を得ている以上、自分が扱う言葉には最新の注意を払わなければならない。

 

そんな、落語家の自己責任を欠いた彼に、自己責任を語る資格があるか。疑問が残る。