自殺しようとしている人へ。自殺のメリット、デメリットを教えよう。
前回の記事でこの国はなぜ自殺大国なのか。そして、なぜ人は死にたがるのか。について考えた。
考察。といっても、統計や社会学を応用したデーターに基づいて、結論を出すようなまともなブログではなかった。
「答え」を求めやってきた人には、時間の無駄だったろう。当たり前だ。現実に降伏してはいけない理由なんて、こっちが知りたいくらいだもの。
そこで今回は、「自殺」をより掘り下げ、自殺のメリット、デメリットを考えていく。
今のうち断っておくけど、今回も客観的な事実があるわけではない。知性にあふれた見解を求めている方は自殺論でも読んでくれ。
「 自殺」のメリット
あなたは明日がくるのが嫌で仕方ない。と思ったことはないだろうか。眠っているうちに心臓が止まってくれれば良い。と願ったことは?
もしくは眠ろう。としても眠れなかったことはあるだろうか。ここで眠ったら明日がくる。そう考えると眠ることを心が受け付けないような感覚を覚えたことは?
睡眠をとらないからといって、日付変更線がずれるわけもないし、時計の針は戻りはしない。一秒ずつ確実に悪夢は現実へと近づいていく。
いつからだろう。「明日」が避けがたい恐怖になってしまったのは?子供の頃の自分は明日は何して遊ぼう。どんないい事があるだろう。
未来は希望に溢れていた。目に見えない誰かが微笑みながら見てくれているような気がしていたから。
毎日が楽しくて仕方なかった。学校も、帰ってからのTVも。ちょうど2000年問題やら、
ノストラダムスやらが流行りで、「地球が消滅する理由はこれだ!」と繰り返していた
チープな再現ドラマを見るたびに青ざめていた。あの頃は世界に終わりなど望みはしなかった。
今は逆に、世界が終わらない現実を思い知って青ざめてるけど。
信じられるかい?こんなジメジメした記事書いているやつにだってあったんだよ。幸せな時が。
あの時、住んでいた家があった場所。もう跡形もなく、今は味もそっぺもない無個性なマンションが建っている場所を見つめる。
あったんだよ。ここに、ただいまと言ったら、にこやかに迎えてくれる人たちがいた場所が、何の取り柄もない奴でもいてもいい。と笑えた場所が。
そんな叫びが喉元まで出かかって止まったのは、吐瀉物でも見るかのような目線を向ける警官と目があったから。
そうだよ。これが現実だ。ゴミを許容する余裕のあった世界はもうない。どんなに大きな間違いを犯しても、「ドンマイ」と言ってくれた人たちは、もういない。
日が経つにつれ、時が進むにつれ、険しくなっていくだけの坂道。それを登る
元気が、生きていたい。という気持ちが、日に日にしぼんでいく。
目をそらそうとも、耳を塞ごうとも、未来を不安にする情報や、暗い現実が突きつけられる。
「この先どうするの?」そんなこと知るか。
「いい加減に生きていけるのは若いうちだけだよ」
真面目に生きたんだよ。生きてこれなんだよ。
「もっと頑張らなきゃ、将来苦労するよ」
これ以上、何をどうがんばればいいんだよ・・・・
社会の常識人からの罵声。未来への不安。試合終了の合図のような目覚ましの音。
もうたくさんだ。何もかも。
これらを感じなくなるために手っ取り早く、かつ確実な方法が
自殺だ。
自殺は何も感じなくなる事、苦痛も、苦悩もない、死を迎える事で、未来への不安から逃れる事ができる。
よく、今は辛くてもいつか良くなる。という人がいるが、どうしてそんな約束ができるのだろう?
「いつか良くなる」その言葉を信じて生き抜いた今日が、最悪の未来だというのに。
死は可能性の否定だ。自殺のメリットは、良くなるか。悪くなるか。その可能性を否定する代わりに、それ以上の苦痛を感じなくなる。
無感。それが自殺のメリットだと言える。
自殺のデメリット。
自殺してはいけない理由。いの一番に、「あなたが死ぬと悲しむ人がいる」という文句を耳にする。しかしこれは
自殺する本人ではなく、自殺された他人のデメリットだ。
この記事では死んだ本人のデメリットを掘り下げるため、今回は除外しておく。
生ける屍になってしまうケース
自殺。自らを殺すと書く以上は、殺害手段が必要だ。よく挙げられるのは、首吊り、飛び降り、またしても銃乱射事件があったアメリカでは、オウンゴールならぬ、オウンヘッドショットなどがある。が
実はどの手段でも、確実に死ぬ事ができない。
という事実を、皆さんはご存知だろうか?首吊りでは、脳に血や酸素を送らなくする事で、死を迎えるが、早期に発見され、その時間が十分ではなかったため
中途半端に脳がダメージを受け、植物状態になったケースや、バイアグラ100m男の制止を振り切り、崖の淵から飛び降り、全身を強打したものの
肝心な臓器にまでは至らず、そのまま下半身付随になり、生き残ったケース。最後に、
銃が人を殺すのではない!人が人を殺すのだ!
がスローガンの自由の国では、頭を吹き飛ばしたものの、頭蓋骨と神経の間で弾が止まり、眼球を片方無くした、ゾンビのような姿で生き残ってしまったケース
などがある。
楽になろうとして、さらに地獄にはまってしまっては元も子もない。ネットでは安楽死施設を求める声も多いが、企画が持ち上がった段階で批判されて終わりだろう。
宗教上の理由で禁止(あまり勧めない)とされているケース
釈迦が自殺志願者に、自殺すれば今よりより酷い世界で生まれ変わる。という教えを
とき、思いとどまらせた。
というエピソードは有名だ。もちろんこれには諸説あり、そんな事実はない。といえばない。
仏教での自殺の禁止は明確ではないが、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教といった宗教御三家では、概ね罪とされ、イスラム教では、地獄に行く。とされる。
ただ、これは死後の世界を信じる信心深い人々のための教えだ。この国に多い無宗教の
人には関係ないだろう。
天国がどんな場所かもわからないように、地獄がどんな場所かもわからない。
なぜなら死んだ人間は帰ってはこないのだから。
ここまで自殺のデメリットを考えてきたが、どれも生き残ってしまった場合に起こる不具合だと思う。
当然だ。生きることは苦しい。だから死にたいのだ。
命の安っぽさ。
SNSでは、死ぬくらいなら逃げろ。という意見が散見するけど、少し距離を離して、某巨大掲示板にいけば
「死にたい」という書き込みにあらん限りの冷笑が向けられているのを見れば、現実の冷たさが理解できる。
最近話題のみなし労働性。ネットでは、「批判しているやつは無能」「売国奴」などと
いった書き込みがある。
彼らは自分たちをなんだと思っているのだろう?一労働者か。それともシン・ゴジラの見すぎで、自らをこの国のエリートと勘違いしたオタクか。
僕らは、殺されるシーンすら映らない瓦礫の下敷きになっている市民だとなぜ気づかないのだろう。
何かを変えなければならない。この社会全体が。それは、たとえ昼間っから酒飲んでドラッグをやっている奴がいようがなんとかなるさ。
と開き直れるほどの。それが幸福に見えるのは、気のせいではない。
この世界は冷淡で過酷だ。それは揺るぎない事実だ。それはこの先も変わらない。
ただ、こんなクソブログや社会が、いくら自殺しろ。と言っても「はい。わかりました。」なんてなるような
あなたの命は、そんな陳腐な物ではない。