キリギリスはなぜ死んだ?

社会に、いらね。と言われた奴の最後のあがき

ピアノ泥棒を語りたい。

amazarashiの中で、もし一曲だけ選べと言われたなら、ピアノ泥棒を選ぶ。

amazarashiっったらアニメのOPとか手掛けてる有名なバンドだろ。

話題になるような曲はいくらでもあるのに、通ぶってマウンティングしたいだけだろ。

この古参気取りがヨォ

 

今でこそタイアップも多いけど

最初は知る人ぞ知るタイプのバンドだったんだって

メンバーの顔をださず、ツイッターのテキストやミュージックビデオの演出でみせる

スタイルは今でこそ市民権があるけれど

当時はその正体がわからない、だれだお前は、感や

ビジュアルに左右されず、「歌」で勝負するところに当時のキッズたちは

衝撃を受けたのよ。

ようするに20世紀少年のトモダチてきなやつね。

お前が語らなくてもだいたい知ってるから、もう行くね。今回はパスで。

甘ぇよ。甘すぎる。カルピスの原液そのまま飲み干すぐらい甘ぇ

すでにここは領域展開なんだよ。お前が見ているのは「無限」

ペースはこっちにあるんだよ。

 

すぐそうやって流行り物にのっかろうとするミーハーか、お前は

つーか、うかつに無限がどうのとか言うんじゃねーよ。 なんでよりによって人気上位の五条さんをチョイスしてんだよ。ファンが黙ってねーぞ

「こういうのがうけるんだろ」感はすぐに見破られるぞ。

全方位から銃向けられてんじゃん。ジョン・ウィックかてめーは

 

八方美人に徹して逆に嫌われるというね。このたるみきった体ではマシャルアーツも

ガンフーも使えないなから、開始数秒で蜂の巣だろうね。

まぁ別に、伝説の殺し屋ではないから、あとどうなろうが知ったこっちゃないし。

話を戻すね。今回は「ピアノ泥棒」について語っていきたいのよ。よろしいか。

 

まぁお前がそこまで言うのなら、仕方ないから、今日も付き合ってやるよ。

 

ありがたき幸せ。じゃあ、「ピアノ泥棒」についてざっくり説明するわ。

この曲はamarazashiのメジャーデビュー三枚目のアルバム「アノミー」の4曲目

「曲」といっても歌というよりは物語に音楽をつけたという方がいいかな

ミュージックビデオはないのだけれど、「ピアノ泥棒」を聞いているとまるで

良いミニシアターの映画を一本みたような気分になる歌だ。

物語の始まり

どこかにある酒場で

酔っ払った男が聞き手に向かってギャグだからなwwwという前置きをした上で

身の上話をしている

ある男が雨の降るアーケードに立っていた

行きかう通行人はショーウインドーの向こうの商品に夢中

でも男はその通行人に夢中だった、変態ではない。

男は「巾着切り」つまりスリだった。

獲物を物色している最中

男はある店の前で搬入を行うトラックの積荷に目を奪われた。

積荷はスタインウェイという超高級ピアノ。

(検索してみた、お値段5610000 フリーザの戦闘能力か)

そこで男はスリになる前は売れないピアノ弾きだったことを告白する。

スリになる前は男にも夢があり、ひたむきに頑張っていたのかと想像できる

男は思った。あのピアノさえひけたら、やり直せると

もちろんピアノは関係ない、スリも窃盗罪、絶対に許されない。

でも、決して手が届かないものに

憧れる心や、自分の人生を恥じて、これさえあればやり直せるのに。

と思う気持ちは、痛いほどわかる。

男はピアノの演奏力には絶対の自信があった。あれさえあれば。

しかしスタインウェイは男には荷が重すぎる。

そこで男は考えた。鍵盤をちょっと叩くだけ、いや一目見るだけでもと。

人がいなくなった真夜中、男は楽器店に忍び込む、

人に注目されるピアノ弾きになりたかった男が人の目を避けて行動しているところに

皮肉を感じる。

憧れを目の前にして、男は自分が泥棒であることをすっかり忘れてしまった。

午前三時、人っ子一人いない静寂の中で、男のピアノソロコンサートが始まった。

それは、スリになる前の男には決して出せなかった、悲しみと喜びの入り混じった

男の叫びがそのまま音に乗って伝わってくるような、なんとも言えない音色だった。

ここまで聞いて、パトカーのサイレンと店のガラス越しに光るパトランプに照らされる

男の泣き顔を想像したのよね。

 

そこで場面は再び酒場にうつる。聞き手の思いを察したのだろう。

男は「嘘だよ」とおどけてみせる。

そこで男に声がかかった。

男は笑った。「ピアノは得意なんだ。」

満員のステージで、執行猶予のついた旋律が始まった。

 

たった5分程度の楽曲だけれども、男のこれまでの道のり

常人の人生を外れてしまった後悔や、今の生き方への悔しさ

やり場のない憤り、そこから、犯罪を犯してしまうのだけれど

高級ピアノを盗むのではなく、弾いてみたかったというところに

男の人間としての醜さと人間くささ

そこからラストシーンのステージに立つ男の描写に

人生をやり直せるという希望を感じれるのよ。

 

深ぇな。

 

深いのよ。てっきり、っんだよ。

ただのスリの独白じゃねーかくそつまんねーとか言いだすかと。

 

いや、お前の解説はまぁ、鼻くそほじりながら聞いてたけど、今お前の持ってる

アノミーのCDの歌詞見ながら聞いたらさ。

 

「ピアノ泥棒」深ぇなぁ・・・と

 

意見があうなんて珍しい。大雪でもふるんじゃないの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一年の終わりと冬の始まり

窓がカタッカタッと音がするたびに、部屋自体が揺れている気がする。

立て付けの悪い隙間から寒気が忍び込んできてくる。

寒さは下の方にたまるから足が冷える。靴下を二枚履いても効果はない。

破滅的なことばかり考えてしまう

この時期はいつも泣きたくなって、寂しくなる、年齢のせいだろうか

比べられる昔もないけど、ここ数年でメンタルが弱くなってきた気がする。

年をとるとすぐ泣くようになるらしいけど、これじゃあテレビ画面の右の小窓

(ワイプというらしい。わぉ、トリビア!)で泣きじゃくるタレントみたい。

なりたくねぇなぁと笑っていたものに年々近づいていく。

未来に期待できない理由の一つ。

お前はどうせまた夏になったら暑いとか言いだすんだろ。去年あたり聞いたよ。

ほんと同じところをぐるぐる回って、自分の尻尾を追い回している落ち着きのない犬(ワンちゃん)か。

そうくると思っていたよ。確かに、よくあることなんだよ。編集している途中で

同じようなこと書いたなぁってこと、でもなぁ、よーくみてみ。ちょっとずつ違うのよ

マジで。同じこと思うってことは、思考が変化していってるってことなのよ。

だもんで、今回は、寒いとなぜ消えたくなるのか。について、考えていきたいわけですよ。

寒さ=危険

自衛隊の訓練で寒いところにいると、人は凶暴になるらしい

ツイッターでバズってる人によると寒さを本能が危険だと感じるからなんだとか。

この、「本能」に消えたくなるポイントがあると睨んでいるのよ。

人様の発言にライドしてバズろうってか、このハネウマライダーがよぉ。

いいか。バズる理由はその人にしかない経験をシェアしようっていう

オーディエンスの判断であって、共有する価値もないお前の存在なんて、誰も

見向きもしないっつの。

 

それだよ!そこなんだよ!

なんだよ。なじられて興奮するなんてとうとうそちら側の扉を開いたか

いや、文体からしてそっちなんじゃねーかなぁと。

 

なんの話だ(すっとぼけ)いいかい。

今重要なのは、「存在に見向きもしない」って部分

つまり、誰からも必要とされない+(価値がない)=消えたくなるっていう

公式がなりたつんだ。

なりたたねぇよ。ガリレオの福山っぽいポーズとってドヤ顔されても。

 

実に面白い。(ガン無視)

問題は、赤の他人の集まりである社会

その「社会」から必要とされないことで

どうして消えたくなるのかってところなんだ。

別にいいじゃないか。他人に興味を示されようが、示されなかろうが

そいつらが食べ物をくれるか、仕事をくれるか、給料をくれるか

いや、面接に受からなければ仕事はできないだろうから、会社は重要かもしれない。

(もちろん、生活保護というやり方もある。それは否定しない。働きたくなければ

働かなければいい。そういう生き方にも憧れる)

他人に嫌われる、無視される、だからなんだ。

よそに移ればまた違うかもしれないし

どこにいったって人間なんてそう変わらないから

他人に好かれるやつは好かれるし

好かれないやつはどこいったって好かれないさ。

嘆いていても仕方がない。

開き直って生きてくしかないのかもしれない。

ただ、前にも書いた通り、一人ってのは、危険だ。

一人だと、ここにいるんだって自覚がられなくなるからだ。

存在してるってことがわからなくなると、生きている理由もわからなくなる

コミュニケーションを取れる他人がいて初めて

自分はここにいるんだと思うのが人間だ。

それと寒さの間になんの関係があるっていうんだよ。

そろそろ結論にはいらねぇと、みんなブラウザバックにカーソルを合わせ始めるぜ。

あわてるなよ。今終点に向かってレールをつなげているところだ。

寒さの中にいると、凍死っていうことのヤバさを感じるんだと思う。

そこから自分を守るために余裕がなくなるというか、一刻も早くこの状況から抜け出さなければっていう本能が優先されて人は凶暴になる。

でも、厄介なことに、人間は本能だけで自分勝手に行動できるわけじゃない。

社会=ルールのある生き物だから

群れることができない人間は、生き残る本能についていけない自分に足手まといというか負い目を感じて、消えたくなってしまうのかもしれない。

あるいは、冬っていうのはある意味、「終わり」を意識するからだろうか

12月は1年の終わり、春、夏、秋、冬の四季の終わり、

あの木の最後の葉が落ちたら〜ってのは良く聞く話で、終わっていく命に

自分を重ねるというのか、区切りがいいというのかな。

陽の出ている時間が短いというのもあるね。

朝家を出るときに

太陽がまだ出ていない時間だと、とてつもなく寂しくなってくる。

今年も何も変えられなかったことにこれまでの経験から

この先の未来もだいたい同じ苦しみが繰り返されるということに

泣いてからかもしれない。

 

大丈夫、心配するな。これもまたあと数ヶ月、そんなことを考えいるなら

家の周りを走ってこい。無理矢理にでも体が温まるぞ。

3月になれば暖かくなって、また花粉症になるんだから。

 

 

 

 

優しい世界で生きたいのよ

疲れた。

 

正気かよ。一行目だぞ。

いや、自由だよ。ここは。でも愚痴を言うにもいろんな言い回しを使って

見せる。いや、魅せるのが文章の妙ってやつなんじゃねーの。

るっせぇえなぁ。そんなことはわかってんだよ。考えてもみろよ。普通に道歩いてて

しんどい。きつい。疲れた。とか言いながら歩いてる奴なんて近寄りたくねぇよ。

わかってんだよ。でもなぁ、ここでは心を全裸にして全力疾走する

「裸で何が悪い」状態でいるって随分昔に決めちまったもんだから、もう後戻りできねぇんだよ。

非常識だ。なんていうなら、スクロールして過去記事のタイトルを追っていってみろ

今回とは比べものにならないくらい他人目につけない文章 

リアル顔見りが閲覧したら翌日きまづくなることうけ合いな文字の羅列ばかりだぞ。

でもなぁ、それでいいんだよ。ここじゃあ思ったことを書けばいい。

シャバでは社会の常識についていけずにヒーコラしながら

なんかちがうんじゃねーのって首をかしげるようなことにも黙って従ってんだよ。

なんで?これだけ悪態つけるのなら、その場でブチ切れればいいじゃん。

おい。おい。怒鳴ってどうなったよ。

切れた時点で悪者。それが社会だ。わかるだろ。

でも、ここから抜け出せないのが嫌で、書くのをやめたのに

戻ってきて、キーボードを叩いている。進歩がねぇ。わかってんだよ。

家の中で無職は人生の終わりだ。社会の底辺だって震えながら過ごしていた頃から

バイトに行きだしたときからも、幸せになった。生きていて良かったとかはない。

いや、むしろ、中途半端な身分になったことで、無職だった頃より悪くなった気がするな。どこがってことはまったくわからないけど

その日の食費すら稼げずに完全に家庭からお荷物扱いされて

いたときの方が、ハングリー精神があったような気がするんだよな。

(一応いっとくと、無職に働けマウンティングがしたいわけではまったくないよ。

ただ、ここまで書いておいて、不愉快に思う人がいるような気がしたから断っておく)

無職ってことはつまり孤独ってことなんだよ。孤独ってのは、他人と関わらないこと

話し相手がいない。いや、誰かと話しているとしてもその相手が、きつさとか辛さに

対して、努力とか根性とか少年ジャンプの見過ぎの精神論で解決しろっていうタイプだったらば、そいつは理解者じゃなくて、看守といってもいいな。その時の家は、家というより刑務所にいるような気持ちだった。(今も変わらないけど)

お前刑務所に入ったことなんてないじゃねーか。本物の刑務所をなめるな。

わかってるよ。想像だよあくまで。息苦しさとかそんな場所に居ると人は凶暴になっていくんだ。

なんていったらいいのかなぁ、世界中の人間が憎らしくなるというか、すれ違う人に馬鹿にされているような、すれ違う学生のグループとか、カップルとかが笑い出したら

「ねぇ、今のあいつ見た。エグキモくない!」とかネタにされているような

気がするというのかなぁ。

おい。おい。そんなゴミを見る目で見るんじゃないよ。独りっていうのはそれくらい

まずいことなんだよ。だから、今は社会と関わることによって「痛い部分」を

隠さなきゃいけなくなったんじゃないかな。

なるほど、その「隠くす」ってのが、ハングリー精神の欠如ってことか。

厨二病が身の程しって高校で大人しくしてるようなもんじゃねーか。

古見さんはコミュ症ですの只野くんかおめーは。

るっっせぇなぁ。おれには古見さんの心を察する能力なんてねーし、おれの前には

こみさんどころか女子がよりつかねぇんだよ。おれだって只野くんになりてぇっすよ。

っグスっヒグっ・・・・・

あえて茶化さずに泣き出すところに30歳非正規独身男性のリアルな悲哀を感じるね。

まぁ、たとえお前がこみさん世界にいけたとしても、只野くんにはなれないよ。

わかってるよ。そんなことはどうでもいい。ただ、やさしい世界で生きたかったんだよ

年収が職歴が年齢が正規、非正規か無職が〜なんて法律を犯してないのに

まるで生きる価値なしみたいにみられる世界にいたくないんだよ。

もう限界なんてとっくの昔に通り越したんだよ。たかがバイトじゃんかっていわれても

本当にできる限り一生懸命がんばったんだよ。おれなりに。おれなりにって

言わなきゃしょうがないほどに。でも足りないんだよ。明日どうなるかもわかんねぇ

無職だったら働かなきゃだめ、働いたら正社員じゃなきゃだめ、正社員になっても

結婚してなきゃだめ、結婚したら子供がいなきゃだめ、子供が居たら大学まで

いってなきゃだめ・・・・

だめのハードルが高すぎんだよ、SASUKEのファイナルステージか!

わかった。わかった。悪かったよ。落ち着けよ。

うるせぇ・・・・ううっぐすっ・・・・お前に何がわかるってんだ。

必死だったんだ。一生懸命がんばったんだ。意味がなくてもそれでも

でも、やっぱだめだ。だから疲れたんよ。全部に。

おいおい、これは重症だな。しっかりしろ。確かにお前の世界には美少女はいない

でもムキになんなよ。今のおまえでも小銭くらいはあるだろう。

 

明日は水曜日だ。少年マガジン買いに行こうぜ。

 

 

 

 

 

 

休み明けのさびしさについて

学生の頃、8月が終わらなければいいと思ったことないかい

別に夏休みらしい青春がなくてもいい。

ただ学校に行かなくていいっていう時間がこのまま続けばいいと思ってた

携帯の画面に31日の日付が映った時、なんといったらいいのかわからないけど

さびしくなった

何がさびいしのかわからない。でも今日になってあの日と同じ気持ちになった時

どうしてもそのままにしておくことはできないと思った、

今更思い出してきたこれは一体なんなのか、どうしても気になる

今回は休み明けが迫ってくる時に訪れる不安とさびしさとについて。

 

そもそも何がさびしいのか

一行目に書いた通り、絵に描いたような青春なんてまったくなかった

友達も一人もいなかった。なので、いわゆる「休み」とつく行事には

思い出なんてない。おいおい、いきなり暗いカミングアウトしやがってだって。

しょうがないだろ、事実なんだから。それとも、友達とプールいって海いって

ガールフレンドとアバンチュールみたいなのを書けというのかい。

素人のおっさんの頭の中にある青春群像劇を見せつけられるなんて、地獄じゃん。

どうだい。まだ他人の不幸の方が喜べような感じしないか

そう、今回は「休み明けのさびしさ」についてだ。

つまり、「休み中の行事について」ではなく、より純粋な「休みそのもの」について

考えていきたい。

そう。青春などなかった奴には休みが終わろうが始まろうが、ぼっちのまんま変わらないだろう。と思うだろう。でも違う。

むしろぼっちにはとって「休み」は救いなのだ。少なくとも学校、もしくは職場に

通っている間は、周りの人間たちの寄り合いやコミュニケーションする姿を否応なく

見せつけられることによって、ぼっちである現実を自覚しなければならなくなる

そう例えるなら牢獄の中にいるようなものだ。しかし、「休み」の時は違う

確かに、常人たちは休み中も連絡を取り合い、ぼっちにはできない青春をエンジョイしているであろう。しかし、その青春はぼっちには見えない。ぼっちに自覚できない

なら、なかったことにしてしまえる。そう、ぼっちの部屋にいるのはぼっちだけ。

他人は存在しない。比べる対象がいないからこそのパーソナルスペースの確保。

そこにぼっちにとっての救いがある。

つまり、「休み」中はぼっちであることを忘れることができる

むしろ「ぼっち」が「ぼっち」であることを認識しないことによって「ぼっち」はいなくなる。

もっと踏み込んで言おう。

「休み中」は「誰もがぼっち」であり、「誰でもぼっちじゃない」のだ。

その終わりこそ「休み明け」だ。例えるのなら戦地から帰ってきた兵士が

戦場に戻っていく状態。ブラックホークダウンのラストシーンのような哀愁

つまり、休みが終わることのさびしさというのは、平和の終わりに対しての

さびしさじゃないか。

今日外に出た時に通りを歩いていく人たちの背中を見ているとなぜか悲しくなった

離れていく人の一人一人に人生がある。これから仕事に行く人もいるだろうし

休みの終わりという人もいるだろう

明日からまた日常が始まる。全てが普通に戻っていく。何もなかったように

そしてまた、ぼっちはぼっちであることを思い知らされる。

休み前とは明らかに違うクラスメイトたち、日焼けした肌、距離感の近い男女

休み中にいった場所の写メを見せ合うリア充たち、明らかにぼっちとは違う空間に

いるかのような感覚、まるで四方八方を敵に囲まれているようだ。

そう、ぼっちといは社会空間という戦場で孤高に戦うsoldierなのだ。

ベイビーボーイ私はここにいるよね。それはソルジャだろうが、青山テルマは元気か。

ちゃんと飯食ってるか。なんでよりによって淋しくなるような曲を狙い撃ちしておもいだすんだよ。離れた距離を愛で埋めようとした経験なんてないだろ。

ようつべのコメント欄には、「当時を思い出す」とかリア充たちがひしめき合っている。いこう。じきここもリア充にのまれる

ふとナウシカのおっさんを思い出してしまった。ちなみにナウシカはちゃんと見たことない。長いから。

またどうでもいいところへ意識がぶっ飛んで行ったな。何を話していた。

青山テルマ 現在で検索したらイメージが全然違ったとか、そばにいるねの

アンサーソング 「ここにいるよ」がリリースされていた。とか要チェックや!

除けよ彦一しっかりしろ。すぐそうやって影響を受けるのが悪い癖だ。また散らかり出したな。どうやって軌道を修正する気だ。

つまりぼっちはソルジャーだ。社会という戦場で、常識という大義と戦い続けることで

ぼっちたちは傷ついている。その傷を癒す期間が「休み」

特にこの寒い時期は朝の目覚ましに恨みを感じたり、社会の中での自分のあり方に

頭を抱えたりする。それも戦いだ。行事など関係ない。さみしさの正体は人生の現実を

目の当たりにするからだ。でもぼっちである現実からはどうあがいても逃げられはしない。いつか必ずぼっちであるということを思い知らされる。

ならこっちから向かっていこうじゃないか。

学生より社会人ぼっちは不自然でなくなることもある。※個人差があります

 

いこう。新しい1日が始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スポーツマンシップにのっとり

今日は気分がいい。走ってきたからね。お前の気分なんてどうでもいい興味ないとか

そんな運動選手でもない奴がいきがってなにをしだすんだとかは言い出すんだろうけど

そんないきごみがなきゃ外にもでられないかい。あんまりじゃないか。

そもそもなんでそんなにいきなり高次元をめざしてんだい。

一体どこに行けばいいのさ。この言い草じゃあ

コンビニに行ってコーヒーを買ったってだけでも、コーヒーの本場に行ったわけでもないのにとか言い出すだろう。どこにも行けやしないよ。

 

とにかく、まぁいいや。少し浮かれていたから、こういう場合は必ずどこからか

足元をすくわれるんだ。それはもう経験でわかっている、凡人のカンよ。

少し沈みがちになったほうがいいんだ。

ほてった思考を冷ますことが大切、クールダウンだ、クールダウン。

いいね。スポーツマンっぽいかっこいいような気がしてきたぞ。

スポーツマン、なんて爽やかな響きだ。

桜木花道が浮かれるのもうなずける。

なんで突然桜木花道スラムダンクって思うじゃん。

昨日見たのよ、スラムダンク。そう今更だよ。今更スラムダンクをみたんだよ。

ナイツのネタだったら、「スラムダンクって知ってますか?」

的なあれよ。国民全員が知ってるのに今更、って感じのあれ。

そういえば今日ツイッターで見たけど、ナイツのネタで言ってった

「Lisaの旦那」がバズってたね。まぁLisa家の事情をそこまで深堀する知識もないし、そもそもLisa自体そこまで知らないし、とりあえずレコード大賞おめでとう(いまさらかよ)とういかLisaって旦那いたのね。

まぁいいや。ドラケンくんにどんなリベンジが待っていてもそれはそれで

傷口が綺麗になるじゃない。

ちなみ東京リベンジャーズはアニメ派なんだけど、一期の終わり方はあれでいいのよね

完全にこの後ゲームオーバーの雰囲気だったけど、これ二期どうするのかしら

どうなるのよ武道、おっと、またしても道をそれてしまった。

しっかりしろよなんの話してたの。どうした、とうとうボケたか。

スラムダンクスラムダンク

武道置いといて花道の話。今10巻まで見たの。面白いの。

ぶっちゃけ3巻まではたいして面白くないの。(ファンの人ごめんね)

流川の活躍をみて花道が焦る←暴走←ゴリ(赤木)にキレられるって流れで

でも、4巻あたりから宮城と三井ってでてくるじゃん。こいつらが出てきたあたりから

話があったまってくるのよ。花道は花道で問題児なんだけど

宮城(髪型カリフラワー)と三井、(バスケがしたいですのあいつよ)

が出てきて、これもはや花道入らなくねってなったとき、神奈川予選が始まるのよ

(神奈川予選であってるよね。ごめんねにわかで)で

湘北(花道の学校ね)が順調に勝ち上がって行って、三回戦あたりで、シード枠の

奴らと当たるんだけど、全員180越え、デケェのしかいねぇ。

特にやばいのが藤真って奴で選手なのに監督もやってる。意味がわからない。

それで、そいつらがデケェからジャンプ力がすごくて、ゴリですら届かない

どうする湘北このまま終わりか。ってときに、まぁあれよ。諦めたら試合終了よ。

(この場面では言わないんだけどね)とばかりに花道がリバウンド

ゴールポスト→(あの輪っかのことね。)からはずれたボールをとること。地味だけどバスケでは超重要なんだってさ)をとるわけ。リバウンド王桜木なわけ

ここから花道の快進撃が始まるの。進撃の花道

伊達に体育館の隅っこで基礎練ばっかしてたわけじゃない。

で、湘北が逆転したところで、さっきの藤真が

とうとうでてくるわけ。そこまでが10巻分、キリのいいところで終わるのよね。

なるほど。みんなこれはハマるよなぁと、なにを今更このにわかが的なことを

言われるのだろうけど、じゃあどこで見たらいいんですかって話になるじゃない

キリがないから置いといてくれよ。頼むから。

とりあえず面白いのはみんなわかってるじゃない。やっぱりわざわざ話をきりだした

わけだからさ、ここにしかないもの、ってのが必要だと思うわけ

多分、バスケしたことない人でもバスケットボールってスポーツがわかりやすいとか

キャラがみんな魅力的だとか、もう出尽くしてるだろうけど

脇役もいいよね。特に花道の友達も三井の仲間の堀田ですらいい奴で

だから読み終えた後に後味がいい、爽やかな読後感というか

そう、これがスポーツマンシップなわけなのよ

そうなんでもそうだけど、終わった後に気分がいいってのは結構大事なことだと思うのね。

特に走るのなんてなんでこんなクソ寒い日にわざわざとか思うわれそうじゃん

特にこっちは学生時代運動音痴でクラスのスポーツのチームわけでも最後まで残ってる

ような奴だから、フォームとかひどいわけだし。スラムダンク読んでる最中は

もし、学生時代これ読んでたらバスケ始めたのかしらとか思ってたけど

頭が冷え切った今考えたらまぁありえないよなぁとか思う。

時間は逆回りにはならないし、武道のようにリープはできない

できたとしても、結局同じだと思う。

今いる場所でもにも変えられなければ一生そのまま

気がついたらジジィになってる

それに、学校行ってた時より今の方が気楽でいいと思うのよね

ぶっちゃけガチ勢の人に睨まれないように生きてきたから

性根まで負け癖がついてる。でも今は違う。

他人がどう思おうが関係ない。

自分のために時間を使おう、人生は短いのだから。

 

 

 

 

 

 

 

日が昇り日が沈む

どうしてここまできたんだろう。なんのためにここまできたんだろう

今日も日が昇り、そして日が落ちていく

さまよう、さまよう、なんのために、

なんのために、ずっと、ずっと考えてきたこれまでずっと頭を離れてくれない

道を歩いている時、働いているとき、なんのために、なんのために?頭の中で

ずっとずっとしゃべりつ続ける誰かが一体どれくらい前にこの人が現れたのか

今になってみるともう思い出せない。いつからやってきたのかを知るのは別に

こだわらなくていいと思う。始まりなんて知ったって意味はないから。

意味のあることはどうすればこいつがいなくなってくれるのかということ

どうすればこのおもしのような、追われているような(一体誰に?それもわからない)

少なくとも生きていく上で役に立つような知恵にはまったくならないであろう考えを

消すことができるのかを知りたい。いいや、とっくの昔に知っていたんだ。

跡形もなく消すのは簡単だ。でも、そのやり方はどうしても認めたくなかった。

わかってはいたんだ。でもできなかった。怖かった。これまでなんども、なんども

チャンスはあったんだ。でもやらなかった。ただのビビリだからだ。それはわかっては

いるんだ。でもいやだった。何度でもいうけど、わかってはいたんだ。

その方法を探すためにこれまでだましだまし過ごしてきたけど、無理だ。

もうかなわないような気がしている、違う乗り物に乗っても、行き着く場所が同じなら

選ぶ意味はあるのかな

ここで諦めるか

どこを通ったってどうせなにも変わらない。回り道ばかり長くてなにが楽しい。

疲れるだけだ。誰だって早道を通る、苦しむ時間は短い方がいい

窓ガラスからさむさが染み込んでくる。動かないと余計さむい

部屋の空気がこもっている気がする。窮屈だ

どこに行く理由もなかったけど、家にいるのがいやで外に出た。なんだ

家に居たくないのはニートでもフリーターでも変わらないな

どうでも良くないか。今更世間体なんて考えてなにを変えられる。

川を見に行った。いてもたってもいられないとはこのことで、理由は特になかった

ただ、頭の中に、川のイメージが浮かんできて、どうしてもと思っただけで

ごめんね、うまいことがかけなくて

家を出て歩いてみる。思い起こせば、無職だったときは、外に出るだけでも怖かった

お前はなにをしているんだと思われていそうで、今なら、どう思われていてもいいじゃないかと思えるけど、それは働いているからだ。それもバイト、エバれる身分じゃない

ここで、お前もエバれる身分じゃないだろうなんてツッコミはなしにしてくれ

顔もわからない赤の他人同士石を投げ合うなんて、しょぼい争いバカバカしいだけさ

でも、今日は祝日だから、どこにいてもいいような気がスルだけかもしれない

でも、本当はどこの誰がなにをしていようと、知ったこっちゃないしどうでもいいことだと思わないか?

例えば後ろ指さしてくる誰かが仕事をくれるわけじゃないのだし

何か言われたらこう思えばいい。

だれも助けてくれない。他人はみんな君の足を引っ張るだけだ。

どうでもいいよな。こんな話、話を戻すよ。今日は昨日と違って

太陽を遮るものが一つもない、ランニングは昨日じゃなく今日すれば良かった

家を出た途端に雪がちらつき始めたからね。まぁいいや。

太陽の下にいるのは気持ちが良かった。電気ストーブと違う自然の暖かさは

言い方はうまくないけど、ほっとできるような気がした。

途中で道が二つに分かれる、橋を渡って向こう岸にいくことにした

なかなか距離がある。風がからだにささってくるような寒さを感じる

橋の途中でちょうど川の真上に来た。川の流れはこっちと逆方向に流れている

今日はいつもと違って、いつもと言っても毎日観察しているわけじゃない

いつから川博士になったんだ。お前は。まぁ、いいや。

川の深いところが見えた気がした。しっかり橋の手すりを掴んでいないとそのまま

吹っ飛ばされそうだった、ちょっと待ってくれ、なんでそんなことをするんだ

そのままおっこっちちまえば楽になれるだろうに

笑えるだろ、もうどうしようないとかさんざんわめいてきて、怖いんだ。

とても怖いんだ。わかってる。もうこの、毎日を終わらせるには、このまま消えるしか

ないってことには。でも、怖いんだ。終わりたいんだ。それは本当なんだ。

でも、終わらせたい気持ちは想像の中で、それを現実にするのは、怖いんだ。とても

やめちまえよ。なんて言わないでくれ。これはそう、一瞬で答えが出るようなものじゃないんだ。なんとういか、葛藤みたいなもので、決せしてポーズではないんだ。

終わりたいんだ。でも怖いんだ。それが嫌なんだ。決心がつかないそこが嫌なんだ、

嫌いなんだ。さっさと消えろよと思う。でも、できないんだ。

希望なんてもってるわけじゃないんだ。明日に期待しているわけじゃないんだ。

苦しくなるだけだから、明日どうかるか、考えるべきじゃない、でも考えないなんてのはできない。何事にしても、無理強いするのは良くない、コントロールできると思わないことだ。苦しくなるだけだから。

そんなことを考えながら今日も歩いてきた。家に帰る頃には日は落ちていた

そうして今日も日が沈む、それでいいような気がした。

 

 

入り口はあっても出口のない迷路

ここはどこなんだ?なぜこんな場所にいるんだ?どうやってここにきた?

 

なぜ?ここまでやってきた自分を呪ってみても、戻る道もない。

 

人生とはどこへ進むかもわからないのに一発勝負でやり直すこともできず

 

正しい道を示すヒントすらない迷路に似ている。

 

見渡す限りをやらなければならないこと、生きていく上での当たり前でできた

 

暗く、温かみのない壁で囲まれた狭く、息苦しい通路を、ただ広い場所にでたい

 

一心でさまよっていく。いったいどれだけ歩いたんだ?足がしびれるまで歩いても

 

見えるものは変わらない。まるでいままで一歩も進めていないような

 

いや、新しい道を選んだ。と思っていたけど、もとの場所に戻ってきてしまったような

 

あまりにもバカバカしく、疲れるだけで、時間だけは過ぎていく。

 

 もう疲れたよ。頑張ったんだよ。本当だよ。できる限りだ。

 

でも、頑張っても頑張っても、良かったこともないのよ。

 

立ち上がって良かった。報われたと思えることが、何一つもないのよ。

 

ただ、ただ、もっと頑張れ。もっと頑張れと

 

鞭で打たれているような気分で、成果が出るのはもう少し先だ。

 

とか、もっと先まで

頑張れって言うけど、差し込む光くらいないのかい?

 

 この、人生という迷路を作った奴はいったい何を考えているのだろう。

 

人を惑わせて何が楽しいというのだろう。

 

たとえば、これがアリの観察キットで、ここでさまよっている人間の有り様を

 

宿題の絵日記か何かに書いているのだとしたら、随分と滑稽だと思うだろうな。

 

入り口はあっても出口のない迷路を、いったいいつまでさまよえばいいんだろう?